稲荷はイエスか

神社に祀られている神々の中でも特に広く信仰されている稲荷神。この稲荷神が、元はイエス・キリストであったとする説がある。

稲荷は本来、古代日本に大陸からやって来た人々、すなわち「渡来人」の一族であった「秦氏(はたし)」の氏神であった。この秦氏がキリスト教徒だったというのである。

では、何故「イエス・キリスト」が「稲荷」になったのか。イエスが十字架に架けられた時、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という罪状書きが掲げられた。それは、ヘブライ語・ラテン語・ギリシア語で書かれていた(ヨハネ19:19~20)。このうち、ラテン語の表記「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」の頭文字を綴ったものが「INRI」であり、西洋美術などで用いられてきた。この「INRI」が「INARI=稲荷」の語源だというのである。

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だが、秦氏が仮にキリスト教徒であったとして、どういう系統のキリスト教であったかは諸説あるのだが、いずれにせよ、東方に伝播したキリスト教であることには違いない。彼らの使っていた言語は、おもにアラム語であった。聖書のいう「ヘブライ語」はアラム語のことであるとも言われているが、秦氏がユダヤ系キリスト教徒であったなら、ヘブライ語を使っていたかも知れない。あるいはもっと広い範囲で考えれば、東方で共通語として使われていたのはギリシア語であった。

しかしラテン語は西方で使われていた言語で、東方キリスト教徒である(とされる)秦氏が使うには不自然である。いや、そもそも根本的な話として、イエスのことをわざわざ「INRIさま」などと呼ぶだろうか。どうも、こじつけの感が否めない。

ところで、稲荷神はご利益の大きい神で、願い事がよくかなうとされる。その代わり、丁寧に祀らないならば祟りもまた大きいと言われる。自分の欲望を叶えるために神を利用する人間と、その代償として自分への礼拝を人間に強要する神。これは聖書の述べているサタン(悪魔)の姿だ。サタンはイエスを誘惑した時、世界のすべてをあなたにあげようと提案し、その代償として自分を礼拝するよう求めたのである。

だが、イエスは―――聖書の神は、そんな神ではない。人間が、自分の欲望を満たすために利用して拝む神ではなく、ただ、世界の支配者・王である方だから、無条件の服従をもって礼拝すべき神である。そして、神は、自分への礼拝の代償としてご利益を与えたり、あるいは逆に祟ったりする神ではない。ただ人間に対する一方的な愛の故に、必要なもの、よきものを与えてくださる方、そしてついにはご自分のいのちさえ私たちのために惜しまずに与えてくださった方である。

もし稲荷神の起源が古代のキリスト教にあったとしても、少なくとも今の稲荷神は、イエス・キリストとは全く違う、むしろ対極にある神である。

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