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某月某日の占。


読みが外れてしまったが、後で検証し、勉強になったと思う。


誤占の例も重要なので、晒しておく。





      ☠☠☠☠☠



或る日、夕食が済んだところで停電が起きた。


私の地域では、その前にも何度も停電が起きている。


しかも、年々復旧が遅くなっている為、嫌な予感がした。


案の定、直ぐに復旧せず。


そこで、卦を立てることに。




占的:今日の深夜零時迄に復旧するか


結果:巽為風の上爻変、水風井に之く




手元に『易経』が無く、練習がてら、それ無しでどこまで分かるか

試してみる事にした。



風は形を持たずにあちこちに広がるので、電気とも関係がありそうに思える。


重卦だから、「後から後から吹き従う」。



他地域も停電しているなら、復旧までの時間は地域によって差が有る筈だから、

私の地域の番になるまで待つ必要がありそうだ。


それはいいとして、上爻というのが気になった。


後から吹き従うのだから、上爻だと一番最後ということになり、

かなりの時間がかかるのではないか。


それ迄も時間がかかったが、今回はもっとかかるかも知れないと思い、

その日中の復旧は難しいと判断した。



念の為、何時に復旧するかについても断易で確認した。



占的:果たして何時に復旧出来るのか


(※某月某日 辰巳空亡

 

➡ 火山旅(離宮一世卦) 

      

        ﹅  巳 兄     

        ✖  未 孫      ⁀  申 才

     応  ﹅  酉 才

(亥 官)   ﹅  申 才

       ﹅﹅  午 兄 (卦身)

     世  ✖  辰 孫      ⁀  卯 父


 

正直、難しかった。


応期判断は本当に難しいと常々思っている😩


当てられる様になる為にも、先ずは失敗から学ぶしかない!!



この場合、そもそも用神が何か迷った


三爻の伏神、亥・官鬼は提抜され、しかも月合日臨で凄く強い。

六獣は玄武だし、これが停電を指すとみられるが・・・


卦自体が六合卦なので、事態がなかなか動かなさそうに見えた。


世爻は子孫で動くも回頭剋、辰は空亡だけど卯に化すから有用空亡。

良いのか悪いのか微妙🧐


原神となりそうな上爻(空亡だが冲実して暗動)はあくまでも暗動だから

どうなのか・・・?


第一候補は辰刻か、などと考え、結局よく分からず仕舞い・・・




その後、更に「翌日の午前中のうちに復旧するか」についても周易で見てみた。


得卦は旅・九三


何と、断易での本卦と同じ。


停電が復旧して明かりが点くことと、火が山に次々と燃え移っていく旅の卦は、

イメージとしては合っている。


之卦が晋であることからも、

流石に翌日の午前中には復旧しているだろうと考えた。









結局、その日の22時半頃に復旧。



・・・思ったよりも早かった。


ノートを見返すと、断易の表す時刻と重なるであろうことが

分かった。

しかも、その前の占断(周易)も、やはり間違えていた😋



初めの(周易の)占では、「巽為風」の上爻であることに注目し、

従うのが一番遅い、つまり復旧するまでに相当な時間がかかるだろうと

考えた。

(この時は爻辞を見ていない。)


でも『易経』を開いて確認すると、

上九は「順う事の極み」を表す辞になっていた。


順う態度が度を過ぎて、逆に這い蹲う恰好になり、資材や斧も失ってしまって

凶だとされている。


凶というのはあれだが、「順う事の極み」となると、真っ先に思い浮ぶのは、

停電は、その日の深夜0時までには間違いなく復旧する」という事。



私は巽の上九を水地比の上六の様に考え、一番最後に従って来るから駄目だという

判断をしてしまった。


之卦の水風井・上六は、井戸に覆いが無く、誰でも水を汲める状態を

表すので、皆が電気を使えている状況を表すのだろうと思う。




次に、断易の占断を見返してみる。



         ﹅ 巳 兄     

         ✖ 未 孫     ⁀ 申 才

      応  ﹅ 酉 才

 (亥 官)   ﹅ 申 才

        ﹅﹅ 午 兄(卦身)

      世  ✖ 辰 孫     ⁀ 卯 父



何と言っても、一番強い爻は三爻の亥・官鬼(月合で日臨)で、

世爻の化神(卯)と五爻(未)で三合を形成。


持っている断易の本に有る、応期の項目をよく読むと、

「用神が伏している場合、それが提抜される時や値する時等が応期となる」

ある。

応期を当てる占いをすることが少ない為、そこは見落としていたのだった。



停電そのものを表すのは官鬼で、伏するも提抜。

それに値する時間を応期とすると、亥時(21時~23時)

それなら、確かに、実際の復旧時刻の22時半と合う。


唯、独学な上に応期判断に不慣れなもので、本当にこの考え方で良いのか

少し心配ではある・・・


「復旧が何時か」という質問だから、単純に一番強い爻がその時間を表すのか、

それとも、三合の一部である亥に値する時(亥時)に正式な三合が形成される為に

応期となったのか。



それから、世爻の原神である上爻(巳・兄弟)は空亡ながら

日辰と冲になる為冲実されて、暗動の様な形になり、官鬼を冲する


用神が空亡且つ日辰から冲されるのは「冲空即起」と呼ばれ、

その日のうちに結果が出る事が多いらしい。


これもうっかり見落としていた💧


世爻と五爻が動くのがよく分からない。😅

やっぱり、卦が複雑だと分かり難くて困る。



そもそもこういう停電みたいな事件でもないと、普段の占いでは応期が

問題とならない場合が大半なので、応期については個別に要練習だと思った。




因みに、この時の停電は19時40分に発生。

復旧はその約3時間後の事だった。


遂に、我が地区では停電時間の最長記録を更新。


東電のHPでは、私の地域の停電発生時刻は20時半となっていたが、

実際はその一時間前だったので、随分な話だ。


やっぱりHPなんてあまり当てにならない。


これからも起こる可能性は十分に有るので、普段から、準備を怠りなくしよう。



それまでになるべく応期判断の練習を積んでおいて、

いざ停電した時には復旧時刻を当ててやる❣❣❣


但し、それを当てられたとしても、十二支を当てただけでは2時間の幅があるので、

「何時何分」かを割り出すのは相当難しいだろう。


それが独学の限界か😖




それと、最後に付け加えておくと、

「翌日の午前中には復旧しているか」という占的に対しての結果

(火山旅・九三)の解釈は合っていたということで、少しは安心した。


それでもやはり、『易経』の爻辞の理解は重要。


巽・上九を比・上六の様に考えてはいけない。


『易経』を一度書写したくらいでは到底384爻を覚えられないので、

爻辞を読み込んでおくのは必須。


『易経』自体が単純故に難解なので、ものにするには地道な努力が要るだろう。


断易にしても、独学はなかなか大変だと思い直したが、

だからこそやり甲斐も有るというもの。


沢山の失敗を繰り返すなかで修得するのが一番❗✨


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 2024_02_28



私が普段やる占いの種類は卜術が多いが、それが当たる理由は、

「手を使う事」にあると、益々確信する様になった。




命占や相占、気学や奇門遁甲等では、
複雑な計算をしたり、対象をよく観察して判断するが、
卜占では、カードや賽子、筮竹等を手で操作して結果を出す。



つまり、卜占は、手の微妙な加減によって結果が決まる訳だから、
「手の動き」に頼る占術と言える。





「手の動きは心の動き」である。



考えごとをしながら何かを手に持つと、落としたりぶつけたりすることが有るが、
それは心が考え事の方に集中している為に、持つことをなおざりしているからだ。


手の動きには誤魔化しが効かない。



卜占では、それを利用し、
掌の働きを使って無意識が知っている答えを導き出す。



卜占は「掌占」と言い換えても良い気がする





そもそも「掌」は「たなごころ」とも読み、「手の心」だからよく言ったものだ。



心とは「中心」を指すので、「たなごころ」は読んで字の如く
「手の中心」という意味だが、とても重要な場所である。



手の中心には心臓と繋がる「鎮心」と呼ばれるツボがあり、
押すと心が落ち着くという。


中国の健康法である気功では、手は最も「気」を感じ易い場所であり、
中指からは心(心臓)へと繋がる経絡(「気」の通り道)が通っているとされる。


中指はまさに「中心」だからだろう。




「中心」といえば、易経の中で、「中心より願う」などどいった表現が出て来るが、
ここでいう「中心」は単なる「中央」ではなく、「心底」や「真心」の意味になる。




私達の意識は複雑で、様々な事を考えているが、
実はそれらの殆どは大して意味が無い。



無意識こそが真の自我で、それは「中心」に有る。

身体でいえば、心臓、臍下丹田、掌などで、どれも心と関係する重要な場所である。

だから、そこの働きを見ると心の状態が分かる。


逆に、このどれか一点さえ見れば、頭で考えている事は無視して良い。



この無意識はユング心理学でいう「集合的無意識」であり、
その説は「ガイア仮説」とも繋がりそうだ。


私はどちらについても特段の知識が有る訳ではないが、
個人の意思を超越した、生命体同士を繋ぐ大いなる意思がある事だけは
確かだと思う。




その意思を受け取る作業が「卜(うらない)」で有る訳だ。


占う時には息遣いも重要であることを忘れてはならない。


気持ちによって呼吸の状態も変わってくるので、深呼吸をする様に努めると、
潜在意識に注意が向く。



易占をする時は、深呼吸をして息を止めた瞬間に筮竹を分けるべしと
されているので、私はそれを守る様にしている。



タロット等であれば、カードのシャッフル中にゆったりと呼吸するのが良いだろう。

唯、易占と違い、シャッフルに時間がかかるので、集中力が切れないとも言えない。



易占では、筮竹を分けたその瞬間に答えが出る為、気を込め易い。

つまり、無心の状態にし易い。



この単純明快ながら奥が深いところが、私が易占、或は周易を気に入っている
理由である。





卜占は偶然性を利用した占術と定義されるが、それは見かけだけで、
実際は私達の無意識の反映だから、占断そのものは必然だ。



だから卜術は面白い。




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テーマ : 運命学    ジャンル : 学問・文化・芸術
 2023_11_17



奇門遁甲の本をちまちまと読んで勉強中。


つくづく、九星気学と比べて機械的な方位学という印象。


その代わり、勝負事に特化しているそうだから、勉強は続けていきたい。





それにしても、気学は方位学でありながら、運勢や相性を調べられ、
九星盤を使って卜占も出来る(これは「九星術」と言うべき?)のだから、
汎用性が高いと思う。


単に、九星盤を見たり弄ったりするのもとても面白い。




気学を学んで特に役に立ったのは、
九星の象意を、そのまま周易の八卦の象意として使えるということ。


(厳密には五黄土星以外の八星が八卦に対応)



それはそもそも、易を基に日本で発展したものが気学だからなのだが、
易者の端くれとしては、気学は大いに参考になる。


易経の説卦伝に有る八卦の説明は簡潔過ぎる為、易占で八卦を解釈する際、
九星の象意を参考にする事も多い。





九星の象意は様々だが、その一つ一つは場面や背景によって捉え方が変わり
一定ではない

つまり、一つの象意が複数の九星に当て嵌ることはよく有る。



例えば、鞄類は基本的に二黒土星の象意(八卦は坤で「物を入れる器」などの意)
だが、「高級ブランド品」であることが強調されれば、六白金星として扱う
(八卦は乾で「尊貴」等の意)。



眼鏡にしても、視力を矯正する為のものなら、八卦の離(=見る、明らか)で
九紫火星だが、伊達メガネなら「趣味」や「楽しみ」(=兌)に
重点が置かれるから七赤金星が該当する。


もし、顔を隠す事が目的なら、六白金星(乾=覆う)になるだろうし、
外界に対して壁を作る為なら、八白土星(艮=止める、隔てる)とも言える。




但し、こうした考え方は、周易の八卦や断易の用神とも同じだから、
九星に限った話ではない。



少し前、用神に関する記事で、用神は状況に応じて変わるから、
設定する時に迷って厄介だと書いたが、九星や八卦の象意もそれと同様で、
柔軟に考えないといけない。



気学では、吉方位や年運、月運を大雑把に見ることが多く、ついつい象意については
深く考えない場合が多かったが、実は九星そのものについて考えることが大事だと
今更ながら気付いた。


九星の象意の考え方に慣れれば、断易の用神設定もし易くなるかも知れない。






兎に角、最も重要なのは、一つの事物には様々な捉え方が有るという事。




視点を変えてものを見ると、色々な発見が有る。



事実は一つでも、受け止め方で大きく違ってきてしまうもの。




私も今迄の人生を振り返ってみて、
一面的な視点でしか現実を認識していなかった
気付き、愕然とした。


視野が狭窄すると、身近な幸運にも気付けず、周囲に翻弄されて
一喜一憂する羽目になる。



とはいえ、
現実を常に正しく認識して泰然自若とする事程、難しいものは無い。



それが出来る人は、悟りを得た人くらいなものだ。






・・・九星の象意から少し飛躍したが、

象意を考える訓練をすることは、頭の体操であり、
多面的な視点を養うのに役に立つ筈だ。




時にはどの象意を取るべきか悩む場面も出て来るが、現実生活でも、
目の前の出来事をどの様に解釈すれば良いのか、
本当に見つめるべき事が何か分からず迷う場面は多々有る。



そういう場面に備える為にも、日頃から象意を絞る練習はしておいて損は無い


(勿論、「占的」を考えること自体も良い練習方法の一つ。)



要するに、場面に応じて、何が一番の問題点なのかを見極める為の訓練である。


一種の脳トレの様なものだろうか。



私はよく些細なことに気を取られて思考がまとまらないことが多いので、
よりこういう訓練をして、明瞭な思考回路を作っていきたい。



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テーマ : 運命学    ジャンル : 学問・文化・芸術
 2023_09_25



先月末、初めて九星術の四段掛けをやった。



占的は、《我が家にある古い琴を処分すべきか》で、母に頼まれての占。



結果は、四段全てが「大凶」となり、少しびっくり。



確かに、占う前からそんな気はしていた。



一段掛けで、乾宮にいて三碧木星が掛かっているので、

本人が乗り気でない感じがある。


単純に、処分するのも色々と面倒だから、尤もである。




今回の場合は、これ以上詳しく見るまでもないだろうと思い、

他の占術で再占する事はしなかった。



母に結果を伝えると、「このまま置いておけば、又弾くこともあるかも知れないね」

と言っていた。


実際に、弦を変えればまだ弾けるので、捨てるのは勿体無いと言える。



一先ず、この件は保留になった。



今回は、四段全てが大凶という、明らかに悪い結果が出た。


多分、そうなる確率は低い筈。



大体、質問者に迷いがあると、結果がひどく悪くなる。



例えば、タロット占いで逆位置ばかりが出ることと似ている。




私も以前、とても落ち込んでいた時にタロットをやったら、殆ど全てのカードが

逆位置で、「何だこれは」と思ったものだ😅



(そのうちに、逆位置を採用すると解釈がし辛くなると感じ、昔のタロティストは

逆位置を使っていなかったと知ったので、今は全て正位置にして読んでいる。)



そういう場合は、間を置いて、状況が変わり次第、改めて占的を立てれば良い。





ところで、楽器といえば、私も、自分の楽器を放置してしまっているので、

なるべく早く時間を作って弾かなければ・・・・・・😓



アメブロ時代に、ギターの弦を張り替えた時の事を書いたが、あれから随分

時間が経った様な気がする・・・・・・


(ギターに関する記事はこちら



ギターだけでなく、ピアノやヴァイオリンも暫く弾いていないが・・・。


尺八や津軽三味線もそのうちやってみたいと数年前から思ってはいるが、

今はそれどころではない笑



そのうち、私が楽器演奏を再開した時に、母も琴を再開したりするのだろうかと

思ってみたり。




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 2023_09_16



これからは、「である調」で記事を書いてみる。



つまらない悩みかも知れないが、ブログを始める時から、「ですます調」で書くか、

「である調」で書くか迷っていた。


たかが占術の学習記録とはいえ、不特定多数の人間に見られる可能性があるとなると、

完全に赤裸々な内容にする訳にはいかない。



「ですます調」なら、人に見られることを意識するから、ブログ記事として丁度良い内容に

なりそうだったのと、元々日本語独特の「敬語」というものが好きなので、今迄はそれに

していた。



ところが、そのせいなのか、何となく抑圧された様な気がした為、やはり「である調」の方が、

文章がすらすらと書けて気持ちが良いだろうと思い直した。


(勿論、書けない時はどうやっても書けないものだし、文体だけの問題でもないが。)



少なくとも、私の占断や、それに対する感想などは、「である調」で書くことにしようと思う。



一応、そのことについて占筮もしてみた。



因みに、私としては、どんなに下らないことであっても、占いをどんどん活用すべきだと

思っている。




占的は、《ブログの文体を「である調」にしたら、気持ちよく文章が書けるか》で、

得卦は地天泰 ䷊ 六四(伏卦:雷天大壮 ䷡)だった。



実は、これより少し前に、ブログに関する事で占って出た卦爻と全く同じだった。

時々そういったことが起きる。



「泰」は「安らか」という意味だから、「である調」にすると気持ちよく書けそうだ。

陰陽の気が交じり合うこの卦は、記事を書くという創造的なことにぴったり当て嵌まる。



爻辞は「翩々として富まず(以下略)」などとあって、見栄や欲を張る事無く、

只書きたいから書くという姿勢を表している。


小象伝の「中心より願えばなり」とは、本当は「である調」で書きたいという私の気持ちを

言っている様だ。



伏卦の大壮を見ると、大兌だから、大いに楽しむ代わりにやや自己満足の感がある。

それでも、占的には合っているので吉とする。



爻辞の「藩(まがき)決(ひら)けて~」は、まさに引っ掛かりがなくなって、

自然体で書けるということだろう。



「である調」で書く方が良いと分かったが、「ですます調」だと力が入ってしまうのか

どうかも占ってみた。


得卦 ⇒ 升 ䷭ 六四 (伏卦 ⇒ 恒 ䷟)


こちらも四爻だった。


爻辞では、升・六四は吉だが恒・九四は小凶とされ、吉凶の判断がつき辛い。



略筮(三変筮)法では、度々矛盾した爻辞の組合せに当たる場合が有る為、少し困る。


とはいっても、爻辞だけで判断しないようにすれば、実占ではどうにかなる場合が多いと

思う。



今回も、爻辞はあまり気にしないようにした。



本之卦を並べてみると、乾(書こうとするエネルギー)が坤(隠す、覆う意)に

包まれていて、大坎の似卦でもあるから、上手く書こうとしても力が発揮されない、

つまり、力むあまり、思うように書けないのではないかという印象を受けた。



升は包卦ではないけれど、敢えてそのように見ると、坤に兌が包まれているので、

先の大壮と比べて悦びは薄れるのかも知れない。


その本卦の泰も、乾が阻まれることなく機能するから、升や恒の方が勢いが劣る。




どうやら、「ですます調」にすると、楽しんで文章を書くというより、「お勉強」になって、

外面を気にした大人しい文章になるらしい。


それは当たり前かも知れないが、もっと自由に、そして先ずは自分が満足出来るかどうかが

大事だろうから、あくまでも「私個人の記録帳」らしく、「である調」の文体にしようと決めた。



勿論、中には「ですます調」の方が書き易い人もいるだろうし、「である調」だからといって

客観性が無くなるという偏見を持っている訳でもない。


偶々、私が占いのブログを書くに当たってそう感じただけの事である。




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プロフィール

士季🌋尭嶺(しき たかみね)

Author:士季🌋尭嶺(しき たかみね)
小6でタロットに出会って以来、占いを独学し始めました。

一時は興味が薄れましたが、その後、自分自身や対人関係の問題で深く悩んだ事で、占いに真剣に取り組むことになりました。


その結果、現実を客観視出来るようになり、心が救われました。


これからも占いの実践、研究、検証を続け、それぞれの占術の法則を会得出来る様に頑張りたいと思います。


又、私は多趣味な人間なので、合間に少しずつ、占い以外の趣味についても投稿するつもりです。


趣味:

・音楽を聴いたり演奏する事

(好きなジャンルはスムース・ジャズ、フュージョン、ワールド・ミュージック(中でもジプシー系(バルカン半島の融合音楽など)、アラビック・ポップ、ミズラヒ音楽、ロック、一部のハウス系)

・絵を描く事

・読書(主に時代小説、推理小説、警察小説)

・語学学習

・小物作り

・・・・・・他

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