日本の「小さなガーナ」で家族関係を考える 隣り合った他者と生きる

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小佐野アコシヤ有紀=寄稿

小佐野アコシヤ有紀さん寄稿(下)

ガーナでのフィールドワークで血縁や婚姻によらない家族関係に着目した筆者が、留学後に向かった先は、日本のガーナ人コミュニティーでした。

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 「ねえ、見て!」

 アフロビートに乗って踊りまくる大人たちのアフリカン・プリントの服がちらつくなか、小学生の女の子がこちらに手を差し出した。小さな指に、銀色の指輪がきらりと光る。

 「ラッピング袋を留めるやつで作ったの? すごいねえ」

 そうほめると、女の子はにっこりと笑って私のひざに座った。

埼玉・草加に100人超のコミュニティー

 埼玉県草加市近辺は、ガーナにルーツを持つ人が多く暮らす地域のひとつである。人口統計によると、2023年12月時点で草加市に在留するガーナ国籍者は114人(市調べ)。市内の主要な駅近くには、ガーナ人が出入りするガーナ料理店やガーナ食材店、ガーナ人運営のモスクなどがあり、そこはまるで「小さなガーナ」のようだ。

 ガーナ人コミュニティーの集まりなどがあるときには、華やかなアフリカン・プリントの服をまとった人々が市外からも参集し、公民館付近やモスクの近くを闊歩(かっぽ)する。

 けれど、それは日本社会の外側にあるものではない。

 ガーナ人らしき服装の集団に近寄ってみると、そこには日本語で会話するミックスルーツ・移民2世の子どもたちや、彼らと親しげにしている日本人らしき大人がいることが分かるだろう。ガーナ留学後に草加でフィールドワークを行うようになった私も、そのうちの一人である。

 ガーナ人移民の大人たちが中心となって取り仕切る集まりは、赤ん坊のお披露目会や宗教上の行事、バーベキュー大会など様々で、顔ぶれも少しずつ違う。しかしいずれの場合もダンスは重要な要素のひとつなので、盛り上がってくるとたいていダンスパーティーの様相を呈する。そこにいる日本育ちの人々は、少しばかり所在なげだ(もっとも、私自身が猛烈なダンス音痴であるためにそう見えてしまうだけかもしれない)。

 ミックスルーツ・移民2世の子どもたちは会場の端っこの方で固まりながら、私が持参したフィールドノートにお絵描きをしたり、ヒジャブを装飾するキラキラの粒が落ちたのを拾い集めたり、手元にあるもので簡単な工作をしたりしている。

 ある時、近くにいた子に「ねえ、大人たちがしゃべってる内容(ガーナの現地語で交わされる会話)、わかるの?」ときいてみたら「何言ってるか全然わかんない。(マイクを通して話す人の声が大きくて)うるさい」という答えが返ってきた。親子間の会話は主に英語や日本語で交わされるため、親の母語やもともとの生活言語であるガーナの現地語を知らない子も多いのだ。草加近辺の「小さなガーナ」は、実はいろんな人を包摂し、今日の日本社会の一部としてここにある。

ママ・ムナとその「家族」たち

 私を「小さなガーナ」に招き入れたのは、日本在住25年以上の古株であるママ・ムナという女性である。彼女は私がガーナ留学中に出会った友達の母親だ。帰国後、月1回くらいのペースでママ・ムナのもとを訪ねるようになった私は、調査と称しておしゃべりを重ねたり、一緒に料理を作ったり、ともにガーナ人コミュニティーの集まりに参加したりしながらこの4年間を過ごしてきた。はじめて会う人に対して、ママ・ムナは私のことを「娘」として紹介する。

 ママ・ムナが暮らすアパート…

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