いつまでも忘れない 中越地震から20年 各地で追悼の式典・催し

白石和之 山崎靖
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 いつまでも忘れない――。新潟県中越地震から20年がたった23日、親子が乗った車が土砂に埋まった現場で、19人が亡くなった小千谷市で、全村避難した旧山古志村(現長岡市)で、震源となった旧川口町(同)で、多くの人が犠牲者を悼み、記憶の継承を誓った。

 午前9時30分過ぎ、長岡市妙見町のメモリアルパーク。当時2歳だった皆川優太さんが母と姉とともに乗った車が土砂崩れに巻き込まれ、約92時間後に救出された現場に設けられた献花所に、札幌市職員で防災担当の染矢洋さん(53)が花を手向けた。震災の翌年に下水道復旧工事の応援で小千谷市へ派遣された縁から、毎年のように通っているという。「つらい記憶だが、忘れてはいけない。改めて身を引き締めた」と話した。

 午後0時30分、小千谷市立千田小学校。魚肉ソーセージなど保存できる具材を使ったカレーやパックご飯などの非常食が給食に出た。当時、市町村の中で犠牲者が最多だった同市は防災意識を高めて生きる力をつけるため、毎年、非常食の給食を実施。今年は市内の小中学校などの教職員を含む約2500人が食べた。同小6年の高見琉生(るい)さん(11)は「地震の時を思い浮かべながら食べた。ご飯を食べられるのが当たり前じゃないと思った」。

 午後2時、長岡市山古志地区の闘牛場に太鼓の音が響いた。地元小中学校の子どもたちと、震災後に交流を深めてきた太鼓芸能集団「鼓童」による演奏。その前には3組の「牛の角突き」が行われ、巨牛がぶつかり合う姿に約350人の観客から歓声が上がった。山古志闘牛会の松井富栄会長(42)は「20年前、山が崩れ、人や牛が犠牲になったが、多くの人の力で今日を迎えることができた。これからもみなさんに楽しんでもらえる角突きをやっていきたい」と感謝の言葉を述べた。

 午後4時30分、最大震度7を観測した長岡市川口地区の川口運動公園にある「すぱーく川口」の追悼式会場。キャンドルに火がともされ、一本一本に書き込まれたメッセージが浮かび上がった。式では川口中学の2年生4人と3年生3人が「みらいへのメッセージ」を朗読、「震災で生まれた絆を守っていく」と誓った。地震が発生した午後5時56分に黙禱(もくとう)。震災後に続いてきたこの式典は後継者がいないため、今回が最後となる。(白石和之、山崎靖)

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