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今回は伊都国と金印の研究です。中国から金印を授かったのは①西暦57年 後漢へ朝貢し、光武帝(後漢帝56~57年)から金印「漢委奴国王」を授かる。②西暦239年 卑弥呼が魏へ朝貢し明帝(魏帝237~239年)「親魏倭王」の称号と金印を授かる。の2つを授かったと中
【奴国は女王に属すか否か?】 次の魏志倭人伝(原文)の箇所には、次有り・・・次有り・・・と、次々と国名を挙げて「次有り奴国」までで、21ヶ国の記述があります。自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 次有巳百支國
邪馬台国と魏国の地方政権を携わっていた帯方郡との立場上の力関係は上にあったのか、下にあったのか、それとも同等だったのかを、魏志倭人伝の下記の部分の漢文を解釈して、検証します。其八年太守王頎到官 其(正始)八年(西暦247年)、帯方郡太守の王頎が着任した。倭女
魏志倭人伝に記述されている邪馬台国の女王の「卑弥呼」は高齢で夫はいなく独身である。 世間一般的には、此のように理解されている方が多いのではないでしょうか?どうしてこのように解釈されてるのでしょうか?たぶん次の箇所の漢字からそのように解釈されたようですが、