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最終回を迎えた大河ドラマ「どうする家康」。感想の第二弾だな最終回は徳川家康の最後……より、大阪城炎上の方が印象に残りました。千姫は秀頼と茶々の助命を家康に嘆願…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 109.徳川家康・九十七
木下藤吉郎として、織田信長に仕え、羽柴秀吉として、大名になり、豊臣秀吉として、天下統一を果たした、豊臣家は、秀吉の死の十七年後に、遂に滅亡したのである。 既…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜大砲撃ち込まれてボコボコの大阪城、さてどうなったか?ってことで第47話の感想ぉ〜!大筒の砲撃で和議に持ち込…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 108.徳川家康・九十六
天王寺・岡山の戦いにおいて、徳川軍が、苦戦したのは、勝敗の帰趨を制する、所謂、先鋒戦で、徳川軍が、毛利勝永に敗戦したためである。 先鋒部隊の敗戦は、徳川方軍…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 107.徳川家康・九十五
真田幸村の攻勢によって、徳川家康の本陣は、大混乱状態に陥った。 徳川家康の旗本は、三里逃げた者がいたと言われる。 その混乱の中で、武田信玄との三方ヶ原の戦い…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 106.徳川家康・九十四
一方、徳川軍は、茶臼山に、前日の道明寺・誉田合戦にて、損害を負った、大和路勢の35,000及び、浅野長晟勢5,000を配したが、松平忠直勢の15,000が抜…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 105.徳川家康・九十参
午前5時頃、木村重成の部隊は、若江に着陣し、先鋒を3手に分けると、敵に備えた。 その右手に藤堂勢の右先鋒、藤堂良勝、藤堂良重が、攻撃を行い、開戦したが、藤堂…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 104.徳川家康・九十弐
一方、5月2日、豊臣軍は、河内口から迫る、徳川軍に対して、大坂城の東方、大部隊の機動には、適さない、低湿地帯で、迎撃することにし、木村重成の兵6,000が、…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜感想が1週遅れちゃったなってことで第46話の感想ぉ!ついに豊臣との戦を決意した家康。豊臣の名を残すことを考…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 103.徳川家康・九十壱
5月6日午前0時、後藤又兵衛の指揮する、2,800の兵は、平野を出発し、藤井寺を経て、夜明け前に道明寺に到着した。 しかし、他には、後隊は、無論、前隊さえ到…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 102.徳川家康・九十
4月27日未明、豊臣軍は、九条口と奈良口の二隊に分け、郡山城への攻撃を開始した。 郡山城には、わずかな兵が、残っており、30人が討ち取られ、城下町の各方面に…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 101.徳川家康・八十九
12月10日、徳川家康は、名古屋城に入り、同日、徳川秀忠は、江戸を出発している。 12月12日、名古屋城において、徳川義直の婚儀が行われると、徳川家康は、1…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 100.徳川家康・八十八
12月19日、徳川方と豊臣方の使者は、講和条件に合意する。 20日に誓書を交換して、和平を成立させた。 同日、徳川家康・秀忠は、諸将の大阪城への砲撃を停止さ…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 99.徳川家康・八十七
中村重勝の兵士達は、眠っており、不寝番の兵達は、皆揃って、餅などを食べながら、雑談し合っていた。 守将の中村重勝は、普段は、常に具足を脱がない、勇士としての…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 98.徳川家康・八十六
徳川家康は、真田丸を指揮する、真田幸村を調略しようとした。 本多正純は、実弟で、前田家の家老である、本多政重に真田信尹と協力し、真田幸村を徳川軍に寝返らせる…
アヴァン,崇伝と羅山の掛け合い,笑える〜。前回,呼び出されただけで横から鐘銘にオチが付けられてたんで,セリフなしかと心配してますたw 且元サン,例によって胃が痛い演出であります。「豊臣秀頼」を生きる秀頼クンのビミョーな表情が,悪くない。 総大将を勧める江サンの表情,娘を案じる故とは言え,血は争えませんな(苦笑) ところで,バックで遊んでるお子たちを見守ってるボヤけた姿は,もしかしてあのお方ですか? 織田...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 97.徳川家康・八十五
12月3日、大坂城内において、南条元忠が、徳川軍に、内通していることが発覚した。 南条元忠は、城内で切腹させられたが、豊臣軍は、南条が引き続き、内応している…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜徳川幕府の成り立ちとかはバッサリ端折ってるよねってことで第45話の感想ぉ〜!今回、豊臣秀頼をめちゃ持ち上げ…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 96.徳川家康・八十四
豊臣軍は、木津川口砦と共に木津川沿岸の守備のため、博労淵に砦を築き、薄田兼相が、守将として700の兵で、守備していたが、木津川口砦の陥落後に、そのままになっ…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 95.徳川家康・八十参
徳川家康は、その生涯において、数えきれない程の戦闘を指揮したが、常に、家康側は、少数の兵力で、大軍の敵に立ち向かったと言える。 今川氏真との戦い、武田信玄・…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 93.徳川家康・八十壱
毛利勝永は、羽柴秀吉の家臣、森吉成の息子である。 1587年(天正十五年)、豊臣秀吉は、九州平定を終えると、森吉成に、豊前国規矩郡、高羽郡の二軍郡六万石を与…
今回は『猛将親父』のこぼれ話です。その①『猛将親父』の目次はこちら⬇️目次関ヶ原の戦い後、吉川広家(きっかわひろいえ)の尽力で家名を保つことができた毛利輝元(…