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まぁ、仏教に於ける葬儀法を研究する人達には、よく知られた文章ではあるが、とりあえず今日はこの辺を学んでおきたい。然るに仏教に依らば、苾芻の亡ずれば、死に決するを観知し、当日に焼処に向いて、尋いで即ち火を以てこれを焚く。当に焼くの時、親友、咸く萃りて一辺に在りて坐し、或いは草を結んで座と為し、或いは土を聚めて台と作し、或いは甎石を置きて以て坐物に充つ。一りの能者をして無常経の半紙・一紙を誦せしむ。疲久せしむること勿れ。然る後に、各おの無常を念じ、住処に還帰す。寺外の池内に衣を連ねて並びに浴す。其の池処無くんば、井に就いて身を洗う。皆、用故の衣、不損の新服、別して著けて、乾いた者は然る後に房に帰す。地、牛糞を以て浄塗し、余事、並びに皆な故の如し。衣服の儀、曾て片別無し。或いは其の設利羅を収すること有らば、亡人...インド仏教の葬儀法を伝える文章?
連載終了に当たって(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・17終)
前回までの連載記事で、義浄『南海寄帰伝』「十九受戒軌則」を学び終えた。ただし、その上で、個人的にはもう少し学んでおくべきことがあるような気がしている。それは、義浄が批判した「訛」についてである。この「訛」は、日本語では「なまり」や「方言」を意味する言葉になる。実際に、漢語としても基本は同じで、本来の様子から変化したことを指す。つまり、義浄が自著で「訛」としたのは、以下のような事例である。西方の僧衆、将に食するの時、必ず須らく人人、手足を浄洗し、各おの小床に別踞す、高さ七寸なるべし、方は纔に一尺ばかり。『南海寄帰伝』巻1「三食坐小床」このように、西方の僧侶たちは、食事の時に手足を洗ってから、「小床」に個別に坐っていたという。つまりは、椅子に坐って食べていたというのである。だが、中国では以下のように替わったと...連載終了に当たって(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・17終)
個人的に、「箸の日」というのは、「橋の日」などと同様、語呂合わせで8月4日だと思っていたら、今日、11月11日にも「箸の日」があるらしい。理由は、以下のサイトなどが詳しい。・お箸(はし)の記念日ってあるの?(ごはん彩々)要するに、「1111」が、箸2膳の並ぶ様子に見えることから、「箸の日」に充てられたらしい。語呂合わせは?とか思ったら、「11月11日」は、日本だけではなく、中国や韓国の人たちとも一緒に活動しているようなので、なるほど、語呂合わせでは問題になると言える。ということで、今日も「箸の日」だということで、以前から、関連して紹介したいと思っていた記事を採り上げてみたい。十六匙筯合否西方の食法、唯だ右手を用ふるのみ、必ず病故有れば匙を畜ふることを開聴す。其れ筯は則ち五天に聞かざる所、四部も亦た未だ見ざ...今日も「箸の日」らしい
見習い僧侶の食事について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・15)
15回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、見習い僧侶の食事についての話である。若し常住を餐するは、聖教、全く遮る。必ず其れ衆に於いて労有るは、功に准じて亦た餐食に合す。或いは是れ普通の食、或いは施主、心を先んずべきは、復た餐食すと雖も、故に罪無しと成す。夫れ龍河影没し、鷲嶺光り收る。伝法の羅漢、能く余り幾くか在らん。故に論に云く、大師眼閉じれば、証も随て亡す、煩悩増す時、応に勤て逸すること莫れ。理、当に諸徳共...見習い僧侶の食事について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・15)
童子と学生について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・14)
14回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、比丘の下に学びに来ていた者についての話である。凡そ諸白衣、苾芻の所に詣で、若しくは専ら仏典を誦し、情に落髪を希み、願いて緇衣に畢るを、号して童子と為す。或は外典を求めて出離に心ろ無きを、名て学生と曰ふ。斯の二流、並に須らく自食すべし〈西国の僧寺、多く学生有り、来りて苾芻に就いて外典を習学す、一には駆馳して給侍することを得、二には乃ち教えて好心を発せしむ。既に自利利他有...童子と学生について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・14)