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先日の菩提寺で取り行われた彼岸会の法要に妻と一緒に参詣してきました。一昨年の11月に御授戒を受けた妻ですが今回が昨年亡くなった私の母の法要を除けば初めての寺院参詣でした。昨年は私の母だけなく妻の父も亡くなり今回の彼岸では妻が自分で父親の塔婆供養をしました。そして「せっかく塔婆を立てたのだからお寺の法要に一緒に行く?」と誘ったところ「たまには行ってみる」と一緒に参詣することになりました。これまで御登山や寺院に誘っても断られていたので正直彼岸会に一緒に行くとは思ってなくていい意味で予想を裏切られました。勤行はできないし(経本を黙読するだけ)唱題も恥ずかしいのか少ししかしませんでしたが、それでも自分…
昨日は 一日スケジュールいっぱいで朝から 骨粗鬆症のお薬をもらいに 帰って ぼたもち作って お墓参りその後 地区の健康体操 で 一日 おしまい3月20日 彼岸の中日 ・ 春分の日春分の日は昼と夜の長さが同じになる日太陽が真東から出て真西に沈みますこの日に沈む太陽を拝むことは西にある極楽浄土に向かって拝むことになるのだと言われています此岸と彼岸が最も通じやすい日ご先祖様を供養する日でもあるのです...
理綱院慧琳『三余随筆』「二季彼岸」項について(令和6年春彼岸会1)
『三余随筆』とは、理綱院慧琳(1715~1789)という僧侶によって書かれた随筆である。この慧琳とは、近世真宗大谷派の講師で、現在の三重県松阪市内の西弘寺で住持を務めたという。多くの著作が残されているが、『三余随筆』は中でも非常に興味深い。拙僧のような者でも、学びになる著作である。そこで、同書の巻上に彼岸会のことが書かれているので、今日は春彼岸の初日ということで、学んでみたい。第五十三章二季彼岸春秋二季彼岸会のことは、彼岸弁疑の説を是とすべし、その疑濫をえらび正説を彰はす、彼岸といふ名、源氏行幸の巻にもひがんのはじめにて、いとよき日なりけりといひ、乙女巻にもひがんのころほひわたりたまふ、一たびにと定めさせたまひしやと、さはがしきやうなりとて、中宮はすこしのべさせたまふといへり、源氏物語は古き書なり、いま紫...理綱院慧琳『三余随筆』「二季彼岸」項について(令和6年春彼岸会1)
ところで、曹洞宗の彼岸会について調べてみると、意外と資料的には少ない。明治時代に入ってからは、以下の文脈などから知られる。彼岸会の事は諸清規に見る処なし。故に本規も亦之を掲載せず。然れども朝廷已に春分秋分を以て皇霊祭を修し玉ふことなれば、僧侶は無論、旧慣に拠て二期の彼岸に臨時の法会を営み、開山世代及び檀越の亡霊を普同供養し、且つ毎日説教を修して可なり。「春秋二季彼岸会」、『洞上行持軌範』「年分行持」項ただし、冒頭であるように、「諸清規」に見るところはないわけである。明治時代に入り、国が「皇霊祭」を行うようになってから、この時期に儀礼を行うことに対し、積極的になったと思われるわけである。そんな中、以前【『彼岸之弁』参究】で採り上げた『彼岸之弁』については、江戸時代に曹洞宗関係者によって学ばれた彼岸会に関する...彼岸会の話(令和5年度・秋の彼岸会)
『彼岸之弁』の連載が終わったので、残り2日は、関連する事柄を学んでみたい。よって、かつての彼岸会の様子を探るために、『江戸年中行事』(三田村鳶魚編・朝倉治彦校訂、中公文庫・昭和56年)に基づいて、記事を書いておきたい。本書には全部で15編の江戸における年中行事に関する文献が収録されている。それを見ていると、「彼岸会(ひがん)」に関する記述があることが分かったので、関連する文脈のみを抜き出し、備忘としておきたい。なお、この15編の文献だが、元禄3年(1690)から、安永6年(1859)までに開版(刊行)されたものであり、江戸時代のごく初期はやや不明瞭ながら(とはいえ、都市としての江戸を造営中であり、記録されるまでも無かろう)、江戸時代中期から末期にかけてよく知られるものといえる。それから、確認しておくが、今...江戸時代の彼岸会の様子(令和5年度・秋の彼岸会)
今日は秋の彼岸会5日目である。そこで、早速ではあるが、彼岸会について検討したいと思っている。ところで、今回紹介している『彼岸之弁』という文章なのだが、いよいよ彼岸期間中に天上界で何が行われているか、理解が進んできた。今日も読み進め、中世から近世にかけての彼岸に因む世界観を学んでみたい。彼の天の須臾の間は下界の七日にあたる。故にせめて其の魔王が、状を納めらるヽ間でも、善を作す心を七日と定め、たのもしや。又、人間五十年を以て下天の昼夜に当るとあれば、上天の夜魔王都卒天は人間の四百年を以て一日一夜とあれば、彼の諸天善神の一須臾の間、寄集りて衆生の善悪に業を三復八校し玉ふ為なりとも、悪を断じ善を修せよと定め勧善懲悪の道を教示せられしは、仏世尊を始、龍樹菩薩及び善導大師并和朝聖徳太子の貴訓あれば、如是に島々遠国のは...『彼岸之弁』参究5(令和5年度・秋の彼岸会)
今日は秋の彼岸会4日目である。いわゆるお中日である。そこで、早速ではあるが、彼岸会について検討したいと思っている。ところで、今回紹介している『彼岸之弁』という文章なのだが、いよいよ彼岸期間中に天上界で何が行われているか、理解が進んできた。今日も読み進め、中世から近世にかけての彼岸に因む世界観を学んでみたい。然るに炎王に二人の冥官あり。一人を龍行人と云へり。一人を夜叉神と名く。刹那の間に世界を廻り、其の所々の善悪を造る者を、一々告げしらすとあり。此の二人も十王十体も心の外になし。善性・悪性の二人より、十悪十人の目付出る也。是れを三鬼七鬼と云ふ。合して十体なり。扨、又、司名司録神と云有て、筆を染て善人をば金札に付け、悪人をば鉄札に付、無記性のものを非宝非博印とて、金鉄和合の帳札に付、其れを三復八校と云ふて、三...『彼岸之弁』参究4(令和5年度・秋の彼岸会)
今日は秋の彼岸会3日目である。そこで、早速ではあるが、彼岸会について検討したいと思っている。ところで、今回紹介している『彼岸之弁』という文章なのだが、いよいよ彼岸期間中に天上界で何が行われているか、理解が進んできた。今日も読み進め、中世から近世にかけての彼岸に因む世界観を学んでみたい。亦、有る経に曰、「浄土を欲すれば先ず須く其の心を清むべし。其の心浄なれば浄土なり」とあれば、是れにてもすべて、仏説は因縁咄しの内に眼を高く著けて看よ。咸く文字の外に仏智見の道理あり。又、仏の密意、開示悟入の近道有ることを知るべし。惣て人間の生るヽより死する迄、両の肩に倶生神と云ふて、二人の冥官あり。一人を日生界と名けて左の肩にあり。一人を日名男と名けて右の肩にあり。二人共に其の人の生の善悪を記すとあり。然るに日生界は悪を(※...『彼岸之弁』参究3(令和5年度・秋の彼岸会)
今日は秋の彼岸会2日目である。早速ではあるが、彼岸会について検討したいと思っている。ところで、昨日から紹介している『志妄想分別集』という写本なのだが、一文字目について「想」ではないか?とのご指摘をいただいた。確かに、単独で見れば「志」よりも「想」に近い気もするが、3文字目の「想」とは明らかに形が違う。とっても悩ましい・・・もし、『想妄想分別集』であれば、「妄想分別を想う」と訓ずることが出来ると思う。そこで、全5回の内、2回目として『彼岸之弁』を検討していきたい。両経中には彼岸と云事を天正とも説てあり。如何となれば、天正樹と云木によりて人の善悪を知る故ひなり。又た、時正とも説てあり、其の訳如何となれば、時正文字はときただしし書なり。此の意にて春秋彼岸のころは、昼と夜とちゃうと等分にして、時の長短なく、又、寒...『彼岸之弁』参究2(令和5年度・秋の彼岸会)
今日から秋の彼岸会である。早速ではあるが、彼岸会について検討したいと思っている。ひょんな事から、拙僧は『志妄想分別集』という写本を入手した。紙質・筆致などから、江戸時代後期のものと思われ、収録される文章の数々から、曹洞宗系の人の筆者であると思われる。題名について、本来宗門は「第一義」を志す宗派のはずだが、敢えて、それ以外の供養や軌範などをまとめたものという意味で、「妄想分別を志(こころざし、ではなくて、書き記すの意)して集める」という題名になっていると思われる。草書体で書かれる一字目について、拙僧も何度か「莫」ではないか?と思ったが、どうやってもそちらでは読めないので、諦めて先に挙げたような解釈を施したわけである。さて、本写本の冒頭に『彼岸之弁』という一章が見られる。おそらくは、誰かの法語などを写したもの...『彼岸之弁』参究1(令和5年度・秋の彼岸会)
ということで、拙ブログでは「けふ彼岸菩提の種も蒔日かな」という俳句について、江戸時代中期頃の馬場存義の作として強調している。一方で、ほぼ同じ内容の俳句を松尾芭蕉作だとすることは批判していた。それは、昨日までの記事をご覧いただければ良いと思う。ところで、ここで1つ気になった。そういえば、とても似たような彼岸の俳句があるのである。それを見つつ、作者などを考えてみたい。一切の理屈をぬきにして、せつせと働く人々の上に、大いなるみ親の慈光はかゞやいて居る。「まけよまけ、菩提の種も彼岸から」と言はれて居るが、仏道精進の勇気を覚え、仏作仏行に無上の法悦を感じつゝ、万象を生かし育て給ふ大いなるお力を拝む時、浄穢も苦楽も摂取の願力の陰には、迷へる小さな私の断見となつて、淡雪の陽光に消える如く影を没してゆく。真野孝信「おひが...彼岸会の俳句の話其三(令和5年度春彼岸7)
昨日の記事によって、「けふ彼岸菩提の種を蒔日かな」という彼岸会の俳句について、大正時代に松尾芭蕉作がかなり疑われていた様子を確認した。だが、それよりも前だと、中々不思議なことも起こる。・星野麦人編『類題百家俳句全集春の部』博文館・明43~44年以上の文献では、とても不思議なことが起きていて、「彼岸」という項目を見ていくと、以下のようになっている。けふひがん菩提のたねを蒔日かな芭蕉〈中略〉けふ彼岸菩提の種も蒔日かな存義・・・いや、だから、これ並べてしまってるけど、多少は疑ったら?!とは思う。この2句はほぼ同じ、一字違いくらいなわけで、そうなると、いや、馬場存義がマネしたんだろ、とかいう話だけでは済まないくらい同じ。とはいえ、おそらくは芭蕉と存義の知名度の違いから(ただし、存義在世時は、江戸俳匠の第一人者とし...彼岸会の俳句の話其二(令和5年度春彼岸6)
以前、【「今日彼岸菩提の種をまく日かな」の作者確定(再掲載)】という記事を書いた。良く、各地の御寺院さまなどで、彼岸会の功徳を示す俳句として使われていた、「今日彼岸菩提の種をまく日かな」の作者について、松尾芭蕉説が強かったものの、当方の調査の結果、芭蕉よりは後の時代の、馬場存義の作だと示したのであった。ところで、この俳句は江戸時代の段階で、既に芭蕉作だとされていたが、明治時代以降、その傾向が強まったことが分かったので、その辺を記事にしたい。まずは、明治時代に刊行された芭蕉の全句集的文献で、先の句は掲載され続けた。だが、その方法には、幾つかの違いがあった。・大塚甲山編『芭蕉俳句全集』内外出版協会・明治36年以上の文献では、とにかく「彼岸」という項目で出ている。なお、本書は、更なる典拠を挙げないので、問題は無...彼岸会の俳句の話其一(令和5年度春彼岸5)
例年、春秋一週間ずつの法会となる「彼岸会」については、強い興味もあるのだが、とはいえ、なかなか伝統的な記述は見出だせないのが実態である。それで、【昨日の記事】の続きとして、朝川善庵の所説について、更に検討していきたい。この彼岸会を暦に載する故に、昔時談義説法は、比叡山の坂本に限り、廿一箇所談議所ありて、能弁の僧出席して、説法することにて、他の寺院などには、絶えてなかりし。故に都鄙善信の男女坂本に群集して、聴聞するもの、彼岸の時節を弁知せずして、毎度迷惑せしゆえ、坂本より暦家を請ひて、暦本に書き載せもらひしより、いつとなく時候の様になりたり。『善庵随筆』この件について、色々と調べたけれども、この比叡山の談義説法が、余りに人気になり人が集まったが、彼岸の時節を理解できずに、なかなか迷惑するから、暦に載せたとい...彼岸会のお話し其三(令和5年度春彼岸3)
例年、春秋一週間ずつの法会となる「彼岸会」については、強い興味もあるのだが、とはいえ、なかなか伝統的な記述は見出だせないのが実態である。それで、【昨日の記事】の続きとして、問題意識である西方浄土を、「彼岸」と呼べるかどうかを検討したい。まず、色々と見ていて気になったのは、以下の一節である。その大悲は深遠微妙にして覆載せずといふことなし。一乗を究竟して彼岸に至らしむ。『無量寿経』以上だが、こちらは阿弥陀仏によって西方浄土に往生した「かの仏国に生るるもろもろの菩薩等」についての話である。ここを素直に受け取ると、浄土と彼岸について重ねられていない。浄土真宗の本願寺を実質的に創建した覚如上人には、以下の指摘もある。「信心歓喜乃至一念」(大経・下)をもつて他力の安心とおぼしめさるるゆゑなり。この一念を他力より発得し...彼岸会のお話し其二(令和5年度春彼岸2)
例年、春秋一週間ずつの法会となる「彼岸会」については、強い興味もあるのだが、とはいえ、なかなか伝統的な記述は見出だせないのが実態である。もちろん、以下のような評価があることは承知した上で、このように述べている。古来彼岸と盂蘭盆は我が国に行はる年中仏事の二大行事にして、同時に民間の二大信仰となれるものである。村上正栄『彼岸の信仰』「はしがき」三密堂書店・大正14年明治時代に入ると、江戸時代までは基本、「宗派仏教」だったのが、民間にも開放されて、いわゆる民衆仏教・在家仏教というべき事象が見られるようになるが、その頃からは、宗派内部の言説のみならず、いわゆる「通仏教(或いは通俗仏教)」というべき状況が確認される。その上で、上記のように、彼岸会と盂蘭盆会を、日本仏教の年中行事の二大行事として良いのかどうか、疑問無...彼岸会のお話し其一(令和5年度春彼岸1)
今日から、令和4年度秋の彼岸会である。9月23日の秋分の日が「お中日」ではあるが、同日を含めた前後7日間について、関連する記事を書いておきたいと思う。とりあえず、今回の記事では、かつて【葬儀時に棺へ「血脈」を入れるべきか否か?】という記事でも採り上げた子登『真俗仏事編』巻5に収録されている「春秋彼岸仏事」という文章を見ておきたいと思う。春秋彼岸仏事問ふ、春秋の中の時節を彼岸と名づけ仏事を修し善根を作す時とす。其の故、如何。答て曰く、此に三説あり、下より列して示さむ。『真俗仏事編』巻5「雑記部」冒頭の文章は以上である。なお、当方、本書の享保13年版も持っているが、明治19年の縮刷版も持っている。今回は、縮刷版を見ながら記事を書いているが、若干の視力減退が確認される昨今、縮刷版の字の小ささに辟易している・・・...秋の彼岸会其一(令和4年度版)