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青梅街道宿場巡りの第6回は、甲州街道からの分岐点(追分)である内藤新宿から数えて5番目の宿場町・青梅です。 青梅街道は、江戸城築城のために1606年(慶長11年)、青梅の成木村で採れる石灰を運搬する道路として整備されました。当時は成木往還と呼ばれており、「青梅街道」と固...
【実家のお片付け★今日のお宝は「映画のパンフレット」★夕食は『焼きキーマカレースパゲティー』】
★ 7月10日(水) ⛅ ★ 今日はお昼に家を出て実家へ”GO!” 途中、先週実家に来て品物の選別をしてもらった 〔骨董 端橋堂〕さんにお礼がてら寄って・・・ お兄さんは外のお仕事で居なかったけど 奥様が
こんにちは!お読みいただきありがとうございます 今回は私が友人と(BFではないで)『友人と初めて映画館で観た洋画』についてやで。 中学生の時、同級生の真由美ち…
昭和29年『ゴジラ』という前人未到のSF映画が完成するまで、日本映画はどのようにしてSFの表現を模索してきたか。稚拙なトリック映画から、ロボットとチャンバラをかけ合わせたB級映画、はたまたアマチュアの自主制作まで、さまざまなフィルム・資料を調査し、日本のSF映画のルーツに迫るドキュメントです。
高峰秀子は晩年何をしていた?遺産がすごかった?高峰三枝子との関係は?
高峰秀子(たかみね・ひでこ)さんは昭和を代表するスター女優で昭和の映画界で大活躍された方ですね。 「カルメン故郷に帰る」、「二十四の瞳」、「浮雲」といった作品に出演し、昭和のトップ女優として活躍されてきた高峰秀子さんの晩年についてなど、気に
原節子の引退理由とは?晩年は何をしていた?ビートたけしとの関係とは?
原節子さんは、戦前から戦後にかけて活躍した大女優さんで、昭和を代表する伝説的な女優として、非常に人気が高い女優さんでした。 100本以上の映画に出演し、戦前、戦中、戦後と激動の時代を生きてきた女優さんでもあります。 今回は、原節子さんについ
「趣味ですか?😅」「ええ」「バイクと寅さんですキリッ」「プッ…クスッ、エ?」 だいたいこうなるのが関の山、でも、居酒屋の卓を囲む4人がアラフィフだと 「男は…
岸田今日子がマジでガチサイコ!映画「この子の七つのお祝いに」感想
1982年 ‧ ミステリー ‧ 1時間 51分監督 増村保造脚本 松木ひろし 増村保造原作 斎藤澪製作 角川春樹音楽 大野雄二撮影 小林節雄編集 中静達治製作会社 松竹 角川春樹事務所配給