つまらない悩みかも知れないが、ブログを始める時から、「ですます調」で書くか、
「である調」で書くか迷っていた。
たかが占術の学習記録とはいえ、不特定多数の人間に見られる可能性があるとなると、
完全に赤裸々な内容にする訳にはいかない。
「ですます調」なら、人に見られることを意識するから、ブログ記事として丁度良い内容に
なりそうだったのと、元々日本語独特の「敬語」というものが好きなので、今迄はそれに
していた。
ところが、そのせいなのか、何となく抑圧された様な気がした為、やはり「である調」の方が、
文章がすらすらと書けて気持ちが良いだろうと思い直した。
(勿論、書けない時はどうやっても書けないものだし、文体だけの問題でもないが。)
少なくとも、私の占断や、それに対する感想などは、「である調」で書くことにしようと思う。
一応、そのことについて占筮もしてみた。
因みに、私としては、どんなに下らないことであっても、占いをどんどん活用すべきだと
思っている。
占的は、《ブログの文体を「である調」にしたら、気持ちよく文章が書けるか》で、
得卦は地天泰 ䷊ 六四(伏卦:雷天大壮 ䷡)だった。
実は、これより少し前に、ブログに関する事で占って出た卦爻と全く同じだった。
時々そういったことが起きる。
「泰」は「安らか」という意味だから、「である調」にすると気持ちよく書けそうだ。
陰陽の気が交じり合うこの卦は、記事を書くという創造的なことにぴったり当て嵌まる。
爻辞は「翩々として富まず(以下略)」などとあって、見栄や欲を張る事無く、
只書きたいから書くという姿勢を表している。
小象伝の「中心より願えばなり」とは、本当は「である調」で書きたいという私の気持ちを
言っている様だ。
伏卦の大壮を見ると、大兌だから、大いに楽しむ代わりにやや自己満足の感がある。
それでも、占的には合っているので吉とする。
爻辞の「藩(まがき)決(ひら)けて~」は、まさに引っ掛かりがなくなって、
自然体で書けるということだろう。
「である調」で書く方が良いと分かったが、「ですます調」だと力が入ってしまうのか
どうかも占ってみた。
得卦 ⇒ 升 ䷭ 六四 (伏卦 ⇒ 恒 ䷟)
こちらも四爻だった。
爻辞では、升・六四は吉だが恒・九四は小凶とされ、吉凶の判断がつき辛い。
略筮(三変筮)法では、度々矛盾した爻辞の組合せに当たる場合が有る為、少し困る。
とはいっても、爻辞だけで判断しないようにすれば、実占ではどうにかなる場合が多いと
思う。
今回も、爻辞はあまり気にしないようにした。
本之卦を並べてみると、乾(書こうとするエネルギー)が坤(隠す、覆う意)に
包まれていて、大坎の似卦でもあるから、上手く書こうとしても力が発揮されない、
つまり、力むあまり、思うように書けないのではないかという印象を受けた。
升は包卦ではないけれど、敢えてそのように見ると、坤に兌が包まれているので、
先の大壮と比べて悦びは薄れるのかも知れない。
その本卦の泰も、乾が阻まれることなく機能するから、升や恒の方が勢いが劣る。
どうやら、「ですます調」にすると、楽しんで文章を書くというより、「お勉強」になって、
外面を気にした大人しい文章になるらしい。
それは当たり前かも知れないが、もっと自由に、そして先ずは自分が満足出来るかどうかが
大事だろうから、あくまでも「私個人の記録帳」らしく、「である調」の文体にしようと決めた。
勿論、中には「ですます調」の方が書き易い人もいるだろうし、「である調」だからといって
客観性が無くなるという偏見を持っている訳でもない。
偶々、私が占いのブログを書くに当たってそう感じただけの事である。