Naknanik sira「スイマーズ」

やっぱりあとで日本語版を読もうと思いました。swimmersという題名にマッチするのは最初の章だけでその後は前側頭葉型認知症であるアリスが施設に入り亡くなったあとのことをだれかが読み手に語りかけてくる形式で綴られている、と読みました。Diem Perdidiの章は散文詩のようで読み進めるにしたがって息苦しくなってきました。ワタシの英語力ではやはりストーリーを追うことはできても読み解いて味わうまではできない作品でした。ということで(始めにもどる)


日本語訳が出ているのにわざわざ英語の方を取り寄せて読むということがいかに愚かなことかということを、これまで何度か繰り返しているのですけれど、今回もやはり自分の英語力のなさを痛感するだけでした。英語嫌いなんだからもう英語の本読むのやめようともこれまで何度も思いました。まだこの本の日本語版は読んでいませんけれど、diem merdidiの章やBellavistaの章がどのように訳されているのかは気になります。

テトゥン語で「泳ぐ」はnaniです。nakは人を示す接頭辞として使われることが多いようです。えいごの〜erみたいなの。

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