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【阿武山古墳】被葬者が藤原鎌足公の可能性がますます高まる新研究とヒ素の話
大阪府高槻市の #阿武山古墳(茨木市との境)の墓室から遺体とともに出土した #大織物(だいしょっかん)のCG復元に関連するワクワクする新研究が発表されました(帝塚山大学、牟田口章人客員教授) 目次 【新研究】大織冠のCG復元 阿武山古墳が鎌足公の中である可能性が高まるヒ素の話 本文 【新研究】大織冠のCG復元 topics.smt.docomo.ne.jp 冒頭リンク先記事にある通り、大織冠とは最高冠位をあらわし、日本の歴史上、藤原鎌足公にしか贈呈されていないとされる貴重なものです。 日本書紀には「鎌足公は死の前日に天智天皇から藤原の姓と大織冠を贈られた」と書かれています。 鎌足公の没年の西暦…
大化改新の方程式(256) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か? その5
引き続き、「藤原の姓はいつ誕生したか」の話。前回、藤原姓の起源については以下の2つの説がありうるとした。A: 『日本書紀』が描くとおり、中臣鎌足が死に際して賜姓され、それを中臣大嶋らが拝借した。B: 鎌足は中臣姓のままで死去し、藤原姓は八色の姓直後の改姓にて初めて創出された。そして、『日本書紀』の記事をもとに、この謎を解くヒントとして以下の2つをあげた。1.意美麻呂(臣麻呂)が改姓したのは、大嶋や不...
大化改新の方程式(255) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か? その4
前回に続き、「藤原の姓はいつ誕生したか」について語りたい。前回確認したことは・・・・天武13年(684年)の八色の姓では「中臣」として朝臣を賜姓されていることから、当時、藤原氏を称する者はひとりもいなかった・天武13年から14年にかけて、中臣から藤原への改姓を願い出て勅許を得たであろう・この改姓は中臣氏の氏上と思われる大嶋の主導のもとで行われたはず以上を踏まえれば、「藤原」誕生の謎解きは、2つの説に分かれ...
大化改新の方程式(254) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か? その3
前回、中臣鎌足がその死に際して「大織冠」を授与されたのは、長く「内臣」という枢要な地位にありながら、その出自ゆえに大臣職にあがれなかった鎌足に破格の冠位を与えることで、「内臣としての大臣」=「内大臣」に任じることが目的であったことを示した。それでは、「藤原」の賜姓は、同じタイミングでなされたのであろうか。『日本書紀』によれば、鎌足の死後、「藤原」姓が登場するのは、天武紀〔下〕冒頭で「藤原大臣」の娘...
大化改新の方程式(253) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か? その2
前回、藤原不比等の父として、百済王子・扶余豊璋でもない、近江朝の右大臣・中臣金でもない、「中臣鎌足」なる人物が実在し、確かに「大織冠」を授けられた事実があったと想定できることを示した。以下はそれを前提とした推論なので、「大織冠はまったくの虚構」と考える方にとっては意味のない話になることを先に断っておきたい。それでは、「内大臣」についてはどうであろうか。『日本書紀』によれば、孝徳天皇による大化政権発...
大化改新の方程式(252) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か?
相当インターバルがあいてしまいました。申し訳ございません。この春から夏にかけて、毎年大きく携わっていた2つの業務が他社へ移管され、その引継ぎやら後始末やらで、心身ともに余裕のない状態でした。これを機会に第一線を退く旨は会社には伝えており、今後はこのブログに割く時間が増えるものと期待しています。今後ともよろしくお願いいたします。前回の記事にて、死期を悟った不比等が恥を忍んで『日本書紀』に最後の改竄を...
大化改新の方程式(246) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その4
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。<検証A>『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。<検証B>豊璋と鎌...
大化改新の方程式(242) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その2
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。その第1弾では、『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。【ここでの...