来年に延期されたオリンピックについてその開催計画を見直し、簡素化する方向だと報じられています。この簡素化への見直しはもしもコロナが収まらない、あるいはコロナショックからの回復が遅れた場合、コーツ会長が再延期はないと明言しているため、オリンピック中止のリスクがあるためです。すでに投資をしてしまった関連施設などが無駄との批判が高まるばかりではなく、高齢化する日本の社会においてベンチマークとなるイベントが無くなることへの警戒感かと思います。
オリンピック誘致ではどの国でも常に賛成派と反対派が激しい争いをしますが、よもや中止となれば反対派が勢いを増し、政権や都政を揺るがすことすらあり得ます。「ほら、言ったこっちゃない」であります。
ただ、オリンピックを推進する側も反対する側もまさか感染症が引き起こすこれほどの人々の行動規範の変化は誰一人予想しておらず、そもそもの計画を批判しても無意味です。これから考えるべきことは日本の将来はどうなるのかを見据えたうえでオリンピックという一大イベントを21世紀型事業に変革できるかがキーであります。そういう意味ではIOCや東京都がこれから立ち向かう簡素化計画は我々のライフスタイルの変化を占っているともいえなくはありません。
私より一回りほど上の大学の先輩からコロナの真っ只中、Eメールを頂きました。「私、コロナを通じて自分の生活をシンプルにしようと思ったのです。そうしたら急に気持ちが晴れて楽になりました。面倒なことは止めて好きなことだけをストレスなく楽しみます」と。
シンプルライフ。このキャッチを作ったのは先だって倒産したレナウンです。1970年代のキャッチなのですが、面白いことに男性向けと女性向けそれぞれ意味を持たせています。女性向けは「“be simple life”、自分らしく、自然体なライフスタイルを楽しむ大人たち」。男性向けは「シンプルで明快なライフスタイルを謳歌する大人たちにナチュラルフレーバーをベースに、健康的なカジュアルスタイリング」(一部要約)となっています。意味が分かるようでわからないですね。
2020年代からの日本。私はシンプルになっていくように思います。具体的にはがつがつとした成長を求めるより既存の資産をいかにうまく使いながら背伸びしなくても高品質の生活が過ごせる社会ではないかと思っています。
先日、10数年前にサムスンを辞めてカナダに来た40代ぐらいの方と話をしていた際、彼が「バンクーバーに来た当初は暇でつまらなくて刺激がないところだと思った。だけど、何年かするとこういうライフもあるんだと気がついて今ではとても満足している」という発言が妙に印象的でした。
私が日本からバンクーバーに来た時もまったく同じ思いでした。しかし、今、生活はとても充実していますし、シンプルゆえに妙なバイアスがかからず、人間関係も適度な距離感を保ちながら良好さを維持しています。
最近ある日本在住の方が日本人の人付き合いについて「仲良くなって近づいたら相手との精神的距離が近くなりすぎて人の家に土足で入られるような気持になって大変なストレスを感じている」とおっしゃっていました。日本の場合、共同体という発想が根強く、一定距離を保つのが難しく、せっかくの関係が壊れたりする例なのでしょう。
20年代以降の日本。私は高層ビルをどんどん建てるような時代ではなくなるとみています。在宅勤務というより、モバイル化が進むとみています。いつでもどこでも、です。働き方も9時-5時の時代は終わるとみています。今、都心のコーヒーショップに行けばノートパソコンを開くサラリーマンを相当目にするようになりました。これも業務のモバイル化なのです。
経済はどう支えるのか、ですが、稼ぎの主流を外国から、そしてその稼ぎで日本を養うのかと思います。多くは直接、間接投資を通じてノウハウ、技術、特許、資金を含めたパッケージサービスを売ります。一方、背伸びをしなくてもよい国内の生活とは古いものを改修しながら使い、ローコスト化を図り、過度な価格競争社会もしません。例えば食品業界が100の商品を作って世に出るのは1-2件という無駄を止めるのです。そんな業界は戦略も何もない単なる無駄打ちで一つぐらい当たるだろう的なビジネスです。そんなことは止めてしまってよいと思います。
ベーシックインカムという発想は一般的には政府が全ての国民に一定の現金を配るという発想ですが、この是非には大いなる議論があります。私は日本は違う形の最低生活保障ができる国だと思っています。それは既存のインフラを通じた生活保護であります。全国に850万戸も空き家があるのです。日本の出生者数は19年に86万人しかいなのです。生まれる側だけ見ても10年間、家を一軒も建てなくても全員住むところは確保できるのです。
今、5Gだ6Gだ、と通信のスピード競争が進んでいます。仮に3G、4Gなら無料開放したらどうでしょう?東京都は70歳以上の方が貰えるシルバーパスでバスや電車がただのような金額で乗れます。これはベネフィットという発想で欧米では収入と計算されます。つまり、別に現金を配るのがベーシックインカムではなく、既存の資産やインフラをうまく活用することで最低生活保障のプログラムを取り入れられる余地はいくらでもあるのです。
年金の根本問題は今働く人が今リタイアした人を支えている点です。それをベーシックインカムならぬベーシックベネフィットにすり替え、年金代わりにそのようなベネフィットで代用するという案も突拍子もないようですが、あり得るのではないでしょうか?そして時間をかけて年金の根本構造を変えていくのです。
日本は大きくライフスタイルを変えてくると思います。もう背伸びはしなくてもよいでしょう。地に足をしっかりつけてちょっとのことでも動じない賢い国家になっていってもらいたいと思います。
では今日はこのぐらいで。
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北アメリカランキング
また明日お会いしましょう。
オリンピック誘致ではどの国でも常に賛成派と反対派が激しい争いをしますが、よもや中止となれば反対派が勢いを増し、政権や都政を揺るがすことすらあり得ます。「ほら、言ったこっちゃない」であります。
ただ、オリンピックを推進する側も反対する側もまさか感染症が引き起こすこれほどの人々の行動規範の変化は誰一人予想しておらず、そもそもの計画を批判しても無意味です。これから考えるべきことは日本の将来はどうなるのかを見据えたうえでオリンピックという一大イベントを21世紀型事業に変革できるかがキーであります。そういう意味ではIOCや東京都がこれから立ち向かう簡素化計画は我々のライフスタイルの変化を占っているともいえなくはありません。
私より一回りほど上の大学の先輩からコロナの真っ只中、Eメールを頂きました。「私、コロナを通じて自分の生活をシンプルにしようと思ったのです。そうしたら急に気持ちが晴れて楽になりました。面倒なことは止めて好きなことだけをストレスなく楽しみます」と。
シンプルライフ。このキャッチを作ったのは先だって倒産したレナウンです。1970年代のキャッチなのですが、面白いことに男性向けと女性向けそれぞれ意味を持たせています。女性向けは「“be simple life”、自分らしく、自然体なライフスタイルを楽しむ大人たち」。男性向けは「シンプルで明快なライフスタイルを謳歌する大人たちにナチュラルフレーバーをベースに、健康的なカジュアルスタイリング」(一部要約)となっています。意味が分かるようでわからないですね。
2020年代からの日本。私はシンプルになっていくように思います。具体的にはがつがつとした成長を求めるより既存の資産をいかにうまく使いながら背伸びしなくても高品質の生活が過ごせる社会ではないかと思っています。
先日、10数年前にサムスンを辞めてカナダに来た40代ぐらいの方と話をしていた際、彼が「バンクーバーに来た当初は暇でつまらなくて刺激がないところだと思った。だけど、何年かするとこういうライフもあるんだと気がついて今ではとても満足している」という発言が妙に印象的でした。
私が日本からバンクーバーに来た時もまったく同じ思いでした。しかし、今、生活はとても充実していますし、シンプルゆえに妙なバイアスがかからず、人間関係も適度な距離感を保ちながら良好さを維持しています。
最近ある日本在住の方が日本人の人付き合いについて「仲良くなって近づいたら相手との精神的距離が近くなりすぎて人の家に土足で入られるような気持になって大変なストレスを感じている」とおっしゃっていました。日本の場合、共同体という発想が根強く、一定距離を保つのが難しく、せっかくの関係が壊れたりする例なのでしょう。
20年代以降の日本。私は高層ビルをどんどん建てるような時代ではなくなるとみています。在宅勤務というより、モバイル化が進むとみています。いつでもどこでも、です。働き方も9時-5時の時代は終わるとみています。今、都心のコーヒーショップに行けばノートパソコンを開くサラリーマンを相当目にするようになりました。これも業務のモバイル化なのです。
経済はどう支えるのか、ですが、稼ぎの主流を外国から、そしてその稼ぎで日本を養うのかと思います。多くは直接、間接投資を通じてノウハウ、技術、特許、資金を含めたパッケージサービスを売ります。一方、背伸びをしなくてもよい国内の生活とは古いものを改修しながら使い、ローコスト化を図り、過度な価格競争社会もしません。例えば食品業界が100の商品を作って世に出るのは1-2件という無駄を止めるのです。そんな業界は戦略も何もない単なる無駄打ちで一つぐらい当たるだろう的なビジネスです。そんなことは止めてしまってよいと思います。
ベーシックインカムという発想は一般的には政府が全ての国民に一定の現金を配るという発想ですが、この是非には大いなる議論があります。私は日本は違う形の最低生活保障ができる国だと思っています。それは既存のインフラを通じた生活保護であります。全国に850万戸も空き家があるのです。日本の出生者数は19年に86万人しかいなのです。生まれる側だけ見ても10年間、家を一軒も建てなくても全員住むところは確保できるのです。
今、5Gだ6Gだ、と通信のスピード競争が進んでいます。仮に3G、4Gなら無料開放したらどうでしょう?東京都は70歳以上の方が貰えるシルバーパスでバスや電車がただのような金額で乗れます。これはベネフィットという発想で欧米では収入と計算されます。つまり、別に現金を配るのがベーシックインカムではなく、既存の資産やインフラをうまく活用することで最低生活保障のプログラムを取り入れられる余地はいくらでもあるのです。
年金の根本問題は今働く人が今リタイアした人を支えている点です。それをベーシックインカムならぬベーシックベネフィットにすり替え、年金代わりにそのようなベネフィットで代用するという案も突拍子もないようですが、あり得るのではないでしょうか?そして時間をかけて年金の根本構造を変えていくのです。
日本は大きくライフスタイルを変えてくると思います。もう背伸びはしなくてもよいでしょう。地に足をしっかりつけてちょっとのことでも動じない賢い国家になっていってもらいたいと思います。
では今日はこのぐらいで。
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