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広島に向かって、80歳になる無力な私は、哀悼の意を表して、ただ黙祷を重ねて・・。
私は東京の調布市に住む年金生活の9月の誕生日を迎えると満80歳の身であるが、洗面した後、玄関庭に下り立ち、襟を正して黙祷したのは朝の7時過ぎであった。私は1944年(昭和19年)9月に都心の郊外で農家の三男坊として生を受け、翌年の1945年(昭和20年)8月15日に、かの大戦は敗戦となった。そして敗戦時は一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代に属するが、8月6日のこの日の午前8時15分に、対戦中のアメリカが、人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下され、少なくとも15万人の人が即死し、数多くの方が被ばくされたことは学んできた。このことは戦勝国となったアメリカの歴史をどのように描いても、厳然たる事実である。本日は、79回目の原爆忌を迎える。広島市の平和記念公園に於いて、平和記念式典(原爆死没者慰霊...広島に向かって、80歳になる無力な私は、哀悼の意を表して、ただ黙祷を重ねて・・。
私は東京の調布市に住む年金生活の79歳の身であるが、5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。こうした中で、ここ一週間は、家内が通院している都立の総合病院に、私はボディ・ガード兼お供、荷物に同行している・・。過ぎし18日は胃カメラよる『胃の精密検査』、そして本日の23日は超音波による『エコー検査』、この後は25日はCTによる『膵臓の精密検査』、そして5月2日は内視鏡による『大腸の精密検査』となっている。このような検査は、家内は膵臓がんの摘出する手術してから、まもなく丸5年を迎えるので、担当医師に依頼して、受診することになっている。こうした根源は、過ぎし2019年の4月、家内は初期の膵臓がんに遭遇して、私たち夫婦は、安楽な年金生活は激変したりした・・。そして家内はこの後、2泊3日で検...神様、仏様に、無力な私は祈願して、5年を迎えて・・。