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港の見える公園に隣接して建っている。一世を風靡した鞍馬天狗の原作者、大仏次郎といっても、若い人のなかには天狗も作家名も知らない人が多いだろう。鞍馬天狗とは月光仮面の遠縁のオジサンのような人だ。といっても、月光仮面もすでに過去の人か。
冷え込むせいか、いつもと違って人影がほとんどないなと思っていたら、突然、外国の幼稚園児たちが現れた。子供たちは、代わる代わる絵を覗きに来る。上背があって金髪のグラマラスな先生が子供たちを見守っている。活発に動く子供たちを制止するような動きはいっさいない。悠揚迫らず落ち着いたもので、しばらく遊ばせたあとさっと引きあげていった。あとに鳥たちが戻ってきた。
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ネットを通じて多くの人の水彩画を見ることができる。ワタシも、改めていうのもおかしいほど毎日のように楽しんでいる。無論その画風もプロアマを問わず様々だ。時には、皆さんどんなことを考えながら描いているのかなと思ったりすることがある。
「描きたいように描く」とは、絵を描いている周りであれこれ小うるさいギャラリーに、業を煮やした画家がいうセリフとして有名だ。同様に「見たとおりに描く」ということもある。どちらも開き直った自己主張に思えるが、相当に端折った言い方でもあるようだ。
ワタシ自身だって、ふだん見たとおり描きたいように描いているつもりでいる。しかし本当にそうなのかと自問自答してみると、これがなかなかそうでもなさそうだ。描きたいように描いているつもりが、実はそのようにしか描けないでいるのではないか、という疑問が湧いてくる。他人の絵を見て、こんなふうには描きたくないと思ったりすることもあるが、それもただ自分にはそう描けないということの裏返しだったりして……。
「描きたいように描く」とはどういうことなのか。木一本描くにしても、描き方はいろいろある。だが、見たとおり描きたいように描くとは、単に技能だけのことだけでなく、絵というものをどう考えるかという、下手をすると不毛になりかねない問いにまで発展する恐れがあるから厄介だ。しかもそこに、自分の好みや資質のようなものまで絡んでくるから、コトはますます複雑になってしまう。
いくら理屈ばかりこねても満足なことにはならない。それに、曲がりなりにも一応の目安をつけるところまで考えるとなると簡単にはいかない。
ところで、「後期印象派」と括られる画家たち、例えばセザンヌやルノワールなどには、感覚世界を超えた別な美の秩序探求があった。「モネは一つの眼にすぎない」と断じたセザンヌに、次のような言葉があるそうだ。
「絵画には、ふたつのものが必要だ。つまり眼と頭脳である。この両者は、おたがいに助け合わなければならない。その両者の相互的発展のために、画家として努めなければならない。すなわち、眼は自然に対するヴィジョンによって、頭脳は表現手段の基礎となる組織された感覚の論理によって、それをしなければならないのである」(山階秀爾『近代絵画史』)
セザンヌが絵画にとって大切だという「眼と頭脳」がどんな意味内容をもつのかよくわからないが、「見たとおり描きたいように描く」希求と深い関わりがあるにちがいない。それは自分流に置き換えれば、頭はともかく「眼と手が大事」ということになるだろうか。自分が何に満足するかということが、結局「描きたいように描く」ことの尺度なのか。どうもそうは思えない。
描きたいように描くために、絶えず継続する眼と手の習練が必要なのだろう。しかし、こう描きたいのに思うように描けないなどいう不満足な事態が続くことだってありえる。だとすると、話は、あのシジフォスの神話、不断に続く不満の繰り返しのようなことになる。描きたいように描くのも容易ではない。
構成を重んじたセザンヌらしい言葉だが、自分の好みが今後どんな方向をとるかは無論わからない。自分のとるべき方向を単純に取捨選択するわけにはいかない。あれこれ迷いながらも楽しむのがアマチュアの特権だ、と思って楽しくやることにする。楽描きを続ける。
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武相荘2
2015.03.17 12:38|その他(東京都など)|
武相荘
2015.03.08 12:43|その他(東京都など)|
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月が変わって、いつ「春」と称してもいいようだが、自然は雪だの寒気だのとなかなかそう感じさせてくれない。
自然ばかりか人間もそうだ。最近では、川崎で中1の子が殺された事件。捕まった容疑者のことも含めて、痛ましさは増すばかりで気が滅入る。今朝はまた、「ゲノム編集」という耳慣れない言葉に接した。遺伝子操作の有力な手法だという。従来の遺伝子組み換えもそうだが、これも生命倫理というのっぴきならない問題を抱えながら果てのない模索を続けている。人間が命をいじることに、理屈抜きで期待よりも恐怖や違和感を感じる人は少なくないはずだ。
殺人とゲノム編集、同列には論じられない。さりとて通底する部分には寒気を感じるがどうだろうか。
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