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拙僧の手元には、特に題が付いているわけでは無いが、慈雲尊者飲光(1718~1805)の提唱録の写本(当記事では仮に『慈雲尊者御垂示』とする)がある。一部は、『慈雲尊者全集』に収録されていることを確認したので、おそらくは内容は既に知られた文章だと思うのだが、拙僧自身は今回、写本を読んで初めて知った内容が多いので、それを3回程度に分けて学んでみたい。なお、今回から学ぶのは、「当日受戒会」というタイトルの御垂示である。当日受戒会師、垂示云、一切諸法をおつ束て一大縁起じや、此縁起の法には必ず染浄の二法が分れ子ばならぬ、染汚縁起相続究竟すれば、必ず三悪趣に出現したものじや、三悪趣と云て、別に此縁起の外に定た所が有ではない、其染汚縁起の中にも厚薄あるゆへに、三悪趣の中にも苦報の軽重がある、清浄縁起相続究竟すれば、必ず...慈雲尊者の「当日受戒会」垂示参究(1)
慈雲尊者が、こんな話をしていた。若末世にても、如来の正法正義によりて、二百五十戒を守り、四縁・十縁具足して、如法に法義を勤めますれば、此人が末世の大福田・大導師じや。此を僧宝と云じや。何様な学者でも、智者でも、手跡が見事でも、持戒清浄で無ければ、実の僧宝では無い。結縁の分斉じや。慈雲尊者『三帰法語』11丁表さて、今回見ていきたいのは、持戒清浄かどうかで判断される、僧宝と結縁の問題である。ただ、当方の調べ方が悪いと思うのだが、慈雲尊者がどの辺を典拠にしてこれを仰っているのかが分からなかった。ただ仰っていること自体は理解しておきたいと思う。まず、慈雲尊者は「末世(末法)」であることを前提に話をしておられる。末法の世とは、教行証の教のみが残る時代ともされており、行証が無いという。しかし、ここでは如来の正法と正義...僧宝ではなく結縁という話
慈雲尊者飲光に、「宝暦十二年四月十三日大坂某信女乞求三帰受前開示云」という法語が遺されている。文字通り、女性の在家信者に対して、三帰の基本を示されたものである。今日は、その一説を学んでおきたい。又、仏世尊は此身はどうした物じや、心はどうした物じやと云ふことを、明かに思惟なされて、菩提樹下にて廓然大悟なされたが、今日の仏世尊釈迦如来じや、此仏世尊に帰依し奉るを帰依仏と云ふ、又、仏も法を以て師とすとあつて、法に依て修行されたが、今日の者も法に依て出離生死の道を修行するに依て、次に法に帰依し奉る是を帰依法と云ふ、何を法と云ふならば、仏の世に出現なされたは、一切衆生に真実の道を御示しなさる事より外は、仏の御用はないが、其御示しなされたが今日の御経じや、まあ是が法で世間の十念を授くるも、一分の帰依法じや、法華の題目...慈雲尊者が説く三帰の教え
以前にアップした【「十善戒」の内容の「戒と守護」について】の記事で、「十善戒」の「意業」3条については、「貪瞋痴の三毒」に対応していることを確認したが、この件について、以下の説示も見ておきたい。経中に貪瞋痴を三根と名づけ、又三毒と名づく。又貪瞋邪見の三道と名づく。十善戒の中、後三戒、此によりて制するじや。慈雲尊者飲光『十善法語』第八「不貪欲戒」以上の通り、慈雲尊者はしっかりと、「十善戒」の「後三戒」について、貪瞋痴の三根、或いは三毒、或いは三道だとしている。よって、先の記事の通り理解して良いと言える。ところで、この「三根」であるが、以下のような説示が見られる。三根と言うは、謂わく貪瞋痴なり。染境を貪と名づけ、忿怒を瞋と曰い、闇惑を痴と名づく。『大乗義章』巻5「三根三道三毒煩悩義四門分別」経中とはあるが、調...「十善戒」と「三毒」との話
葛城の慈雲尊者飲光(1718~1805)には、「十善戒」について提唱・解説した『十善法語』が残されている。成立は安永2年(1773)であり、江戸時代には13冊本として何度か刊行されたようだが、明治時代に入り1冊本としても刊行された。今回は、その明治期の高野山転法輪蔵を用いて記事を書いてみたい。且く差別せば、十善を世間戒と云、沙弥・比丘戒等を出世間戒と云、菩薩戒を在家・出家の通戒と云、若し要を取て言はヾ、世間戒も出世間戒も、声聞戒も菩薩戒も、此十善戒を根本とするじや。初心なる者は、世間戒と聞ては少分なることヽ思ひ、声聞戒と聞ては尽さぬことヽ思ひ、菩薩戒と聞ては高く尊きことと思ふ、それは名に著する迷と云ものじや、此十善戒は、甚深なること、広大なることじや。『十善法語』1~2頁、カナをかなにするなど見易く改める...慈雲尊者飲光『十善法語』に学ぶ戒の種類について
慈雲尊者飲光(1718~1805)は江戸時代後期の真言宗侶だが、「正法律」と呼ばれる戒律復興を行ったことでも知られる。色々とあって、その教えを学ぶ機会があるのだが、意外と明治時代以降に刊行された教えが多い。慈雲尊者はもちろん、同時代にも大きな影響があったが、明治時代以降にこそ、慈雲尊者の教えは貴重だとされた。そこで、明治時代にどのように参照されていたのかを学ぶために、敢えて明治時代に刊行された慈雲尊者の教えを見ている。例えば、以下の一節などはどうか。戒律沙門の通式なり、仏弟子たる者必ず七衆あり、今時諸宗の我宗にては、戒学いらぬと云ふ者あるは僻事なり、又、某師所立の円頓戒等は大悲菩薩の弁の如し、聖教量に違す、近代別行血脈など云ふもの出来て、達磨所得など云ふ者あり、皆後人の杜撰なり、支那諸伝記にもなし、又、某...慈雲尊者の説く諸宗の戒律