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「前を」 「ああ、ごめん。まったく僕に興味がないのは、うーん男としては悲しいね」 「すべての人にちやほやされたいのでしょうか?」種田は仕方なく話をあわせた。普段は確実に無言でやり過ごす、問いかけ。 「そう、言われると口ごもっちゃうな。どうかな、ああんと、やっぱり好みのタイプに言い寄られて欲しいよね、心理としてはそうでしょう?」 「では、大勢の好みのタイプに言い寄られるのは?」 「うっ、なんだか僕の意見を踏み潰そうとしてない?」 「しています」 「はっきりと、まあ」車列の先頭から徐々に停止の波が打ち寄せる、車がひとつ前の車両の数十センチ後方へ速度を落とす。「だけど、大勢の中から選別するのって、い…
日井田美弥都の指摘は主に二点。身元不明の死体と死亡当夜の現場の状況は何らかの意図を含む。もう一点は、私たちのアプローチが捜査の手詰まりの要因である。 また、頼ってしまった。種田は顔をしかめる。まったく、情けない。一般市民を頼る警察に信頼などを置けるものか。仕方ないと言い訳を立てたのは、しかし私自身だ。種田は、何気ない視線をフロントガラスの向こうで煙草を吸う鈴木を見つめる。彼は雨よけに張り出した庇の裏側を覗く、鳥の巣が見えた。ツバメの巣のようだ。 鈴木が車に戻る。 「手紙に隠された暗号とやらは見つけられた?」エンジンをかけて鈴木がきいた。お尻に入れた財布を取り出す動作で、助手席側に顔が迫る。が、…
ええ、そうですね、そろそろ時間が気になるのでしょう、約一分で、それでは事件の説明に移りましょう。ああ、ただし、いっておきますが、あくまでこれは予測であり、不確かな要素がたぶんに含まれた想像であることを、お忘れなく。はい、急いでますか、ええ、私もあなたたちとのおしゃべりで大幅な作業の遅れが発生してます。明らかに喫茶店の店員の業務を逸脱している、と訴えることも可能でしょう。そうですね、黙っている方が利口ですよ。私に喋るな、とは口が裂けても言えません、本当に黙りますし、それが私の標準の機能ともいえますので。さて、事件についてはどこから話しましょうか。端的に、ですね。まず、死体の移送が警察によって迅速…
美弥都が発した言葉は息継ぎを忘れる。とめどなく、制限時間を設けなければ、永久に彼女の透明な声を聞いていられただろう。コーヒー豆の容器が並ぶ背後の棚に置いてあったタイマーつきの時計が、午後一時を知らせる合図を奏でたので、事件の回答はそこで途切れた。 種田は出力した文面を車内で読みふける、現場に向う海道沿いのコンビニの駐車場に現在、車を止めていた。 文面は以下のようであった。 「お互いに面倒なことに巻き込まれましたね。あまり、警察の方々への協力は控えるよう、忠告をしておきます。一度や二度が、三度四度と回を重ねるのが、この方たちの手法ですから。事件についての、見解でした。はい、応えますよ。時間は平等…
「そちらの刑事さんが、理解されてると思います」美弥都が送った茶色の瞳を種田はがっしりと受け止め、弾き返してやろうと願ったつもりが、すぐにそらされてしまった。読まれていたか……まったく、抜け目がない。 「まず、私の本意でここへ、あなたを目的に、話を窺いに、わざわざやってきたのではありません、という弁解が必要です」鈴木は種田を睨みつけた、黙っていろ、彼は口を塞ぐジェスチャー。 「あの、こいつじゃなかった、種田のことは気にしないでください。僕が事件についてのレクチャーを受けに来た張本人ですから」とん、と鈴木の胸が叩かれた。折れそうなほどの厚み。内部に響くどころか、破壊の不安を煽ってしまう。 「何度目…
喫茶店では何者かが監視カメラで見張っているかのように、こちらが動きやすく店内の配役がこぞってどこかへ誘導されるみたいな場面の転換が訪れた。トイレに立つ種田を合図に、カウンターの光景は鈴木を残し、体温を残す素のスツールがトイレを出た彼女を出迎えた。そういえば、ここの店主の姿は見えない。種田にとっては好都合、といえる。ここの主人は警察に対する警戒心が人一倍強い、もちろん警察が店内において殺人や死体、拳銃などのワードを発するのだから、弁解の余地はないものと受け止めている私だ。 「日井田さん、少しお時間、よろしいですか?」鈴木は大胆にも片付けに奔走する彼女に問いかけた。シンクに流れる水流が聞こえる、種…
店主が語った内容を鈴木が打ち込み、印刷した用紙をカウンターの衝立に店員に見えるよう鈴木が置いたのが、数分前。美弥都は作業の片手間に紙を覗き込む仕草を一度だけ行った。一度で覚えたのだろう。そうではないか、画像として記憶にとどめた、速度だったと思う。お客が帰らないと、事件の話は聞けない、これは鈴木も承知していて、喫茶店には付き合うが、三十分以内に返答が聞かれなければ、即座に店を出て現場に向う、と種田は車内、喫茶店の駐車場で約束を交わしていた。現場に戻ったとして現場周辺の捜査は限られているのだから、と鈴木は反論したが、ネットに溢れた目撃情報の変容が気にかかったのだ。昨夜自宅に戻り、珍しく種田はネット…
店主が語った内容を鈴木が打ち込み、印刷した用紙をカウンターの衝立に店員に見えるよう鈴木が置いたのが、数分前。美弥都は作業の片手間に紙を覗き込む仕草を一度だけ行った。一度で覚えたのだろう。そうではないか、画像として記憶にとどめた、速度だったと思う。お客が帰らないと、事件の話は聞けない、これは鈴木も承知していて、喫茶店には付き合うが、三十分以内に返答が聞かれなければ、即座に店を出て現場に向う、と種田は車内、喫茶店の駐車場で約束を交わしていた。現場に戻ったとして現場周辺の捜査は限られているのだから、と鈴木は反論したが、ネットに溢れた目撃情報の変容が気にかかったのだ。昨夜自宅に戻り、珍しく種田はネット…
喫茶店のカウンター、入り口から最も遠い奥の席に種田と鈴木は座る。コーヒーを注文したばかりで、テーブルには水の入った氷が浮かぶグラスと鈴木の前には陶器の灰皿が並ぶ。彼は煙草とライターを取り出すも、車内で一本消費していたので、躊躇っているのだろう。 ここはO市とS市の境目、Z地区の海岸沿い、石造りの建物が特徴的な店である。昨夜、飲食店の店主への訪問を最後に仕事を切り上げた。そして今日を迎えた早朝に一度O署に書類の提出のため車に乗るつもりが、エンジンの不具合によって、急遽鈴木に送迎を頼んだ種田だった。疲れていたのか、通常よりも遅く目が覚め、電車では出勤時刻には間に合いそうもなかったのだ。鈴木に不要な…
「複数聞き及んだワードに飛行船の言葉が現れていたのは確かですね。あまり、最近では聞かれなくなったので、耳に残っていたのでしょう、普段ならとっくに忘れ去ってしまうたわいもないお客さんの会話。たぶん、あなたが言うように、事件との関連をお客さんも見出していたらしい、との予測を立てました。情報が少なすぎる場合においての予測は、憶測・想像の範囲を出ませんし、それゆえに納得させる材料も不十分だった。まあ、一席設けた食事での盛り上がりとしては有効的な手段といえましょうか。話が逸れたのはそちらの誘導、質問の仕方の不備だということも、ありますので。はい。ブルー・ウィステリアですか?会話で飛び交っていたように思い…
ベルが鳴って、最後尾の車両、側面、ドアの上部左端の赤いランプが消えた。視線を感じる。乗り遅れた、浅はかで残念な人、降りた乗客に映った印象が私たちに統一されたらしい。おもしろい。他人の思想が如実に、しかもありありと覗けるとは。思ってもみない。意識は伝播するようにも感じた。簡単なのだろうか、想像することが……。 引き返した鈴木が苦笑い、テレを隠して頭を掻いた。 「鈴木さん、PCは持っていましたか?」 「ああ、昨日買った大画面の端末ならあるけど」地下鉄の残響、キュルキュル。 「私が話します、それを打ち込んでください。どこかでプリントアウトも」 「覚えていられるだろう、それぐらい」 「私だけが覚えてい…
終電に間に合わせる急ぎ足の乗客、地下に降りず、地上を北に走る傘を抱えた疾走、ゆったりとまどろんだ相合傘の男女、打ちひしがれた傘を持たないずぶ濡れの誰か、駅前通りに一歩出ただけでこれほどのバリエーション。 店主は鈴木に時々顔を向け、早口で応える。おそらく聞き返されたり、詳細を尋ねたりされることを嫌ってのことだろう。この人物も無口、寡黙な人種と種田は断定をしていた。階段を下りて地下へ。地下の床も濡れた場所が光の加減と物理的な質量で目に入った。改札はすぐそこだ。こまか質問から大まかな括りへ鈴木は問い方を変えた。できる限り店主に喋らそうという魂胆らしい。改札を抜ける。人が足早に、三人を追い越す。終電の…
寒気がした。体が震える。体温の維持を求めた刻み込まれた性質。 種田はじっと答えを待った。店主は安穏として、穏やかに二人に視線を移しつつ、ときにホールに目をやり、厨房の足元を覗くように身をねじり、また引き戻ってコーヒーを傾けた。カップは九十度を越えたために、飲みきったことが証明された。経験に裏打ちされた想像よりも、液体が流れ落ちる急角度が判定を引き出した。店主はカップを置く。 「店を閉めます。お引取りを」 「ほんの数分で結構ですから、何とか時間をくれませんかね?」鈴木が猫なで声で言った。しかし、店主は構わずにコックコートを脱ぎ去る。腰に巻く、しみが飛び散るサロンも解き、くるくるとそれらを体の前で…
「これは、お願いですか?」店主は澄み切った瞳で尋ねる。「それとも、要請でしょうか。私にはどちらかというと、後者それも多少圧力のかかった返答が標準的な行動規範のようにも感じられる」 「受け取り方はあなた次第。手がかりが足りないのです」種田は訴えた、小細工は通常しない、それもあの女に習った。 「お客さんの会話を、あなた方にお伝えするのは気が引ける」店主は種田の左後方、まだドア前に立つ鈴木に目線で合図を送った。この女をどうにかしてくれ、といういわば邪魔者を扱う無言の提案。いいや、警告に近いな。種田は、しかし引き下がろうとはしない。さらに、食い下がる。 「どなたが話したか、正確な情報は隠してくださって…
Formula、ではなく、寧ろFuture、未来を見据えた試作機。 F90、それは次世代選考MS評議会に提出された海軍戦術研究所、Strategic Naval Research Institute(S.N.R.I=サナリィ)による機動兵器(MS)で長らく正規MSの開発生産を維持し続けていた民間の軍事開発会社だったA.E. (Anaheim Electronics)に取って代わる性能を評議会で示したのだ。 F90の特徴は今まで性能向上や長距離推進と継続任務維持のために巨大化し続けてきたMSに対して高性能且つ、小型化に成功した機体だ。 最大の特徴はあらゆる戦局に対応できるよう追加武装を安易に行え…
ある人物と似通った性格と思考回路だったの種田はよく覚えている。あたりに散らばる冷厳な雰囲気や言葉数の少なさも類似点の一つだ。自分が言うのもなんであるが、端的に物事を言ってのける能力を持つ者は、いくらでも枝葉をつけられる。ようは、的確な観測がなされている、種田の持論だ。 鈴木は持ち前の明るさを前面に、事情を話す。「実は、先週の金曜について、いくつか知りたいことがあります」 「私にでしょうか?」 「噂を聞いてませんか。飛行船の」 「飛行船?」 「金曜の夜、午後九時ごろにS市上空を一機の飛行船が遊覧しているのが、目撃されたのです」 「仕事をしてましたので、外の様子は見られません。飛行船と私になにか関…
「こんばんわ」ハンカチで頭部と肩口、それから上着のスーツに弾かれた水の玉を払う。駐車場を降りた途端に降り出した雨にかち合い、鈴木が雨男と雨女の話の起源は作物に生育に欠かせない雨が昔は重要視されて、そこに雨を降らせる儀式の印象が引き継がれて、現代では晴天を望む特別な日取りに雨が降るとその場の人間、傾向として女性が降雨の要因という不確かな烙印を押される、ネガティブな印象に雨が摺り替わった形で受け継がれた、と断定をした。種田はその持論に肯定も否定もしなかった。話が途切れた信号の横断にこれまたタイミングよく雨足が強まったので、返答の機会を失った、ただし、答えずに足を進めた理由は彼女は用意してはいた。 …
第1話 激情の眠れぬ女騎士女は、首都高速から中央自動車道に乗り継いだ。都会はまだ、眠りの中にある。車の時計に目をやると、午前四時三十五分。カセットからは、バ…
「わかりました。帰ります。ですが……、納得のいく答えであるならば、という条件をつけさせてもらいます。私は店の経営に関わります、店長が移転を押し切りたいと強く訴えるなら、私を説き伏せるだけの説明を」 「なんだか、大げさだね」 「時間がありませんよ。終電は迫っています」 店主は国見の顔を三十秒ほど感情を殺した瞳で見つめた。 当然、彼女はひるみ、たじろぐ、むずむず顔のパーツがうごめく。 我慢が切れた意識の変容が狙い目。いまだ。 「……つまり、新鮮さのなかに古さを込めてみようと思うんだ。外観は新しく、お客も初見のお客を想像に上げる。おそらく常連客も足を運ぶ予測は立てる。すると、店に並ぶお客たちは新旧は…
「僕だってふざけているつもりはないよ」店主はカップの蓋を取った。彼女は一歩前に近づき、肩にかけたバッグをかけなおす。左手で受け取ったカップを右手に持ち替えた。 「だったら……、話の途中にコーヒーなんて買いません。いいですか、店長。あのですね」 「君の意見は考え尽したさ。ただ、不条理な世界が、現実というものだ。諦めきれない、執着も時には必要だね。ただし、すがるのはよくない。留まるのも危険だ。常に動いている、だから横槍を入れられた時、平然としていられる」店主は聞く耳を持った彼女に言う。タイミングをずらした買出しはどうやら成功したらしい。「変わり続ける、傍からは動いていないと思われがちだ。同じ場所、…
「聞きたくない。聞かない権利は僕にだってあるはずだ。君が店の将来を案じて弁護士に僕を介さずに、事情を話し打開策を聞き出すようにね」 「行過ぎた判断と承知の上です。拒否されるもの想定してあります。それでも、私はこの店のためを想ってこそだと行動に移した。どうか聞き入れてください。選択の一つに、ここに留まる可能性を残して欲しい」潤んだ瞳が見えた、照明ためだろうか、店主は肩を落とした。落胆ではない、単に肩の力みをほぐしたのだ。 「誘われたビルへの移転をかなり警戒、軽蔑視してるね、国見さんは」 「当たり前です。いくら一等地、一階の好条件だからといって、お客さんはいつも店を構える日曜定休日のうちの店を目当…
乾いた布でサツマイモの水分を取った。後ろでタイマーが鳴る、サツマイモが蒸かしあがったらしい。館山がトマトのホール缶を抱えて、厨房に戻る。ぶつぶつと何かを呟き、店主と小川の間を通り抜ける。釜の横が今日の彼女が確保した調理スペースらしい。作業場は日によって異なる。ランチタイムにピザを焼く担当が館山だった。 雨が降り出した。ディーナーの前に小雨がぱらつき、屋内から外の様子が見えにくくなって忙しない人通りは、仕事の合間に視界に入る、出窓の景色はいつもよりも早々に打ち切られた。お客の入りは芳しくなく、それでもかろうじて席は満席を待機のお客が一組というラインを保って、本日の営業を終えた。 厨房内で、店主は…
「偶数で多数決を取ると奇数よりも選択が鈍化してしまう確率が高い。小川さんは勘違いしてるようだけれど、僕は多数決で決めるつもりはない」 「ええっつと、しかしですよ、私たちに意見を求めたのですから、店長の最終決定に反映されることに違いはないように捉えますよ、私小川は」 「そう思ってもらって構わないよ。だって、まだ小川さんの意見しか聞いていない」 もう一人の厨房の従業員である館山は通路の先、ちょうど厨房の食洗器が張り付く壁の真裏にある備蓄倉庫にいた。明日のランチのメニューを考え、使えそうな食材を物色しに厨房を離れている。店主が扱うサツマイモは明日以降の提供でも構わない、まだ明日までには時間の猶予はあ…
ランチが終わり、従業員たちが休憩から戻ったディナータイムに迫る夕方の時間帯。日の長さが懐かしく感じるものの、まだ晴れ間が覗く日中の模様であれば、駆け込むような日の入りとは思えないが、室内の照明は三十分前ほどに国見が暗い、といって点けていた。 「さっきですね、例の移転先のビルを偵察して来ましたよ、私」店主はまだ移転先候補の外観を直接見てはいなかった。手元のサツマイモを手にとって、じっと眺める僕に、小川は声をかけていいと判断と決断に踏み切ったらしい。彼女は背後のコンロの前で蒸し器に入れたサツマイモの出来上がり、中腰で構えて待つ。体勢が変わっていないとすれば、である。店主の視線はサツマイモに照準を合…
次に図面も思い出す。これぐらいの記憶力は持ち合わせる店長だ。世間の出来事に無関心であるがゆえに、限られた記憶装置はこうした短期的な記憶を平然と数週間の保存が可能だった。 調理場の狭さは第一の関門。一度に取り掛かる人数は二人が予想される、となれば残りひとりの立位置を変えなくてはだ。しかし、ホールに放出するとは考えていない。あくまで調理人としての機能を彼女たちには求める。すると、時間的な正確を課したらどうだろうか。他の作業場をもう一つ借り受ける。レンタルでもいい。下処理や長時間の調理作業を行う場所の創出というのも一つの手ではないのか、という新しい提案。 湯水のように浮かぶ案。まとめ上げるのにも一苦…
見計らって、再度着火。今度は勢いよく、前髪を焦がすところだった。危ない。 ランチのメニューは今日からまたもや実験週間の突入に切り替える。それはつまり、ほぼ移転の結論は出ている、と早合点をしてはいけない。もしも場所を移す状況に追い立てられたとしたら?僕はそういった場面・状況を作り上げたいのだ。損はしないはず。ここのところ、厨房の二人の技術は格段に進歩を見せている。それぞれがなすべきこと、与えられた仕事の意味を常に考え、吟味、反芻、そして体現をこともなげにやってのけるのだから、店主として口を出す機会は大幅に減った。そういった種々の事情も新たな取り組みの契機になった、といえるだろうか。 店主は、かき…
汗ばむ陽気に滴る汗、そうかと思えば日陰に入ると寒さが肌を刺す。青空たちは上空から手を振っているみたいで、その実、体に変調をきたす取り計らいをニヤニヤ薄ら笑いを浮かべて、風を送るんだろうか。店主はランチの仕込みに一区切りをつけ、煙草を吸いにワンブロック先の川辺のベンチに腰をすえた。 季節の変わり目に引き起こる不具合は、その後の季節への対応を試しているのだろうし、そのままでは乗り切れない、ふさわしい体ではない、という警告に店主は思えた。市民ランナーが川べりを走り去る、風を味方につけた、気分爽快をはるかに上回った細胞の劣化。精神の安定剤には有効な手段ではある、何せ、呼吸を整えるときに抱える悩みについ…
彼は頭を掻く。照れ隠しと考えをまとめるときの癖が混じる。「組織の運営を誰に見せているのかなって。国民や警察を監視してる非営利団体、市民団体に向けた動きに僕らの出動がそれほど必要なのかと。考えてみるとですよ、未解決に傾いた事件の数件は解決はしましたけど、それだって僕らがはじめから出動した事件が大半で、捜査権もこちらが常に掌握して、任された案件ですからね、その、なんというか、うまく表現が難しいな、つまりですよ、僕らが呼ばれた意味を、解き明かす過程に意識を向けることで他の捜査や事件から意識を逸らす働きなんじゃないのかって、思うわけですよ。はあー、息継ぎ忘れた」鈴木は大げさに広げた両手に押し当てた。 …
今までに11円の稼ぎが出ているカクヨムに短編を2本アップしていましたが今回、5万文字の推理小説を書き終わりましたパチパチパチ 読んでくれる人はゼンゼン少な…
「わかってやってるんだな」 「わからなくてはできません。行動を起こして、S市警察の思惑を量ります」 「頼もしいのやら、無謀にも思えるよ。種田の行動力は」 「はい、それでは、いいえ冗談がお上手、ふふっ、はい、また、お食事でも、いずれ、はーい」田所は無造作に、受話器を投げるようにおいた。「ったく、動物的な脳みそは随分と発達して、下心かあ、あーあ、気色悪い。そっちの青年、君はいつまでもそうやってなれなれしい態度をとっていると、取り返しがつかなくなる。気をつけなさない」 「僕がですか?」鈴木は高い声でいう。田所はクルリと足を浮かせて椅子ごと振り返る。 「距離間隔と言葉遣いが肝よ。耳をむやみに近づけたり…
「情報をあなたから聞いてくれませんか?」種田はずうずうしく頼む。呆れた、相手は掌を天井に向ける。硬い手首の関節。 「冗談。仕事は抱える分で精一杯。それにね、あなたたちは部外者、私はここでこの事件後も働くの。借りを作ったら、借りは返さなくちゃ。男って根に持つタイプが多いのよ、特に警察は、厄介ごとはごめん被るわ、タダでさえ、あしらうのに大変なのに。いずれあなたも体感するでしょう」 田所の左側面に種田は立つ。「働きかけは無理だと?私の申し出を受けるのか、断るのか、どちらでしょうか」 「強情ねえ。躍起になって事件を解決しても、一文の得にもならないと思うんだけれど、ああ、思いついた。キャリアを積み重ねや…
ここしばらく、表紙をお任せする人を探していたのですが、ついについに、この人!と思えるかたを発見。そして、快く引き受けていただけることに! 色々考えているうちに、アニメ的なイラストのよういに、くっきりとした線ではなく、ほどよく抽象的な絵のほうがいいのでは?と思うようになりました。物語は、読者の心のなかで再生されて、はじめて完結する、そう考えると、絵のなかに読者の想像力を働かせる余地を残したほうがいいのでは?と思ったのです。そして見つけたのが、このかたのX(Twitter)の投稿です。 初心者向け】Watercolor水彩画作品集-7 (ヨット&ニューヨーク) 2023年6月22 https://…
「死亡推定事故は殴打された外傷から察するに、偽装を企てることは不可能でしょうか?」種田がきいた。田所は足を組みなおす、鈴木はさっとまたまた目を隠す。 「生きている間に殴られた、生体反応の結果は覆らないわ。あなたが言うような、時間の偽装もそれほどの効果があったようには思えないのよね。屋上で発見されたって書類には書いてあった。上がるには困難な場所、発見当時に屋上への梯子につながる梯子はかけられていなかったそうよ、あらっ、これは私から聞かなかったことにしてね。やいのやいの上はうるさいから。ようするに、偽装を施した人物がいたとして、そいつはそこに留まったのかってことよね」 「一度降りたのかもしれません…
「診断結果を拝見できますか?」解剖医は田所という。名乗ったのではなく、ネームプレートを読んだ。それに鈴木がすかさず相手の名称を口にした。 「どうぞ。穴があくまで調べてください」田所があくびをかみ殺す。まだ、顔の全容は見えていない。椅子に座す斜め後方からの視覚が捉える横顔及び後頭部が見える範囲のすべて。薄緑のシャッターの向う側が解剖室。彼女の右手奥に古めかしいドアノブ。セキュリティの観点では、この室内に入ることができれば、解剖室への入出はほぼ達成されたようなもの、死体を無断で拝見する可能性を考えた展開だ。泥棒の気分になりきると自然に景色は目の前に、適宜に展開される。されてしまう、勝手に、私の許可…
S市警察がもたらす事件関連の情報は微々たる量や頻度、もっとも簡単に捜査権が手渡された経緯を正当に受け止めるのならば、大よそ情報がこちらに降りてこない現状は予見できた種田である。それに、彼女は考えを付け加えた。ある種の議論を戦わせる管轄の違う(大まかに同業者ではあるが)、勝手の異なるそれこそ隣国のように双方の手法を宣言、主張する途方もなく無駄な時間を費やさずに、捜査が単独で行えるのは、種田にとっては大いなる利点と考えていいだろう。 事件発覚から二日後。S市警察の取り計らいでようやく、死体の解剖結果を公開するとの通達が早朝の五時に鈴木の携帯にもたらされ、彼からしゃがれた寝起きの声で現在の所在地、S…
彼女の口調がおかしい。彼女の本性にも思えた。ただ、自分がそうさせたことも少なからず認めざるを得ない。おしとやかで、従順、素直で気立てがよく、聞き上手で、仕事を都合にデートの約束は何度も、数え切れないほど、数十回のキャンセルにだって、応じてくれた。最初こそ、甘えたが、いつからか当たり前に平然と何度もみじんも、これっぽっちも彼女の心情を推し量ることは二の次に格下げを僕はどこかで取り決めたんだ。 時間が迫る、もう店を出ないと。しかし、対面には瞼を下ろす、寝ているような彼女の穏やかなまなざしが行く手を阻む。そっと席を立つ。逃げ出してしまえ、体内で叫んだ、ずるい奴。腰を浮かせる。彼女のソーサーとカップ、…
「どうしたの、なんだか口調が堅苦しいけど」金光の問いかけは彼女のまなざしで一掃される。「……ううーんと、どうだろうかな、そうさねえ、ああ、まずい時間が。光を指して声を上げたの僕だけだったし、たぶんだけれど、誰も見てなかった。うん、そうだ。停電に意識は持っていかれたしね」 確認の合図を彼女に送ろうか。ここできっぱりと別れを告げるべきかもしれない。 「電気が消え、光が目に入った。光というのは停電前に気がつかない明るさだった、それとも通行人の目に留まっていた可能性はあるの?」 「探偵みたいだ」金光はくすっと笑い、口元に親指と人差し指の股を当てる。引き締まる彼女の表情に、反射的に彼は姿勢を正した。少し…
「時間がない。もうすぐにでも出なくちゃ。用件を言ってくれないかな」 「……」焦点の合わない瞳が瞼から覗く、ぞっと鳥肌が立った。何もかも見透かされている、そんな意思が目に宿ってるようだ。「立ち上がりましたね、あの夜。私が通りかかった夜です」 「うん?ああ、生徒と一緒にいた夜のことだね」我ながら弁解がましく、わざとらしい。 「答えてください」 「そうだよ」 「通りの向こうはにぎやかでした。後で調べたら、商品を買い求める行列とわかった。ただ、おかしな事実が浮上しました。あなたの座っていた席には階段で上がるデッキのような場所に椅子が置かれていたし、店に上がるにも階段を数段上った。したがって歩道よりも五…
目が見えない、というのはもしかすると……、金光俊樹派はコックコートのままで手だけは綺麗に汚れを落として、S駅内の喫茶店を訪れた。 穏やかな風の流れが駅前の風景に見て取れる、金光は窓際の席に腰を下ろした。コーヒーを注文するが、やっぱりと、訂正、ウエイターにオレンジジュースを頼んだ。滞在は数分が限界、僕が主催する午後の調理講習が一時から始まる。早足で歩いて五分はかかった、往復で十分の計算。現在時刻から、彼は腕時計を見る、滞在時間は五分がいいところ。 「それでなに?急に呼び出して。できれば、メールにして欲しかった」 金光は一気に水を含む。氷が冷たく、歯に染みる。 微妙にずれた顔を彼女は向ける。笑った…
顔を上げる、呆れた真下がコーヒーを啜っていた。どのくらい、……数分は黙りこくっていただろう、と稗田が反省を舌で表した。「ごめん、ついうっかり考え事を」 「慣れたものよ。何年も見続けている」 「ブルー・ウィステリアに仕事終わり、事情を聞きに行こうと思う」 「店側が、あなたに教えるとは思えない」 「探りを入れるだけ、名刺入れを落としたとかとりつくろってね、それから、困っていると物語性も加えて、もしみつけらたら連絡して欲しいってね」稗田は顔を近づける、テーブルの中央で言った。「相手の反応を見るの。私がお客をどれだけ見てきたと思うの、嘘ぐらい見破れる。相手の反応は端々、本人の無意識な箇所に出現するんだ…
「食べるか、考えるかにしたら?」 「……ああ、うん。そうね、とっと食べちゃわないと、喋る時間がないんだった」真下の提案を受け入れる。彼女の言い方は強くもあり、優しさも携える。不思議な響きを持って届くのだ。彼女にあこがれる後輩は多い、また嫌悪の対象もその同数を獲得する、その点私はというと、頼られるはするが、学生の先輩という立場が当てはまる。あまりに距離が近すぎて何度か怒鳴りつけたこともしばしば、距離感覚が掴みにくい年配の同僚と噂されているはずだ、陶器のように見守られる真下とは違って。 真下の食事が終わると、稗田はブルー・ウィステリアと支店長との関連を話した。ニュースで報道された死体の死亡時刻と支…
二階の突き当たり、油絵が飾られる壁際の席に腰を落ち着ける。 稗田真紀子は一人、コーヒーとサンドイッチを黙々と頬張る。 昼休み。彼女はここ二日間を何気に振り返っていた。誰にでも気軽に話せる類の内容ではなかったことが、ため息と身を隠すように訪れたこの風変わりで昭和ロマンな喫茶店が何よりの証拠。 三日前に支店長が店を休んだ。突発的な病気だと思った。しかし、翌日と次の日も支店長は姿をみせず、連絡すら取れない状況が続き、昨日はとうとう痺れを切らせた本社が人員を派遣し、支店長の役回りを代役に任せた。それでも、いくらか役立った程度、焼け石に水とはこのこと、特に店舗内の接客に関わる諸事項の際立った成果を支店長…
「樽前さん」宇木林は目を光らせた。「ただものを売ることをね、私は卒業した。継続的な集客は望めるとは思います、好条件の立地がそれを後押しする。ただし、そこに居続ける存在意義を街の流れに合わせることはやめたのですよ。わかりますか?あなた方のような土地に生きる店の来客を、ビルに反映させたい。もう地方の掘り起こした価値のある産業を都市部で売り出す手法はそこをつき、均質化される。すぐに」 「時間がありませんので、話をまとめます」店主は樽前の背後の時計を首を逸らして、時間を確認する。「この店の改修は私の同意如何に関わらず、いずれ着工が法改正によって定められ、行わなくてはならない」 「はい、お伝えするのが遅…
「いいえ、私が資金面の交渉を持ち出さなければ、あなたは通常の資金調達の過程をもう一度、潜り抜けなくてはならなかった。あなたはあなたが提供するものの価値を、外から見定める習慣を持つべきかも知れない。年長者の忠告です」 桂木がしみじみいう。「いやぁ、店長さんの才能を私は見間違えてましたなあ。あなたがここまで、頭が切れるとは、いやはや、お見それしました。謝ります」 「まったくお詫びをされる覚えはありません。それにずっと舐められていたほうが、私には動きやすくて助かります」 「樽前さんは了承してくださる、ということでよろしいかな?」宇木林が細く煙を吐いたと同時に訊いた、まだ長いタバコが押し付けられる、包…
明瞭な裏と表の表出は珍しいといえるか、店主はものめずらしく樽前の変容を目を細めて眺める。 「二つの店を看板に据える、これがコンセプト。樽前さん、本気でその、これは申し訳ない」宇木林は笑みをかみ締める。「私がプロデュースを手がける商業ビルの改築、開業、集客力をあなたは重宝するはずです。しかし、飲み物だけでは、しかもテイクアウト専門となれば、建物を通路のようにお客は利用してしまう。それでは、当然施設内にお客を誘導し、お金を落す経路の確保には不十分だ。呼び水、というのは聞こえが悪いかもしれない、ですが、それは裏を返すと、はい、あなたの店を心から賞賛している、私はそのように受け止めています」演説みたい…
ようこそ、当スナックへお越しくださいました。 私はマスターの、素姓乱雑(そせいらんぞう)」です。 前回の「かいこ」 その(1) のあらすじは、 ”道に迷った翔梧は一夜の仮宿を頼もうと思い、幾つか明かりが見えるうちの一軒に向かった家で、「兄」と名乗る男と出会う” という内容でした。 引き続いて第2話に入ります。翔梧が連れて行かれた部屋は茶の間で、時分どきらしく裸電球に照らされた丸い卓の上に食べかけ...
講釈がようやく途切れた。宇木林は豪快にカップを傾ける、喉が鳴った。彼の話をまとめると、建物の改修期間に店の形態を一時的に変えるように、そのサポートを名刺に書かれた飲食経営事業を生業とする彼らの会社が買って出る、ということ。つまり、どこかに店舗を移して営業をこちらに続けさせるたくらみだ。彼らのうまみは、こちらの集客力だろう、店主はわざと思い悩んだ態度を表した。ぶっきらぼうに無関心、傍目からその内情を観察可能なほど、一般的に困惑を作り出した。尖った口元がその代表例。 見せつけておいて、その間に明日のランチを考えるとしよう。 冷蔵庫には何が残っていたっけ? うまく映像が展開されない、考え残した問題を…
「あなたがその事態を知りえて、今日まで何故、私に伝えることを躊躇ったのでしょうか。当然、他の方策、つまり代替案を考えていたことは想像がつきます。しかし、真っ先に起こす行動はありのままを、契約の無効を了承するあなた方不動産屋の不利益を被ってまでも、事実を明らかにする。それが真摯な態度ではないでしょうか」 「ごもっともで、返す言葉もありません」 「……」口を開けた樽前は店主の発言に圧倒される。それとは対照的に、正面に宇木林はにこやか、片方の頬を引き上げた微笑を携える。 「そこで私どもが呼ばれた」宇木林はスーツの胸ポケットから煙草を取り出し、掲げた。どうやら喫煙の許可を求められたらしい、僕は軽く頷く…