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お父さんの想い出 Archive

久しぶりの更新になります。


久しぶりの更新になります。
そんでもって新年早々相応しいネタでないのも承知しておりますが、、

実は12月半ばに父を亡くし、その後の色々でしばらくの間更新ができていませんでした。

そもそも、このブログは、10数年前に、お父さんにPCに興味を持ってもらうために始めたものなので、
その本来意図していた父を亡くした今、これからも本当に続けていく必要があるのかってことでも悩んでいました。

ちょっと前にも、お父さんいるいないに関わらず、このブログは続けていくって書いたことを記憶しているのですが、
実際、父を亡くしてみると
こんなブログでも、父と僕の間でのいいコミュニケーションツールだったことに気付いた、
いや、そんなことではなく、
実のところ、自分の独り善がりで、自分の生活を見せつけていただけ、
それも、父の見れなかった世界をちょっとでも多く見れたことについての優越感に浸っていた、
それに対して、
この一ヶ月間で一番強く感じたこと。
それは、お父さんが僕よりはるかに密度が濃い人生を送っていたってことです。

詰まるところ、きっと父さんは、
「俺の息子はなんて薄っぺらい人生を過ごしているんだろう、、」
ってことを、この10数年、僕がブログを更新する度に、そう思っていたのではないかってことですよ。

レストランや食べ物ネタの多さに、親父も苦言を呈したしたことはありましたが、
それでも、それ以上の、苦言はなかった。

考えてみたら、、結構惨めなことですよ。

そんなこと考えていると、流石に、このブログも続ける必要ないだろう、と思うのが普通ですよね。

じゃあ、なんでまた、更新しているのかってってことなんですけれど、、
詰まるところ、、
こんな今日書いた思いですら、こんなブログ以外に、誰にも話せる人すらいない現実、
いや、そんなことは、どうでも良くて、
自分の気持ちだけは、とこかに書き残しておきたいな、、
それだけのために、これからも更新を続けることにしました。。


形見

P1920160 (1)

親父の形見に頂いたのがこちらの時計。
実はこの時計、僕が結婚した時の祝い返しとして、両親にプレゼントした時計です。
今から23、4年前のことですね。
30代半ばを過ぎているにも関わらず、あの頃は、こんな時計ですら、僕らにとっては結構な出費でした。

それが今回こんな形で、僕に戻ってきました。

実は、これとは別に、もう一つ、とても欲しかった形見があって、
それは、父さんの年季の入ったボルサリーノの帽子。

僕とは違って、オシャレにこだわっていた父で、いつも外出時にはその帽子を被っていたのですが、
これが結構サマになっていて格好良かったんです。

しかし、その帽子は、父の愛用品として、棺桶の中に入れられていて、
そこから取り出す勇気はなかった、と言うより、
もし頂いたとしても、普段から帽子とか身につけない僕なので、
そのあと、埃かぶるだけはどうなんだろうと思い、
敢えて取り出すことはしませんでした。

せめて、その帽子の写真だけでもと思ったのですが、
それも、結局撮ることできず、、、 あぁ、なんてこった。

P1920165 (1)

777

P1920025 (1)

8月から何度大阪に帰省したのか定かじゃないんですけれど、
こちらが、お父さんがいる大阪に帰る最後のチケットになりました。

偶然にも 777 なんて値が記載されていて、
しかもこの日は日本晴れ、、
帰省する二日前に、父の状態が急速に悪化しているとの連絡があったものの、
縁起の良さそうなチケットもあって、
この時点では、まだ実家に帰れば、なんかいいことが待ってるのでは、、なんて思っていたんです。

呑気なもので、道中では、この前に帰省した時には、煮魚を美味しいと食べてくれたので、
今回もまた、同じカレイの煮付けを作ろう、、なんて思っていたんです。

しかし、新幹線を降りて、在来線で実家に戻る最中に、
「父が危篤状態にある」って連絡があり、
実際、帰宅すると、
父さんは、すでに僕のことも認識できているのかどうかもわからない状態。

この一ヶ月の間に色々ありすぎて、つい半月前のことですら、僕の記憶はあやふやなんですけれど、
結局、僕がお父さんとまともに会話がすることができたのは、今回の前に帰省した時(二週間前)だったにも関わらず、
その時ですら、きっと僕は込み入った話は、またの機会でいいだろうって感じで、
お父さんときちんとした会話してなくて、、

今回の帰省時では、もうほとんど父はまともに話せるような体力は残っていなかった、、
にも関わらず、危篤状態と知った人たちが、次から次へと見舞いに訪れてきて、
いなくなった頃には、僕が話すのも何の、父さんを安静状態にしてあげないと可哀想な状態、、
しかし僕は僕で、話せたからと言っても、僕が話したい内容といえば、、
「お父さんが僕に期待していたことは、ほとんど何もできずじまいだったことについて、とにかく謝りたいだけ」
なので、そんなことを話すのに、周りに誰もいてほしくないので、話せる機会がなかなかやってこない。
一方で、こんな時にまで、出来損ないの息子の泣き言を父が聞きたいだろうか、、ということもかなり疑問。

結局、最後まで、僕が父さんに伝えたいことは、最後まで話すことはできませんでした。

P1920028.jpeg

告別式で利用した音楽

















忘れない前に、告別式でながしてもらった曲をまとめておきました。
これも、もっと事前に用意しておけばよかったものの、実際集め始めたのは、告別式が行われる3、4時間前から、、
それも通夜式で4時くらいまで飲んでいたせいで、まだアルコールが抜けて切れていない中、、
一生懸命、iPhoneでYoutube立ち上げて選曲作業を始めるという、、
なんというバカ息子でしょう。

父さんは若いころから、モダンジャズ、ビックバンドジャズ、またその頃の洋画(1950年頃)の造詣が深く、
僕がまだ幼すぎて音楽のことなんて全く興味がなかった頃から、
その類の話を聞かされていたとおもうのですが、そういった話がつながりはじめたのは、
僕が社会人になってジャズを聴き始めてからですかね(それまではロック一辺倒でした。。)。

そういうことで一度はお父さんと一緒にJAZZBARに行ってみたいと思っていたのですが、
とにかく何をするにも行動力に乏しい僕、僕自身が定期的にライブに行き始めたのがここ数年前だったこともあって、
結局これもできずじまいで終わってしまいました。

一方、うちの父さん、どう転んでもネアカな人間には見えないし、
僕が幼い頃は、父さんの生い立ちなど一切話してくれなかったので、
確固たる根拠はないものの、話したくないような暗い過去を抱えていると思い続けていたものの、
なぜか、特に洋曲ものは、明るい曲調を好んでいたので、
告別式に選んだ曲も、そういった系統のもの、
確実に父さんが好んで聴いていた音楽を選曲しました。

もちろん、日本のオヤジなので、石原裕次郎、鶴田浩二、小林旭系統もよく聴いていたので、、
そちらからも、下記の曲を入れたのですが、、
葬儀屋さんが、多くの方がオーラスでかけられる曲ということで、、
そのままオーラスに利用されてしまいました。
僕的にそれが正解だったのかは、いまだに自問しているところ、、というのも、



もう時効だと思うので書いときますが、
僕がオーラスにかけようと思っていた曲はこちら。
こんな曲、父さんは聴いたことがないし、また、明るいと曲調とは思えないこの曲を入れること、
キリスト教徒でもない父に、それっぽい音楽を入れるのもいかがなもんなのか等
最後まで悩みましたが、結局こちらの曲を入れるのはやめときました。



三行日記 2



その大昔、三行日記をつけるべし、、なんてことをこのブログに書いたことがあるのですが、
この前、お父さんの遺品整理をしてた時、
なんと、お父さんが書いていた三行日記をみつけたんです。

僕のブログで書いたことがきっかけだったとは思いませんが、
僕が見つけた一冊は2020年1月から始まっていて、
一ページ、一日で、それが年ごとに行が分かれているんです。
よって、例えば今日の日記を書く蘭のすぐ上の行に、2022年、2021年、2020年の同日に書いた分が読めるわけです。

最後のエントリーは9月中旬、大腸にできた静脈瘤が破裂して、緊急入院した時で、
ほとんど殴り書きのような書き方で、かなり痛みに苦しんでいたことがわかります。
8月に病気が発覚して以来、僕には全然影響がないと話していたにも関わらず、
8月中旬くらいから影響が出ていたようで、「アルジャノンに花束を」の日記のような感じで、
書き方も日増しに崩れていきます。

見つけた時は、まだ葬儀が終わった数日後だったこともあり、
なんでこの日記のことを教えてくれなかったんだろう、
本人は続けられなくなってかなり悲しかったと思うんですが、
そんな感情ですら誰にも打ち明けなかったのは何でだろう
とか、そうった思いだけで僕の頭はぐるぐる状態になって、
見つけた時は、書いたことをほとんど読むことができませんでした。。
よって東京に持ってくることもしませんでした。

お父さんが亡くなって約一ヶ月が立った今、、
ようやく、読んでみたいという気持ちが強くなってきました。






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