恐怖に物語は必要ない? リミナルスペースの美学とネット怪談の予感

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哲学者・谷川嘉浩=寄稿
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Re:Ron連載「スワイプされる未来 スマホ文化考」(第2回)

 @SpaceLiminalBotというX(旧Twitter)のアカウントがある。2020年8月に登場してからコンスタントに画像を投稿しており、フォロワーは約130万人。IDにある「リミナルスペース」という言葉が、今回のテーマだ。

 リミナルスペースは、元々、出入り口や廊下、階段やロビーなどの、場所と場所をつないでいる中間地帯のようなスペースを指している。そうした過渡的な場所が無人になったとき、予期されるコンテクストが実現されないがゆえに、独特の既視感と不気味さが漂う。

 そうした雰囲気を楽しむ美意識がインターネット上で生まれた。それがリミナルスペースであり、こうしたインターネット発の感性を「インターネット美学(Internet aesthetic)」や「美学的ミーム」と呼ぶことがある。

 リミナルスペースの特徴は、中間地帯であることと、誰もいないことだ。たとえば、英語版Wikipedia「Liminal Space」で用いられている、廊下の写真 。そこが無人であることに不思議はないにもかかわらず、ずっと見つめていると不気味に感じられてくる。まるで、自分が奇妙な世界に迷い込んだか、自分以外の人がそこから消えてしまったかのような不穏さ。

「8番出口」などのゲームが話題に

 リミナルスペースの事例として、国内で最も知られているものの一つは、個人開発のゲーム「8番出口」(23年)だろう。地下鉄とおぼしき駅構内の通路を進み、8番出口を目指すゲームで、怪奇現象に出くわしたら引き返し、それ以外は直進するという理解しやすいシステムも相まって、ゲーム実況者や声優、芸能人などがこぞってゲーム実況動画を配信している。

 ゲーム情報サイトである「4Gamer.net」や「電ファミニコゲーマー」では、ブラジルのCortez Productions開発の「The Backrooms: Lost Tape」(22年)、個人開発の「Anemoiapolis」シリーズ(23年~)、フィンランドのTensori開発の「POOLS」(24年)など、22年ごろから複数の「リミナルスペース系」のゲームが話題になっている。

 こうした人気ぶりを示している、インターネット美学の「リミナルスペース」や、そこから派生したネット怪談(ネットロア)である「バックルーム」を論じることで、物語の構築よりも要素の組み合わせで対応する想像力を追跡していこう。

 文筆家の木澤佐登志によると、掲示板「Reddit」に19年8月にリミナルスペースの掲示板(r/LiminalSpace)が立ち上げられたのをきっかけに、急速にネット空間上で浮上してきた(「【コラム】Liminal Spaceとは何か」fnmnl)。このサブレディット(スレッド)には、現在までに約数十万人単位の人が参加している。なぜリミナルスペース的美意識は、現在に至るまでに、Redditでの局所的な人気を超えて普及しているのだろうか。

「まなざし」を鍛えた二つの機会

 もの寂しくも心をつかまれる不気味さを示す無人の中間地帯を味わえるのは、そのようなものを鑑賞対象として区別し、楽しむ「まなざし」を鍛えねばならない。鑑賞する眼(め)を訓練する機会となったのは、大きく二つある。

 まず大きいのは、20年8月に登場した@LiminalSpaceBotである。写真を投稿することによって、「これがリミナルスペースである」という範囲を確定させるとともに、フォロワーたちの眼を訓練している。

 しかし、このアカウントが生まれる前に、無人のリミナルスペースを体験させる強制的な機会があったことも見逃せない。パンデミックという共通体験である。20年3月ごろから世界的に流行し始めたことで、@LiminalSpaceBotの提示する景色を、あらかじめ親しみやすいものとして感じる素地ができあがっていたのだ。

 新型コロナウイルスのパンデミックの最中、ステイホームが叫ばれていたため、必要があって外出した折に、都会でも無人の空間を見かけることが頻繁にあった。加えて、遠方への移動や旅行がしづらかったため、慣れ親しんだ自宅周辺の景色の中に、非日常性を見いだす必然性もあった。

 無人の中間地帯という、リミ…

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