トーナメント初参戦の思い出
こんにちは、フーテンの満です(^-^)/。
本日、狩野川が解禁しましたね。釣果が気になります・・・。
静岡県民ですので狩野川に行こうと思えば行けるのですが、私は行きません(^_^;)。
基本 混雑がキライなので、解禁日に釣行することは滅多にないのです。
シーズンインの準備は万全なんですけどね・・・(^▽^;)。
さて、今年度は新型コロナウイルスの影響でメーカー主催のトーナメントが軒並み「開催中止」となりました( ;∀;)。
列挙してみますと、
①シマノJAPANカップ鮎
②ダイワ鮎マスターズ
③報知オーナーカップ
その他私がエントリーしようとしていた地方大会で中止が決定しているのは、
④馬瀬川(上流)アユ釣り大会
です。
まだ開催の有無は発表されていない地方大会もありますが、状況的には”無理はしない方が良いかも!?”という感じです(;´・ω・)。
で、各大会が中止となって感じる事は・・・、
わりと『トーナメント・ロス (つД`)ノ』
だという事であります。
目標がなくなって張り合いがなくなったというか(毎回 参加賞にも関わらず・・・苦笑)、
失ってみて初めて「あっ、自分って大会参加するのが大好きだったんだなぁ・・・」って今さら気づく感じ(中毒だっつ~のっ!)
・・・まぁ今シーズンは仕方がないのかもしれませんね(^_^;)(健康第一、安全第一)。
そこで、ふとトーナメント初参加の頃の事を思い出したので、そのエピソードを紹介したいと思います( `ー´)ノ。
私が「大会」に初めてエントリーしたのは、『2009 第1回 シモツケカップ鮎 益田川大会』でした。
20代・30代の頃はワンシーズンに数回程度だった鮎釣りが、40歳を目前にした2008年に”若きスーパースター”(当時20代の)高橋祐次さんのこのDVDを観たあたりから急に熱が入りだした・・・といった感じでした。
翌2009年の3月には、静岡からわざわざ宇都宮まで「シモツケ 釣展」に釣友のT氏を無理やり誘って足を運ぶという加熱ぶり(;^_^A 。
『時代はソリッドだっ!』
なんてワケもわからず言っちゃって、シマノコーナーで島さんに色々と質問(^▽^;)。
岐阜県の河川なんて、それまで一度も釣行した事などないのに益田川予選会にエントリー。
(予選会前日・飛騨川大橋の下流側の瀬にて 撮影:T氏)
シモツケのベストを身に付けて、手には「シマノ SP競RS 90-93 タイプR」(買っちゃってマス!)がしっかりと握られていますっ!
(気分は入れ掛かりでしたねぇ~(^^♪)
しかし実際は・・・・、
「石がデカ過ぎて、うまく歩けないよぉ~(T_T)」(静岡は小石底の河川が多い)
「この太ってて、やたらに重たいアユは何っ!?(゚△゚;ノ)ノ」(静岡はスレンダーな天然魚を相手にした釣りが多い)
と叫んでましたよ・・・。
翌日の予選会では、「Dブロック 23番スタート」。
何の巡りあわせか、私の前のD22番スタートはアノ島啓悟さんでしたw( ̄o ̄)w。
島さんの後ろに並んで、「ふっふっふ・・・島さん、竿は一緒だし条件はほぼ同じですね・・・。イザ、勝負ですよ!」
なんてアホなんで考えてました、私は・・・(^▽^;)。
ところが次の瞬間、ビックリするような光景を目にしました((((;゚Д゚)))))))!。
Dブロックのオトリ配布場所に到着すると、私の前に並んでいた島さんがおもむろにDブロック審判に混じってオトリ配布を手伝い始めたのです!
「トップトーナメンター(有名人)は大変だなぁ~。こんな事まで気い遣うんかいなぁ~。」
「島さん、結局ビリでのスタートじゃん。そんなに余裕コイてて大丈夫なんかいなぁ~。」
↑ 要らぬ心配をするアホな私。
んで結果は・・・
当然私は 惨敗・・・
しかも ”帰着遅れで失格!”
↑ 慣れない大石底をどんどん遠くに行ってしまい、結局時間内に戻れなかった(^_^;)(時間内だったとしても、込み3匹だから同じですが・・・)。
ホロ苦いデビュー戦でした・・・(;´Д`)。
一方、オトリ配布を手伝っていた為にビリスタートの島さんはと言うと・・・
『込み11匹で Dブロック断トツのトップ抜けっ!!』
島さんはその後、9月に静岡県藁科川で開催された全国大会で・・・
(2009年9月27日静岡県藁科川にて 撮影:フーテンの満)
見事 優勝!!\(^o^)/
「第1回シモツケカップ」の覇者となったのでした。
全国大会でトップになる人は、マナーも釣技もレベルが違う!
行動で範を示してくれた島名人でした。
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本日、狩野川が解禁しましたね。釣果が気になります・・・。
静岡県民ですので狩野川に行こうと思えば行けるのですが、私は行きません(^_^;)。
基本 混雑がキライなので、解禁日に釣行することは滅多にないのです。
シーズンインの準備は万全なんですけどね・・・(^▽^;)。
さて、今年度は新型コロナウイルスの影響でメーカー主催のトーナメントが軒並み「開催中止」となりました( ;∀;)。
列挙してみますと、
①シマノJAPANカップ鮎
②ダイワ鮎マスターズ
③報知オーナーカップ
その他私がエントリーしようとしていた地方大会で中止が決定しているのは、
④馬瀬川(上流)アユ釣り大会
です。
まだ開催の有無は発表されていない地方大会もありますが、状況的には”無理はしない方が良いかも!?”という感じです(;´・ω・)。
で、各大会が中止となって感じる事は・・・、
わりと『トーナメント・ロス (つД`)ノ』
だという事であります。
目標がなくなって張り合いがなくなったというか(毎回 参加賞にも関わらず・・・苦笑)、
失ってみて初めて「あっ、自分って大会参加するのが大好きだったんだなぁ・・・」って今さら気づく感じ(中毒だっつ~のっ!)
・・・まぁ今シーズンは仕方がないのかもしれませんね(^_^;)(健康第一、安全第一)。
そこで、ふとトーナメント初参加の頃の事を思い出したので、そのエピソードを紹介したいと思います( `ー´)ノ。
私が「大会」に初めてエントリーしたのは、『2009 第1回 シモツケカップ鮎 益田川大会』でした。
20代・30代の頃はワンシーズンに数回程度だった鮎釣りが、40歳を目前にした2008年に”若きスーパースター”(当時20代の)高橋祐次さんのこのDVDを観たあたりから急に熱が入りだした・・・といった感じでした。
翌2009年の3月には、静岡からわざわざ宇都宮まで「シモツケ 釣展」に釣友のT氏を無理やり誘って足を運ぶという加熱ぶり(;^_^A 。
『時代はソリッドだっ!』
なんてワケもわからず言っちゃって、シマノコーナーで島さんに色々と質問(^▽^;)。
岐阜県の河川なんて、それまで一度も釣行した事などないのに益田川予選会にエントリー。
(予選会前日・飛騨川大橋の下流側の瀬にて 撮影:T氏)
シモツケのベストを身に付けて、手には「シマノ SP競RS 90-93 タイプR」(買っちゃってマス!)がしっかりと握られていますっ!
(気分は入れ掛かりでしたねぇ~(^^♪)
しかし実際は・・・・、
「石がデカ過ぎて、うまく歩けないよぉ~(T_T)」(静岡は小石底の河川が多い)
「この太ってて、やたらに重たいアユは何っ!?(゚△゚;ノ)ノ」(静岡はスレンダーな天然魚を相手にした釣りが多い)
と叫んでましたよ・・・。
翌日の予選会では、「Dブロック 23番スタート」。
何の巡りあわせか、私の前のD22番スタートはアノ島啓悟さんでしたw( ̄o ̄)w。
島さんの後ろに並んで、「ふっふっふ・・・島さん、竿は一緒だし条件はほぼ同じですね・・・。イザ、勝負ですよ!」
なんてアホなんで考えてました、私は・・・(^▽^;)。
ところが次の瞬間、ビックリするような光景を目にしました((((;゚Д゚)))))))!。
Dブロックのオトリ配布場所に到着すると、私の前に並んでいた島さんがおもむろにDブロック審判に混じってオトリ配布を手伝い始めたのです!
「トップトーナメンター(有名人)は大変だなぁ~。こんな事まで気い遣うんかいなぁ~。」
「島さん、結局ビリでのスタートじゃん。そんなに余裕コイてて大丈夫なんかいなぁ~。」
↑ 要らぬ心配をするアホな私。
んで結果は・・・
当然私は 惨敗・・・
しかも ”帰着遅れで失格!”
↑ 慣れない大石底をどんどん遠くに行ってしまい、結局時間内に戻れなかった(^_^;)(時間内だったとしても、込み3匹だから同じですが・・・)。
ホロ苦いデビュー戦でした・・・(;´Д`)。
一方、オトリ配布を手伝っていた為にビリスタートの島さんはと言うと・・・
『込み11匹で Dブロック断トツのトップ抜けっ!!』
島さんはその後、9月に静岡県藁科川で開催された全国大会で・・・
(2009年9月27日静岡県藁科川にて 撮影:フーテンの満)
見事 優勝!!\(^o^)/
「第1回シモツケカップ」の覇者となったのでした。
全国大会でトップになる人は、マナーも釣技もレベルが違う!
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