過剰(不足)な世界で~マスク信仰
エントランスに入ってから、病院だから一応…と、用意していたマスクを久方ぶりに付け、受付を済ませて椅子に座って辺りを見ると、5、6人くらいの人の中に一人だけノーマスクの男性の姿があり、(お!OKなのかな?外そうかなあ…)と思ったその時に診察室のドアが開いて「〇〇さ~ん」と呼ぶ先生の姿が…
(マスクしてない!やった~!)
安心して外せました~。
ほどなくしてもう一つの診察室のドアが開いて「△△さ~ん」と呼んだ先生の方もノーマスク。
さらにうちの子の診察が終わって待っているときに通り過ぎた看護師さんもマスクしてない。
次々に後から訪れた患者さんたち…は全員してるはずないけど、その親御さんたちは半分程度。
(いい病院だなあ、ここ新たに掛かり付け決定!)と良い気分で帰途に着きました。
いやいや、なるだけお世話になることがありませんように。
で、他の動物病院がどうだかは知らないけれど、なるほどなあと思い出したことがあったのです。
「獣医師の方が感染症に詳しい」
ウイルス自体の、また微生物と動物の関係性とかの基本的な?根本的な?ことをしっかり勉強しているという感じの内容だったと思います。
ネットの何かの記事で読みました。
同じような内容の記事を2つくらい見掛けた記憶があります。
もちろんコロナ禍でのこと。
それ以前に、放送大学の『レジリエンスの諸相’18』という科目の中で「ヒトと病原菌の共存とレジリエンス」というテーマの授業を受けたことがあったので、その記事が腑に落ちて印象に残ったのでした。
授業で習ったのは、
*農耕と人口爆発がヒトと感染症との関係を大きく変えたこと
*定着した感染症は主として家畜化した動物に由来すること
*ヒトの移動(植民地政策がその最たるもの)が感染を加速させたこと
*さらに、生活の近代化や70年に渡る抗生物質の乱用などでヒト自らが発症リスクを高めてしまっていること
etc.
だったのだけど、現代医療の構造…と言ったらいいのか、とにかく組織的な縛りの強さみたいなものに病院は蝕まれていてどうしようもないのだと思いを巡らさずにはいられませんでした。
授業の結論としては、
*ゆるやかに病原体と共生する社会であること
だったのに、この基本を(!)あの非日常は蹴っ飛ばしてしまった…。
専門家なら人として特別に賢く強いというわけもなく、強欲な支配層に取り込まれてしまう者が多いのは私たち一般人と変わらないと思います。
数日前、新聞の投書欄の見出しが目に留まりました。
「コロナの予防3原則忘れず」
70代の女性でした。
まあ今までだって風邪の流行る季節にそんな風なことを心掛ける人はいたでしょう。
「うがい」「手洗い」などは。
でも今は「マスク」が加わってしまっているようで。
おせっかいで言えば、「うがい」は水道水かせいぜい塩水くらいにしておくのが適切で、うがい薬まで使っちゃうのは過剰な除菌行為のはずです。
「手洗い」も殺菌剤入りとか頻度が多いとかもやはり過剰。
人の身体の健康は過剰行為でも損なわれる。
という事実もまた、残念ながらこの「過剰」社会で無視されることの一つになっています。
日頃から、現実に起きている不都合を無視してのイケイケどんどんを止められない社会にはウンザリしてますが、ゾッとするものを感じるんです。
日常的にマスクを着けて何も違和感を感じない「善人」たちの有り様を見ていると…
「念のためにやらないよりはやった方が…」
!? !?
それは地震や台風災害などには有効ですが、すべての物事に当てはまるわけではありません。
念のための防災意識が私たちの心身の健康にも有効だと思ってしまうのは、錯覚に陥っているというか、雑というか…一緒にしちゃいけません。
生身の身体をロボット(機械)扱いしているような専門家に毒されている面もあると思いますが、ほとんどの人が悪気がないどころか良かれと思って信じてしまうって、質が悪い。
質が悪い!って、毒舌で言っているのではありません。
事実を言っているだけです。
良かれと思って信じている人たちは実際、感性が鈍っているし、頭も使えていないし、依存している怠け者ではありませんか?
周りにいくらでもいますけど、こんな指摘ができるはずもなく…
「いい人」「優しい人」「善人」、私の中では恐いキーワードになってしまいました。