国内唯一の劇場専属舞踊団Noismの20年、金森穣さんらが語る

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茂木克信
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 「新潟から世界へ」をスローガンに掲げ、国内唯一の劇場専属舞踊団「Noism(ノイズム)」が新潟市で設立されて20年になる。高い評価を得てきた作品たちはどのように生み出されているのか。これからどう進むのか。活動拠点の新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)で6月28~30日に行われた20周年記念公演の中日、3人の芸術監督が終演後に登壇し、観客からの質問に答えた。

 ――作品に使う楽曲の選び方は

 金森穣さん(以下、金森) 選曲の理由は難しいですね。いずれ創作したかった楽曲の中から、時世とかNoismの状況とか色んなことを鑑みて、「これがいいかな」と決めている感じです。だから直感としか言いようがない。

 今回だったら、マーラー(の交響曲第3番第6楽章「愛が私に語ること」)はいずれ作りたかったのですけれど、20周年の区切りに何かふさわしいものを短くてもいいからと思ったときに、「あっ、ここだな」と。

 作りたい楽曲はたくさんあります。時間がありません。

 ――頭の中にある舞踊のシーンに合う音楽を探しているのですか

 金森 逆ですね。楽曲を聴いて、その舞台が見えたら取っておく。舞台が見えない楽曲は使えないです。

 ――舞踊中はセリフが思い浮かびますか

 井関佐和子さん(以下、井関) セリフという言葉が浮かんできたことは1回もないです。

 金森 演出家として言うと、何かを語っているように見えるときはキープしますけれど、何も語っていないときは色々いじくります。それが何かということを具体的に指定することはしませんが、大事なのはやはり、「語る」ということなので。非言語だったとしても。

 井関 わかりやすく言葉を発するわけじゃないですけれど、舞台では、無言の会話というのを常にしています。

 金森 沈黙の言語だね。

 井関 セリフとは少し違いますね。

 金森 やかましいですね。

 井関 やかましいです。色んな人と対話をすごく繰り広げています。

 金森 まなざしとかね。本当に毎回違うけどね。

 山田勇気さん(以下、山田) タイミング一つ、少し角度が違うだけでも「あれ? 今日は違うぞ」と。それが何を意味するかはわからないのですけれど、何かが起きている。

 井関 一緒に踊っていて「やかましい」と(他のメンバーに)よく言われます。無言なのですけどね。(20周年記念作品の)「Amomentof(アモメントフ)」は男性メンバーみんなと絡むのですが、「やかましいな」と思っているかな。

 ――けがをしない努力や工夫があれば

山田 ストレッチをしてマッサージをして、という感じですね。

 金森 公演本番のときだけ専門のトレーナーに入っていただいています。プロのカンパニーである以上、設立から20年間、りゅーとぴあから了承をもらっています。本当は常にいてほしいのですが。

 井関 けがが一番怖いです。舞台に立てなくなることが、私たちにとって一番恐ろしいことなので。日々マッサージだったりトレーニングだったりをして、自分の弱いところをケアしています。踊りのことを毎日ものすごく考えているのですが、そのうち50%くらいを体のケアが占めているかもしれません。

 最近は、海外に舞踊専門の治療の方がたくさんいるので、その人たちのユーチューブとかを見て、けが予防のために何が必要かというのを考えています。

 金森 そうだね。もっと良く踊りたいとか長く踊りたいとか、舞踊にどこまで献身するかということが重なってくるほど、必然的に考えないといけないことなので。

 ケアした方が自分がめざすことや手にしたいことに少しでも近づけるとわかるから、どんどん情報収集もするしケアもするということですよね。若い頃は意外と疲れていても寝れば治るみたいなところがあるのですけれど、年齢を重ねるとそういうわけにもいかなくなるので。でも、それを楽しめるようになると、ただ苦しいだけじゃないと思います。

 ――年齢とともに感性に変化はありますか

 金森 あると思います。ただ、あまり比べることもないかなと。

 若い頃に感動していたものに今あまり感動しなくても、年齢を重ねたことによるとは思わない。同じ音楽でも、境遇やその日の天気、気分、色んなことが作用して感動するかどうかが変わると思う。そういう意味では、あまり意識していないですね。

 山田 こだわるところが変わってきているのはあります。若いときは動きとか、わかりやすいところに目が行っていたのですが、今はただ立つだけとか歩くだけとかに、どれだけこだわれるかが楽しみです。そういうのができている人とか、そういうところにこだわっているものを見ると、「ああいいな」と思いますね。

 金森 経験や知識が増えて、よりやりたいことが増えてきて、同時に感じられることも増えてくるということだよね。

 山田 元々踊り始めたのが(20歳と)遅かったし、自分が勝負するにはどうするかを考えたときに、そういうところでやらないといけないというシフトチェンジというか、それはやはり年齢とともにですね。

 井関 2人が話していることは本当にそう。付け加えると、涙もろくなりました。

 金森 そう?

 井関 感性の幅が広がってきています。それが薄くじゃなくて、深くなってきているなと。それに加えて、涙もろくなってきているかな。

 金森 泣きどころが変わるということかな。

 井関 キャッチする場所というのが、すごい何かこう…。踊っていて他のメンバーのことを見て、「ああ、いいなあ」とグッとくる。こんなこと感じたことあったかな、今まで。

 金森 それはちょっとわかる。何かを見つめるときの自分の視座が変わるというか。

 井関 本当に。じかにそのものというか人とふれ合う感じというのは、年齢とともに(深まっている)。

 金森 そうだね。年齢を重ねるのはいいことですよね。

 ――20年で一番チャレンジングだったことは

 金森 作品の方がいいかもしれないね。

 井関 作品でいったら毎回じゃないですか。

 金森 どのように乗り越えた…

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この記事を書いた人
茂木克信
新潟総局|行政担当
専門・関心分野
地方自治、くらし経済、依存症、セカンドライフ