メインカテゴリーを選択しなおす
『協生農法』の可能性は、環境の生態系機能を向上させ、生物多様性を破壊し続ける世界を変えられるところにある。この福音を、もしパーフェクトに実践出来なかったとしても、今の生き方の問題点や過ちに気づき、人類意識を変革する何らかのきっかけにはなるはずだ。
この界隈は、豊臣秀吉によって築城された伏見城のお膝元で城下町の名残もあり、歴史的建造物が多く景観や町並みが保存されている美観地区だ。少し歩くだけでも、古き良き日本の片鱗を垣間見ることができる希少な場所でもある。
山本本家の看板ブランド『神聖』清酒瓶のラベルに冠している毛筆文字は、富岡鐵斎翁が揮毫されたものだと伺った。富岡鐵斎といえば、幕末の京都に生まれ、明治・大正の激動期に活躍した日本最後の文人画家と謳われた人物だ。
天皇誕生日の次の日、山本本家の直売所に出向いてみると、案の定、新酒の『山田錦100%無濾過生原酒』は売り切れ寸前の残り10本足らずとなっているではないか!
田舎の家の白梅の花が咲いた。まだ蕾をたくさん残しているが、ほぼ満開になった。今年は気温が高いせいか、例年より2週間くらい早いペースで開花し出した。枝ぶりも花数もこれまで以上に最高に素晴らしい姿によみがえってくれた。ここまでにするのにおよそ8年の歳月がかかった。
府道沿いのローカルなガソリンスタンドの傍らに、面白い名前の橋が架かっていた。その名も『猫橋』という。ちょうどそこに野良猫が一匹姿を現した。野良猫というよりは、山間に住んでいる『野猫』かなあ。
今年は気温が高く、例年に比べて2週間程開花時期が早かった。土日の昼間、晴れている明るいうちに見に来てあげられなかったのが残念だが、夜微かに香る白梅もまた格別だ。ひっそりと私の帰りを待っていてくれたかのように思えて、ああ、本当によく咲いてくれた。この一本の梅の木の花々が、まるで宇宙空間のように見えた。
節分大祭といえば、豆まきと恵方巻きだが、全国規模でこれほどまで大切にされ、神道・仏教問わず、最も普及されている祭事は節分大祭ではないだろうか。日本の国民のみならず、地球市民の大祓いの神事ともいえよう。宗門・宗派などによって多少形式は異なるが、一年間たまった私たちの心の塵や埃を祓い浄めてくださる儀式だ。
岡本太郎が生み出した巨大なモニュメント『太陽の塔』の存在は、後生の私たちに生きる勇気と不思議なインスピレーションを与えてくれる。子供なりに、目には見えない不思議なインスピレーションや芸術のエッセンスを感じていたのだろうか。それとも、シャーマンニズムや精霊のスピリットを感じ取っていたのか。
気象庁は後に、能登半島地震について、マグニチュード7.6の地震の2分後に、マグニチュード5.7の別の地震が起きており、石川県内で最大震度6弱の揺れを観測していたことが新たにわかったと発表した。この時、まだその全容についてはわからなかったが、何という事だろう。気の毒としか言い様がない、目を覆わんばかりの状況だ。神棚に上げて用意していたその輪島塗の杓子を通じて、私はその夜から、一人でも多くの方の命が救われますようにと祈りはじめた。
9月の後半に蒔いた種子が無事に発芽して、元気に大きくなり出した。仲秋へと秋が深まるのを感じながら、マイペースで植物や昆虫たちと、ゆったりと会話できるのが楽しみだ。
東の夜空を見上げると、月に寄り添うように明るく輝く星がまたたいていた。最初は金星かなと思っていたら、どうやら木星が大接近して見えていたようだ。秋の虫の音の大コーラスも最高潮に達しつつあり、いよいよ季節の深まりを告げる空気感が、冷涼として身体に浸透しつつあった。
洞窟の住人|ニホンキクガシラコウモリ|レッドデータブック準絶滅危惧種
ニホンキクガシラコウモリは、昆虫の捕食者として森林の生態系の中では、とても重要な地位を占めている。分布は北海道から九州までと広域だが、洞窟の減少・消滅によって生息環境が悪化して、個体数が激減しているそうだ。
その音律をはじめて聴いたとき、自分の中の太古のスピリットが呼び覚まされ、音という生命を吹き込まれた精霊が、小躍りしているかのように感じられたからだった。
種蒔きの前に準備を整えるため、これまであまり面倒を見れていなかった場所に、そろそろと手を入れ始めた。日当たりの強い場所で、暑さのため土は固くしまっていた。夏草をノコギリ鎌でとって、鎌先で宿根草などを探り探り除去して下地を整えだしたが、固い土をほぐさなければならず、思いのほか随分手間取るはめに陥った。
昼と夜の寒暖差から発生する丹波霧の風情は、静かでとても神秘的だ。秋が深まるにつれて、朝の霧も濃厚になってゆく。たっぷりと朝露に濡れた植物たちは、生気を取り戻して、いよいよ活気づいてきた。
スーパームーンの夜、静かに瞑黙していると、むかし見た不思議な夢の話が思い出されてきた。満月の引力は強力で、人間の精神性やバイオリズムに変調を与え高尚にさせる。意識のチューニングが、普段と微妙に違っていたのかも知れない。
今夏の記録的な猛暑日は、止まるところを知らず、残暑御見舞いどころか、また暑さが逆戻りするのだとか。季節は確実に巡ってきていると思うのだが、この異常な暑さの正体は何だったのだろうか。
田舎の家に夜の訪問者がやって来た。日もとっぷりと暮れた裏山の暗がりから、家の灯りを求めて一目散に飛んで来たのは、一匹の美しい立派なアブラゼミ。
田舎の家のささやかな畑で、今年も山芋むかごが生育し始めた。つぶつぶのピーナッツのような外観だが、わき芽が養分を蓄えて肥大化したものであり、これが実は山芋の子供である。一粒一粒が小さな山芋であり、また種子の役割も果たす。
残された巣を見上げながら、嬉しいやら寂しいやら。でも何事も無く、今年もうちから無事に飛んでくれて良かった。また来年帰ってくるのを楽しみにに待とう、もう会えないだろうなと寂しく思っていた。すると、まだ近くに居るみたいであの子供たちの声がした。
残された巣を見上げながら、嬉しいやら寂しいやら。でも何事も無く、今年もうちから無事に飛んでくれて良かった。また来年帰ってくるのを楽しみにに待とう、もう会えないだろうなと寂しく思っていた。すると、まだ近くに居るみたいであの子供たちの声がした。
田舎の家ではじめて、快挙となる今年3回目のヒナたちが元気に成長し巣立ちした。その成長速度は以前に比べても驚くほど速く、孵化からきっかり2週間程で飛んでしまふ。年々過酷になっていく生存環境の変化に適応しようと奮闘努力しているようにも覗える。
田舎の打上げ花火はとても優美だ。川岸の水面にまるで合わせ鏡のように映える、もともとは先祖の供養や鎮魂のため、川へ灯篭を流したのが始まりとされているそうだ。田舎の花火大会はゆったりとして朗らかだ。人数も比較的少なくて過度の混雑も無い。昔のように家の近所で夕涼みしながら夜を待ち、夏休みの子供たちからお爺さんお婆さんまで三世代、四世代で楽しめる、とっても和やかなムードだ。
6月前半、巣落ちしたがツバメのヒナたち四羽はかろうじて難を逃れたようだ。すぐ傍の白梅の木に肩を寄せ合い仲良く止まっていた。ヒナたちの体長が大きくなるにつれて重さに耐え切れずに巣が落ちてしまうことはよくあるそうだ。
6月前半、滋賀県のとある霊験あらたかな古刹神社の神域で、鳥居を建立するボランティアワークがあった。かなり以前に参詣したことのある由緒あるお宮さんで御縁があり、また懐かしさもあった。鳥居の建立とはなかなか経験できないことだという好奇心も相俟って馳せ参じ、参加させて頂くことにした。
6月前半、巣落ちしたがツバメのヒナたち四羽はかろうじて難を逃れたようだ。すぐ傍の白梅の木に肩を寄せ合い仲良く止まっていた。ヒナたちの体長が大きくなるにつれて重さに耐え切れずに巣が落ちてしまうことはよくあるそうだ。
4月上旬、私たちのささやかな畑に、今年もタワラ品種のジャガイモを植え付けた。タワラシリーズは、3年前に彼女が見つけてきたものだが、本当に素晴らしい品種だ。
5月の終わり、白梅の木が実をつけたのは久しぶりのこと。前庭に佇むたった1本の木で、ここの所なかなか実をつけなかった。枝ぶりも整えてはいるが、そんなに大きな木ではない。
ギンリョウソウとの最初の出会いは、かれこれ9年ほど前の2014年に遡る。4月の終わり頃、私は彼女と一緒に奈良県桜井市へ三輪素麺を調達しに出掛けた。その午後から大神神社(おおみわじんじゃ)へ参拝に伺った時のことだった。
興味深いのは、第15巻20章に『五十世紀(ごじっせいき)』というタイトルが登場することだ。今から3,000年ほど先の話ではあるが、その中に未来の人類についての記述がある。私はこの言葉に、なぜか非常に共感し惹かれるところがあった。