264: 2015/12/07(月) 23:02:15.69 ID:NdAUtaeco

最初:屋上に昇って【その1】
前回:
屋上に昇って【その2】
◇[Wild Nights]


 翌週の月曜の朝、登校するとゴローと佐伯が俺の席の近くで話をしていた。

「土曜はどうだった?」とゴローは訊いてくる。

「まあそこそこだよ」と俺は答えた。

 るーにもらったへんてこな熊のキーホルダーを、俺は鞄につけておいた。
 他に使い道が思いつかなかったし、かといってどこにもつけずになくしてしまうのもなんとなく申し訳ない。

「そこそこね」と佐伯は意味ありげに頷く。

「きみら、用事ってなんだったの?」

「歯医者」と佐伯。

「耳鼻科」とゴロー。

「……」

「ほんとだよ」

 ちょっと間を置いてみたけど、佐伯もゴローもそれ以上は何も言ってくれなかった。
 ほんとだよ、というあたり、疑われる心当たりがあると言っているようなものだ。

アホガール(12) (週刊少年マガジンコミックス)

265: 2015/12/07(月) 23:03:13.35 ID:NdAUtaeco

 まあいいや、と俺は割り切って、別の話を振ることにした。

「部誌の原稿、調子どう?」

 ゴローと佐伯は顔を見合わせて、首をかしげた。

「なんか、どうにもおかしいんだよな」

「わたしも」

「……おかしいって?」

「いつもの調子が出ない」

 ゴローは心底疑問だというふうに溜め息をついた。
 いつもの調子。いつもの調子ってなんなんだろう。いつも、好き勝手に書いているだけなのに。

 本当に、ふたりは不思議そうだった。何が原因なのかわからない、というふうに。
 
 高森や、部長が言うならまだ分かる。
 彼女たちは、他人の視線を意識する人たちだから。

 でも、このふたりがそんなことを言うのは意外な気がした。

 周囲の状況に惑わされず、いつでも自分であり続けることができる人たち。
 俺はふたりを、そういう性質の人として理解していた。

266: 2015/12/07(月) 23:03:41.50 ID:NdAUtaeco

「浅月はどうなの?」

「俺はまだ白紙」

「まずいんじゃない?」

「まずいね」

 窓の外はどんよりと曇っていた。もう、季節は梅雨へと入り込もうとしている。
 
「午後から雨が降るかもだとさ」

 俺の視線の先を見て、ゴローがそう言う。

「雨……」

 雨。
 
 ふと、頭痛を覚える。風邪でもひいたのだろうか。それとも、寝不足のせいだろうか。
 曇り空。何かを思い出しそうで、何も思い出せない。いつもだ。


267: 2015/12/07(月) 23:04:09.36 ID:NdAUtaeco

 どうでもいい会話が途切れたタイミングで、高森がやってきた。
 どいつもこいつも、自分のクラスに話し相手がいないのか、と思う。

 ……もちろん、いるんだろう。べつに、ここじゃなくてもいい。ここだっていいけど、ここじゃなくてもいいのだ、みんな。

 高森は、空模様のせいか、いつもよりずっと元気がないように見えた。

「おはよう」と告げる声だって、どことなく頼りない。

 思わず「どうしたの?」と訊ねると、なんでもなさそうに「なにが?」と笑う。
 
 だったらそれ以上何も聞けやしない。
 そう見えただけだったのだろう。


268: 2015/12/07(月) 23:04:36.04 ID:NdAUtaeco


 
 昼休みに東校舎の屋上へ向かうと、鷹島スクイは当たり前のような顔で立っていた。

「調子はどうだい」と俺は訊ねる。

「最悪だな」とスクイは言う。

「何も書けやしない」

 ああ、そうか。こいつも文芸部なんだっけ。
 ……そうだったっけ? 俺はその話を、どこで聞いたんだろう。

 たぶん、どこかでいつか聞いたんだろう。そういうものとして、俺は記憶している。

「みんなそう言うんだ。何をそんなに、揃って調子を崩してるんだろう?」

「おまえだって人のことは言えないだろ。浅月拓海」

「俺のことを知ってるみたいなことを言うね。鷹島スクイ」

 彼は俺の言葉を軽く受け流すと、梯子を昇って給水塔のスペースへと上がっていった。

「来いよ」と彼は言う。俺はそれに従う。

269: 2015/12/07(月) 23:05:26.15 ID:NdAUtaeco

「佐伯ちえも、林田吾郎も、由良めぐみも、一見強そうだ。軸がぶれない。周囲に影響されない」

 そういうふうに見える、と鷹島スクイは言う。

「でも、本当のところ違う。あいつらは、人並みに他人に影響されやすいんだ。
 ちょっとした出来事や天気の違い、状況や体調に、当たり前に影響される。
 そう見えないのは、あいつらが周囲の影響を受け取らない生き方を選択してるからだ」

「選択」と俺は繰り返す。

「ひとりでいる奴は、強い。でも、ひとりでいる奴が強くいられるのは、ひとりでいるときだけだ」

「……意味がわかんねえ」

「たとえどのような生き方を選択していようと、他人と関わらざるを得ないタイミングがある。
 そのとき、ああいう奴らは、自分の選択した生き方と、周囲との兼ね合いに苦労するのさ。
 自分が独立した一個ではなく、何かのうちの一個だと意識したとき、ああいう奴らは弱い」

「……つまり、何が言いたいの?」

「藤宮ちはるが読むかもしれないってことを意識すると、いつもの調子で小説が書けないんじゃないか?」

 俺はぎくりとした。本当に、見てきたみたいにものを言う奴だ。

「そういうことだよ。読むかもしれない『誰か』を意識すると、文章は弱くなるんだ。『自分』だけでいられなくなる」

「今までだって、部誌は出してた」

「誰も読んじゃいなかった。読んでいたとしても、大雑把に、だ。
 精緻に読み解こうとする奴なんていなかった。文芸部はよくわからんもんを書いてるな、で終わりだ。
 でも……今度はちょっと、違う。検証されるかもしれない、と、みんな思ってる」


270: 2015/12/07(月) 23:05:59.78 ID:NdAUtaeco

 部誌にあげる原稿なんて、みんな、娯楽作品として書いているつもりはない。
 ただ、自分が書きたいもの、書こうと思えるものを、書く。

 それが誰にどう思われるかどうかなんてこと、いちいち気にしない。

 適当に義務感だけで書くなら別だろうけど、うちの奴らは基本的に、書くのが好きな部員ばかりだ。

 だから、そこには自意識が投影される。
 自分のこと、自分が好きなもの、自分が望むこと、自分が怒りを感じること、自分が悲しいと思うこと。
 そういうものを書こうとする。

 だから、それが誰かに見られ、咎められるかもしれない、と思うと、筆が止まる。
 ぎこちなくなる。
 
「……例の、第二とのやりとりが原因ってことか?」

「だろうな」と鷹島スクイは確信しきった調子で頷く。

「本当は、どいつもこいつもひっそりやりたいんだ。だろ? 戦わせるつもりなら文字になんてしない」

「どうかな」と、そこに対しての同意は保留する。

「べつに俺は、そういうつもりで書いてるんじゃない」

「……本当にそうか?」

 鷹島スクイは笑う。

「じゃあ、どうしておまえは、氏んじまった猫の話ばかり書くんだ?」

「……」

「誰にも愛されなかった猫、誰にも顧みられなかった猫、誰にも悼まれなかった猫。どうしてそんな猫の話ばかりを書く?」


271: 2015/12/07(月) 23:06:26.94 ID:NdAUtaeco

 どこかで分かってるんだろ、と鷹島スクイは続けた。

「そんなものを読んだ相手が、どんなふうに感じるか。本当は予想がついてるんだ。
 おまえだって、べつに誰かに読んでほしいわけじゃない。でも、腹の底に溜め込んでもいられない。
 だから書くんだろ。誰にも耳を傾けてもらえないだろうことを、文章にして、残しておきたいんだろ?」

「……」

「藤宮ちはるがいると、楽しいかい?」

 不意に、彼は話を変える。俺は、彼が何かを言うより先に、彼が何を言うつもりなのか分かった。
 分かったうえで、頷く。

「姉貴のことはいいのかい?」

 咎めるように、鷹島スクイはそう言った。
 俺は答えられなかった。


272: 2015/12/07(月) 23:07:00.17 ID:NdAUtaeco

 答えられずに、話をする。

「遠足が、あるだろ」

「……遠足?」

「そう、遠足。バスに乗って、みんなでどこかに行くんだ。楽しげに童謡なんか歌いながらさ。
 どっかの丘の上の自然公園とかだ。ついたらアスレチックで遊んだり、シートを広げてお弁当を食べたりする」

「……それが?」

「行きの道の途中で、車に轢かれた猫の氏体があったら、どんな気分になる?」

「……どんな?」

「みんな、どんな気分なんだろうな? 俺はそれを上手く想像できないんだ。
 いたたまれなさ? 水を差されたような居心地の悪さ? もっと素朴に、"かわいそう"って同情するのか?」

「さあね」と鷹島スクイは鼻で笑う。

「楽しい遠足の途中に一瞬だけ猫の氏体が割り込む。そうすると俺は、もうその遠足を、素直に楽しむことができなくなる」

 だってそこで、その日、猫が一匹、氏んでいたんだ。

「でも、じゃあ、その氏体がそこに転がっていなかったら、ずっと楽しい気分のまま遠足が終わるのかな?」

 鷹島スクイは答えない。

「だって、猫は氏んでるんだ。どこかで氏んでるんだよ。いつも。じゃあ、幸せを感じることなんて、不可能じゃないか?」

 ずっとずっと、いたたまれなさと、居心地の悪さと、同情とが、邪魔をする。 
 自分が何かを楽しんでいるとき、その裏側に、誰かの悲しみがあることを想像する。目に見えなくても、それはいつでもそこにある。

「おまえ、変だぜ」と鷹島スクイは笑った。


273: 2015/12/07(月) 23:07:45.50 ID:NdAUtaeco

「そう、変なんだよ」

 そんなことを考えなければ、見ないふりをしていれば、知らないふりをしていれば、人は幸福でいられる。
 隠されていたもの、裏側にはりついていた影、マジックミラーの向こう側。

 知らずにいれば、覚えずに済む罪悪感。

 だから、知ろうとしてはいけない。幸福でいたければ、考えるのをやめなくちゃいけない。
 ページをめくっちゃいけない。何が潜んでいるか分からない暗闇に光を当ててはいけない。
 知ってしまったことを知らなかったことにはできないんだから。

「"世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない"」と鷹島スクイは言った。

 俺は一瞬だけその言葉について考えて、ごく自然のなりゆきとして秋津よだかのことを思い出す。
 それから笑った。たいした皮肉だ。

「幸福は、感受性の麻痺と想像力の欠如と思考の怠慢がもたらす錯覚だ」

 と彼は言う。

「幸福なんてものは、ありえない」
 
 と鷹島スクイは言い直した。  

「ああ、そう」と、俺はどうでもいいふうを装って、軽くうなずいた。


274: 2015/12/07(月) 23:08:18.36 ID:NdAUtaeco



 不意に、物音が聞こえた。
 
 俺は息をひそめる。誰かが、近付いてきている。
 扉が軋む音がして、俺たちの真下から、誰かがやってきた。

「息が詰まるよな」と男子生徒の声が聞こえた。

「及川さん、張り切ってるもんな。第一とか第二とか、正直どうでもいいんだけど」

「だよなあ」

 ……狙いすましたようなタイミングだ。
 及川、第一、第二。たぶん、第二文芸部の部員たちなんだろう。
 例の部誌の話、彼らがどう思っているのか気になってはいたが、どうやら一枚岩ではないらしい。

 当然か。部員数が多いんだから。

「でもまあ、正直第一の奴らを打ち負かせたら気分がいいよな」

「おまえ、第一嫌いなの?」

「だってあいつら、書くものも態度も偉そうじゃね?」

「読んだことも話したこともねえからわかんねえよ」

「なんか、"自分たちはなんでも人より分かってます"って感じでさ。書くものも妙にまどろっこしいし」

「あー、たしかに小難しい感じのが多い気はする」


275: 2015/12/07(月) 23:08:58.46 ID:NdAUtaeco

「俺らのことバカにしてる気がするんだよな。自分たちが書いてるものが正当で、俺らのことお遊びでやってるとか思ってそう」

「そっかなあ。被害妄想じゃねえ?」

「かな」

「コンプレックスとか」

「それもあるかもしんねえけど」

「まあ、でもちょっと分かる。感じ悪いっていうか、排他的だよな」

「うん。べつに"分かってくれなくてもかまわないよ"って感じの態度が、妙に鼻につくんだよ。
 分からせようとする気がないだけじゃねえかって思う」

「おまえ、言い過ぎな」

「ま、いいだろ。俺とおまえだけなんだし。でもさ、及川さん、なんであんなこと言い出したわけ?」

「あー、うん。俺、ちょっと他の先輩に聞いたんだけどさ」

「ん?」

「及川さん、第一の部長に告ったことあるらしいよ」

「え、マジで?」

 マジか。部長、及川さんが部室にきたとき、「どちらさま?」って言ってたぞ。

276: 2015/12/07(月) 23:09:37.78 ID:NdAUtaeco

「で、振られたんだって」

「はあ。で?」

「それだけ」

「……それが部誌の話とどう繋がるわけ?」

「あっちの部長、書くことにやたらこだわってる感じだろ」

「あー、たしかに、熱量は半端じゃねえよな。図書室で調べ物してるとことか、ちょっと怖いもんな。美人だけど」

「美人かあ?」

「感想は人それぞれだな」

「まあ、ようするに、腹いせなんじゃねえの?」

「……どういうこと?」

「相手が一番こだわってることで自分が上位に立ってるって見せつけて、プライドを傷つけたいんじゃねえ?」

「え、及川さん性格悪いな」

「憶測だけどな。本当だとしたら、付き合わされるこっちの身にもなってほしいけど」

「でもまあ、どっちにしても部誌出すのはもともとの予定だったし、影響ないっちゃないだろ」

「まあな」

 それからふたりは、第二文芸部のかわいい女の子といい感じだとかどうとかいう話をして盛り上がったあと帰っていった。
 ちょっとした息抜きをしにきただけだったらしい。

 俺は溜め息をついて空を見上げた。
 ぽつりと、鼻先に粒が当たる。

 雨が降ってきたみたいだ。


280: 2015/12/09(水) 23:12:57.08 ID:cEBHTxlko



 放課後の部室にはみんながそろっていた。

 俺が来るよりも先に嵯峨野先輩が顔を出しにきたらしい。
 部長は俺に「あずかりもの」と言って紙袋を差し出してきた。
 
 中身は数本のDVD。律儀な人だ。今度、礼を言っておかなきゃならない。

 部長、高森、ゴロー、佐伯、それからるー。
 全員がそろっていて、全員が黙っていた。

 べつに、それ自体は珍しいことじゃない。
 るーが入ってからは、彼女に気を使って話しかけたりして、みんなうるさいときもあったけど。
 基本的にはみんな静かな奴らなのだ。

 唯一の例外ともいえる高森も、今日は様子が変だった。


281: 2015/12/09(水) 23:13:30.01 ID:cEBHTxlko

 なんだかな、と思った。

 昼休みからずっと、なんとなく気分が重い。
 何か理由がありそうな気がしたけど、思いつかなかった。

 今日、印象的なことなんてほとんどなかったような気がするのに。

 頭がぼんやりする。
 誰かと、何かを話したような気がするのに、思い出せない。
 誰だっけ? 何を聞いたんだっけ?

 外では雨が降っている。
  
「もう梅雨だね」と、部長が言った。

「ですね」とゴローが相槌を打つ。

「みんな、傘持ってきた?」

「一応」と俺は答える。「はい」とゴローとるーも返事をする。

 高森は黙り込んでいる。


282: 2015/12/09(水) 23:14:07.54 ID:cEBHTxlko

 部長は、それについて何も言わなかった。

 俺は話を変えることにした。

「部長って告白されたことありますか?」

 とっさに出てきた言葉がそれだったのは、自分でも意外だった。
 どうしてそんな疑問を覚えたのか、よくわからない。

「なんで?」と部長は首を傾げる。

 高森が顔をあげて、部長の方を見た。

「なんとなく、訊いてみただけです」

「あるよ」と部長はあっさりうなずいたかと思うと、「たぶんね」と曖昧にぼかす。

「相手のこと、覚えてます?」

「一応。でも、忘れるようにしてる」

「なんで?」

「断ったら、そう頼まれたから。なかったことにしてくれって」

「じゃあ、話しちゃまずいことなんですかね」

「ああ、そうだね。ごめん。今のナシ」

 残念、と俺は思う。
 話したことはなかったことにはならない。


283: 2015/12/09(水) 23:14:36.34 ID:cEBHTxlko

「どんな」と高森は不意に言葉を吐き出した。
 途切れ途切れの呼吸。どこか思いつめたみたいな顔。
 彼女の瞳がぼんやりと部長の方へと向かう。
 
「どんな気分でした?」

「……何が?」

「告白されたとき」

「困った、かな。知らない人だったし、戸惑った、かも」

 部長は、衒いもなくそう呟く。

「じゃあ、振ったときはどんな気分でしたか?」

「どんな、って?」

 訊ね返されると、高森は急に黙りこんで、俯いてしまった。
 俺たちは彼女の態度に戸惑う。

 何があったのか、よく分からない。

 やがて、彼女はポロポロと涙をこぼしはじめた。
 頼りない、小さな嗚咽だけが、雨と沈黙のなかでいやに大きく響いた。


284: 2015/12/09(水) 23:15:06.24 ID:cEBHTxlko

「わたしは悪くない」と高森は震えた声で言った。

「わたしは悪くない」と彼女は繰り返す。

 何度も何度も。わたしは悪くない、わたしは悪くない。
 彼女がそう言うなら、きっとそうなのだろう、と俺は思った。

「ごめん、タクミくん」
 
 と、部長は言う。
 俺はパイプ椅子から立ち上がって、ゴローとるーに目配せをする。ふたりは頷いた。

 俺たち三人は、高森を部長に任せて部室を出ることにした。

 他に何ができる?


285: 2015/12/09(水) 23:15:38.18 ID:cEBHTxlko



「蒔絵先輩、どうしたんでしょう……」

 るーは心配そうに呟く。「さあ?」と俺は首を傾げた。
 本当にわからなかった。一年間一緒にいて、こんなことは初めてだ。
 何かがあったのは間違いないだろう。

 彼女が泣いたのは、俺のせいなのかもしれない。
 俺が部長に振った話題が、彼女の感情のどこかを揺さぶってしまったのかもしれない。

 だとすれば……だとしても……。

 俺はそれを知らないし、だから何も言う資格はない。

「ほっとけばすぐに治るさ」とゴローは言った。

 少しだけ、ゴローのことが憎くなる。
 俺の冷めた部分を指摘して否定するくせに、ゴローは時折、他人に対して俺以上に淡白だ。
 
「本当にそう思う?」と俺は試しに訊いてみた。彼は怯んだ様子もなく、

「そう思えないなら、おまえが心配してやれよ」と、やはり他人事のように言った。
 
 何もかもが噛み合わないような気がした。


286: 2015/12/09(水) 23:17:45.50 ID:cEBHTxlko

 やりとりを横で見ていたるーが、心配そうな視線を投げかけてくる。 
 
 俺は深呼吸をした。どうも、変になっている。俺もゴローも。
 落ち着け、と俺は自分に言い聞かせる。

「高森は、悪くないってさ」

 ゴローは呟いた。そのことについて、俺は何も知らない。

「何か知ってる?」と試しに訊いてみる。「知らない」とゴローは言う。

「あいつが悪くないって言うんなら、悪くないんだろうな」

 それは高森に対する信頼から出た言葉、という感じではなかった。
 ごく当たり前の事実を受け止めるように、算数の検算をするみたいに、ゴローは呟いた。

 高森は悪くないのだろう。でも、それはあまり意味のないことだ、とでもいうふうに。


287: 2015/12/09(水) 23:18:12.29 ID:cEBHTxlko

 廊下を歩いて、文芸部室を離れる。べつに目的地があったわけじゃない。
 どっちにしても同じ場所に居続けるのは息が詰まった。

「……さっき、部室に嵯峨野先輩がきたとき」

 歩きながら不意に口を開いたのはるーだった。
 俺は彼女の方を見たけど、彼女は自分の足元を見ながら歩いていた。そういうものだ。

「ふたりとも、様子が変でした。そういえば。嵯峨野先輩が、蒔絵先輩に謝ってて」

「……謝ってた?」

「はい。たしか、"変なこと言ってごめん"って。ひょっとしたら……」

「そういえば、さっきの高森、告白ってワードに引っ掛かってたな。振ったときの気分、っても言ってたっけ」

 ああ、なるほど、と俺は勝手に納得した。確証があるわけじゃないけど、ない話じゃない。

「……だとして、なんで高森が落ち込んでるんだ?」

 俺は、なんとなく分かるような気がした。 
 でもそれはあくまで想像で、口には出さない。きっと、ふたりもそうだったと思う。

「"わたしは悪くない"、か」

 素直で純粋なところがある高森らしい発言だ。
 でも、悪いことをしなければ、誰も傷つけずに済むわけではない。

 当たり前のことだ。

 なんとなく立ち止まって、ポケットから携帯を取り出す。
 よだかから、メッセージが来ていた。

「会いたい」

 と一言。
 俺は、返信しなかった。

290: 2015/12/12(土) 12:47:49.91 ID:yM3Y2q1bo



 しばらくしてから部室に戻ると、高森と佐伯がいなくなっていた。

 部長は窓際でパイプ椅子に腰掛けて、ぼんやりと外の雨を眺めている。

「あいつらは?」

 と訊ねると、

「行っちゃった」

 とよく分からない答えが帰ってきた。まあ、今はここにいない、というだけで、状況は十分すぎるくらいに想像できる。 
 べつに、何が変わるというわけでもない。

 理由に関しては、聞かないことにした。

 どっちがいいのだろう。

 泣いている理由を探られるのと、あれこれ勝手に想像して納得されること。
 
 どっちも、俺だったら嫌だ。
 
 だから、すぐに考えるのをやめる。
 かといって、それが何かの救いになるわけでもない。
 

291: 2015/12/12(土) 12:48:25.86 ID:yM3Y2q1bo

 ふう、と溜め息をついて、部長は鞄からノートを取り出した。
 それからシャープペンを握って、何かを書こうとしはじめる。何かを言おうとすることもない。

「何をするんですか?」と俺は訊ねる。部長は「ん?」という不思議そうな顔をした。

「部誌の原稿。もう六月になるし、みんなも原稿完成させてね」

 俺はちょっとだけうんざりした。
 でも、きっとそれは彼女なりの正解なのだ。
 
「書けそうにないな」とゴローは呟いて、自分の定位置の椅子に体を投げ出すみたいに座った。

「なにが理由か分からないけど、何も書けそうにないです。なんでだろう、なにかおかしいんだな、今回は」

「なにかって、なに?」

 困ったように部長は苦笑した。ゴローがこんな抽象的な言い方をするなんて、珍しい。

「よくわからない。いつものように書こうとしてみても、どうも止まっちゃうんです」

 部長はゴローの言葉を聞いて、少し考えるような仕草をした。


292: 2015/12/12(土) 12:49:59.68 ID:yM3Y2q1bo

「……まあ、どうにか書いて」

 と、結局彼女は笑った。

 文章は、結局、書く人間の裁量次第でどうにでもなる分野だ。
 適当に書こうと思えば書ける。

 文字と単語を並べさえすればいいのだ。
 意味のない言葉を意味ありげに並べ立てても、読んだ人間にはそこそこのものに見えてしまう。
 意味のない描写を繰り返し続けるだけで、読んだ者はそこに意味があるかのように受け取ることができる。

 そこに意味を込めるか込めないかは、結局は書く人間の選択次第だ。

 込めたところで意味を掬い取ってもらえないときもあれば、込めなくても勝手に意味を読み取ろうとする者もいる。

 書いた人間と実際の文章の間には断絶があり、実際の文章と読んだ人間の間にも断絶がある。

 書いた人間の期待する読み方をしてくれる人間なんてほとんどいない。
 
 だからといって、伝わらないからといって、伝わらない文章を書いても意味はない。

 書く人間は、読む人間に伝わるかどうかを一旦棚上げして、それでも伝わるような努力をしなければならない。
 越境不能の断絶を、少しでも埋め続けなければならない。

 その努力をするかしないかは、結局書く人間の選択次第だ。
 

293: 2015/12/12(土) 12:53:29.55 ID:yM3Y2q1bo

 部長はノートのうえにシャープペンをさらさらと走らせる。

「部誌のエピグラフ、こんなんにしようと思う」

 彼女は楽しそうな顔で俺たちにその文字列を見せてくれた。

“Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
 Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
 und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
 ICH BIN ich und DU BIST du -
 und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schon,
 wenn nicht, dann ist auch das gut so.”

 残念ながら、これは伝わらないタイプの文言だ。

 でも、こういうセンスは嫌いじゃない。
 読んだ人間に、「これはいったい何を言おうとしているのか」という問いかけを生む文章。
 それを読み解こうと欲するものにだけ応じてくれる文章。
 
 個人的には、そういう文章が好きだ。

「それは、なんですか? ドイツ語?」

「ゲシュタルトの祈り」

 と彼女は教えてくれた。

「それと、メッセージ」

「誰に対する?」

「及川くんとか、読む人とか」

 俺は少し笑った。
 

294: 2015/12/12(土) 12:54:12.44 ID:yM3Y2q1bo

「タクミくんの調子はどう?」

「まだ白紙です」

「そろそろ書いてね。期限、すぐだよ」

「わかってます」

「それと、任命」

「……はい?」

「藤宮さんに、書き方、教えてあげて」

「……書き方?」

 不意に部長の口から名前が出て、るーは戸惑ったみたいだった。

「困ってるみたいだから」

「なんで俺が」

 と言いかけて、普段ならともかく、今はほかに適任がいないことに気付く。
 ゴローはいつだって自分の書いたもの以外に興味が無い。
 
 佐伯は基本的に参考にならないし、高森は人に教えるのがうまくない。
 俺だってうまくないけど、高森は「なんとなくカチって感じ」みたいな教え方をするし。


295: 2015/12/12(土) 12:54:46.67 ID:yM3Y2q1bo

「……教えるっていったって」

「タクミくんなりのやりかたでいいよ。参考にならないことはないと思う」

「……」

「タクミくんの書くもの、この部のなかでいちばん技巧派……っていうか、技巧頼みって感じだし」

 ……暗に中身が無いとバカにされた気がする。

「藤宮さん、小説が書きたいみたいだから」

 俺はるーの方を見る。彼女はきょとんとした顔で俺を見返してきた。

「そうなの?」

「はい」

 訊ねると、にっこり笑う。
 こういうときにありがちな照れもない。

「なんとなく、おもしろそうだと思って」

 怯えもない。こういう奴は何が飛び出してくるかわからないから怖い。


296: 2015/12/12(土) 12:55:26.12 ID:yM3Y2q1bo

「じゃあ、図書室いくか」

「ここじゃ駄目なんですか?」

「駄目ってことはないけど」と言いながら、俺はちらりとゴローの方を見る。
 どう見ても、行き詰まってイライラしている。

 集中したいときは周りの雑音が気になるタイプだ。
 あいつが書けるにしても書けないにしても、話すなら外でやったほうがいい。

 本当は、図書室は私語厳禁なんだけど、うちの学校は利用者も少ないし、広いから端の方なら迷惑もかからない。

「じゃあ、ちょっと行ってきます」と俺は部長に声をかけた。

「いってらっしゃい」と部長はひらひらと手をふってくれる。


297: 2015/12/12(土) 12:56:13.55 ID:yM3Y2q1bo



 佐伯と高森は帰ったのだろうか。それとも、どこか別の場所にいるのだろうか。

 ひとまず、どうでもいいか、と思う。

 俺は階段の踊り場で一度立ち止まって、携帯を取り出して、「ゲシュタルトの祈り」について調べてみた。
 それを読んで飲み込んだあと、少しだけ考えて、携帯をしまった。

「入部してけっこう経ちますけど、いまだにちょっと、部の雰囲気、つかめないです」

 るーは困ったふうに笑いながらそう言う。「だいたいあんな感じだよ」と俺は答える。

「俺もよくわかってない」

「タクミくんも、わからない人筆頭なんですけどね」

「俺なんかいちばん分かりやすいよ」

「それはたぶん、タクミくん自身のことだから、そう思うんだと思いますよ」

「……まあ、そうかもしれない」

 るーが言ったような認識は、文章においても大切だ。
 自分で書いたものの仕掛けや構造は、自分では分かる。

 けれど、読んだ人間が、他の雑多な文言や意味ありげな言葉に惑わされず、"仕掛けや構造"だけを見つけることは難しい。
 兼ね合いってものがある。
 
 そういう認識を最初から持っているだけ、るーは文章……というより、伝達、表現の才能がある。

 あるいは、俺が苦手としているからそう思うだけで、誰でもみんなそんなことは知っているのかもしれない。
 

298: 2015/12/12(土) 12:56:44.33 ID:yM3Y2q1bo

 図書室の奥にある窓際のカウンター席に並んで座り、俺とるーはノートと筆記用具を広げる。

「小説って、どんなの書きたいの?」

 その質問に、るーは即座に答えた。

「穏やかな話が書きたいです」

 ……あー、こいつは第一向きだ、と思った。
 第二向きの奴は、ジャンルを言う。ホラーとか、ミステリーとか、ファンタジーとか。
 あるいは、あらすじを説明しだしたり。

 第一向きの奴は、漠然としたイメージだけを言う。

 根本的に、そういう奴っていうのは、何かを書くのに向いていない。
 書くのにも設計図がいるし、設計図には具体的なイメージがいる。

 それを楽しんでやれる奴がおもしろいものを書く。楽しんでやれなくても、設計図を作る気になれる奴は人を楽しませることができる。
 それができない奴は、人を楽しませることを、一旦思考の埒外におくしかない。

 そういう奴でも何かを書くことは許される。それが文章のいいところだと個人的には思う。


299: 2015/12/12(土) 12:57:22.57 ID:yM3Y2q1bo

「一般論としてだけど、話をつくるうえでいくつか言えることはある」

「はい」

「まず、テーマとか、モチーフを決めること。変な力を持った女の子とか、未来のことが書いてある日記とか」

「はい」

「あとは、起承転結を意識すること。主に、転と結を。序破急でもいい。骨組みはなんでもいい」

「はい」

「ショートショートならアイディア勝ちみたいなところはあるな。読者をあっと言わせたら勝ちだ」

「……はい。あの、ひとつ訊いていいですか?」

「うん」

「タクミくんは、それをやってるんですか?」

「いや、してない」

 俺は堂々と断言した。

「……」

「……ま、そんなもんなんだ」

 展開が地味だとか、盛り上がりに欠けるとか、そういうのは外見の話だ。
 そういうのも大事だけど、それより大事にしたいものがあるなら、なくてもかまわない。
 
 盛り上がるシーンをばっさりカットしたり、重要な台詞を無意味そうに書いたり。
 そういうのも、自分が書きたいもののイメージと一致してるなら、断然アリなわけだ。


300: 2015/12/12(土) 12:58:32.13 ID:yM3Y2q1bo

「……俺も、作劇の勉強なんてしっかりしてないから、参考になれることなんて言えないな」

「いえ、参考になりますよ。……たぶん」

 るーはちょっと不安げに目を逸らした。

「俺は俺のことしか言えない。でも、俺の真似をしても仕方ないから、とりあえず俺のやりかたを知って、あとは自分なりに考えればいいと思う」

「……さっき、部長が"技巧頼み"って言ってましたけど」

「たぶん、対比とかメタ構造とか、そこらへんのことだと思うけど……」

 と、マジックの種明かしをするように、部室から持ってきた去年までの部誌を出して、自分の書いたものの解説をしてみる。
 
 どのような効果を意図したか、それが上手くいったかどうか、反省点はどこか。
 その検証をひたすらに説明してみせる。
 
 すらすらとそんなことができる程度には、俺は自分の書いたものを何度も読み返していた。
 
「けっこう、いろいろ考えてるんですね」

「考えてるというか、考えないと書けない。そしてそのほとんどが誰にも伝わってない」

 じゃなかったら、説明してはじめて「いろいろ考えてる」なんて言われない。

「……はあ。もっとわかりやすく書けばいいのでは。こう、気付かれるように」

「気付かれるか気付かれないかぎりぎりのラインが楽しいんだよ」

「……難儀な人ですね」

 るーは呆れたふうに溜め息をついた。


301: 2015/12/12(土) 12:59:15.02 ID:yM3Y2q1bo

 他人の書くものをこちらで制御したりするわけにはいかないので、結局るーは自分なりに自由に書くしかない。

 自由というのは、けれどいちばんむずかしい。

 だから、分かりやすいアウトラインをひとつ、自分で手に入れるしかない。
 構造。

 それは入り口と出口の対比であったり、多層的に入り組んだジグソーパズルであったり、フラクタルであったりする。
 
 まったくの自由で書き始めるというのは難しいので、文芸部では初心者にまず、何本かのお題小説を書かせる。

 三題噺とか、そういう奴。
 俺や高森やゴローもそれをやった。たぶん、部長もやった。佐伯はやっていない気がする。

 書きたいという欲求を持っている奴は二種類に分けられる。
 書きたいものを持っている奴と、書きたいものが分からない奴。

 だから、三題噺をさせる。すると、同じテーマで書いても、テーマの処理の仕方がそれぞれに異なる。
 テーマが独自性を決めるのではなく、その調理の仕方に個性が出る。

 そして自分なりの"調理の仕方"を覚えれば、いろいろなものについて、同じ手順で書き進めることができるようになる。

 ……はずだ、たぶん。

302: 2015/12/12(土) 13:00:19.30 ID:yM3Y2q1bo

 そういうわけで、それからるーに何本かの三題噺を書いてもらった。
 最初は行き詰まっていたが、三本を完成させる頃には、るーもなんとなく書くコツみたいなものを掴んできたようだった。

 書き始めるときの最大の壁は、「物語はかくあらねばならない」という自分の決めたイメージを一旦帳消しにすること。
 それができれば、とりあえず書くことに対する苦手意識は消える。

 ……と思う。たぶん。

 そして最終的には、自分が書いたどの小説にも必ず存在している"なにか"を見つけられるようになる。
 別の何かについて書いても、必ず顔を出す"なにか"。テーマが変わっても通奏低音のように響く"なにか"。
  
 それが見つかれば、それがそいつの"書きたいこと"だ。

 ……たぶん。

「とりあえず、なんとなくイメージはつかめた?」

 気付けば一時間近い時間が経っていた。そろそろ部室に戻ってもいい頃だろう。
 
「なんとなくは」とるーは不安そうな顔をしていた。

「なんなら、今書いた話をちょっと手直しして部誌に載せてもいい」

「……でもこれ、習作ですよ」

「みんな習作だよ」


303: 2015/12/12(土) 13:01:01.80 ID:yM3Y2q1bo

「……そういうものですか?」

「完成の基準なんて、自分で決めるしかないし、自分がどこまでできるかだって、自分で判断するしかないからな」

「もうちょっと、いろいろ書いてみたいです」

「じゃあ、とりあえず部室に戻ろう。もうひとりでできるだろ?」

「分からないことがあったら、訊いてもいいですよね?」

「もちろん」

「ありがとうございます」とるーはにっこり笑う。
 
 本当に、俺は何かの参考になるようなことができているんだろうか。
 
 なぜだか俺も、意外と集中していたらしく、一段落つくと頭がぼーっとするのを感じた。
 高森はどうしてるだろう。そんなことを考える。
 よだかに、なんと返信すればいいだろう、なんてことも。
  
 そして、部長がノートに書いた文字列を思い出す。 

 ……俺も、何かを書かなきゃいけない。
 来月からは、第二文芸部になるかもしれないし。


308: 2015/12/14(月) 22:15:35.72 ID:hMgqCz0ko



 部室には、部長とゴローしかいなかった。
 
 バイトがあるからといって抜けだした後、なんとなく屋上へと向かう。
 
 佐伯がいるかもしれない。そう思ったのに、いたのは高森だけだった。
 東校舎の屋上と高森という人物は、どことなく不釣り合いな感じがした。

 高森は、扉の音にも足音にも振り返らず、ただフェンスの傍に立って街を見下ろしている。
 
 こっちを向いてくれないから、泣いているのかどうかさえ、分からなかった。
 不意に、鳥影が頭上をかすめる。

「たっくん、知ってた?」

 彼女は振り返らずに言葉を発した。

「このあいだの映画の日、みんな、わざと、わたしたちを四人にしたんだって。部長も、ゴロちゃんも、ちーちゃんも」

 そんなことだろうと、俺は思っていた。
 
「知らなかった」と俺は答えた。


309: 2015/12/14(月) 22:16:28.20 ID:hMgqCz0ko

「わたし、嵯峨野先輩、苦手だった」

「うん」

「みんな、それを知ってたはずなのにね」

「ひどいって思う?」

「少しだけ」

「でも、べつに悪いことってわけでもない。嵯峨野先輩を応援してたわけでもないと思う」

「うん。そうなんだろうね」

 高森は、まだ振り返らない。

「たぶん、ちがうの」と高森は言った。

「ちがうって、なにが?」

「わたしと、嵯峨野先輩のことじゃない。たぶん、たっくんとるーちゃんのこと、みんなは気にしてたんだよ」

「……」


310: 2015/12/14(月) 22:17:06.91 ID:hMgqCz0ko

「たっくんが、部室になかなか来なかった日、あったじゃない。たっくんが、るーちゃんのこと、"るー"って呼ぶようになった日」

 屋上でぼーっとしていた俺を、るーが迎えに来た日。
 いつのまにか、日が沈みかけていた日のこと。

「あの日、たっくんが来る前に、部室で、みんなでるーちゃんに訊いてみたんだ。たっくんとの関係。るーちゃん、教えてくれて……」

「……」

「たっくんが覚えてるかどうか不安なんだって、るーちゃん、言ってた」

 そのとき、初めて高森は振り返った。
 いつもの楽しげなものとは違う。さっきまでの、落ち込んだような顔とも違う。
 感情の見えない、それなのに透き通って見える、不思議な表情。

「だからけしかけたの。問い詰めちゃえば、って。たっくんがるーちゃんを覚えてたのは、わたしたちみんな、知ってたから」

 高森はそこで、少し笑った。

「軽蔑する?」
 
 と、おそろしげに訊ねてきた彼女に、

「どうして?」

 と心からの問いを返す。

 高森はまた笑った。


311: 2015/12/14(月) 22:18:13.90 ID:hMgqCz0ko

「人のこと言えないんだ」と高森は言った。
 
 それを言ってしまえば、誰にも何も言えやしない。

「でも、そんなことじゃないの。悲しいのは、そこじゃないの」

「誰のことも傷つけられずに生きられる人間なんかいるかよ」と俺は言った。

 高森は何も言わなかった。的外れだったのかもしれない。

「望むと望まざるとにかかわらず、俺たちはいつだって誰かを傷つけていくんだ。
 俺たちにできるのは、俺たちに選び取れるのがそういう生き方だけなんだってことを、自覚したうえで受け入れることだけだ」

「……たっくんはどうなの?」

「なにが」

 高森は、俺の目をじっと見据えた。鋭いというわけでもない、睨むというのでもない。それなのに、射すくめるような瞳。

「たっくんは、受け入れられるの?」

「……」

「自分が悪いわけじゃない。でも、自分の存在が誰かを傷つけている。そう気付いたとき、それを受け入れて開き直ることができるの?」

「……」

「たっくんは、口先だけ、だね」

312: 2015/12/14(月) 22:18:47.31 ID:hMgqCz0ko



 六月がやってきて、第一文芸部の部員たちは、白々しいような違和感に包まれたまま、部誌を完成させた。
 
 るーは小説を、習作として五本ほど。部長はよくできた短編を五本と、読んだ本の感想を三つ、編集後記と雑感等をいくつか。
 高森は、前に言っていた小説のスピンオフを結局書いた。
 
 ゴローはというと、よく分からない散文をいくつか、どうでもいいような随筆を一本、景色のようなオチのない小説を一本。
 佐伯は、閉ざされた扉をノックし続ける男の話。

 俺は、随筆のような小説を一本。

 結局部長は、例のエピグラフを使わなかった。
 
 無難な編集、無難なまとめ。

 完成させてからも、何か、嘘をついているような感覚がずっと残った。
 そのせいだろうか。部室に行っても、今までのように会話があったりしなかった。

 今までどんなふうに話をしていたのか思い出せないくらいの沈黙が、"みんな"を覆っていた。
 なんでなのかは分からない。


313: 2015/12/14(月) 22:19:27.95 ID:hMgqCz0ko

 嵯峨野先輩はときどき部室にやってきていたけれど、やがてそれも途絶えた。
 たぶん、高森に気を使わせないつもりでやってきていたんだと思う。

 気にしてない、と主張するために。
 それもかえって互いを疲れさせるだけだと気付いたのかもしれない。
 
 第二文芸部との対決(というと違和感があるが、そうとしか言えない)については、教師陣の協力があった。

 第二が中心になって、全クラスの担任に頼み込み、部誌をホームルームで配布してもらう。
 昇降口近くに投票箱を設置し、どちらの部誌が面白かったか、そのなかのどの文章を気に入ったかを、任意で投票してもらう形。

「楽しみだね」と、本気か冗談か、部長は笑っていた。誰も同意しなかった。

 その対決の決行の一週間前に、それは起こった。

314: 2015/12/14(月) 22:20:06.18 ID:hMgqCz0ko



 その日の放課後、るーが提案して、女子部員たちは帰りにどこかに買い物に行くという流れになっていたらしい。
 
“佐伯、高森、部長、るーは、一緒に買物に出掛けていた。”

 ゴローはその日、用事があるといって部室に顔を出さなかったが、これは“耳鼻科の診察を受けていた”とあとで確認できた。

 そして俺だけが部室に残って少し作業をしていた。少ししてから屋上に行くと、例のように鷹島スクイがいた。

「書けたか?」と彼は訊いてきた。

「まあ、一応」と俺は答えた。書けなくても、本当はどうということもないのだ。

 例の、給水塔の陰のスペースで煙に巻かれていると、また第二文芸部の部員たちが屋上にやってきた。

 聞こえてきたのは陰口だった。

 俺とスクイは何も言わずに黙ってそれを盗み聞いていた。

 その日の夕方、校舎裏の、今は使われていない焼却炉で、第二文芸部の部誌の原稿が燃やされていた。


315: 2015/12/14(月) 22:20:38.25 ID:hMgqCz0ko



「おまえらだろ!」

 と、第二の部員の何人かが、こっちの部室に怒鳴りこんできた。

「おまえらのうちの誰かだ!」

 そう怒鳴る男子生徒の声を、俺はどこかで聞いたような気がしたけど、どうしても思い出せなかった。
 
「わたしたちじゃないよ」と部長は毅然として言った。

 るーも、高森も、どこか不安そうだった。佐伯やゴローは、いつものように壁を張ったように様子を眺めている。

 乗り込んできた男子生徒と、それを落ち着くように諭す、他の部員たち。
 けれど彼らも、どこか疑わしげな視線を、俺たちに向けていた。

「他に考えられない」と、憤った調子で男子生徒は続ける。

「でも、そんなことする理由がないよ」

「負けたくなかったからじゃないのか」

「……」

 ふう、と部長は溜め息をついた。その態度が、余計に彼を苛立たせたみたいだった。


316: 2015/12/14(月) 22:21:34.19 ID:hMgqCz0ko

 本当に、俺たちがそんなことをする理由はない。
 勝ち負けになんてもともとこだわっていないし、みんな、人のつくったものを踏みにじれるほど無神経じゃない。

 でも、それはこっちの言い分だ。
 たしかに、第二文芸部の立場からすると、俺たちの仕業としか考えられないだろう。

「とりあえず、落ち着け」と、怒鳴り声をあげている男子生徒を、他の生徒が諭す。

 そこに及川さんが現れて、彼らにひとまず部室に戻るように言った。

「悪いね。興奮してるみたいなんだ。許してやってくれ」

 と、彼は部長の目を見て言った。

「うん。仕方ないよ」

 他の第二の部員たちが部室に戻ってから、及川さんは俺たちの顔を見回した。

「とりあえず、誰がしたのかは分からないけど、原稿自体はもうパソコンに入ってるから、発行は問題なくできるんだ」

「……誰かがしたと、思ってるんですか?」

 高森が、おそるおそる、そう訊ねた。及川さんは、怒りのこもった皮肉げな笑みを浮かべた。

「たまたま風にさらわれて、たまたま焼却炉に入って、たまたま火がついたんだって思う?」

 どっちにしても、あんまり気分の良い話じゃない、と彼は言う。

「きみたちを疑ってるわけじゃないよ」と彼は首を横に振った。

「原稿をしまっていた場所は部員しか知らないし、かといって、誰にも見つからないようにしていたわけでもない。
 疑うつもりになれば、誰のことだって疑える。きみたち以外にも、うちの部員に個人的な恨みがある人間がいたのかもしれないし」


317: 2015/12/14(月) 22:22:45.40 ID:hMgqCz0ko

 それに、と彼は言葉を続ける。 

「犯人探しをするつもりはないよ。でも印刷していた原稿は何部かあって、そのうちの一部だけだったんだ。
 つまり、べつに原稿を台無しにするつもりでやったわけじゃないんだと思う」
 
「……それって、何部か一緒にしまってあったってことですか?」

 そう訊ねたのはるーだった。質問に、及川さんは頷いた。

「そのなかの一部だけが燃やされてた?」

「そうなるね」

 ……したところで何の得にもならない行為。ただ、気分が悪くなるだけの行為。
"誰かの気分を悪くさせるためだとしか思えない行為"。
 
 るーは苦しげに俯いた。
 それは、あきらかに誰かの悪意だ。

 達成すべき目的のためではない、何かの意図があってのことではない。
 ただ、悪意ある何者かが存在するということを、誇示するためかのような。

「……とりあえず、焼却炉が使われてて騒ぎになったから、うちもしばらくは騒がしくなるかもしれない。
 でも、なんとか落ち着けて、予定通りに例の投票はしたいって思うんだ。そっちも原稿はできてるんだろ?」
 
「うん」

 部長はうなずいた。俺はなんとなく後ろめたくなった。
 及川さんが帰ってしまったあと、俺たちは自分たちがその日、何をしていたのかを話した。
 はっきりしたアリバイがないのは俺だけだったけど、だからって俺を疑うような奴は誰もいない。

 翌週から俺たちは第二文芸部になった。
 季節はもう梅雨になっていて、その週はずっと雨が降ったり止んだりを繰り返していた。

 秋津よだかがこの街にやってきたのは、その週の土曜のことだった。


318: 2015/12/14(月) 22:23:30.23 ID:hMgqCz0ko

319: 2015/12/14(月) 22:40:49.97 ID:dXe/UMilO
乙です

引用: 屋上に昇って