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3/10 川崎市溝の口に出かけた際に川崎市大山街道ふるさと館に寄ってきました。 大山街道は江戸の赤坂御門から大山阿夫利神社のある大山までの道です。江戸時代中期に庶民のブームとなった大山詣りの道として利用されるようになって大山街道として知られるようになりました。 この溝の口の地区は江戸時代に大山街道の宿場町(二子宿・溝口宿)として栄えた歴史があります。 今の溝口地区の大山街道は車の交通量か多く道も狭いの…
大悲山 光明寺(→神奈川県川崎市高津区二子1丁目)は、戦国時代の1571(元亀2)年に僧の専造坊が二子塚に創建した天台宗寺院を前身とする浄土真宗大谷派寺院です。『川崎市史』の光明寺縁起によると、甲斐武田氏の有力国衆で、武田氏滅亡ののち織田信忠(→織田信長の嫡男)によって滅ぼされた郡内小山田氏の一族小山田宗光(おやまだむねみつ)が専浄と称し庵を結んだと記されます。武田氏や小山田氏の一族・遺臣がこの辺りに移住するのは1...
二子神社(ふたこじんじゃ→神奈川県川崎市高津区二子1丁目)は、江戸時代前期の1641(寛永18)年に、甲斐武田氏(→1582年3月11日滅亡)の有力国衆であった郡内小山田氏(→1582年3月24日滅亡)の一族で、この地で帰農した小山田兵部(おやまだひょうぶ→名前は不明)が創建したと伝わる神社です。1590(天正18)年7月に小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東入封を果たすと甲斐武田氏の一族や旧臣は徳川氏に取りたてられたり、あるいは帰農して名...