連載:バンドやろうぜ
2020年06月22日
バンドやろうぜ
1988年
中学3年の春、図書室でアベ君が言いました。
「(・∀・)バンドやろうよ!」
ぼくは兄の影響で中2からギターを弾いていたので
アベ君がベースを覚えて他のパートを探してバンドを組もうという提案でした。
「.。゚+.(・∀・)゚+.゚いいね!」
当時は伝説のバンドBOØWYが解散したばかりの
興奮も冷めやらぬ時期。
中学3年の春、図書室でアベ君が言いました。
「(・∀・)バンドやろうよ!」
ぼくは兄の影響で中2からギターを弾いていたので
アベ君がベースを覚えて他のパートを探してバンドを組もうという提案でした。
「.。゚+.(・∀・)゚+.゚いいね!」
当時は伝説のバンドBOØWYが解散したばかりの
興奮も冷めやらぬ時期。
とはいえ学校で他に楽器をやっている人は誰もいません。
TV番組『いかすバンド天国』は1989年2月放送開始、
雑誌『バンドやろうぜ』は1988年8月創刊、
まさしくバンドブーム黎明期の事でした。
メンバーは
こうちゃんをボーカルに、ドラムにツトム君を誘い、
BOØWYのコピーをやる事に決定。
完成直後の東京ドームでBOØWYが『LAST GIGS』を行ったように、
完成したばかりの下仁田町文化ホールでライブをやるという計画を立てました。
下仁田町文化ホールは1987年落成。
2015年バイブレーションテーブルの全体説明会をした場所です。
目標のGIG開催日は12月24日、クリスマスイブに決定。
ツトム君はドラムセットを買う為に新聞配達。
BUCK-TICKの今井寿に憧れていたアベ君は左利き用のベースを買いました。右利きなのに。
「(`・ω・´)どうせゼロから練習するなら右も左も同じだろ」
「(´- `*)...そっか」
最初に課題曲に決めたのは『LONDON GAME』『NO.NEW YORK』『IMAGE DOWN』『BEAT SWEET』。
こうちゃんは
「(゚д゚)おれこんな高い声出ねえよ!」
「(´- `*)大丈夫」
根拠のない大丈夫。
そしてひたすら個人練習と課題曲の追加。
6月になると
ライブ盤『"GIGS" CASE OF BOØWY』のバンドスコアが発売され
一度覚えたギターソロをライブバージョンに変更。
曲の構成も変更して練習しなおし。
ストイックです。
一般的な中学3年生が受験勉強に専念する時期、曲の構成も変更して練習しなおし。
ストイックです。
ぼく達は初めてのバンドとライブに向けて疾走していました。
つづく
2020年06月23日
バンド練習しようぜ
初めてのライブにむけ練習を始めた中3の夏。
ツトム君は長Tにジョッパー、ラバーソールを履き
オレンジ色の靴下の中に10万円を隠し
高崎の新星堂ロックインにドラムセットを買いに行きました。
お兄さんに「(`・ω・´)高崎はおっかないヤンキーがいっぱいいてカツアゲされるぞ」と脅されたらしい。
しかし田舎の中学生にしてみれば
あの頃の高崎市連雀町の交差点あたりは大都会でした。
新星堂カルチェ5のビルなんかワクワクが止まらなかった。
おれの青春が詰まってた のになくなっちゃった...
一方、
下仁田町にはライブハウスはおろかスタジオもありません。
探すのに苦労すると思われた練習場所は思いの外あっさり見付かり
昔ダンスホールだった建物を貸してもらえる事になりました。
ありがたい。何もないけど人情がある町、しもにた。
授業が終わると同級生が学習塾に通うように
ぼく達はチャリ2ケツでダンスホールに通いました。
今まで家でラジカセに合わせてひとりでギター弾いてたのが
みんなで合わせると別世界。
BOØWYの曲を、自分達だけで捻り出している不思議な感覚。
へたくそだけど、
自分達の音。バンドっていいな。
・・・・帰り道は真っ暗。
あの時の行き帰りの道中は忘れられません。
充実感しかなかった。
そして更に石井君とOGIも誘い、
ブルーハーツのコピーバンドも結成して
ライブは二部構成になりました。
ドラムとギターは掛け持ち。
今考えると前のめりに突っ走ってたな。
そして夏の終わり
「\(・∀・)会場を見に行こう」
出来たばかりの文化ホールに行き
管理人のお姉さんに使用料金など色々と教えてもらいました。
一日借りても数千円。
中学生でも借りられる。
でもこんな客席で座って観られたんじゃ演奏発表会だ。
おれ達がやりたいのはGIGだ。スタンディングでないと…
「┓(・∀・)客席は収納できるのよ」
「(゚д゚)えっ?そうなの?」
「┓(・∀・)ほらこうやって…」
200席の可動イス。すごい。
「(゚д゚)すげえ、けど畳むと広いな...」
「┓(・∀・)真ん中で仕切る事もできるのよ」
壁を作って仕切る事もできるらしい。
「(*´ -`)(´- `*)お客さん来るか分かんないし、仕切ろう」
ちなみにこの時
管理人さんが桃を食べていたので“桃ねえちゃん”と呼んでいました。
季節は秋を迎え、
ほんとにその日がやって来るのか信じられなかったクリスマスが現実味を帯びて近づいて来る。
つづく
2020年06月24日
ケツはふこうぜ
「\(・∀・)チラシ作ろう」
※前回まで↓
「ライブやるならポスターが必要だろう。学校とか町中に貼るの」
本番一ヶ月前になってふとそう思い
いっちょまえにアーティスト写真を撮る事になりました。
かっこ良いロケーションを探し、たどり着いた撮影場所は
下仁田厚生病院の屋上。
_, ,_ パーン
( ‘д‘)
⊂彡☆))Д´)選択肢
今考えると末恐ろしいクソガキ共ですけど
下仁田町に見晴らしの良い建物、RC造の建物なんて学校と病院くらいしかないんです。
(だからおれが建ててやった)
屋上で秋風に吹かれ、下仁田の町を背にかっこつけて撮影。
“ここから見下ろせる景色すべてがおれ達のものだ”と思ってました。中3ですから。
写真を現像、コピー用紙に貼りつけて
フライヤーデザインに取り掛かりました。
まさか大人になって毎年何万枚もフライヤーを作る事になるとは…
人生はほんとに不思議。
ポスターはそんなに枚数刷らなかったので
現物が残っていないのが残念ですが
なんせ処女作、
キャッチコピーは一言一句忘れずに覚えています。
『1988 12/24 Xmas GIG
入場無料 インディアン嘘つかない 荻原ケツふかない』
「\(・∀・)会場で音出してみよっか」
そもそもライブハウス未経験、
どれくらいの音で演奏すればお客さんに聴こえるのかさえ分かりません。
一度文化ホールを借りて実際に音を鳴らして確認してみる事にしました。
先輩に借りたアンプと、兄貴に借りたギターと、スネアドラムを持ち込み演奏。
ステージに立って楽器を鳴らすという初めての経験に
みんな鳥肌を立て感動していた時…
「(`・ω・´)そんな小っちぇえアンプじゃだめだ!」
「(゚Д゚≡゚д゚)は?」
いつの間にか知らないおっさん達がいる。
「(゚д゚)…ていうか誰?」
桃姉ちゃんの旦那さん達でした。
昔バンドをやっていたらしい。
俗にいう第一次バンドブーム世代ですね。
「(`・ω・´)ベースアンプ持ってねえのか?」
「(゚д゚)えっ?」
「(`・ω・´)貸してやるよ」
「(゚д゚)えっ?」
“中学生がバンドを組んだらしい”
“ホールでライブをやる気らしい”
せまい田舎町での微笑ましい出来事に
好奇心と老婆心を抱くおじさん達の気持ち、今なら身に染みて分かりますが
当時はそれほどありがたさも感じなかったんですよね。
「(´- `*)なんでそんな事してくれるのかな?」
「(*´ -`)さっきのおじさん、たくあん食ってたね」
「(´- `*)大丈夫かな?」
「(*´ -`)借りとく?」
こんな感じでした。(失礼)
そして更に照明係やステージ転換係、SE、緞帳係など、
沢山の人手が必要だと気付く。
同級生にスタッフをお願いすると
みんな快く手伝ってくれる事に。
(・∀・)
ありがとう。
周りの人達が協力してくれて
思考が現実化していく。
あの日の一言が波紋のようにどんどん広がって
運命が加速していくような、
すべてが輝いていた半年間でした。
宇宙はいつでも願望を現実化する用意ができているという事を教えてもらった。
・・・・そんな中
学校とPTAがライブを阻止しようとしていた事など
突っ走っているぼく達には知る由もありませんでした。
つづく
今考えると末恐ろしいクソガキ共ですけど
下仁田町に見晴らしの良い建物、RC造の建物なんて学校と病院くらいしかないんです。
(だからおれが建ててやった)
屋上で秋風に吹かれ、下仁田の町を背にかっこつけて撮影。
“ここから見下ろせる景色すべてがおれ達のものだ”と思ってました。中3ですから。
写真を現像、コピー用紙に貼りつけて
フライヤーデザインに取り掛かりました。
まさか大人になって毎年何万枚もフライヤーを作る事になるとは…
人生はほんとに不思議。
ポスターはそんなに枚数刷らなかったので
現物が残っていないのが残念ですが
なんせ処女作、
キャッチコピーは一言一句忘れずに覚えています。
『1988 12/24 Xmas GIG
入場無料 インディアン嘘つかない 荻原ケツふかない』
_, ,_ パーン
( ‘д‘)
⊂彡☆))Д´)ケツは拭いとけ
「\(・∀・)会場で音出してみよっか」
そもそもライブハウス未経験、
どれくらいの音で演奏すればお客さんに聴こえるのかさえ分かりません。
一度文化ホールを借りて実際に音を鳴らして確認してみる事にしました。
先輩に借りたアンプと、兄貴に借りたギターと、スネアドラムを持ち込み演奏。
ステージに立って楽器を鳴らすという初めての経験に
みんな鳥肌を立て感動していた時…
「(`・ω・´)そんな小っちぇえアンプじゃだめだ!」
「(゚Д゚≡゚д゚)は?」
いつの間にか知らないおっさん達がいる。
「(゚д゚)…ていうか誰?」
桃姉ちゃんの旦那さん達でした。
昔バンドをやっていたらしい。
俗にいう第一次バンドブーム世代ですね。
「(`・ω・´)ベースアンプ持ってねえのか?」
「(゚д゚)えっ?」
「(`・ω・´)貸してやるよ」
「(゚д゚)えっ?」
“中学生がバンドを組んだらしい”
“ホールでライブをやる気らしい”
せまい田舎町での微笑ましい出来事に
好奇心と老婆心を抱くおじさん達の気持ち、今なら身に染みて分かりますが
当時はそれほどありがたさも感じなかったんですよね。
「(´- `*)なんでそんな事してくれるのかな?」
「(*´ -`)さっきのおじさん、たくあん食ってたね」
「(´- `*)大丈夫かな?」
「(*´ -`)借りとく?」
こんな感じでした。(失礼)
そして更に照明係やステージ転換係、SE、緞帳係など、
沢山の人手が必要だと気付く。
同級生にスタッフをお願いすると
みんな快く手伝ってくれる事に。
(・∀・)
ありがとう。
周りの人達が協力してくれて
思考が現実化していく。
あの日の一言が波紋のようにどんどん広がって
運命が加速していくような、
すべてが輝いていた半年間でした。
宇宙はいつでも願望を現実化する用意ができているという事を教えてもらった。
・・・・そんな中
学校とPTAがライブを阻止しようとしていた事など
突っ走っているぼく達には知る由もありませんでした。
つづく