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神奈川県在住。透明水彩で、風景と花を中心に描き続けています。 画像の無断転載を禁じます。[All rights reserved.]

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ながらへばまたこの頃やしのばれむ

2022.02.12 12:18|雑談室

  220129 F6(clester)

コロナ禍の今に生きる私たちの心境を、今から900年も昔の歌人が詠っています。(「百人一首」のなかにありますよね)
   ながらへばまたこの頃やしのばれむ
          憂しと見し世ぞ今は恋しき

                            藤原淸輔朝臣
自己流にざっと意訳するとこうです。
「この先ずっと生き続けられたら、ヤッパ(コロナ禍の)この時期が愛しく思い出されるんだろか。前に辛いナと思った世の中も、今となっては懐かしく思われるんだから」
早くこんな心境から抜け出したいものです。

絵は、旧園芸短大の丘から丹沢大山を望んだものです。昨日は関東一円が大雪の予報で東京辺りも降りましたが、当地はこの大山が冠雪しただけで済みました。


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タグ:丘陵

「兎も在れ」「温和しく」ー賀状から思ったこと

2022.01.03 12:46|雑談室
210502botan (4)

「兎も在れ」「温和しく」、それぞれが高校時代以来の旧友二人からもらった賀状にあった言葉です。二つ並べたときに、一瞬共に過ごした昭和という時代を感じて懐かしくなりました。今でも彼らはこんな表記をしているんだなと。
「兎も在れ(ともあれ)」「温和しく(おとなしく)」とも、今は仮名の表記が普通でしょう。私など、当て字はできるだけ避けるようにしています。それだけにこのような表記を目にしたとき、彼らの中に息づいている昭和が顔を出したような気がしたのです。あまり根拠のある理由にはなりませんが、その頃は自分もそうした環境の中にいたし、好んで読んだ作家たちの文章でも、漱石や太宰などを引き合いに出すまでもなくこんな類いの表記は珍しくなかったのですから。

ついでながら、「兎も在れ」「温和しく」とも、二人が年寄りらしく自分の体調に触れたあとの言葉です。詳しく紹介しなくても、前後の文脈は容易に想像がつくでしょう。如何かな。いや、いかがですか。

今年もよろしくお願いします。


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絵の具箱の話

2019.03.03 12:24|雑談室

  190227 F4(LAMPLIGHT)

 数年前から、水彩画を家で描くときには「絵の具箱」を愛用しています。「絵の具箱」といっても何のことやらと思うでしょう。パレットにチューブ絵の具を絞り出す代わりに、100均で買ったプラの箱とピルケースとを利用して絵の具を並べた自作の箱のことです。独り勝手にそう呼んでいます。
 作り方は簡単で、箱の中に蓋を除いたピルケースをいくつか敷き詰めてその底を両面テープで固定します。これだけのことで、これまで何年も使い続けてこられました。ピルケースは、現在空室というのも含めてざっと40色分が並んでいます。
 利点といえば、パレットに比べてピルケースが大きいので、どんな筆でも絵の具を取りやすい。その際隣を汚すこともない。箱の蓋には、在籍中の色名の一覧表が貼付してあって、(歳のせいで)色の選択を間違うこともない。さらに絵の具箱とパレットを別に分けたお陰で、絵の具を溶くのに何を使ってもよくなったなどなど。
 誰に教わったか忘れましたが、ホントに便利で重宝しています。


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タグ:里山

使う色の変化について

2019.02.27 12:23|雑談室

  190218 F4(white ibis)

 自分の使う絵の具の色が少しずつ変化しています。もともと綠の風景画を描くことが多いが、最近は、ビリジャンやサップグリーンをほとんど使わない。プルッシャンブルーもそうです。ペインズグレーなど、折角買った大きなチューブが少しも減らないままです。この絵にしても、全体に茶色がかった絵に見えるでしょうが、茶系の絵の具はほとんどバーントシェンナで間に合わせているのです。あと新顔のマースバイオレットと。
 こうした変化は、多分混色の面白さを知ったせいもあるでしょう。さらに、自分で試した混色の結果が他の絵でも生かせる面白さのせいも。それは確かですが、それだけではないような気がします。何となく、自分が絵を描くときに全体のトーンとかバランスをより強く意識するようになってきたことと関係がありそうです。どんな絵を描きたいか、以前よりは少しは考えるようにようになったということか。それならまだまだ変化は続きそうです。

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タグ:季節河川

パーマネント・マスキング・メディウムとねじ蓋

2019.01.12 13:26|雑談室

  181221 八切(Sunflower)

 着彩するときに、初めてパーマネント・マスキング・メディウム(W&N) を使ってみました。思ったより手軽で面白い。絵の具の混ぜ具合で色合いが調節できるのがいい。画面ではわかりづらいでしょうが、左下の草の葉は色に変化をつけて描いています。
 ただしこのメディウムは、普通のマスキング液のように後で剥がすことができません。修正はきかないのです。描くときにあらかじめ効果の程を予想しておくことが必要になります。その意味で普通のとは使い分けが必要になるでしょうね。

 余談ですが、このメディウムのねじ蓋は下に押しつけて開ける方式をとっています。慣れればどうということもないのですが、初めはコツがわからず困りました。こうした仕組みにするのは、子供が簡単に開けて飲み込んだり大人でも不注意に扱ったりするのを防ぐためでしょうね。
 このような仕組みをCR(Child Resistance)機能といい、これは子供が簡単に操作できないようにする機能の総称だそうです。日本でも、薬品の容器とか包装などで採用しているケースが増えているようですね。
 その他、何年か前子供の失火がきっかけで百円ライターを簡単に着火できないように改良した装置、これなどもCR機能に含まれるようです。こう考えると、子供をアダルトサイトから守る装置なども(あればの話ですが)含まれるかも…。


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タグ:季節河川

道々考えたこと

2018.09.18 11:22|雑談室

  180908 F6(White Watson)

 昔、についてこんなことを書いた。もっと元気な頃のことだ。思い出したので多少手を入れて再掲してみたがどうだろうか。読んでみてください。

   ************************

 風景画のモチーフを求めて、自分の足でをたどり続ける。時には、描く時間よりも歩いている時間のほうが長いときもある。気に入ったモチーフがなければ全くの無駄足に終わることさえある。そんなときは健康のためだからと自分を納得させるしかないが、効率の悪い取材に嫌気が差すときもないではない。だからといって車などに頼る気はさらさらないのも事実だが。

 自分で歩くということは、を、全身全感覚でじかに感じることでもある。だからどんなを歩くにしろ、その時々の経験はいつも新鮮だ。歩き慣れたさえも、そのつど何かしら新たな発見を与えてくれる。こんな自覚は、あくせく働いていた頃車を乗り回していた頃にはほとんどなかった。は単に通過の手段でしかなかったような気がする。

 絵のために歩く、健康のために歩く、いずれにせよこのように歩き回ることで、自分の関心が道そのものに向くようになったのは明らかだ。そんなときに"Foot Path"という言葉に出合って、自分のぼんやりした関心に形が与えられたような気がした。ただし、Foot Pathの制度的な側面に関心はなく、もっぱら自分が道を考えるときのキーワードにしているだけだが、そのお陰で道を考えるときの視点が得られるわけだ。

 道は、いうまでもなく必要があるから生まれた。その点ではケモノミチだって同じだろうが、なかんずくヒトは、古来意図的に道を造り続けてきたといえる。ヒトの歴史は、道を抜きにしては考えられない。道は何らかの意味を、平和的にも戦略的にも○○的にもと、種々の意味を付与されながら歴史を支えてきた。その一方で、利用されなくなった道は衰微し、歴史に埋もれて消失していく。里山などを歩くと、そうした忘失のなかにある道に出合うことがある。地元の人の話で、それがかつて賑わった道だったりする。先だっても、山中の小径についてそんな経験をした。そこは「六道の辻」という名までついていたという。

 ヒトが道を造ることは、自然のありように手を加えることでもある。それは、程度の差はあれ、いつの時代でもある種の暴力的な営為を伴うものであったろう。切り通しなどに立つと、先人の苦労を思うと同時にあるがままの自然に対する人為の荒々しさを感じてしまう。ヒトの功利だけで無造作に自然を変えていいものかどうか考えてしまう。そのついでにいえば、こうして歩いていて目にする、高速道路や国道バイパスなどの建設予定地の荒廃は目に余る。予定とは名ばかりで何年も放置されているさまを目にすると、国政の今の風向きとも絡んで複雑な思いを味わわざるを得ない。


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