外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2013年08月

農協は維持できるのだろうか?4

農業協同組合とはある意味、大きく変化しながら成長する日本の歴史の中で変革を拒み続けようとする巨大組織であります。突然の環境異変で恐竜が絶滅したことといつも頭の中でダブるのですが、農協がこのままではほぼ存続不可能になるだろう思っている人もいらっしゃるかもしれません。

農協の前身は江戸時代の天保期に今の千葉県あたりで先祖株組合なるものではないかとされていますが、戦後の農地改革を受けて出来た今の農協とは意味合いは大いに違うものだろうと思います。

当時、日本では土地を所有する小作人が大量にいる中、食糧難で農業を集中的に管理するという目的のもと、農協の存在意義はひときわ大きいものになりました。

日本では農民が土地を持つという世界でも珍しい形態が維持されてきたことが今日の農業を語る上で大きなキーポイントになります。つまり、欧米では資本家が土地を所有し、農奴がそれを耕すという明白な労使の関係がありました。今では農奴という言葉はないのですが、農業従事するための特例の労働条件は現在でも考慮されています。ここカナダでも農業の季節性などを鑑み、労働法に特例が設けられています。

一方、戦後直後の日本の農家は資本もなければノウハウもない、農機具も不足しているという中で農協が丸ごと面倒を見るという形が作り上げられました。まさに農家にとって切っても切れない関係です。そして農業というビジネスから農家の預金や保険まであらゆる方面にその影響力を伸ばしていきました。最終的には日本の政治を左右するまでに至るわけです。

このシステムは日本の農業が諸外国から守られている限りにおいて極めて有効に働き、農協が絶大なる力を持って世の中に君臨できます。ただその間、農業の魅力を次世代に伝えることは出来ませんでした。それはもともと小作農を重視するというスタンスであり、先祖代々の土地を如何に守るかという側面があったことは否めません。大規模農業の参入を妨げ、若年層が魅力を感じる農業に仕立て上げることが出来なくなったともいえるのです。面白いことに酪農の従事者は農業に比べてずっと若いのですが、生きた動物と対話する楽しさを若者は見出したのかもしれません。

今、農協経由で農作物を販売しても農家はより高い手数料を取られるとされています。種子などを購入するに際しても農家が直接交渉したりねごるという発想はないかもしれません。農協が農家をビジネスとして積極的に育てるという話はあまり聞きません。それは金満農協が農業支援につぎ込んだ資金が如何に少ないかという統計的データからも明白であります。農協の総貸付金額のうち、農業向け資金はわずか3.8%に過ぎず、大半は住宅ローンやら非農業への貸付なのであります。

結果として本気で農業をやる人たちが農協を経由しない出荷方法を探り始めました。また、消費者やレストランなどは農家から直接購入することに鮮度や食の安全という点で付加価値を見出し始めました。これは今後、大きなトレンドになることでしょう。企業による大規模農業経営が始まれば小作で太刀打ちできなくなります。また、農家の農協離れが加速することも大いにありえるでしょう。

農協は古い体質から抜け出すことなく、若者への魅力を語ることもなく、保身的で新たなるチャレンジをしなかったことで農家のバトンを受け渡す方法を失ってしまったといっても過言ではありません。

農協が農協として存続したいのであれば今がラストチャンスだと思っています。TPPに日本は間違いなく参加するでしょう。外国からの大波に飲まれるのか、飲み返すのか、もはや、動かない巨大組織よりフットワークの軽い民間企業に頼るという声が高まる中で内部崩壊を生む前に対策をとるべきでしょう。

世の中は進化し続けるということを農協の幹部は肝に銘じるべきだろうと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

あれは「失われていない20年」だったのか?4

フォーブスの「語られ始めた『日本の失われた20年はウソ』という真実」が日経電子版に翻訳掲載されていてお読みになられた方も多いと思います。この長文の記事に考えさせられるものを感じました。

その基調は日本は失われた20年などなく、単に人口が減っただけで、デフレも「良いデフレ」であり、なにをもって「失われた」のかでっち上げもいいところだ、という強い論調になっています。更に経常黒字を上げている主要先進国はドイツと日本だけ。日本の財政赤字が騒がれているが、日本人が銀行預金などを通じ国債を買い、政府はアメリカの債権を買っているのだから日本政府は単に銀行の役目だ、と一蹴しています。

極めつけはこの節です。
「日本政府の高官は、弱い日本経済というイメージが、日本市場の閉鎖性に対する米国政府の懸念を和らげるのにきわめて効果的であることに気がついた。勘の良い彼らは以来、日本経済が不可解な病を患っているフリを続けてきた。例えば宮沢喜一蔵相(当時)はある時、明白な根拠もなく『日本は破滅的状況に近い』と発言した。」とし、主たる民間企業のトップも不安を煽る発言をし続けてきた、としています。

つまり日本は仮病を使っていたというかなり一方通行な論理なのでありますが、全面否定する前に少し考えてみる価値はあるのかもしれません。

日本がバブル崩壊までを「よき時代」とする理由は何でしょうか?不動産価格が上がり、企業業績は上向きになり、賃金は上昇し、雇用も安定していたからだろうと思います。しかし、バブルの申し子だった私からすれば日本経済が高揚し、マネーが溢れ、最後の数年で株と不動産に過度の期待が寄せられていたことが特徴だったともいえます。ところがバブルは中身がなく、パッと弾けるという前提ですので日経平均4万円近くという高値を基準に考えることがそもそも間違いになります。

むしろ、日本の強さは円高になっても輸出企業は過去最高レベルの利益を上げてきたことが証明しています。デフレの主たる原因はその統計のベースとなる家電製品や商品が急速な技術発展で価格が崩落したことが大きく、それはある意味確かに「良いデフレ」であったかもしれません。

ただ、そこから日本はエキストリームな世界に発展していきました。ファーストフードなど飲食業界に見られる価格競争です。それは消費者を置いていき、自己シェア確保のための業界内での競争でした。当時「No.1でなくては生き残れない」と経営者は叫び、それに反するように「No.1にならなくてもいい」という世相を反映する歌が世の中に蔓延する奇妙な時代が続いたのです。

結果としてそこでは人件費を削り、非正規雇用を増やすという企業の保身的行動が主流となり、これが国民に鬱憤として蓄積されたというのが非常に大雑把な捉え方だろうと思います。

ならば、そこにはフォーブスの記事に指摘のとおり日本経済の根本は失われていたわけではなく、企業行動と個人行動の価値観が噛み合わなかったという見方も出来なくはありません。

失われた20年を正当化するならば80年代までの内需主体で終身雇用に基づく安定成長の日本がなくなった、ということだと思います。ところがそれから既に20数年たっているわけで若者は80年代の生活を知りません。つまり、彼らにとっては何も失われておらず、50代から上の人たちの昔を懐かしむ声を聞き、若者たちは「俺たちは損をしている」と思わせているとすればよいのでしょうか。

我々は「失われた」というメディアの言葉に踊らされたかもしれません。アベノミクスや異次元の金融緩和で日本に突然スポットライトが当たり高度経済成長を再び取り戻すことはないでしょう。特に経済はいまや、ボーダーレスであって一国の経済政策ですごろくゲームを勝ち抜くことが出来ないことは政府の優秀なる頭脳集団はよくわかっているはずです。

今の日本は他国と比べ本当に良い状態であると考える方が幸せなのかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

退任の意味は大きいマクドナルド原田泳幸氏4

マクドナルドの原田泳幸氏といえば日本を代表する人気経営者の一人で孫正義、柳井正氏の後につけるほどフォロワーが多い人でした。

その原田氏は2004年5月にマクドナルドの運営会社社長に座り、デフレ化の日本において消費者の嗜好に合わせてさまざまなアイディアを打ち出しました。成功したアイディア、失敗したものなどさまざまですが、基本的には価格競争のリーダーとして牛丼戦争との比較にもよく使われたりしました。それは日本の消費者が向かっている方向のトレンドを作り出す形でもあったわけで言い方を変えればデフレが先か、価格競争が先か、ということでもあったわけです。少なくとも原田氏は価格競争における演出においてそのリーダー的役割を果たしたわけです。

その氏が運営会社の社長を降りると発表、社長の席をアメリカ本社が送り込むサラ・カサノバ氏にバトンを渡し、氏は所有会社の籍に留まるとしました。

この動きは考えるところがたくさんあります。

まず、この2年はマクドナルドの業績が着実に落ち込んでいます。この半年でみても売り上げは第1四半期は前期比−14%、第2四半期が−11%となっています。その下落傾向が止まる気配はありません。つまり、原田氏の経営手腕は2010年頃までが「旬」でそこからの布石は間違っていたことになります。ところが、原田氏の人気は冒頭に書いたように絶大であり、神聖化とまでは言わないまでもそう簡単に降りられないし、そのバトンを渡す相手探しが難しかったと思います。今回、自ら一歩踏み込む必要に迫られたということでしょうか?

では原田氏の経営で歯車がずれてしまった理由は何かといえば日本が過度の価格競争に陥り、供給側に価格主導権が完全になくなってしまったことにあるとみています。つまり、ファーストフード経営者は消費者の顔よりもライバル企業の価格戦略を分析することに夢中になってしまい、マーケティングがギミッキー(小手先の手品)のようになってしまった気がします。これは海外から見ている視点ですので国内にいらっしゃる方は違う感想をお持ちだろうと思います。

言い変えればどうしてもマクドナルドに行きたいか、というより、目先のニンジンに磨きをかけ続けたということであります。同じことは牛丼各社もしかりで私はそれについてはこのブログを通じて辛口コメントをし続けてきたと思います。

さて、では原田氏からバトンを受けるカサノバ氏はこの難しい日本のマーケットをドライブできるか、これはまったく未知数であります。が、マクドナルドは「マックに行こう!」から一歩間違えれば「マックかぁ」というイメージと表裏一体だということを肝に銘じなくてはいけません。つまり長年のブランドイメージはそう簡単には変えられません。日産のゴーン氏は出来たのになぜ、マックは難しいかといえば車は大衆車から高級車まで揃えており、幅広い顧客層があります。ですが、マックではステーキや寿司が出せるオプションはないのです。

ところで日本でマックがファーストフードチェーンとしていち早く成長したのはアメリカ本社との運営契約形態において特殊な条項が入っていたからだと記憶しています。つまり、日本市場の特殊性ゆえに日本向けだけの商品をマーケティング、開発してよい、ということだったと思います。今その契約がどうなったか分かりませんが、マックの成長に裏に日本人の品質、価格、目新しさなどの厳しさを耐え抜くための融通があったことは見逃せないでしょう。

とすればマクドナルドはファーストフードチェーンとして誰も追いつけないようなまったく新たなる第一歩を踏み出す覚悟が必要であります。それはアメリカ本社の持つノウハウが答なのか、再び日本独自のアイディアを絞りださねばならないか、これは難しいところです。成長というのは既存の水準プラス上乗せの部分です。上乗せとなれば人間の食は原則一日三回であるわけですから総需要はおのずと決まっており、誰かのパイを盗んでこなければいけないということです。「新しいマックに行こう!」というクリエーションは決して優しいことではないと思いますが、カナダ人のカサノバ氏にエールを送りたいと思います。

少なくとも原田氏の退任は日本のファーストフードの価格競争に一つのピリオドを打ったという点では間違いないと考えています。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

どうなるシリアの行方4

シリア問題が一気に浮上してきました。内戦状態の同国で政府軍が反政府派を抑えるため、化学兵器を使ったのではないかとの強い疑惑に対して欧米は国連の動きを待たずに力による制裁を決断しつつあります。

イギリスでは数日以内に空軍による攻撃、ということでXデイが29日とも囁かれています。なぜ、今、シリア問題が急に持ち上がってきたかといえば、勿論化学兵器使用疑惑もありますが、私はアメリカとロシアの関係がその背景にあると見ています。

CIAおよび国家安全保障局の職員だったエドワード・スノーデン氏が極秘情報を持ってロシアに亡命中であることはご存知かと思います。オバマ大統領はこの亡命に対してかつてないほどの勢いでその亡命を受け入れているロシア、プーチン大統領を攻め立てています。

プーチン大統領はもともとアメリカとはソリが悪く、プーチン氏が第二期目の大統領の就任直後、アメリカで行われたG8をキャンセルし、オバマ大統領もその報復でロシアでの会議をキャンセルするという最悪のスタートを切りました。その後も両国の関係はギクシャクしたままです。その背景にはシリアに対して援助するロシアに対抗する欧米という構図も大いにあったわけです。特に国連安保理でシリア制裁に対してロシアが二度までもOKしなかったことはロシアの強硬なる姿勢を改めて見せつけました。多分、独裁者プーチン氏のプレゼンスを表現しているのだろうと思います。

こう見るとシリアへの欧米からの空爆計画は見方を変えればアメリカ、ロシアの代理戦争的な要素がないわけではありません。但し、ロシアはいわゆる戦争を望んでいるわけではなく、平和的解決を求める姿勢を持っています。プーチン大統領がイスラエルで直接シリアへの攻撃自制を求めたりしているのも事実です。また、ロシアに今、戦争をする体力はないし、もともと第二期プーチン政権は極東に重点を置くつもりなのです。

さて、ここで困るのは日本でしょう。なぜならばプーチン大統領と北方領土問題を含む経済連携を模索しており、ラブロフ外相が今秋に日本での具体的協議をする見込みです。そこに欧米から「お前はどっちにつく」と言われれば詰まってしまいます。例えば松山外務副大臣が国連調査団による解明のの重要性を説いたとの報道もありますが、実に日本らしい声明だと思います。

もちろん、化学兵器を使ったとされるならばシリアは即刻止めるべきですが、国連がもはや機能していない世界において欧米主導の独自判断で警察権を行使しつつある世界そのものが間違っていることは事実ですがそれを今言っても始まらないのかもしれません。

ロシアはアサド政権が倒れる可能性はすでに含んでいると思いますし、反政府側との接触もあるという情報も目にしました。とすれば、地上軍を投入せず、空爆を限定的に施すことはアサド政権にとってダメージは大きくロシアをそこまで刺激しないように思えます。いずれにせよ、平和的に最小限の被害でこの問題を解決することが先決になるでしょう。

金融市場はご覧の通り、戦々恐々としています。それこそ、金融緩和からの離脱どころではなくなってしまうかもしれません。この動きは大いに注目したいと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

中東、アフリカにビジネスチャンス!4

安倍首相の外遊を通じて、バーレーン国王から日本に資源開発の協力の要請があったと報道されました。国王は、同国で新たな原油・天然ガスの採掘事業が計画されているとしたうえで、「日本が権益確保を含めて参入する余地はある。前向きに検討してほしい」(読売)とのことです。

なぜ、日本にラブコールしているのでしょうか?

私は日本が政治的にも宗教的にもピュアで中立的なポジションにいることで中東やアフリカの諸国がアプローチしやすいのではないかと考えています。欧米諸国は政治と経済をうまく組み合わせながら結果として欧米の得になるような仕組みをつくるのが得意です。中国の習近平国家主席も就任後その第一番目の外遊先をアフリカ諸国にしましたが、中国がアフリカに目をつけている野望はありありと手に取るようにわかります。アフリカ諸国も当然ながら一定の警戒はするでしょう。

一方、日本の場合、世界でもまれに見る純粋培養のような国です。ビジネスならビジネスを主体にきちんと組み立てた上で社会や経済の習慣に戸惑い、仕事の進め方において非常に苦労しながらも民間企業はへこたれずに頑張っているのです。

たとえばトルコのイスタンブール近くのボスポラス海峡はヨーロッパとアジアを結ぶ重要なポイントでありますが、そこには現在、橋が二本架かっているだけです。現在、大成建設が主導で海底トンネルを建設しているのをご存知でしょうか?しかし、海外巨大プロジェクトに長けた大成建設といえどもかなり苦労していて損益は相当悪化しているようなのですが、まもなく完成するでしょう。この地元の願いを適えるための必死の努力はその後、トルコにおける三菱重工による原発受注に繋がる礎になった可能性は大いにあるのです。

当然ながら周辺国もそのような姿勢を見続けています。だからこそ、バーレーン国王が安倍首相にビジネスチャンスを提供したのかもしれません。

少し前の日経ビジネスにBMCインターナショナルという小さな会社が提供する消費税の徴収システムをアフリカの6カ国とたてづづけに決めた、とありました。これは同社の社長が25年にもわたりアフリカへの営業を熱心に続けたことで一気に開花したのでしょう。

日本は資本の力に頼るわけではなく、地道な努力を着実に行ってきました。蚊取り線香でもヤクルトでもどんな海外の僻地や田舎へも一歩一歩踏み分けて市場開拓する精神を持ち続けてきました。その間、日本政府の後押しがあったことはほとんどないでしょう。

つまり、日本の大企業からBMCインターナショナルのようにわずか12人の会社までがまさにビジネスの開拓者精神で政府の助けがほとんどなくてもここまでやってきたのです。

このもうひとつのバックグラウンドとして宗教色が少ない、ということもあるのかもしれません。

中東でいつも揉め事があるのは宗教的背景などがその理由にあることが多いのですが、日本の場合、宗教は、といえば日本人に聞いても「?」かもしれません。なぜなら慶びごとはおおむね神道で、弔事は仏教で行うことが多く、欧米や中東の人のように厳密で厳正なる宗教心とは違うことから彼らからすれば抵抗が少なく受け入れられるのかもしれません。

街が西に延びるというのはほぼ正しい流れですので近い将来、中東とアフリカは必ず、経済争奪戦が繰り広げられる可能性があります。ならばそれより一歩先んじてBMCインターナショナルの社長のように地道な努力を重ねることで人的交流が深められ、より強いビジネスの基礎を築くことが出来るのではないでしょうか?

既にアフリカに進出している日本企業は相当数にのぼります。日本が生きるための道はより遠くへと広がっていくのでしょうね。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

日本経済先行きにかすかな心配4

一昨日のブログ、「アメリカ金融の量的緩和からの離脱の難しさ」を更にずっと考えていました。これはやはり、副作用を伴う可能性がありうるかもしれない、と。そしてそれは日本にどういう影響を与えるだろうか、と。

私は二つの小さな心配をしています。

ひとつは新興国からの資金の逃避が思った以上に世界景気を混乱に導かないか、という懸念であります。報道でもしばしば見受けられるように一部新興国、例えばブラジル、インド、インドネシアなどの国々の通貨が急落しています。インドルピーは対米ドルで一時65ルピーを超え、史上最低となりました。昨年10月ごろは52ルピー程度でしたから25%も切り下がっています。ブラジルでは2.36レアルで今年5月の1.95レアルの水準から21%、インドネシアルピーは10775でやはり今年5月からは12%の下落となっています。

これら新興国の通貨下落は物価高に直面しやすい傾向があり、結果として国内景気の鈍化に繋がります。たとえばインドはここ数年大体9%台の経済成長率でしたが2013年は5.5%に下方修正しています。新興国の経済成長率の鈍化は世界の消費をぐんと押さえ込む結果になり、特に日本の場合、中国から東南アジア諸国へのシフトが大きく進んだ中で影響をもろにかぶる可能性があるのです。

日本は尖閣に端を発した「プラスワン」の発想がむしろ、東南アジアへのシフトという形で大きく舵を切りました。結果として日本の経済が東南アジア経済に左右されやすい構造になりつつあるということです。東南アジア経済は金融緩和の恩恵を受け、高利回りの国債に目が向けられ、海外資金が流入しました。結果としてそれらの国では内需拡大が大きく進んだわけです。ところがここに来てその国債市場からの資金の蒸発はエマージングマーケットからの資金流出という結果を生み、それらの国々の株式も激しい下落に見舞われているのです。

金融緩和で恩恵を受けたのはリーマン・ショックや欧州危機から離脱しつつある欧米とデフレからの脱却を目指す日本であって、新興国は「踊らされた」という批判が先々ないとは限らない状況に見えるのです。つまり、アメリカが量的緩和からの離脱についてよほどうまくやらないと世界が大混乱に陥ることを頭の隅においておく必要がありそうなのです。

私のもうひとつの心配は日本が進める異次元の金融緩和のポリシーに逆風が吹かねば良いが、ということであります。これもアメリカ次第なのですが、徐々に緩和のスピードを緩めるコントロールを誤れば量的緩和のポリシーそのものが批判の矢面に立つこともありうるということです。

たとえばブルームバーグの記事に「米連邦準備制度理事会(FRB)による債券購入は成長刺激の手段として政策当局者が考えているほどは効き目がない。ノースウエスタン大学のアルビンド・クリシュナムルティ教授とカリフォルニア大学バークレー校のアネット・ビッシング・ヨルゲンセン教授が23日発表の論文で指摘した。」とありますが、世の中、うまくいかなくなると必ず今まで聞こえなかったボイスがさも当たり前の論調のようになり、人々のマインドが一気に変化するきっかけを作るのです。

アメリカでさえ難しい量的緩和からの脱出は日本も欧州も皆、同じ運命を辿ります。つまり、永久に緩和し続けることはないのでそれを止めた時の副作用にどう対応するか、この答えは誰もわかりません。

金曜日に発表されたアメリカの新築住宅販売件数が大幅に下落したことはなぜでしょう?たった一回の統計では判断できませんが、経済回復の懐はさほど深くなく、長期金利上昇傾向に伴う住宅ローンの上昇を受け、買いの手が一気に萎んだということであればこれは実に頭の痛い問題なのです。

世界経済は秋にいつも波乱が来るとされています。リーマン・ショックもブラックマンデーもいつも秋なのです。欧州危機もそうでした。とすれば、今年の秋の波乱要因の可能性はこの辺に見出せるかもしれません。FRBは量的緩和離脱時期を計っていますが多くのアナリストが期待する9月からのプラグアウトがあるとすればシートベルトをもう一度しっかり締めなおした方がよい気がいたします。

そして日本を取り巻く環境にも案外脆弱なところがある、ということをチラッと気にしておくべきかもしれません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。

イチローにみる生き方の強さ4

「いい結果を生んできた誇れる自分はいない。4000安打を打つためには8000回以上も(凡打で)悔しい思いをした。それと向き合ってきた。誇れるとしたらそこではないか」
「人間として成熟しているか。前に進んでいるか。実は明確に感じることはできない。そうでありたいと信じてやり続けることしかできない」
「僕はいっぱい満足している。ものすごく小さなことでも満足するし、達成感もある。それを重ねないとダメ。それを感じて次が生まれてくる。うれしかったら喜べばいい」

この三つの言葉をすらっと言えるイチロー選手は歴史に残る野球選手というよりも永遠に語り継がれる偉大な人物といった方が適切かもしれません。

4000本の安打を打つ過程において陰の時もありました。プロになったときは監督から評価されず、2年ぐらいは目立つことはありませんでしたし、マリナーズの時は個人記録への執着という風評でチームの中で孤立することもありました。それ以外にも困苦はたくさんあったと思いますが、彼は自分の仕事をプロ意識を通じ、常に磨きをかけ続け登りつづけて来ました。

メディアは彼の成績を評し、次の記録への期待を書き立てていますが、私は彼が今日も明日もただ同じ仕事をするのではなく、精神面も肉体面もより強く、大きくなっていくところを見習わせてもらっています。

啓蒙書には人は目標を持って突き進め、とよくあります。そして目標を設定した人は確かにそれをゲットしやすいのですが、問題はゲットした後、成長が止まってしまうことが良くあるのです。人生半ばにして悠々自適になってすごろくのゴールをいち早く終えて楽しさだけを満喫している人を時々お見受けします。

イチロー選手の場合、究極の目標はひょっとしたら数字などで表せない観念的な世界なのかもしれません。それはまるで仏道に入り死ぬまで修行をするような、そんな感じにも見えます。

イチロー選手はストイックな人、ともよく表現されています。禁欲的ということですね。実は私もある一面、ストイックなのですが、それは仕事と遊びの垣根が低く生活の中でその二つが一体化している、といった方がわかりやすいのかもしれません。本人はストイックなんてまったく意識していません。日々刻々を大事にしているだけの話です。

努力ってなんだろう。苦労の汗って最近かいただろうか、と思うことありませんか?世の中、会社、上司などに不満を抱え、理不尽だと他人のせいにしていることってありませんか?イチロー選手はどれだけ苦境に立っても自己研磨でそれを乗り越えてきました。まさに精神力の賜物です。

私は彼の活躍を見聞きするたびに強いエネルギーを貰っています。自分も強くならなくては。そして、彼の強さは他人に頼らず、自分にすべての責任をもって管理しているところに怪我もほとんどなく、今日まで活躍している証拠を見出すことが出来ます。

言い訳無用、この言葉が彼のライフにちりばめられています。我々日本人はある意味、裕福になり、高い水準のライフに甘えていることもしばしばあります。世の中に不満をぶちまけるのではなく、自分で何が出来るか、そう発想を転換することが大事なのではないでしょうか?

そういう意味でもイチロー選手には強い勇気を貰っています。ありがたいことです。

今日はこのぐらいにしましょうか?

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ではまた明日。
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