マリリン・モンロー、エド・シーランも当事者 吃音の苦しみと理解

有料記事ウェルビーイング・働き方

ライター・近藤雄生=寄稿
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ライター・近藤雄生さん寄稿

 マリリン・モンロー、エド・シーラン、ブルース・ウィリスジョー・バイデン――。彼らには一つの共通点がある。それは、吃音(きつおん)の当事者だということである。

 例えばマリリン・モンローは、孤児院で過ごした幼少期から吃音があり、俳優として活躍するようになってからも、緊張したり興奮したりすると、どもることがあったと話している。ブルース・ウィリスは、幼少期から重い吃音に悩まされてきたが、学校で演劇に出演して、演じる時だけどもらないことに気がついて、俳優を志すようになったのだとインタビューで語っている。

 こうした著名人のエピソードは、おそらく広くは知られていない。しかし一方、「吃音」という語については、最近よく聞くようになったと感じている人は多いのではないだろうか。私自身が吃音で悩み出した30年前から考えると、吃音に対する社会の周知は、驚くほどに広がった。

高校時代に吃音 長い旅へ

 吃音とは、話すときに言葉が詰まってスムーズに話せないという障害、あるいは問題である。国や地域を問わず人口の1%ほどの割合で吃音のある人がいると言われ、日本には100万人以上の当事者がいる計算になる。

 原因はいまもはっきりとはわからないものの、脳科学的研究、遺伝学的研究も進んできた結果、発症原因の7割程度は遺伝的要因で、他に環境的要因が関係していると考えられている。治療または改善のためには、いわゆる言語訓練的な方法や認知行動療法、環境調整、といったことが行われるが、こうすれば必ずよくなるという方法はいまなお確立されていない。

 私が吃音に悩まされるようになったのは、高校時代のことである。ある時、話し出す際の最初の一音が思うように発声できず、「……、こ、近藤です」といった状態になることに気がついた。原因はわからないまま、いろんな場面でそのようになり、人と話すのが怖くなった。当時は、吃音という言葉が広く知られていなかっただけでなく、インターネットもなかったため、情報はほとんど得られず、どうすればいいかわからなかった。

 自分の場合、症状はそれほど重くなく、話しにくい語を言い換えたり、どもりそうな時に話すのをやめたりする、といったことで人に気づかれないようにすることはできた。しかし、話している間にふいにどもると、顔をこわばらせながらなんとか言葉を絞り出すしかなく、その時不思議そうな表情を向けられるのがものすごく恥ずかしかった。特に、言い換えのきかない自分の名前を言わなければならない場面などが怖くなり、名前を聞かれたらどうしよう、電話しなければいけなくなったらどうしよう、といったことばかりを気にしながら、大学時代を送っていた。

 当時、原因や治療法についての情報は知る限りほとんどなかったし、病院などで診てもらえるものだとも私は考えていなかった(吃音の相談ができる吃音外来が耳鼻咽喉(いんこう)科などにおいて広がっていったのは、ここ10年ほどのことと思われる)。また、どもる時とどもらない時の波もあるので、きっと精神的なものだろう、タフになればなくなるのでは、と考えて、一人旅などをするようになった。

 他にも、話すときにおなかに力を入れれば発話しやすいのではないかとか、こういうタイミングで話し出せばいいのではないか、などと考えてあれこれやった。しかし症状はなくならなかった。そしてそのうちに、考えるようになる。このままでは組織の中で思うように働けない。就職せずに生きていく道を探ろうと。

 そうして決めた自分なりの“進路”が、ライター修行を兼ねた長い旅に出ることだった。大学院を修了した翌年、同じく旅好きだった当時の彼女とともに行こうということになり、2003年3月に結婚し、その3カ月後、2人で日本を出発した。26歳の時のことである。結果、その旅は5年以上にもなり、私は旅の途中からライターとしてそれなりに仕事が得られるようになる。一方、旅する間に予期せぬ変化が突然起きた。中国の雲南省に1年ほど暮らしていた間のある日を境に、なぜか吃音が軽減していったのだ。

当事者として当事者たちを取材

 その後、浮き沈みはありながらも、明らかにその時に何かが変わり、症状は徐々に弱まっていった。帰国してからさらに5年ほどが経った2013年ごろには、ほとんど吃音に悩まされることがなくなった。そうした頃、いつか実現させたいと思っていた吃音当事者への取材に着手することになる。自分以外の吃音当事者がどんな困難を抱え、どのように生きているのか。どうすればこの苦しさを広く知ってもらえるのか。そんな問いを持ち、少なからぬ人に会い、書いていった書籍『吃音 伝えられないもどかしさ』(新潮社)が刊行に至ったのは、19年のことだった。

 同書の取材を始めた13年ごろ、吃音についての周知はいまとはかなり違っていた。そのことを裏付けるデータとなるかはわからないが、例えば、吃音が新聞に記事として取り上げられた回数の変遷を見てみると、1998年から2017年までの20年間の毎日新聞では、古い時期から5年ごとに、17回、23回、29回、72回となっている(同新聞のデータベースで「吃音」をキーワードに検索し、その中で吃音に関する記事と思えるものを筆者の判断で選んで集計)。この期間にだんだんと周知されていったことが想像できるが、とりわけ16年は、35回と多かった。当時自分が取材していた感覚から言っても確かに、その年の前後で、吃音の認知度や社会の受け止め方が変化したように感じている。

 その理由の一つとしては、16年4月に障害者差別解消法が施行されたことが挙げられよう。この法律によって、国の行政機関・地方公共団体などにおいて障害者への合理的配慮の提供が義務づけられ、吃音のある人に関しても、公務員の採用試験や大学の入学試験の面接などにおいて、一定の配慮が提供されるケースが増えていった。加えて、この年の春、吃音をテーマとしたドラマ「ラヴソング」が福山雅治の主演でテレビ放映されている。上記法律の施行などとも関連するのかもしれないと推測するが、このドラマも、吃音が広く周知されるきっかけの一つになったと思う。また、SNSによって当事者同士がつながり、様々な自助団体が立ち上がり、発信が活発になっていったことも大きいだろう。

 さらにその後、自分の本が出た後の、ここ5年ほどの変化も大きい。吃音のある若者たちが接客する「注文に時間がかかるカフェ」という取り組みが、広くメディアに取り上げられた影響もあるだろう。また、「多様性」というキーワードが広がる中で、様々な生きづらさを抱える人の存在が可視化されるようになり、その文脈の中で吃音が話題にのぼることも多くなったと感じている。

 そのように、ここ10年ほどだけを見ても、吃音に対する社会の認識や周知のされ方は大きく変わった。そうした変化は、当事者の一人としてとてもありがたいことだと思うし、自分が悩み出したころを思い出すと感慨深い。

症状はおさまったはずなのに……

 しかし、それにもかかわらず、という気持ちが私にはある。

 たとえ社会が変化しても、吃音当事者が個々に抱える困難は、おそらく以前とそれほど変わってはいないのではないか、とも思うのだ。

 すでに書いたように私自身の吃音は、10年ほど前までに、ほとんど意識することがなくなるまでに軽減された。吃音に「完治」というものはおそらくないと思いながらも、完全に消え去ったのでは、と思うこともあった。長い旅の日々がなんらかの影響を与えたのかもしれないとも想像した。しかし実際には、そんな変化は起きていなかったのかもしれないと、最近思うようになっている。ここ数年、吃音によって話しづらくなることが再び出始めているからだ。

 先の本を出して以来吃音について話したりする機会が増えたことやコロナ禍で精神面が疲弊したことなど、いくつかの要因が思い浮かぶが、いずれにしても、吃音が少し戻ってきている。大学で講義する時などによく、言葉が詰まり、言うべきことが言えなくなる。また最近、近所の人とすれ違ってあいさつをした時、「今日は、えっと、あ、あの、え………」などとなり、しばらく何も言えなくなった。その方はただ待っていてくれたものの、そんな時、かつてずっと悩まされ続けた感覚がよみがえる。自分の周りにふと見えない壁が立ち現われ、周囲の世界から隔絶されてしまったように感じるのだ。

 その壁をただちに打ち破るべく、のど元でつっかえている言葉を必死に口の外へと出そうともがき、力むのだが、うまくいかない。

 そんな時、大きな不安感に襲われる。

 そしてなんとかその場を乗り切っても、いつまたその壁が突然現れ、自分と社会とを切り離すかもしれないと思うと、とても孤独な気持ちになる。いまの自分は、そんな気持ちが込み上げても、ひとまず以前のように深く悩むことはないけれど、しかしこのような不安感こそが吃音の苦しさの本質であり、その感覚にいつ襲われるかわからないという恐怖感を思う時、いくら社会に吃音のことが周知されても、核にある苦しさは決して解消されえないようにも感じるのだ。

 数年前、重い吃音を持つ1人の若者と知り合った。短い会話を交わすことも彼には決して容易ではなく、たった一言を言うためにも、何度も言葉を詰まらせた。そのような吃音に小学校時代から悩まされ続け、かつ、両親をほとんど知ることなく施設で育ったという彼はいま、刑務所にいる。

刑務所での困難つづった手紙

 犯してしまったことについて…

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