「3粒レーズン瞑想法」といふものを紹介します。やり方はとても簡単です。 3粒のレーズン(必ずレーズンである必要はない。3粒のピーナッツでも、3個のキャンディでもよい)を用意します。そしてその1粒1粒をよ~く観察しながら食べる。それだけの瞑想法です。 もう少しだけ詳しく言ふなら、 ① レーズンをつまみ、表面の色や質感などを感じる。 ② 匂ひを嗅ぎ、充分に感じる。 ③ 口に運び、舌の上に乗せる。 ④ ゆつくりと噛...
誰にもその人だけの良心が人生に随伴します。まるくまーるは私の良心です。
「3粒レーズン瞑想法」といふものを紹介します。やり方はとても簡単です。 3粒のレーズン(必ずレーズンである必要はない。3粒のピーナッツでも、3個のキャンディでもよい)を用意します。そしてその1粒1粒をよ~く観察しながら食べる。それだけの瞑想法です。 もう少しだけ詳しく言ふなら、 ① レーズンをつまみ、表面の色や質感などを感じる。 ② 匂ひを嗅ぎ、充分に感じる。 ③ 口に運び、舌の上に乗せる。 ④ ゆつくりと噛...
僕は信ずるということと、知るということについて、諸君に言いたいことがあります。信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは、万人の如く知ることです。(『学生との対話』小林秀雄) 我々人間の意識、特に「私」といふ意識とは一体何者なのか。どこから、どうやつて生まれてくるのか。ノーベル賞学者も量子論を駆使して解明しようとしてゐますが、まだまだ解明には至ってゐない。 意識を追求する科...
最近、知人と話してゐて、介護の話になつた。 私は3年半介護した母を1年前に看取つた。知人は父親が介護施設に入居した。口から食べようとすると、しばしば誤嚥を起こす。危険なので、鼻に管を通して、そこから栄養物を入れる処置をした。 意識が薄れてゐるなら、そんな処置など家族はしたくなかつたが、本人にはまだ生きる意志が見てとれる。意思があるのに栄養を絶つといふのはあまりに忍びないので、管で延命してもらふやう医...
ロボットが普及する次の10年、20年は、ひとびとが哲学者になる時代ではないか。僕はそれに先んじて、すべての人間を哲学者にしたいのだ。 (『アンドロイドは人間になれるか』石黒浩) これが本書の締めくゝりのフレーズです。石黒氏が考へてゐること、本書で読者に伝へたいことは、この一言に尽きると言つていゝと思ふ。 石黒氏は大学の教授ですが、かなり風変はりに見える。表情はつねに不機嫌さう...
こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。(マタイによる福音書5:3) イエス様が語つたと言はれる、有名な「山上の垂訓」の一節ですね。「こころの貧しい人」とは、どのやうな人でせうか。 ネットで調べてみると、 ・ 霊において貧しい人:自分の霊的な無力さを自覚してゐる人 ・ 自分の限界を自覚してゐる人:神の前に謙虚である人 ・ 霊に砕かれた人:神の前に無力...
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。 (ヨハネによる福音書4:23) こゝでいふ「父」とは、神のことですね。その神は、霊とまこととをもつて礼拝する者たちを求めておられるといふのです。 霊を「神霊」、まことを「真理」と言ひ換へてみます。この二つ...
自然の仕組みにとっては、どんな病気との闘いも問題ではない、なぜなら、自然の仕組み自体がその目的で存在しているからだ。(『アナスタシア』ウラジーミル・メグレ) この本については、過去の記事「『アナスタシア』シベリアの森の美女」を参考にしてください。 「自然」とは何でせうか。アナスタシアにとつて「自然」とは、神の手による創造物です。人間が作る「人工物」と対比されます。 「自...
本のタイトルは『アンドロイドは人間になれるか』(石黒浩)なのですが、読んでいくと、問ひかけはむしろ逆転させて、「人間はアンドロイドになれるか(近づけるか)」としたほうが良ささうにも思へてきます。 ロボット工学技術は、どうしたらロボットをより人間に近づけることができるかを、日夜研究してゐる。ところが、開発途上で、まだまだ人間そつくりとは言へないロボットでも、人間のほうがそれに寄りそつて、人間のや...
『アンドロイドは人間になれるか』(石黒浩)の第5章は、 「名人芸を永久保存する --- 米朝アンドロイド」 といふタイトルです。 人間国宝ともなつた落語家桂米朝の名人芸をアンドロイドでどこまで再現できるかといふ話になるかと思ひきや、話題は「ロボットと宗教」に移り、「ロボットが人間の死生観を変える」といふやうなところにまで発展する。石黒氏の頭はかなり哲学的な志向性を有してゐます。 私の好みで言へば、米朝...
誰にでも、分かつてゐることと分かつてゐないことがある。これはもちろん、当然のことです。そして誰でも、新しく分かつたことには驚くが、分かつてゐないことには驚かない。これもまた、ごく自然のことでせう。 たとへば、物理学や天文学が進んで、この広大な宇宙にはブラックホールなるものが存在するらしいことが、新しく分かる。するとそれを聞いて、誰もが驚く。 長い間、人々は昼間には青い空を眺め、夜には星がきらめく黒...
町のスーパーの一つに入ると、入り口にスマホが30個くらゐ並んでゐます。それを一つ取つて、カートの所定のホルダーにセットする。買ひ物を始めると、商品のバーコードをそのスマホで読み取ります。 さうしてほしいものをすべて買ひ物カゴに入れ終へると、セルフレジコーナーに入つてモニターにタッチし、さつと自分のスマホを画面にかざせば、それで支払ひが済む。従来の店員レジも横に並んではゐるのですが、セルフレジなら、買...
3歳くらゐの子どもが別れ際に、こちらをぢつと見つめながら手を振る。 その様子を見ると、 「あゝ、あの子は別れたくないんだな」 とか 「別れるときには手を振るといふ仕草を学んで、真似てゐるんだな」 などと思ふでせうね。 つまり、3歳の子にも一人前の立派な「心」があると感じる。 それなら、見た目はかなり人間に近いロボット(あるいはアンドロイド)が 同じやうに別れ際に手を振る動作をしたらどうでせう。 「なんだ...
あるひとつの家族の姿を通して、家族の意味、家族一人一人の幸せとは何だらうといふことを考へてみようと思ひます。 夫婦に3人の息子がゐます。父は高潔で、責任感のある人でした。カリスマと呼んでもいゝほど統率力もあり、母を初め息子たちも尊敬、信頼しながら従つてきたやうです。 ところがその父も寄る年波、体力も弱り、少しづつ認知も入り始めてきたやうに見える。昔のやうな威厳も薄れ、息子たちにとつては頼りなくもあ...
原題『Seatbelt Psychic』(邦題『占いタクシー』)といふドラマシリーズがAmazonPrimeなどで配信されてゐます。 ドラマと書いたものゝ、作り話ではなささうです。霊媒師トーマスがタクシー運転手に扮してお客を乗せ、出し抜けに「霊を信じますか?」と問ひかける。すると「私、そんなの信じないわ。見たことないし」と懐疑的な人もゐれば、「あなた、見えるの? 私の傍に誰がゐる?」と興味を示す人もゐる。その反応を見ると、...
独り内神(うちつかみ)に儞(かな)いて、外神(かみがみ)に応じる。 (『宗徳経』) この『宗徳経』は先代旧事本紀大成経の第39巻「経教本紀」に収められてゐるものです。 「聖徳太子の著作と生前のふるまひと言葉を記録した巻物を後世に残すべし」 との第33代推古天皇の詔を受けて、秦河勝らが編纂したものと言はれます。 江戸時代以来、偽書説もあるやうですが、私にはもちろん...
真夜中に目が覚めたとき、 「私は死んでゐる」 と思つた。 いや、もう少し正確に言ふと、 「今、私が死んでゐるとしたら、どういふことになるだらう?」 と思つたのです。 もし死んでゐるなら、もうこの世(肉体が生きてゐた世界)にはゐない。夜が明けても、もう仕事に行く必要がない。これはかなり気が楽だ。 といふか、本当に死んでゐるなら、どうして今こんなふうに思考が働いてゐるのだらう? どうやら、死んでも思考は働...
我ながらよく書いてきたなと思ふが、今回の記事で3000個に達した。最初の記事が2009年10月1日だから、14年と10ヶ月続けてきて、1年あたり200個の記事を書いてきたことになります。 最近は体力、視力の衰えもあつて、明らかにペースが落ちてゐる。記事単体はさほど長いものではないが、一つ書くのにたいていは数時間を要する。ときには下書きしたものを一晩、二晩寝かせ、頭の中でアイデアが醸成するのを待つこともしばしばある。 ...
Youtubeで得た逸話で、出典は詳らかにしないが、お釈迦様についてこんなお話があります。 当時、お釈迦様はすでに多くの弟子を持ち、サンガといふ出家僧の組織が作られてゐた。ヴィクラムといふ商人の息子たちもこの組織に入り、お釈迦様の指導を受けて瞑想に没頭してゐた。 ヴィクラムからすれば、息子たちが父親を見習つて商売に専念するなら、いくらでも金儲けができる。仕事もしないで瞑想ばかりして何の役に立つのか。そう...
前回の記事「敵対するものがつねに身近に存在する」は結論がないまゝ、尻切れトンボに終はつてしまつた感があります。書きにくゝて書き切れなかつたことを、比喩的に書いてみます。そのつもりでお読みください。 人のタイプを「兵士」と「非兵士」の2つに分けます。 「兵士」は言ふまでもなく、戦ふ人です。頭の中に「正義」があり、「善と悪」があります。特に、悪を前提として善を考へます。 それでたとへば、自分の期待に反...
米国共和党の次期大統領候補と目されてゐたトランプ氏の暗殺未遂事件が起こつた直後、共和党の党大会で候補者として正式に指名された。そして彼が副大統領候補として指名したのが、J.D.バンス上院議員(39歳)といふ非常に若い政治家だつた。 彼は元々『ヒルビリー・エレジー』といふ自伝的小説がベストセラーになつた作家であり、その後、オハイオ州から立つて上院議員となつた。私は彼の小説を読んだことはないが、その解説など...
虫歯が悪化したりするとお世話になる、行きつけの歯科医院があります。治療室には治療用の椅子が横に5つ並んでゐる。 先日久しぶりに行つたら、1回目に座らされた椅子の肘置きはもうかなり擦り切れてゐて、「随分年季が入つてるな」と思つた。ところが2回目のときは別の椅子に案内され、座つてみるととても真新しい。 院長先生が得意満面で、 「どうです。きれいでせう?」 と話しかける。 「最近、新しいものに入れ替へたんで...
南米アマゾンの奥地に「ピダハン」といふ先住部族が暮らしてゐるさうです。現在の規模はおよそ400人ほど。小さな村程度の規模です。 彼らを詳しく紹介したのは、言語学者にしてキリスト教宣教師のダニエル・エヴェレット。彼は実に30年間にわたつて彼らと生活を共にしながら、その生活、言葉、思考を調査した。そして、驚くべきことを発見したのです。 まづ、彼らの言葉には未来形も過去形もない。つまり、「昔こんなことがあつ...
ビューと風を切る音が聞こえ、銃弾が皮膚を裂くのを感じたことで、すぐに何かがおかしいと気づいた。 衝撃的なニュースが世界を駆け巡りました。米国ペンシルバニア州バトラーで演説中に、共和党のトランプ大統領候補が銃撃を受けた。弾丸のひとつがトランプ氏の右耳を掠めて(一説には貫通したとも)流血はあつたものゝ、奇跡的に軽症ですみ、暗殺未遂に終はつた。 1981年のレーガン大統領暗殺未遂以来で、43年ぶ...
東京都知事選が終はつてみると、現職の候補者にこそ敵はなかつたものゝ、トップ挑戦者と見なされてゐた蓮舫候補者をかなり引き離して、驚きの2位当選した石丸伸二といふ男。選挙期間中からその認知度は急速に上がつたが、選挙が終はつてからも「石丸構文」などといふフレーズがネットを賑はすなど、引き続き注目度の高さを見せてゐます。 これを 「石丸現象」 と呼んでみませう。 この現象についてはすでに、多くの人が分析をし...
私たちが、何かが分かる、あるいは誰かの正体が分かるといふのは、一体どういふことでせうか。ふだん当たり前のやうに思つてゐるこのことを、改めて考へてみます。 たとへば、目の前に一輪の花があるとします。 その花を見て、 「あゝ、これは百合だな」 と即座に思ふ。 ところが、さう言つたとたん、私はその花の正体が分からなくなるのではないか。そんな気がするのです。 昔からその花の種類には「百合」といふ名前をつけて...
今からおよそ100年前、当代物理学のヒーロー、アインシュタインと、哲学の泰斗ベルグソンとの間で、「時間」を巡る大論争が巻き起こつたことがあります。 ご存じのやうに、アインシュタインはその一般相対性理論によつて、時間は空間とともに歪み、観測者の移動速度や重力場によつて伸びたり縮んだりすることを論証しました。 それに対してベルグソンは、アインシュタインが時間を実質的に空間の一部として捉へ、直感的な時間の...
「因果律」といふ概念は、宗教にも科学にもあります。そもそも、私たちの頭の認識形式そのものの基本に「因果律」があるのでせう。だから、日常の判断のほとんども、この「因果律」から無縁ではない。 簡単な例で考へてみませう。 「2倍の力で投げたら、2倍の距離飛んだ」 これは分かりやすいですね。「2倍の力で投げる」といふ原因が「2倍の距離飛ぶ」といふ結果を生み出す。科学的原則に則つてゐる感じがするので、何ら抵抗な...
共産主義思想の生みの親はカール・マルクス(1818~1883)です。彼についても彼の思想についても、私は聞きかじり程の知識しかないので、AIに尋ねてみたところ、その回答が以下です。 「マルクスが共産主義思想を生み出した動機は何ですか?」1.社会的不平等への批判2.資本主義の矛盾の指摘3.労働者の団結と解放4.共産主義社会の理想 至極まつとうな回答ですね。...
礼拝に対するアンケートを行なつてみた。その動機と所感について、書いてみようと思います。取り留めのない散文になることをお断はりしておきます。 まづ、動機。 日曜礼拝は長いキリスト教から続く伝統の中心と言つていゝでせう。だから教会に所属する者にとつて、礼拝に参加(あるいは礼拝を捧げる)ことは、言はゞ有無を言はさない当然のこと(信仰的な義務のやうなもの)と受け止められてゐる。 にも拘らず、これが意外に有...
教会で熱心に信仰する男性が神様の家を訪ねて行つたときの話があります。 家を訪ねて玄関のベルを鳴らすと、しばらくしてドアの小窓があき、その窓越しに神様が顔を出して尋ねられた。 「久しぶりによく来たね。ところで、君には息子がゐたと思ふが、今日は一緒ではないのかね?」 男性は少し躊躇して答へた。 「息子はゐるのですが、最近彼は教会にあまり行きたがりません。今日も誘つてはみたのですが、やつぱり首を縦に振り...
五感の中でも触覚といふものがあります。何のためにこの感覚があるのでせうか。 ふつうには、ものに触つて、その形や大きさを確かめ、ザラザラやスベスベなどの質感を感知するのが触覚の働きと考へる。確かにそれはあるでせう。 たとへば、赤ん坊が手元のボールに触つてみる。そのときの感触が「丸い」といふ概念のもとになります。それ以外にも、針の先は痛い。沸騰したお湯は熱い。鉄は冷たくて重い。さういふことはすべて触覚...
『ラストマン 全盲の捜査官』(AmazonPrime)は福山雅治、大泉洋のダブルフィーチャーによる刑事ものドラマ。福山演じる皆実広見(みなみひろみ)は日本人でありながら、米国FBIの捜査官となつて、トップクラスの検挙実績を出し、日米捜査官の交流の一環として来日する。ただ、皆実は全盲です。彼の目になつて常に同行するバディ(buddy=パートナー)として、大泉演ずる護道(ごどう)が選ばれるのです。 ドラマの筋書きや見どこ...
私の妻は2人の子どもを生んだのですが、下の子が5歳になる前に他界した。それで子どもの養育には母の手を随分借りた。 もし妻が生きてゐたら、どんなふうに子育てをしただらうかと、ときどき考へます。母親がゐないせいで、平均的な父親よりはいくらか、子どもたちと関はる時間が多かつたかなとも思ふ。しかし、どんなに頑張つても、母親のやうには子どもを愛せないとも思ふ。 母親は子どもに対してどんな愛を持つのでせうか。 ...
母親「娘は幸せでした」 牧師「(葬儀で)さう話します」 父親「では、どうも」(と、牧師と握手) 牧師(母親に手を差し出しながら)「娘さんは今でも幸せですよ。神と共におられますから」 母親(帰りかけて振り向き)「それの何がいゝの?」 父親「行かう」 母親「なぜそれがいゝのか、教へて!」 牧師「人生には苦難もある。子どもを失ふ、なんと残酷なことでしょう。だが、信仰が希望を与へます。そして、人生に輝きを見出し…...
気の置けない者同士が数人集まつて思ひのまゝに話してゐるときでも、急に正論を述べ始める人が、ときどきゐるものです。 「さういふ考へはもう古いよ。こんなふうに変へたほうがいゝと思ふ」 たとへば、こんな正論が出てくると、話してゐる人はとたんに話の腰が折られたやうで、二の句が継げなくなる。それ以上、自分の素直な気持ちを話したいといふ思ひが萎えてしまふ。 正論を述べる人には、たいてい悪気はないのです。相手の...
人生に問題はつきもので、問題には苦痛が伴ふ。苦痛はつらいから、早く何とか解決したい。 病気の兆候。経済的な不安。人間関係の摩擦。さういふものはないほうがいゝので、何とか早く取り除きたい。 そんなふうに思ふのは、当然ですね。 しかし、苦痛を取り除かうとするのは、対症療法でせう。熱が出たら解熱剤を飲むやうなものです。一時的には楽になつても、熱が出た原因そのものは解決されてゐません。 そこで、苦痛が生じ...
何かを成し遂げようとして、上手くいかないことがある。むしろ、そのほうが多いかもしれません。 そのとき、私たちは 「失敗した」 と言ふに違ひない。 上手くいつた場合は、「成功した」と言ひ、上手くいかなければ「失敗した」と言ふ。成功は良いことであり、失敗は良くないことである。だから誰でも成功したいと思ひ、失敗は避けたいと思ふ。まあ、当たり前ですね。 いや、本当に当たり前でせうか。 「私は失敗を許可する」...
「不安でないと落ち着かない」 といふやうな気分になることが、しばしばあります。 これはいかにも変ですね。ふつうなら、「不安で落ち着かない」とか「不安がないから落ち着く」と言ふべきでせう。 たとへば、朝起きると、すぐに一抹の不安が生じる。子どもたちのことが頭に浮かんで、何だか不安になることがあるのです。 「あんなふうだけど、大丈夫かなあ?」 といつた不安。 かなり漠然としてゐるのですが、だからこそ何と...
先日の記事「日常を量子論的に考へる」の中で、 「もし生まれる前に人生を設計して生まれてくるとしても、その計画は確率として存在するのではないか。実人生で選択をすることで確率が現実になる」 と考へてみました。 見方によつては、人生は小さなことから大きなことまで、選択の連続だとも言へます。 今日の昼食は天丼にするか、ラーメンにするか。飲み会に誘はれたとき、行くか、断るか。 学校を受験するなら、どの学校にす...
息子の勧めで「すずめの戸締り」を観た。 私はあまりアニメは観ないし、公開されて2年近くたつてもゐます。ところがNetflixで観始めると、なかなか面白くて、最後まで一気に観終へた。アニメの名手、新海誠監督の作品です。 観終へたあとで、息子に感想を聞かれたので、 「すずめを助けるのは、ほとんど女性ばかりだつたね」 と答へると、息子は、 「そんな観点、思ひもしなかつたけど、さう言はれゝば、確かにさうだな。どうし...
これまでに解明されてゐる量子の特質を挙げるなら、次の2つでせうか。 ① 粒子でもあり、波動でもある ② 位置と運動量とを同時に確定することはできない これらはいづれも、日常生活の感覚から見ると、かなり理解し難い。しかしそれは、我々がこの世を物質的な側面から見ることに慣れ過ぎてゐるからであり、我々自身の意識から見れば、「量子=意識」と言つてもいゝほどに符号してゐるやうに思へます。 身近なところから考へ...
30年以上も前のものですが、1990年に公開されてヒットした米映画「Ghost - ニューヨークの幻」の中に、印象的なシーンが出てきます。 不本意に殺された男性(サム)がその真相を伝えたくて、元恋人に接触を試みる。ところが、サムにはもはや肉体がない。彼からは彼女が見えるが、彼女には彼が見えない。呼びかけても声が届かない。触らうとしても感じられない。 どうしたものかと思ひ悩んでゐるとき、地下鉄のホームで彼の前に一...
ここにおいて、カインとアベルの献祭に相通ずるいくつかの実例を挙げてみよう。 我々の個体の場合を考えてみると、善を指向する心はアベルの立場であり、罪の律法に仕える体はカインの立場である。したがって、体は心の命令に従順に屈伏しなければ、私たちの個体は善化されない。しかし、実際には体が心の命令に反逆して、ちょうどカインがアベルを殺したような立場を反復するので、我々の個体は悪化されるのである。 (『原理講論...
少なくとも目が覚めてゐる間、「思考」といふものから離れられないのが私たちです。その「思考」を2つに分けてみます。 ひとつは、「自動思考」。 もうひとつが、「自主思考」です。 「自動思考」とは、ふと気がついたら、 「自分はこんなことを考へてゐたのか。いつから、どうして、こんなことを考へてゐたんだらう」 と思ふやうな思考です。 だから「自動思考」は、無自覚的な「思考」と言つてもいゝでせう。 それに対して「...
地動説が科学的な真理だと学んで育つた現代の私たちは、球体の地球が球体の太陽の周りを超高速で周回し続けてゐることを疑はないでせう。しかし、向かうの森を眺めて、かすかに風に揺れてゐる木々の枝を見るとき。あるいは、川岸に立つて、小さく波立ちながら流れていく川面を見るとき。私たちは、これらの土台である地球が猛烈な勢ひで回転してゐるといふことなど、すつかり忘れてゐるに違ひない。 自分の人生を振り返つて、後悔...
今日の科学は、物質の最低単位を素粒子と見なしているが、素粒子はエネルギーからなっている。… 物質世界を構成している各段階の個性真理体の存在目的を、次元的に観察してみると、エネルギーは素粒子の形成のために、素粒子は原子の構成のために、… (『原理講論』創造原理 第二節) 素粒子は物質の最小単位であり、一方、量子はエネルギーの最小単位ですね。素粒子はきわめて極小とは言へ、粒子のやうなものとし...
悪霊人たちの業が、みな再臨復活の恵沢を受けられるような結果をもたらすのではない。その業が、結果的に神の罰として、地上人の罪を清算させるような蕩減条件として立てられたときに、初めてその悪霊人たちは、再臨復活の恵沢を受けるようになるのである。(『原理講論』復活論第二節) こゝに「神の罰」「地上人の罪」といふ表現が出てきます。これらは、我々が神に対する概念を作るうえで、...
昔から、会議といふものが苦手です。苦手だから、当然好きでもない。 会議と言へば、最低3人以上、多ければ10人を越すものもあるでせう。その参加者それぞれが、一つのテーマに対して自分なりの意見を持つてゐる。強く主張する人もゐれば、控へ目な人もゐる。 さうすると、あちらも見て、こちらも見る。バリエーションのある意見の中で、自分はどの辺にゐて、どのやうに言へば、自分の意見が言ふだけの意義を持つか。さういふ見...
ときどき、大きな不安に覆はれるやうな感じに襲はれることがあります。これは多分、私だけではない。多くのかたが経験されることではないでせうか。 なぜ不安が生じるのか。 未来において、自分に危害が及ぶやうな気がする。その危害の原因と確実性がある程度明確なときには、恐怖が生まれる。一方、不安といふのはそれらが漠然としてゐる。原因も確実性もはつきりとは見えない。それこそが不安の正体でせう。 そして考へてみる...
誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を蓄える。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれほど大きな力を与えてくれるか。(『いかにして超感覚敵世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー) ...
「宇宙とは太陽系のことである」 といふ、とても風変りな思想があります。 ヌーソロジー(Noosology)といふ、非常に新しい思考の試みです この思想によれば、太陽系の外に宇宙はない。 いやいや、太陽系の外には銀河系があるのではないか。アンドロメダ星雲もあるし、無数の恒星が宇宙全体に散らばつて存在してゐるのではないか。我々はさう、現代科学によつて教へられてきたでせう。 それでもヌーソロジーは、 「それらはす...
こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
一体誰が世界を見てゐるか、といふことについて考へてみようと思ひます。 世界と言ふと、ふつうは時空間の広がりだと捉へるでせう。部屋の中にゐれば、部屋の広さの空間がある。そして、部屋の外は見えないとしても、外にはさらに広い空間が広がつてゐる(はずだ)と考へてゐる。 自分に見えてゐるごく小さな一部分の空間と、見えてゐない残りの広大な空間。これらを合はせて「世界」と考へてゐるでせう。さて、この世界を見てゐ...
夕方、スマホをズボンのポケットに入れてYoutubeを聞きながら草取りをしてゐると、女性の声で、 「自分を好きになるつていふのは、人生でイ~ッチバン難しいこと。それをまづ頭に入れておいてほしい」 といふ話をし始める。 これは私自身、日頃からよく考へるテーマなのですが、改めて、 「一番難しいといふほど、難しいかな?」 と自問することに。 そして、あまり思案する間もなく、 「さうに違ひなささうだなあ」 と思ふ。 ...
じっと見つめていると、全体におけるそのものの位置が「わかる」。そうすると、意義が分かるのであります。その後も心をそこから放さないでいますと、次第にそのものの内容がその人の感情に取り入れられてゆく。体得されて、感情となって本当にその人の中に入ったものは、だんだん素朴化されることによって、次第に深く入り、ついに情緒の中心に達する。(『紫の火花』岡潔 前回の記事で「目の前のも...
鶯の鳴き声を聞いて、昨年のちやうど今頃、鶯の話題を記事に書いたことを思ひ出しました。 鶯の鳴き声を聞くと、私にはどうしてもそれが、 「ホーホケキョ」 と聞こえる。■ 鶯はなぜ「ホーホケキョ」と鳴くのか 一説によると、浄土真宗中興の祖、蓮如上人が鶯の鳴き声を聞いて、 「あゝ、あれは『法、法華経』と鳴いてゐるなぁ」 と言はれたといふ。 その話を聞いた人たちは、鶯の声を聞くたびにだんだんとそれが 「ホーホケキ...
呼吸は無意識に行なつてゐて途切れないやうに、私たちの頭にも無意識の裡に途切れずに生じる思考があります。 たとへば、二つの選択肢があれば、 「どちらかが正しく、どちらかが間違つてゐる」 と考へたり、 「どちらかがもう一方より正しい」 と、無意識の裡に考へる。 あるいは、自分の考へと違ふ人がゐると、 「この人を変へないと」 と、相手を自分に合ふやうに変へようとする。 これも、ほぼ無意識の思考です。自律神経が...
ある切つ掛けがあつて、ふとこんなことを思つた。 「仕事とお金の関係を、一度切り離して考へてみてはどうか」 今の世の常識では、お金は基本的に仕事を通して手に入る。それが商売であらうと会社勤務であらうと、仕事なしにお金を手に入れることはできない。(こゝでは、詐欺とか不正株取引などは同列に述べないことにします) 特に時給換算の仕事なら、1時間働いていくら、1週間に5日働いていくらといふふうに、仕事(体を動...
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。(「新約聖書」ルカによる福音書23:34) イエス様を十字架で殺害することが、一体どういふことであるのか。それを当時の人々は誰も分からずにゐた。そして、イエス様の着物をくじ引きで分け合ふなどといふ、話にもならない愚かな行為に耽つ...
もう30年近くも昔のことです。携帯もスマホも、もちろんない。ポケベルもまだなかつたと思ふ。 教会長をしてゐた。東西に長い県で、東の端の教会から県の真ん中あたりまで、月に1回くらゐ、夕方出かけて家庭礼拝をする慣はしだつた。 距離にすれば、約80キロ。高速道路もないから、ふつうに走れば1時間半はかゝる。礼拝が終はれば、もう8時半か9時になる。それから家まで帰る。夜でもあり、ぶつ飛ばして、大抵は1時間少しで自宅...
4年前に退職し、それと同時に母の自宅介護が始まつた。その介護は3年半続いたが、私は再就職もせず、それにほぼ専念した。 専念したと言つても、週に3日はデイサービスに行く。月に1週間はショートステイのお世話になる。デイサービスに行き、ショートステイで家を空ければ、家に残つた私には取り立ててすることがない。往々、時間を持て余すことも多かつた。 こんな生活は、私の人生でほぼ初めてのことだつた。家に独りでゐれば...
Amazon Primeで「沈黙の艦隊」シーズン1を観てゐます。8話まである。しかもそれをひと通りではない。多分もうすでに6回は繰り返し観てゐる。それほど面白い。 魅力の要素は、いろいろ思ひ当たります。 VFX(ビジュアルエフェクト)技術が相当高い。主役である最新鋭原潜「やまと」の戦闘ぶり、米国第3艦隊、第7艦隊の偉容など、何度観ても感嘆する。 突飛なストーリー。日本と米国が極秘裏に共同で開発した原潜を、日本人クルー...
アニータ・ムアジャーニは臨死体験とそこからの奇跡的な生還を機に、意識が大きく変容し、それに伴つて生活も一変した。彼女の発言は徐々に広がつて人々の注目するところとなり、有力な後援者の力で本の出版にまで発展した。その後は、世界各地を講演旅行するやうになつた。 ある講演会での出来事です。 講演の最中、一人の若い女性が立つて質問をした。ついこの前、最愛の一人息子を亡くしたといふのです。自分はシングルマザー...
それは、身体的にどこか別の場所へ行ったというよりも、むしろ目覚めたような感覚でした。おそらく、悪夢からやっと目覚めたのかもしれません。私の魂は、その真のすばらしさをやっと悟ったのです。(『喜びから人生を生きる』第7章) 私はまだ、無条件の愛と、受け入れられた雰囲気に包まれていました。自分のことを新しい目で見ることができ、宇宙の美しい存在に思えたのです。私は存...
このごろの物知りといふのは、もう大変なもんですな。しかしものを知るといふのは、自分の知恵は何にも働かさないといふことです。学問は独学です。独学は質問することです。(小林秀雄の講演録より) 昔も今も「文士」と呼ばれる人は星の数ほどもゐるが、その人の作品を100回以上も読み直すほどのファンを持つ文士は、滅多にゐないでせう。しかし、小林はさういふ稀有な文士の一人です。私はさすがに...
さして特別な体験ではなくても、自分自身をよく見つめる機会を得たので、少し書いてみます。 5日ほど前のことです。玄関で呼ぶ女性の声がする。 誰かと思つて出てみると、見知らぬ人で、 「給湯器を使つておられますよね」 といふ話を始める。 給湯器を勧める電話はときどきあるが、直接訪ねて来る人は珍しい。少し説明を聞いたあとで、「詳しい上司」と紹介された男性が現れる。彼がパンフレットを示しながら、懇切に説明して...
我々の内なる良心は、ガリレオの望遠鏡に似てゐると思ふ。良心は神を見る望遠鏡と言つてもいゝし、レンズと言つてもいゝ。 ガリレオは実験と観察を重んじる人で、望遠鏡による観察を通して地動説を確信するに至つたと言つていゝでせう。 たとへば彼は、望遠鏡によつて、木星には4つの衛星があることを見つけた。これは、地球を中心に廻つてゐない天体があることを意味してゐる。天動説への反証になる観察結果を得たわけです。 ...
「未来の記憶を思ひ出す」 といふのは、言葉自体に矛盾を孕んでゐるやうな感じですね。 「未来」と「思ひ出す」は時制が合はない。「未来」なら「夢想する」であり、「思ひ出す」のは「過去の記憶」でせう。 これは言葉の問題もあるので、「記憶」の代はりに「思ひ」としませう。すると、「未来の思ひを思ひ出す」となります。「思ひ」は過去にもあるし、未来にもあるものです。 たとへば、旅行の計画を立てるとします。 地図...
私はあるとき、 「原理は学んではいけない」 と思つたことがあります。 「学ぶのではなく、探さなくてはいけない」 と思つたのです。 意識の観点から教育を分類してみると、大きく3つ思ひ浮かびます。 ① 知識教育 ② 体験教育 ③ 無意識教育 知識教育は意識教育と言つてもいゝものです。その特徴は「言葉」で伝へるところにあります。 「これは、かうである」 「これは、かうでなければならない」 といふふうに、言葉で知識...
Youtubeで、ずいぶん昔の小林秀雄の講演録を聞いてゐると、アルベルト・ジャコメッティといふ彫刻家の話が出てきます。スイスの芸術家で、彫刻だけでなく、絵画や版画の作品も多いやうです。1901年の生まれだから、1902年生まれの小林とほぼ同世代です。 ジャコメッティが森に入つて木を描かうとします。すると、自分が木を見てゐるのではない。木が自分を見てゐるのを感じる。その視線が強くて、木の視線の中に自分が埋もれてし...
タイトルの表現は、意味不明。といふか、当たり前のことしか言つてゐないやうに見えます。 「今の自分には、何がどこまで見えてゐると思つてゐますか?」 と尋ねてみませう。 すると、答へは、 「見えてゐるものしか見えてゐない」 といふことになるでせう。 見えてゐるものは何で、どれだけあるか。それは自分で分かる。しかし「見えてゐないもの」がどれだけあるかは、絶対に分からないのです。当たり前ですね。それで「見え...
気分は、日々に同じではありません。概して、ハイな気分に留まることは難しい。 物事がうまくいかないと、気分は落ち込む。反対に、思ひ通りに事が運び、貢献もできたと感じる日には、嬉しい。しかし、さういふ日はあまり多くないのです。 その日も、 「今日も何だか、浮かない気分だな。あんまり幸福ぢやないまゝ1日が終はりさうだ」 と、つらつら思つてゐた。 すると、 「幸福を求めてはいけない。求めると、得ることができな...
前回の記事「思考からの反論」でも書いた通り、「思考」は「私」自身ではない。それは「本当の私(魂)」が活用してゐる有能な「道具」であると考へました。 この「思考」において、今や我々人類に匹敵し、脅かしつゝある、あるいはすでに超えたのではないかとさヘ思へるほどの進化を見せるAI。このAIはどのやうに「思考」してゐるのか、あるいは、本当に「思考」してゐるのかについて、ちよつと考へてみます。 22年11月にオープ...
最近、「思考」に対して結構厳しく追及してきたところ、遂に「思考」から反論がやつて来ました。 「なぜ私だけを厄介者扱いするのか? 私をかういふ者にしたのは、あなたではないのか?」 といふのです。 反論してゐるのは「思考」です。それなら、「あなた」とは一体誰なのか。 そもそも、どうして自分の内でかういふ反論が出るのでせうか。 ふつう、私たちは 「自分は一人」 と思つてゐますね。 ところが少し考へてみると...
私たちは誰でも喜びを求めてゐますが、脳には左脳と右脳の二つに分かれてゐて、喜びの種類にも二通りがあるやうに思ひます。左脳の喜び、右脳の喜びと呼びませうか。 左脳は、言語や論理が得意な脳です。その特徴は何かと言へば、「これ」と「あれ」とを分けることです。言葉の本質は、まさにそこにあります。 たとへば、「私」といふとき、それは「私以外のすべてのもの」と「私」とを分けることです。「私」は他のあらゆるもの...
つまり、あなたが答えを出す必要はもう無いのです。 空白であること、しかし無関心ではないこと、我々がそれを既に持っており、あなたに直接渡したいのだということ、そういう時期が来ているのだと、信じていただきたい。 わからないという、純粋な白い光を心に抱いていてください。 そのことがサインとなり、化学変化が起きて細胞が変わります。 神経が繋がります。 分かるのは我々の役割であり、そこから毎瞬必要なことをあな...
いさゝかデジタルに疎い知り合ひが 「中古でもいゝから、そこそこの性能で、あまり値の張らないパソコンがほしい」 と言ふので、私がネットで探してみようと請け負つた。 アマゾンなどで探して、これなら要望に適ひさうだといふ一品を見つけ、本人の承諾を得て購入。数日で届いたので、基本的な初期設定をして、本人に手渡した。 これでそこそこネットも楽しめるだらう、よかつたよかったと思つてゐると、彼から電話が入つて、ど...
「どうして突然、すべて理解できたんだろうか?」 私はそれが知りたいと思いました。 「誰がこの情報を与えてくれたんだろう? 神様かしら? それともクリシュナだろうか? それともブッダ? イエス・キリスト?」 その時、 「神は存在ではなく、存在のあり方なのだ。そして、私は今、そのような存在のあり方をしている」 という悟りが得られ、その感覚に圧倒さ...
私たちの中に、全宇宙が存在します。私が求めている答えは、自分の中に存在し、あなたの求める答えも、あなたの中に存在します。外部で起こっているように見えるあらゆることは、私たちの中にあるスイッチを押して、自分を拡大し、真の自分を思い出させるために起こっているのです。 (『喜びから人生を生きる』アニータ・ムアジャーニ) アニータは、自ら通過した「臨死体験」によつて、文字通り「...
昨日の記事で取り上げた『喜びから人生を生きる』。インスピレーションに溢れてゐるので、もう少し書き足します。 何が自分を突き動かしているのかを見極めるには、コツがいるかもしれません。大切なのは、思考は”すること”を重視し、魂は”存在すること”を重視するという点です。私たちの本質は、無限の自己です。… 知性は、この(世の)人生を航海するための道具にすぎません。(第16章「私たちは神...
2006年2月2日、アニータ・ムアジャーニは、間違ひなく死ぬはずでした。過去4年間で彼女の癌は着実に進行し、今や、あらゆる臓器は停止しようとしてゐたのです。 すべての医師が見放してゐたにも拘らず、彼女は奇跡的に生き返つた。彼女は臨終を迎へるはずだつた病院のベッドに横たはつたまゝ、世に言ふ「臨死体験」をしてゐたのです。 彼女があの世に行きかけたとき、驚くべき感覚を体験した。それまで彼女を苦しめてゐた「痛み...
「これをすべきか否か」 といふ二者択一を迫られたとき、迷ふものです。 先日も、さういふ場面がありました。どちらも強い義務の強制はない。どちらでも自分の自由意志で選べる二者択一です。 かういふ場合、私は生来、非常に迷ふ質なのです。まづ、頭で考へがグルグル回り始める。 「こゝはやはり、責任ある大人としては、すべきではないか。しなければ、周りの評価が下がるのではないか」 といふふうに、思考が社会評価や常識...
どんな人、どんな状況に対しても、 「このまゝでは良くないな」 と思つたとき、私たちはほぼ本能的にその相手を変へようとするものです。 たとへば、ある人に対して、私が 「このまゝでは良くないな」 と思つたとき、その人を変へる私の選択肢はいくつもあるでせうが、取り敢えず、3つほど挙げてみませう。 ① 教育 ② 力づく(強制) ③ 祈り 教育によつて人を変へる。親なら子どもを躾ける。学校なら先生が生徒に知識を授けて...
けれども、我々(意識を外側から抱きかかえておる無意識と呼ばれる我々)は、あなたに無垢なる赤ん坊のような在り方で居てほしいと願っておるのです。 分からない、という言葉も無い、純粋な空白で居ていただきたいのです。 そうすれば、あなたという意識の外壁が崩れ、点線のような、気体のような、スカスカした風通りの良い在り方に変わります。 (ネドじゅんさんの本体さんからのメッセージ) ...
詳しくは書けないが、先日こんなことがあつた。 担当のネット会議に参加した折、これまでの方針の転換が示された。転換期日も示され、かなり重要な点なのに、私はそのポイントを正確に把握できないまゝ、全体にも伝へないでゐた。 期日まであと3日といふとき、同僚の一人がある人と話してゐて、たまたまその方針の話題になり、話してゐるうちに、転換があるといふことが分つた。それでその同僚は慌てて私にその是非を確認しにき...
上の絵は、肉心と生心の場所をシンプルに描いたものです。たとへば、日曜礼拝で説教を聞くにしても、肉心で聞くのと生心で聞くのと、二通りあります。本来は生心で聞くのが良いのですが、私などは気がつくと、専ら肉心で聞いてゐる。それで、説教の内容をあれこれ批評し、評価しながら、説教そのものを聞いてゐないことが多いのです。 大雑把に言つて、肉心は首から上、脳を土台として機能すると言つていゝでせう。一方の生心は、...
「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。そうすることによって、思考を超越することができます。なぜなら、思考は常に結論を出そう、解釈しようとしたがるからです。「知らないこと」を恐れているのです。 (『Stillness Speaks』第2章「思考の夢から覚めるということ」エックハルト・トール) ■ 知つてゐるパリサイ派と知らないイエス様「知らないでゐること」とは、伝統的な仏教の言葉で言へば、 ...
本日の礼拝説教に、アナニアといふイエスの弟子が登場した。 ときはすでに、イエス様が十字架で亡くなつたあとのこと。その弟子たちへの迫害はなほ続いてゐた。その先鋒のひとりがサウロ(のちの使徒パウロ)であつたのです。 ところがそのサウロは弟子たちを捕縛するためダマスコに向かふ途中、突然天からの光がさして、地に倒れ、失明した。お付きの者が手を引いてダマスコまで到着したとき、同地に住むアナニアに主イエスが幻...
■ 私を限定してはいけない 旧約聖書に「モーセの十戒」といふものが出てきます。ユダヤ教とキリスト教、キリスト教の宗派、写本などによつて、微妙なズレはあるものゝ、ほぼ一致してゐると言つていゝでせう。 十戒の中でも、特に最初の三つ、これがとても重要に思へます。「神とは何者か」といふことがかなり哲学的に表現され、画期的と言つてもいゝほどです。 その三つとは、 ① 私の他に何ものをも神としてはならない。 ② ...
「真の自由」が欲しいですか? 「苦しみ」にピリオドを打ちたいですか? それなら、あらゆる瞬間に、自分が感じているもの、あるいは経験しているものすべてを、あたかも事前に選択したかのように生きることです。 (『Stillness Speaks』エックハルト・トール) 自分が今感じてゐる、あるいは経験してゐる何らかの「苦しみ」があるとすれば、それは「すでにさうであるもの」なのです。これを一般的...
■ 人には二種類の生死がある 『原理講論』の「復活論」を読むと、人の生と死には2種類あると言つてゐます。肉体的な生死と霊的な生死です。 肉体的な生死を判別するのは、さほど難しくない。一方、霊的な生死はどうだらう。これは見た目では判別し難いので、別の見方が必要です。 『講論』によれば、聖書が記録する「人間の堕落」とは、霊的に死んだことだと言ふ。そして、神の愛の懐を離れたことが霊的な死だと言ふのです。 ...
■ 当然のこととして甘受する 『原理講論』の「復活論」に出てくる「悪霊人の再臨復活現象」。こゝに「甘受」といふ重要な概念も出てきます。 『講論』の説明は理路整然としてゐて、その意味では説得力もある。その説明は、見える側面と見えない側面の整合性をうまく取つてゐます。 見える側面としては、地上人の生活に理由不明の苦痛がしばしば起こる。本人の思考だけではその理由がよく分からないが、実はその理由は目に見え...
今までは「他為」思想について語りましたが、これからは「他為」ではありません。他我主義(他人と私は一つであると考える主義)思想を語らなければなりません。「他」とは何かといえば、「我」だというのです。相対が「私」だというのです。 一つの体なので、一つにならなければならないのです。「他為」的思想の時代ではなく、「他我」的思想時代です。「私」が相対を創造し、「私」と一体化させ、より大きな「私」にできる道を行...
■ 日航機の奇跡新年が明けるや否や、元旦には能登半島で大地震が起こり、翌二日には羽田空港で飛行機事故が起こつた。こんな大きな天災と大事故が二日続けて起こるかといふ、波乱の幕開けのやうにも思へます。 天災と事故とでは意味合ひが違ふものゝ、この二つの出来事の中に、私は日本人の持つ魂の特別な姿を見るやうな気がして、深く考へさせられる。 大地震のほうは如何ともし難い天災で、被災された方々、亡くなられた方々...
人間の成長といふことを考へると、肉体的には20歳前後をピークとした山なりの線グラフを描くやうなイメージでせう。どう頑張つても、生涯成長し続けることはできない相談です。 一方、心あるいは精神的、霊的な成長はどうでせうか。肉体とは違つて、歳とともに衰えるとは限らない。むしろ、円熟といふやうなかたちでの成長は、いくつになつても期待できさうに思へます。 ところが、私自身の人生を顧みると、内面的な成長は低いと...
ここ数年、久しく触れてこなかつた話題ですが、こゝで書き記しておきたいと思ひます。 昨日の礼拝で流された動画の一部に、私は相当大きな衝撃を受け、そのあと、夜布団の中に入りながらも、づつとそのことを思ひ続けた。 動画とは、韓鶴子(ハン・ハクジャ)総裁の会見動画です。 そのかたは、話しながら涙を抑へられず、何度も言葉に詰まり、ハンカチで目頭を拭かれた。表情は心の中の苦痛を如実に現して、人目を憚らずに歪む...
20世紀の後半ごろから、 「情報化時代」 と言はれるやうになつた。 ラジオ、テレビが普及し、90年代からはインターネットが普及し始めた。携帯電話が生まれ、2000年代に入るとスマホが必需品となつた。 1日24時間、休む間もなく、世界中の厖大な量の情報がそれらのメディアを通じて流れ続ける。個人がアクセスして消化できる情報は、その中の極々一部に過ぎないでせう。 「情報の量は、昔に比べると桁違ひに増えてゐる」 さう...
単純作業に没頭してゐると、ひとつの場面が脳裏に浮かんだ。先日も記事に書いたことのある場面。イエス様がその生涯の最期、十字架にかゝる場面です。 両脇に強盗がひとりづつ、十字架にかけられてゐる。 左の強盗は悪態をついて、 「お前がほんとうに救ひ主なら、自分を救ひ、我々も救つてみよ」 とあざける。 それに対して、右の強盗は彼をたしなめ、 「お前は神を恐れないのか。俺たちの罪は明らかだが、このかたは何一つ罪...
■ 心の中に入れる 我が子や孫があまりにも可愛いことを 「目に入れても痛くない」 と言ひます。 小さな埃が入つただけでも痛いのに、子どもを入れても痛くないとは、ただ事ではない。それくらゐ可愛いと言ひたいわけです。 ところが、小さい頃は可愛かつた子どもたちも、いつまでも可愛いとは限らない。子育てにはさまざまな紆余曲折があります。 憎らしいときもある。腹を立てて大声を上げるときもある。思ひ通りにならなく...
■ 宗教の提示する「救済」 「救ひ」とか「救済」といふ言葉は、主として宗教的な文脈で使はれることが多いと思ひますが、宗教の専売特許といふわけではない。 たとへば、溺れかけた人を、勇気ある人が飛び込んで救ふ。致命的な大怪我をした人を、外科医が神業の手術で救ふ。生活に困窮した人を、国家が給付金で救ふ。 これらはいづれも、好ましくない状態(死ぬかもしれない、安楽な生活ができない)をより望ましい状態(生き...
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「3粒レーズン瞑想法」といふものを紹介します。やり方はとても簡単です。 3粒のレーズン(必ずレーズンである必要はない。3粒のピーナッツでも、3個のキャンディでもよい)を用意します。そしてその1粒1粒をよ~く観察しながら食べる。それだけの瞑想法です。 もう少しだけ詳しく言ふなら、 ① レーズンをつまみ、表面の色や質感などを感じる。 ② 匂ひを嗅ぎ、充分に感じる。 ③ 口に運び、舌の上に乗せる。 ④ ゆつくりと噛...
僕は信ずるということと、知るということについて、諸君に言いたいことがあります。信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは、万人の如く知ることです。(『学生との対話』小林秀雄) 我々人間の意識、特に「私」といふ意識とは一体何者なのか。どこから、どうやつて生まれてくるのか。ノーベル賞学者も量子論を駆使して解明しようとしてゐますが、まだまだ解明には至ってゐない。 意識を追求する科...
最近、知人と話してゐて、介護の話になつた。 私は3年半介護した母を1年前に看取つた。知人は父親が介護施設に入居した。口から食べようとすると、しばしば誤嚥を起こす。危険なので、鼻に管を通して、そこから栄養物を入れる処置をした。 意識が薄れてゐるなら、そんな処置など家族はしたくなかつたが、本人にはまだ生きる意志が見てとれる。意思があるのに栄養を絶つといふのはあまりに忍びないので、管で延命してもらふやう医...
ロボットが普及する次の10年、20年は、ひとびとが哲学者になる時代ではないか。僕はそれに先んじて、すべての人間を哲学者にしたいのだ。 (『アンドロイドは人間になれるか』石黒浩) これが本書の締めくゝりのフレーズです。石黒氏が考へてゐること、本書で読者に伝へたいことは、この一言に尽きると言つていゝと思ふ。 石黒氏は大学の教授ですが、かなり風変はりに見える。表情はつねに不機嫌さう...
こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。(マタイによる福音書5:3) イエス様が語つたと言はれる、有名な「山上の垂訓」の一節ですね。「こころの貧しい人」とは、どのやうな人でせうか。 ネットで調べてみると、 ・ 霊において貧しい人:自分の霊的な無力さを自覚してゐる人 ・ 自分の限界を自覚してゐる人:神の前に謙虚である人 ・ 霊に砕かれた人:神の前に無力...
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。 (ヨハネによる福音書4:23) こゝでいふ「父」とは、神のことですね。その神は、霊とまこととをもつて礼拝する者たちを求めておられるといふのです。 霊を「神霊」、まことを「真理」と言ひ換へてみます。この二つ...
自然の仕組みにとっては、どんな病気との闘いも問題ではない、なぜなら、自然の仕組み自体がその目的で存在しているからだ。(『アナスタシア』ウラジーミル・メグレ) この本については、過去の記事「『アナスタシア』シベリアの森の美女」を参考にしてください。 「自然」とは何でせうか。アナスタシアにとつて「自然」とは、神の手による創造物です。人間が作る「人工物」と対比されます。 「自...
本のタイトルは『アンドロイドは人間になれるか』(石黒浩)なのですが、読んでいくと、問ひかけはむしろ逆転させて、「人間はアンドロイドになれるか(近づけるか)」としたほうが良ささうにも思へてきます。 ロボット工学技術は、どうしたらロボットをより人間に近づけることができるかを、日夜研究してゐる。ところが、開発途上で、まだまだ人間そつくりとは言へないロボットでも、人間のほうがそれに寄りそつて、人間のや...
『アンドロイドは人間になれるか』(石黒浩)の第5章は、 「名人芸を永久保存する --- 米朝アンドロイド」 といふタイトルです。 人間国宝ともなつた落語家桂米朝の名人芸をアンドロイドでどこまで再現できるかといふ話になるかと思ひきや、話題は「ロボットと宗教」に移り、「ロボットが人間の死生観を変える」といふやうなところにまで発展する。石黒氏の頭はかなり哲学的な志向性を有してゐます。 私の好みで言へば、米朝...
誰にでも、分かつてゐることと分かつてゐないことがある。これはもちろん、当然のことです。そして誰でも、新しく分かつたことには驚くが、分かつてゐないことには驚かない。これもまた、ごく自然のことでせう。 たとへば、物理学や天文学が進んで、この広大な宇宙にはブラックホールなるものが存在するらしいことが、新しく分かる。するとそれを聞いて、誰もが驚く。 長い間、人々は昼間には青い空を眺め、夜には星がきらめく黒...
町のスーパーの一つに入ると、入り口にスマホが30個くらゐ並んでゐます。それを一つ取つて、カートの所定のホルダーにセットする。買ひ物を始めると、商品のバーコードをそのスマホで読み取ります。 さうしてほしいものをすべて買ひ物カゴに入れ終へると、セルフレジコーナーに入つてモニターにタッチし、さつと自分のスマホを画面にかざせば、それで支払ひが済む。従来の店員レジも横に並んではゐるのですが、セルフレジなら、買...
3歳くらゐの子どもが別れ際に、こちらをぢつと見つめながら手を振る。 その様子を見ると、 「あゝ、あの子は別れたくないんだな」 とか 「別れるときには手を振るといふ仕草を学んで、真似てゐるんだな」 などと思ふでせうね。 つまり、3歳の子にも一人前の立派な「心」があると感じる。 それなら、見た目はかなり人間に近いロボット(あるいはアンドロイド)が 同じやうに別れ際に手を振る動作をしたらどうでせう。 「なんだ...
あるひとつの家族の姿を通して、家族の意味、家族一人一人の幸せとは何だらうといふことを考へてみようと思ひます。 夫婦に3人の息子がゐます。父は高潔で、責任感のある人でした。カリスマと呼んでもいゝほど統率力もあり、母を初め息子たちも尊敬、信頼しながら従つてきたやうです。 ところがその父も寄る年波、体力も弱り、少しづつ認知も入り始めてきたやうに見える。昔のやうな威厳も薄れ、息子たちにとつては頼りなくもあ...
原題『Seatbelt Psychic』(邦題『占いタクシー』)といふドラマシリーズがAmazonPrimeなどで配信されてゐます。 ドラマと書いたものゝ、作り話ではなささうです。霊媒師トーマスがタクシー運転手に扮してお客を乗せ、出し抜けに「霊を信じますか?」と問ひかける。すると「私、そんなの信じないわ。見たことないし」と懐疑的な人もゐれば、「あなた、見えるの? 私の傍に誰がゐる?」と興味を示す人もゐる。その反応を見ると、...
独り内神(うちつかみ)に儞(かな)いて、外神(かみがみ)に応じる。 (『宗徳経』) この『宗徳経』は先代旧事本紀大成経の第39巻「経教本紀」に収められてゐるものです。 「聖徳太子の著作と生前のふるまひと言葉を記録した巻物を後世に残すべし」 との第33代推古天皇の詔を受けて、秦河勝らが編纂したものと言はれます。 江戸時代以来、偽書説もあるやうですが、私にはもちろん...
真夜中に目が覚めたとき、 「私は死んでゐる」 と思つた。 いや、もう少し正確に言ふと、 「今、私が死んでゐるとしたら、どういふことになるだらう?」 と思つたのです。 もし死んでゐるなら、もうこの世(肉体が生きてゐた世界)にはゐない。夜が明けても、もう仕事に行く必要がない。これはかなり気が楽だ。 といふか、本当に死んでゐるなら、どうして今こんなふうに思考が働いてゐるのだらう? どうやら、死んでも思考は働...
我ながらよく書いてきたなと思ふが、今回の記事で3000個に達した。最初の記事が2009年10月1日だから、14年と10ヶ月続けてきて、1年あたり200個の記事を書いてきたことになります。 最近は体力、視力の衰えもあつて、明らかにペースが落ちてゐる。記事単体はさほど長いものではないが、一つ書くのにたいていは数時間を要する。ときには下書きしたものを一晩、二晩寝かせ、頭の中でアイデアが醸成するのを待つこともしばしばある。 ...
Youtubeで得た逸話で、出典は詳らかにしないが、お釈迦様についてこんなお話があります。 当時、お釈迦様はすでに多くの弟子を持ち、サンガといふ出家僧の組織が作られてゐた。ヴィクラムといふ商人の息子たちもこの組織に入り、お釈迦様の指導を受けて瞑想に没頭してゐた。 ヴィクラムからすれば、息子たちが父親を見習つて商売に専念するなら、いくらでも金儲けができる。仕事もしないで瞑想ばかりして何の役に立つのか。そう...
前回の記事「敵対するものがつねに身近に存在する」は結論がないまゝ、尻切れトンボに終はつてしまつた感があります。書きにくゝて書き切れなかつたことを、比喩的に書いてみます。そのつもりでお読みください。 人のタイプを「兵士」と「非兵士」の2つに分けます。 「兵士」は言ふまでもなく、戦ふ人です。頭の中に「正義」があり、「善と悪」があります。特に、悪を前提として善を考へます。 それでたとへば、自分の期待に反...
米国共和党の次期大統領候補と目されてゐたトランプ氏の暗殺未遂事件が起こつた直後、共和党の党大会で候補者として正式に指名された。そして彼が副大統領候補として指名したのが、J.D.バンス上院議員(39歳)といふ非常に若い政治家だつた。 彼は元々『ヒルビリー・エレジー』といふ自伝的小説がベストセラーになつた作家であり、その後、オハイオ州から立つて上院議員となつた。私は彼の小説を読んだことはないが、その解説など...
DISTANCE.mediaの関連で、もうひとつ。〈わかりあえなさ〉について取り上げてみます。 DISTANCE.mediaが開いたセミナーの中でプレゼンターとして壇上に立つたスタッフのひとり(女性)が、かういふ自分の体験を告白してゐます。 結婚して2,3年目のころ、ある議論サークルで、 「夫と話せば分かると思つてゐたのに、分かり合へないんです」 と発言したら、他の参加者から、 「あなた、新婚ですね」 と言はれた。 結婚生活10年以...
DISTANCE.mediaといふところが 「Rapoptosis」 といふ独自の概念を提唱して、「人」と「もの」と「テクノロジー」の関係を見直してみようといふ試みをしてゐます。 DISTANCEといふ名前のとおり、「人」をふくめたさまざまなものとの「距離感」に注目してゐるやうです。 「Rapoptosis」といふのは「apoptosis」を基にした造語です。 多細胞生物には、個体全体の健康を維持するため積極的に細胞が自死する、アポトーシス(apoptos...
先月の22日に母を看取つてから3週間。体調が崩れたまゝ、いまだ旧に復さず、気も抜けたまゝで、ぼんやりとした日を送つてゐます。 私は今生で二人の女性を自宅で看取つた。22年前に妻を、そしてこの度は母を。これが私の今生での務めなのかなとも思つたりします。 そんなときに、ネットでたまたま 『どうせ死ぬんだから』 といふタイトルの本が目についた。 そして本の帯には、「後悔せずに逝くための5つの新提言」とあつて、そ...
我々が堕落性を脱いで創造本性で生きるには、肉心主導から生心主導に生き方を転換する必要がある。しかしそれは、肉心を押さへつけたり軽視すべきだといふことではない。むしろ、生心の管理下において、肉心の機能をフル稼働させるのがよい。 さういふ趣旨で考へてみます。 我々には、肉身と霊人体の2つの体があつて、それぞれを管理する心(肉心と生心)がある。しかし人によつては、肉身の生活は不便で鬱陶しいと考へる場合も...
前回の記事「『アニコミ』と『アノコミ』」で、 「どちらのコミも私にはできない」 とか 「ぽかんと心を空けることができない」 とか書いたのは、いかにも「概念の人」である私らしいことに、あとになつて気がつきました。 気づかせてくれたのは、アニコミの初心者指導動画です。 習ひ始めの生徒さんが、 「どうしても相手から思ひが伝はつてくるといふ感じがしないんです」 と言ふ。 するとプロの先生が、 「伝はつてくるのを...
聖和家庭会が季節ごとに発行する『聖和』の10号に載つてゐた体験談「夫からの意外な言葉」。 このご主人は30年近くも前に亡くなつてゐます。残された奥様がそのご主人との交流ノートをつけ始めて、約3年。こちら側からご主人に問ひかけるノートを書くと、ご主人から返事が返つてくる。その内容は意外なことが多いといふのです。 この体験談を読みながら、私はこのコミュニケーションを 「アノコミ」 と名づけてみました。 アニ...
「概念は肉体に宿り、感覚は霊人体に属する」 ふつうの考へとは逆のやうでもあるが、案外こちらが正解ではないかといふ気がしてゐるのです。それについて、少し説明してみませう。 肉体も霊人体も、それぞれ「心」を持つてゐると考へられます。肉体の心を「肉心」と呼び、霊人体の心を「生心」と呼びます。 「肉心」は動物における本能性に当たるとも説明されるので、あまり高等な心ではないと勘違ひすることがある。しかし実際...
夜中にてつこさんが息を引き取つていく様子については、前回の記事「風の如く、てつこさん逝く」をご覧ください。今回はその続きです。葬儀が終はつた直後の事件についても書いてみます。 てつこさんが実際に息を引き取つたのは、多分、21日の深夜前後。しかしそれからしばらく2人だけの時間を過ごし、かかりつけのお医者さんに来てもらつたのは、22日の朝6時前です。 お医者さんは、瞳孔を確認し、脈を診、胸に聴診器を当てゝ、...
8月の中旬以降、記事の更新頻度がガタ落ちですが、特に20日以降の音無しにはかなり大きな理由がある。22日の未明に、母(てつこさん)が思ひもかけない速さで他界したのです。 この記事では、そのご報告と、葬儀を経て今に至るまでの私の心境を少し書いてみようと思ひます。 いつか遠からず来るものとは、だいぶ前から思つてゐたものゝ、その日はあまりにも急に来ました。 子どもたちには数日前から 「呼んだらいつでもすぐに帰...
前々回の記事「詩人金子みすゞと彼女の時代」から随分日があいてしまひましたが、みすゞ記念館を訪ねた翌日の体験についても書いてみようと思ふ。 記念館を訪ねたあと、そのまゝ足を延ばして下関まで行き、駅近くのホテルに一泊した。翌朝、近くの水族館「海響館」に行つてみようといふ計画だつたのです。 私は釣りの趣味などはまつたくないが、水の生き物を見るのが好きです。自宅でも水槽に熱帯魚を飼つて、毎日眺めてゐる。県...
「現実の自分」とは、今現在、ありのまゝの自分。それに対して「本来の自分」といふのがあるのでせうか。 「現実の自分」はありのまゝですから、今よく知つてゐる。さう思つてゐるが、意外と知らない。そして「本来の自分」といふものはあるが、それは創り上げていくものといふより、「出会ふ」ものではないか。 そんな気がするので、この二つの「自分」について考へてみます。 「現実の自分」を意外と知らないかもしれ...
金子みすゞといふ詩人。明治の終はりから昭和の初めにかけて、わづか26年の短い人生を生きた女性です。二十歳頃からの数年間に500編あまりの詩を残してゐます。 大好きと言ふほどでもないが、幾つかの詩のフレーズが耳に残つて心地良い。みすゞは、私にとつて、さういふ距離感の詩人でした。 その生家は、私が住んでゐるところから、意外に近い。そこで先日、てつこさん(我が老母)のショートステイ期間に、記念館を訪ねてみま...
「マインドコントロール」といふ言葉は、今の日本では甚だイメージが悪い。この場合は、「マインド『を』(他者に)コントロールされてゐる」といふ理解でせう。さう考へれば、確かにほめられたことではない。 しかし私はこゝで、この言葉を通常とは違ふ角度で考へてみます。つまり、「マインド『に』コントロールされてゐる」といふ理解で話を続けます。 「マインド」とは「思考」のことです。それゆゑ、タイトルの意味は、「思...
聖書のマタイ福音書25章に「十人のおとめ」の例へ話があります。 彼女たちは灯火を手に、花婿の到着を待つてゐた。ところが、その内の思慮深い五人は油を準備し、残りの思慮の浅い五人は油を準備してゐなかつた。花婿の到着が遅れたために、十人はみな居眠りをした。 夜が更けて急に「さあ、花婿だ。迎えに出なさい」といふ声が聞こえたが、気がつくと、そのときすでに灯火の油は残り少なくなつてゐた...
「スピリチュアルな人」 と言へば、あまり良いイメージはないかもしれない。 目に見えないものばかり追ひかけて、現実に疎い人。 水晶やら何やらを勧めて金儲けをする界隈の人。 悪いことがあるとすぐ、霊の働きや先祖の因縁に結びつける人。 どことなく怪しげで、いかゞわしい。あるいは、悪人とは言へないまでも、敬して遠ざけたい。そんな感じがあります。 しかし考へてみると、人間が肉身と霊人体の...
前回の記事「神を見つける」で、 「海が語りかける」 とか 「風の音が神秘的な音楽に聞こえる」 などといふ表現が出てきました。 これは本当だらうか? 「本当に、海は語りかけてくるの?」 「風は本当に音楽を奏でるの?」 さういふ疑問もありますね。 ふつうに考へると、海や風みたいな無生物にそんな高度なことができるとは思へない。それなら、私の側の勝手な思ひ込みでせうか。 さらに考へると、海や風では無理でも、...
一つのものに全神経を集中させれば、自然が、海が語りかけていることを知るでしょう。肉身が心と戦っているとき、もっと心のほうに、あなたが耳を傾ければ、良心の声がどちらから聞こえてくるでしょうか。そのように、神をみつけるのです。 そのようなことに集中して、黙想するとき、風が吹けば、神秘的な音楽を聞き、太陽がのぼり、小鳥がさえずるとき、何かすばらしいことがありそうな気がします。それが、神の創造の心情でした...
前回の記事「四次元はこの世か、あの世か」の続きで、徒然考へてみます。 アインシュタインが発表した超ド級の四次元理論(相対性理論)。それは「三次元空間」+「時間」といふものでした。 この理論は我々の宇宙観に絶大な転換をもたらした反面、「第四次元空間=三次元世界+霊的世界」といふ従来の視点を閉ざしてしまつた。我々の関心を「四次元時空=三次元世界+時間」に閉じ込めてしまふといふ唯物論回帰を促す結果になつた...
「四次元」といふ概念に、私自身ちよつと混乱があつたのが、この動画を観て整理され、混乱が氷解した。 動画のタイトルに 「アインシュタインを乗り越えることは可能か?」 とある通り、四次元問題には、かの20世紀物理学のトップヒーロー、アインシュタインが大きく関はつてゐるやうです。 どんなふうに氷解したのか、簡単にまとめてみます。 「四次元」といふ概念が初めて登場したのが、今から400年近く前。発起人は英国の神...
私案の段階ですが、かう考へてみます。 「思考」は肉心の働きであり、「直観」は生心から来る。肉心は「思考」自体を意識できない。「思考」を意識できるのは生心である。 肉心は肉体の生理機能を維持できるやうに司る作用であり、動物の本能に当たる。一方、生心は神が臨在する霊人体の中心部分であり、人生における真善美の価値を追求する。 私自身、長い間そんなふうに考へてきま...