私心があると人を正しく判断することはできない
今日もヒルティの幸福論からの引用と、それに対する太郎の考えを述べたいと思う
彼に寄れば、人を知るとは人を正しく判断することである。これを妨げるのが私心(利己心)
である。私心がある人間は自分の利益を追求するために人を判断するから人を正しく
判断することはできない。これを前提に会社の労務管理である人事評価制度を考える
太郎にとって会社で働くとは、自分の内側に不足が発生している(つまりカネが必要)ので
その不足分を自分の外側に頼る行為である。なので、会社員とは不足している人間で構成
されていて、言葉を変えれば全て100%自分の利益を追求する利己主義者で構成されている。
だから会社員の中に聖人は存在しないし、世の中に聖人が居るとしたらそれは会社の外にいる。
利己主義者である私心を備えた人間は人を正しく判断することはできないとはヒルティが述べて
いることであるが、この前提に従えば、労務管理の担当者が会社員である限り誰がその職務を
遂行しようが、人を正しく判断することは不可能だ。人を正しく判断するための制度が労務管理
の人事評価制度であるにもかかわらず、評価する人間が私心を備えた人間である以上、
実際にはそんなことは不可能なのだ。不可能なことを可能だと誤謬している会社員どもは
非常に滑稽だ。どこの会社に行こうとも苛まれ続ける理由はこんなところにあったのかもしれない。
彼に寄れば、人を知るとは人を正しく判断することである。これを妨げるのが私心(利己心)
である。私心がある人間は自分の利益を追求するために人を判断するから人を正しく
判断することはできない。これを前提に会社の労務管理である人事評価制度を考える
太郎にとって会社で働くとは、自分の内側に不足が発生している(つまりカネが必要)ので
その不足分を自分の外側に頼る行為である。なので、会社員とは不足している人間で構成
されていて、言葉を変えれば全て100%自分の利益を追求する利己主義者で構成されている。
だから会社員の中に聖人は存在しないし、世の中に聖人が居るとしたらそれは会社の外にいる。
利己主義者である私心を備えた人間は人を正しく判断することはできないとはヒルティが述べて
いることであるが、この前提に従えば、労務管理の担当者が会社員である限り誰がその職務を
遂行しようが、人を正しく判断することは不可能だ。人を正しく判断するための制度が労務管理
の人事評価制度であるにもかかわらず、評価する人間が私心を備えた人間である以上、
実際にはそんなことは不可能なのだ。不可能なことを可能だと誤謬している会社員どもは
非常に滑稽だ。どこの会社に行こうとも苛まれ続ける理由はこんなところにあったのかもしれない。
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