2018年08月
書道が上達(?)
展覧会に出品していた娘の作品が戻ってきました。
父「上手(?)にはなったかな。」
同じ教室のお友達はおおむね、なんらかの賞をもらっているのですが、娘はもらえませんでした。作品を見て、まぁ納得です(笑)
父「何で『京都』?」
娘「いいじゃん。」
いいけど。気になる。
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広島・神戸・淡路島?
香川です。
前回に引き続き自分のルーツ(母方の)を調べる旅です。
さぬき市役所についた私は祖父の戸籍謄本ととりました。
父(自分)「『先祖供養のため』、祖父の戸籍謄本を取りたいのですが。」
市役所の職員「分かりました。どこまでの戸籍謄本がほしいですか?」
父(自分)「たどれるだけ、たどってください。」
20分ほど待って、市役所の方からメモと戸籍謄本を受け取りました。
曾祖父の久吉さん(明治21年生まれで二男)が、8歳で神戸の「〇岡家」に養子になったことや、久吉さんの実家の藤井家が広島県広島市宇品町であったこと、などが確認できました。ちなみに高祖父の藤井利吉さんは嘉永元年生まれでした。嘉永元年というと、もちろん黒船来航前です。高野長英が宇和島に逃げたり、佐久間象山が大砲を鋳造したり、葛飾北斎も存命中でした。
父「当たり前だけど、歴史はつながってるんだ。」
改めて実感しました。
この後、寒川町石田に戻り、章さん(私の祖父)がお盆に墓参りをしていた墓を探しました。
記憶をたどりながら石田の街(魚屋さんもお菓子屋さんも呉服店もなくなっていました)を歩いて、何とか見つけたお墓には「藤井家」と刻まれていました。
父「久吉さんの実家のお墓だったんだ。」
実家に戻り、おばあさま(父方の祖母:わたしの母)に報告しました。
おばあさま「おじいちゃん(章さん。私の祖父)は、養子だったのよ。」
父「戸籍ではそうなってないけど。」
おばあさま「おばあちゃん(芳枝さん。私の祖母)も『養子』って知ってたよ。淡路島に行けば分かるかも。」
章さんは生後間もなく、〇岡家に養子に入ったそうです。戸籍からだけではわからないこともあるらしいです。
おばあさま「石田(の実家)には、みんな着物を着て、日本髪を結って写っている写真があったんだけど・・・。」
どうも久吉さんと私は血がつながっていないみたいです。あと藤井家の親戚筋は原爆に被ばくしたということを聞きました。
なぜ章さん(私の祖父)が、養子に入ったかという謎は、助次さん(私の高祖父)の戸籍をたどってみなければいけません。
市役所の職員「神戸市中央区に申請してみてください。」
住所と電話番号、申請手続きの方法を教えていただきました。
次は神戸市中央区、淡路島です。
ということで、自分のルーツ(母方の)を調べる旅は、今年はここまでにします。
押してくださっているみなさま。いつもありがとうございます。
前回に引き続き自分のルーツ(母方の)を調べる旅です。
さぬき市役所についた私は祖父の戸籍謄本ととりました。
父(自分)「『先祖供養のため』、祖父の戸籍謄本を取りたいのですが。」
市役所の職員「分かりました。どこまでの戸籍謄本がほしいですか?」
父(自分)「たどれるだけ、たどってください。」
20分ほど待って、市役所の方からメモと戸籍謄本を受け取りました。
曾祖父の久吉さん(明治21年生まれで二男)が、8歳で神戸の「〇岡家」に養子になったことや、久吉さんの実家の藤井家が広島県広島市宇品町であったこと、などが確認できました。ちなみに高祖父の藤井利吉さんは嘉永元年生まれでした。嘉永元年というと、もちろん黒船来航前です。高野長英が宇和島に逃げたり、佐久間象山が大砲を鋳造したり、葛飾北斎も存命中でした。
父「当たり前だけど、歴史はつながってるんだ。」
改めて実感しました。
この後、寒川町石田に戻り、章さん(私の祖父)がお盆に墓参りをしていた墓を探しました。
記憶をたどりながら石田の街(魚屋さんもお菓子屋さんも呉服店もなくなっていました)を歩いて、何とか見つけたお墓には「藤井家」と刻まれていました。
父「久吉さんの実家のお墓だったんだ。」
実家に戻り、おばあさま(父方の祖母:わたしの母)に報告しました。
おばあさま「おじいちゃん(章さん。私の祖父)は、養子だったのよ。」
父「戸籍ではそうなってないけど。」
おばあさま「おばあちゃん(芳枝さん。私の祖母)も『養子』って知ってたよ。淡路島に行けば分かるかも。」
章さんは生後間もなく、〇岡家に養子に入ったそうです。戸籍からだけではわからないこともあるらしいです。
おばあさま「石田(の実家)には、みんな着物を着て、日本髪を結って写っている写真があったんだけど・・・。」
どうも久吉さんと私は血がつながっていないみたいです。あと藤井家の親戚筋は原爆に被ばくしたということを聞きました。
なぜ章さん(私の祖父)が、養子に入ったかという謎は、助次さん(私の高祖父)の戸籍をたどってみなければいけません。
市役所の職員「神戸市中央区に申請してみてください。」
住所と電話番号、申請手続きの方法を教えていただきました。
次は神戸市中央区、淡路島です。
ということで、自分のルーツ(母方の)を調べる旅は、今年はここまでにします。
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キーワードは戦後(約70年前頃)、石田村、自転車業
香川です。
自分のルーツ(母方の先祖)を調べてきました。
聞いていることは、戦後、私の曾祖父の久吉さんが石田村(現さぬき市寒川町石田)で自転車業をしていた、ということです。
寒川図書館で資料を調べました。
父(自分)「戦後、石田で自転車屋さんをしていたらしいのですが、それが分かるような資料はありますか?」
図書館の方「う~ん。郷土関係の資料のコーナーはあるんやけど・・・」
なかなかそれらしい資料は見つかりませんでしたが、「寒川町史」を発見しました。
寒川町史「戦後は物資が豊富になり、生活様式の改変は衣食住の変革を伴い、交通機関の発達により生活圏の拡張を招き、商工業の様相は小規模から大規模に、雑貨から専門に、行商から店舗へと推移した。」
下線を引いたあたりは、私の曾祖父(久吉)の自転車屋さんと関係がありそうな記述です。
↑ 久吉さんの自転車屋さんがあった場所。現在は違う方の住宅になっています。両隣とお向かいは変わっていないようです。
神崎村(石田村の隣)の昭和22年の企業状況では、自転車業が3つあったこともわかりました。自転車業よりも多い業種は、大工、左官だけです。自転車より生活に必要だと思われる、食料、肉、理髪は1でした。ちなみに自動車はありませんでした。
父「自転車屋はそれほど珍しくなかったんですね。」
写真でも残っているかと思っていましたが、これほど自転車屋さんの数があるとなると、厳しそうです。
寒川図書館で分かったのはここまででした。
コミュニティバス(ワゴン)で、さぬき市役所に向かいました。
押してくださっているみなさま。いつもありがとうございます。
自分のルーツ(母方の先祖)を調べてきました。
聞いていることは、戦後、私の曾祖父の久吉さんが石田村(現さぬき市寒川町石田)で自転車業をしていた、ということです。
寒川図書館で資料を調べました。
父(自分)「戦後、石田で自転車屋さんをしていたらしいのですが、それが分かるような資料はありますか?」
図書館の方「う~ん。郷土関係の資料のコーナーはあるんやけど・・・」
なかなかそれらしい資料は見つかりませんでしたが、「寒川町史」を発見しました。
寒川町史「戦後は物資が豊富になり、生活様式の改変は衣食住の変革を伴い、交通機関の発達により生活圏の拡張を招き、商工業の様相は小規模から大規模に、雑貨から専門に、行商から店舗へと推移した。」
下線を引いたあたりは、私の曾祖父(久吉)の自転車屋さんと関係がありそうな記述です。
↑ 久吉さんの自転車屋さんがあった場所。現在は違う方の住宅になっています。両隣とお向かいは変わっていないようです。
神崎村(石田村の隣)の昭和22年の企業状況では、自転車業が3つあったこともわかりました。自転車業よりも多い業種は、大工、左官だけです。自転車より生活に必要だと思われる、食料、肉、理髪は1でした。ちなみに自動車はありませんでした。
父「自転車屋はそれほど珍しくなかったんですね。」
写真でも残っているかと思っていましたが、これほど自転車屋さんの数があるとなると、厳しそうです。
寒川図書館で分かったのはここまででした。
コミュニティバス(ワゴン)で、さぬき市役所に向かいました。
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