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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 19:30:47 ID:yfkLrjgU0
三国志の呉について語りましょう







619: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/05(金) 10:33:17.25 ID:vKg0htmX0
結局呉も反魏豪族の集合体って構造から抜け出せなかったのが敗因だわな
豪族同士が私兵を持ってて発言権も軍権もあるから置物皇帝しか要らなくなる
皮肉にも東晋の先駆けとも言えるが

それを力でねじ伏せて従わせてたのが権までの時代
宗族が協力してどうにか豪族の主張と対抗してたのが琳までの時代
権時代と同じようにしようとして失敗して自暴自棄になったのが皓の時代
これを踏まえると政治機構を整えなかった権が一番の戦犯

621: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/10(水) 22:00:10.98 ID:VfvviMav0
呉の衰退は北伐の強行もダメージ大きそう
結果論だけど陸氏顧氏の言うことを聞いて内政に専念するべきだったな
陸遜の憤死も顧氏の失脚も無かったら政界戦争がもっと酷くなってたかもしれんが
いつの時代も内部分裂は本当に痛い

624: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/11(木) 06:44:30.75 ID:qh+nDurp0
>>621
蜀が滅亡したあとでは内政に専念しても遅かれ早かれやられてしまったと思うが。

625: 621 2019/07/11(木) 07:39:18.83 ID:4l1t4iBv0
>>624
たしかに蜀が滅亡した時点ではもう遅い
230年代の話だよ
北伐したい派と内政に専念しよう派で家臣の間に元々あった溝が広がった
孫権が北伐派だったし内政に専念しよう派は厳しくなる

631: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/01/12(日) 13:43:40.57 ID:jwY2Fiud0
>>621
内政に専念してもジリ貧だと思うな
頻繁な山越討伐や夷州亶州捜索出るぐらいだから何せ人が足りない
東晋時代みたいに華北から常に人流入するぐらいでないと内政専念は効果発揮しない

640: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/04(土) 09:19:22.45 ID:AQV9NiBR0
>>631
戦争のせいで人を消費するわ、税金あげて反乱おきるわだったんで内政に専念して国力蓄えてチャンス待つのもアリだったんじゃないかと
でもそれ以上に皇帝が癌で滅ぶしか無かった気もするわ
孫一族乱暴すぎる

641: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/04(土) 11:02:27.20 ID:ZV4Tl2+y0
郡があちこちで新設されてるのを見ると国力自体は上がってるのはたしかだけど、豪族連中が懐入れちゃってて皇帝の直属軍や国庫にはあまり入ってなさそう

その状況を改善しようと皇帝が必死に国威発揚して権力強化しようと努力しても、当の豪族連中にやれ民のこと考えろとか戦争止めろとか正論持ち出されて抵抗されるから、とうとうプッツンしちまった結果かもしらん

642: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/05(日) 16:44:14.35 ID:60VhJ5zf0
そうですね。孫権もあの豪族達とうまく協力するってのは大変だっただろうなーと思いますね
でも実際に豪族に国防を頼っている現実があるのですから、それを受け入れるしか無かったのではと思っています
力をつけた外戚に乗っ取られるのも歴史のあるあるなんで警戒するのは理解できるのと
当事者同士にしかわからない感情はあると思うので、外野が言うほど簡単な話では無いのでしょうね
ただ、豪族の力を削ぎたかったのかなという見方をしても、二宮での喧嘩両成敗的な裁き方が意味がわからないのと
孫晧はやっぱり癌だったと思いますね

650: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/17(金) 16:17:12.01 ID:9gZKUGw3O
孫晧はどういうわけか諸葛セイを気に入って重用してるんだよな
ある日、宴会の終わりに諸葛セイに対して「あなたの字は仲思というが、なにを思っているのかね?」と質問をした
諸葛セイから「家にあっては孝行を思い、陛下に対しては忠勤を、朋友に対しては信実を思っております。それだけのことでございます」と返事があった
孫晧は満足そうに笑顔で頷くと、諸葛セイの肩をポンポンと叩いて去っていった
猜疑心の塊の孫晧にしちゃここまで家臣に気を許すのは珍しくね?

622: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/10(水) 23:55:49.92 ID:4XukW2WH0
ほんと呉と蜀は立場が似てる
中原から逃げてきた支配者層が現地の豪族を煽って死地に追いやってる汚い構図

623: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/11(木) 00:56:57.24 ID:4l1t4iBv0
まだ呉の豪族は孫家と一緒に乱世を生きていくことを選択したようにも見えるけど
蜀の人たちはどうだったんだろうな

643: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/09(木) 22:49:20.20 ID:cywq1X8m0
呉っていうと呉キラーの満寵さん

645: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/10(金) 22:30:39.49 ID:RWH07ZwN0
黄祖とか満寵が宿敵ってあたり呉の地味さが伺える

647: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/11(土) 08:07:22.37 ID:Gjf2TxkD0
地味な割には2代目とか甘寧とかキ◯ガイが目立つ良く分かんない勢力

648: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/11(土) 10:32:27.25 ID:YyAk5I5w0
満寵さんの布陣が鉄壁すぎて、陸遜が見ただけで撤退したエピソード好き
撤退の判断ができるのが陸遜で、そのまま突っ込むのが孫権という対比も面白い

653: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/07/29(水) 18:11:23.77 ID:CqBy+oE30
呉には魏でいう賈クや蜀でいう法正みたいな謀略家や策謀家って誰かいたっけ?
周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜らは将軍や都督の印象が強くてイメージが合わない。

654: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/07/29(水) 19:07:48.42 ID:gJTcGg+A0
>>653
ほとんど居ないが強いて挙げるなら
虞翻とか周魴とか
しかしちょっと違うのう

658: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/08/18(火) 16:15:55.07 ID:aBQHItGc0
呉は文官が多いイメージ

659: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/08/19(水) 15:35:51.60 ID:4d2uDcDC0
というより兵を率いられる文官が多いイメージ。
魯粛、諸葛瑾、呂範、歩シツ、張承、etc…

660: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/08/19(水) 16:59:33.36 ID:nBK0/ULd0
明確な文官ってほとんど尚書ぐらいで他の人は将軍職と宮内職兼業
魏は一定以上の将軍はみんな太守だし
後漢王朝支配が弱まった理由がポストが多過ぎて縦割りし過ぎて各州でそれぞれの利権を巡っての対立が起きそれが内乱に繋がったことだから余計にそのカウンターの方法を取った基本的に行政権と治安維持責務を分けたら対立して暴力に優れた側が勝ってしまうしな

662: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/09/02(水) 00:27:28.54 ID:a9BsWDaX0
ところで呉の全盛期っていつ頃なんだろうな
孫堅、孫策存命時の方が凄かったとよく聞くけど
孫権時代も防衛戦だけなら全盛期の蜀と魏に勝ち続けたりと相当凄いと思うんだが

663: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/09/02(水) 18:59:41.63 ID:/9Y5xQaN0
孫権が皇帝になったあたりじゃない?
孫堅は結局戦死だし、孫策は揚州の外では活躍できなかったし
そこまで凄いとは思えないんだよな

664: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/09/03(木) 00:47:56.04 ID:cayy8tAM0
長江以南での勢力の大きさがそのまま中原からの評価にはならんからね
孫堅は荊州への攻撃を始めるには戦力足りんかったように思う
孫策のようにまず江東の支配固めないまま自分の能力を頼りに劉表勢力(当時の劉表もまだ荊州支配固められていないけど)に攻撃はいくらなんでも難しいだろう
孫策はお父ちゃん死去でそこから袁術からの独立まではスピーディーだったけどそこから更に勢力伸ばすのに急いでやったから敵が多過ぎて反乱分子抱え過ぎた
その後を継いだ孫権がその負の遺産を継いで最初の15年のうち赤壁以外はほぼ反乱平定の為に忙殺されそれがひと段落してようやく荊州を狙える戦力が整った

周瑜、魯粛おらんかったら赤壁前に反乱祭りで消滅していてもおかしくなかっただろうなと思う

703: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/07/28(水) 05:40:37.94 ID:NIp6FSvG0
>>664
孫策の遺産も大きいが負の遺産のほうも大きかったというのも周知されてないよな
こういう調整力政治力が地味なせいでばかにされてるのが残念

704: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/07/31(土) 11:28:06.01 ID:Lt94V3BI0
>>703
欠点はあったけど、その負の遺産がないというのは孫策が完璧超人になるから
そもそも相続できない

劉備が呉軍が三万しかいないと赤壁前に不満に思ったらしいけど
三万しかいないから同盟を結べたのであり
十万二十万の兵がいれば劉備なんかいらない

だから、そんな選択肢、可能性はない
派閥争いとかで、協力していればみたいなのは、それを何とかするってのは目的を達成するよりも遥かに難関だから最初から無理

英検1級に上位合格できる英語力があれば英検2級に合格できたかもしれないぐらいのもの

705: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/03(火) 01:05:57.45 ID:k0dJdh1l0
>>703‐704
>孫策の遺産

むしろ負の面が圧倒的に大きい

呉亡国のそもそもの元凶である
地元豪族と名士層との決定的な対立や緊張関係を孫策一代で作りまくったから

686: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/12/21(月) 03:13:59.60 ID:vt5BBauT0
孫策は曹操に対抗できる軍略ある人物だと思う
江南はそこまで人口少なかったんだろうか

687: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/12/21(月) 10:54:50.48 ID:pZp2oAs90
三国時代は魏が800万、呉が200万、蜀が100万くらいだと思うから、呉だけではないけど人口は足りないと思う。

数字は知らないが、東晋では江南の人口が増えた(増加+移動)から成立したんじゃない?

688: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/12/21(月) 17:03:07.39 ID:vt5BBauT0
魏は300万じゃないの?

689: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/01/06(水) 10:52:26.90 ID:A9z3wkXp0
魏の人口:4,432,881人(260年)
ソース:鄒紀萬『中國通史·魏晉南北朝史』,1992年

693: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/05/01(土) 19:03:42.51 ID:I4sedonx0
蜀があっさり滅びるのはわかるけど
呉もあっさりしてるんだよな
あこまであっさりしてると驚いてしまう

696: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/05/15(土) 17:37:31.06 ID:12DQSeKf0
>>693
絶望した皇帝が狂って身内を処刑しまくっていて、最後は兵士が戦わずに逃げたから
ああ、二宮の変がなく、普通に孫和がついていれば

709: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/11(水) 13:14:09.19 ID:bVbRdiGX0
どうでもいいけど、孫策は小覇王と呼ばれたりしたのに楚と名乗らなかったんだよな

水滸伝でもそうだけど、春秋時代でも楚は呉より強大だったはずなのに、なぜか後世では楚よりも呉を名乗りたがるのは何でだろう?

710: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/11(水) 13:46:17.51 ID:0ETk72wi0
王族じゃないのにどうやって名乗るんだよ

711: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/11(水) 14:46:42.51 ID:bVbRdiGX0
>>710
初代の王は勝手に名乗っているし
呉とか皇帝を名乗る大義名分ないとか最近あちこちで言われているけど、始皇帝自体が他国を武力で滅ぼしただけで大義名分ないんだよなあ

716: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/11(水) 20:02:52.11 ID:oARiYoiG0
>>711
始皇帝というか秦は九鼎を周から引き継いでいるから一応大義名分はある
間違えて九鼎を泗水に沈めたので代わりに玉璽を造った

718: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/11(水) 21:36:08.87 ID:bVbRdiGX0
>>716
特に悪政もしていない周王を滅ぼして奪ったからあるといえるかどうか、、、

712: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/11(水) 14:47:56.69 ID:bVbRdiGX0
どうでもいいけど項羽の頃でさえ会稽を呉と呼んでいて、本来越なんだよなあ
歴史上、覇王は勾践と項羽の2人だけ
もしかして、姓の読み方同じなのかなと思いながら勾践は名字じゃないか

713: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/11(水) 15:08:17.17 ID:0ETk72wi0
まあまあ呉越同舟ということわざもありますし
河向かいで田舎もんがなんか仲良く騒いでるということです

714: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/11(水) 17:26:34.44 ID:D5+6m1Ck0
そもそも三国で皇帝の大義名分とかあるやついるか?
劉備からして禅譲受けた皇帝と劉の血筋の皇帝がまだ存命してるのに自分が勝手に名乗ったんやで
呉は禅譲受けた皇帝から王→皇帝と名乗るのを許されたのでちゃんと正規の手順踏んでる

715: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/11(水) 18:52:35.08 ID:bVbRdiGX0
>>714
曹丕は漢皇帝から何度も頼まれて辞退を続けて禅譲を受けたのだから形式的には禅譲の手続きを適切に踏んでいる

劉備は曹丕の存在を認めない、曹操の死で年号が変わったことさえ認めないし、閔帝は自ら皇帝を辞めたのだから、彼の考えではこの世に皇帝がいなくなった
そこを後漢皇帝の兄の家の子孫であり、権力を持った実質唯一の皇族諸侯王、自分よりも皇帝にふさわしい劉氏は天下に存在していない

孫権は吉兆とかでこじつけてはいるのだけど、蜀側が対等の皇帝として両帝並立を方便ではあっても認めている

呉王は、曹丕が与えた、すぐに別の皇族を任命したみたいではあるけど、その後、形式的には蜀の皇帝を認め、蜀の皇帝の臣下の呉王となった
最後に、孫権の皇帝位は蜀漢が認めたということになり、呉側も蜀の皇帝を認めているのだから、外交上、国際的に承認された皇帝である

717: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/11(水) 20:19:28.32 ID:oARiYoiG0
>>715
後漢の諸侯王(後漢滅亡時)
東海王 劉羨
東平王 劉凱
沛王  劉契
任城王 劉佗
彭城王 劉祗
梁王  劉彌
河間王 劉陔
山陽王 劉懿
東海王 劉敦
済陰王 劉熙
済北王 劉邈

公式的に任命されている曹丕の魏王や孫権の呉王と違って、残念ながら劉備の漢中王は僭称なので非公式

720: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/21(土) 00:26:44.86 ID:sJvSUj/a0
>>717
劉備の皇帝も王もどっちもまじでただの自称な上なんで曹丕ブチキレ
大義名分も自分が認めないってだけやしな

722: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/22(日) 18:50:08.17 ID:YtTKxNof0
>>720
人類最初の王もきっと自称だよ
皇帝も始皇帝自体が諸国を滅ぼしただけで大義名分なんかないし

724: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/24(火) 03:58:53.97 ID:TU4i+jet0
>>722
いや自分よりも上の存在に王や皇帝の位を承認してもらうのは地味に重要
だから始皇帝もわざわざ泰山まで巡遊して封禅の儀式を行い、皇帝として天下を治めることを天地に認めてもらっている
なので自分よりも上の存在に認めてもらわず勝手に王や皇帝を僭称した劉備は封禅の儀式を行っている孫晧よりも遥かに下

731: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/29(日) 07:53:32.96 ID:2XvNHY/E0
ところでぶったぎりだが魯粛や周瑜が安易にケイシュウ取りにいくなよ?って劉備に貸すときに孫権に釘さしたって見たがどこかに記載ある?
むしろ貸与の件は魯粛(孫権)vs周瑜みたいになってたよな?そんでその魯粛も最後らへんは見放してたよな

734: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/30(月) 12:08:03.20 ID:yHuEfuQo0
>>731
演技みたいにすきをついて落としたんじゃなくて、認めない人はいるけど、劉備と孫権の関係は主君と部下に限りなく近いから
部下に荊州の守りを任せたら独立したのに元の会社の土地や財産を返さねえみたいな

736: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/31(火) 00:38:39.71 ID:J033IXmb0
>>734
劉備が孫権の部下と主君の関係性に近いっていうのは無理があると思うわ
孫権が劉璋を攻めようとしたら劉備は孫権の行動を軍を使って妨害してきたからな

部下と主君の関係だったらその時点で破綻している
ある程度、対等な関係だったからこそできた事だろう

737: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/31(火) 07:02:15.44 ID:mDokhf3n0
>>736
その時点で破綻したんじゃないの

つまりそれまではってこととも矛盾しない

739: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/31(火) 07:57:45.15 ID:Df5n61zN0
>>736
雇用主(討慮将軍)と雇われ傭兵(左将軍)
の関係が最もしっくりくる
雇われ側が位高いので横柄になるわな
しかし孫権の合肥苦戦を理由に劉璋から兵借りようとしたり、益州獲るまでは時には孫権に雇われている事を利用している

740: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/31(火) 08:30:28.56 ID:EnRujyZd0
呉が内部のゴタゴタに時間がかかってその間好き勝手利用できたことで、劉備的には更に舐めてもいい相手という認識になってたろうしな

743: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/31(火) 19:36:38.66 ID:mDokhf3n0
実は呉は、孫権が太守で、部下の何人かも太守で官職的には同格でという奇妙な関係なんだよね
ついでに武将が寝返る時人民や兵もついていっているから、昔の領主・諸侯みたいなのに近くて
孫権さんは呉と通称で呼ばれる連中の代表みたいな感じ

751: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/09/01(水) 13:35:06.19 ID:1qOpO4hG0
>>743
孫策の代からだねそれ
孫策の場合は早くに亡くなったせいもあるけど、彼も牧にも刺史にもなってない
当時の主だった諸侯でいえば公孫瓉もだな

752: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/09/01(水) 18:34:08.61 ID:X5DaZtF10
孫権は各武将の軍は最初は解体するつもりだったらしいけどやっぱ無理だったのかねぇ

754: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/09/01(水) 19:31:20.93 ID:p396pkak0
>>752
結局、陸家や周家などの有力豪族との自前の力は隔絶するほど差が付かなたっかからね
孫堅敗死、孫策暗殺と前2代が立て続けに早く亡くなり孫家の基盤が盤石になる前に10代で家を相続したから豪族との関係は振り出しに戻るより更に悪くなって反乱続き
それを支えてくれた有力豪族の解体なんてとてもじゃないけどできやしない
ここに孫権の代での限界があった

764: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/09/05(日) 19:09:05.88 ID:pQuMxGzD0
>>754
孫晧でさえ陸家には気を遣っていたり、陸遜は太子を預かったり荊州を支配していたりで、三国志で諸葛亮と陸遜が一人だけで伝とかあるけど、司馬懿、諸葛亮、陸遜はその気になれば皇帝になれた最高実力者だよね

771: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/09/05(日) 22:46:25.87 ID:w7UGkwVX0
>>764
陸家というか呉郡陸氏の潜在力は孫家(呉郡孫氏)よりも上レベルでなく、大陸でも有数の大物名家で孫呉滅亡後も南朝六朝だけでなく、北朝や更にその後の隋唐でも栄えて唐末期でも宰相出すぐらい別格
まあ孫家は孫晷以降は表に出ず歴史に埋もれている感あるが
元配下筋の江南豪族に囲まれて楽しくやってた模様

755: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/09/02(木) 03:10:23.71 ID:0b4V3SvL0
そういうどこよりもクーデター起きやすかった国家体質だったのに万全かと思われた魏が真っ先にやらかしたという皮肉

767: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/09/05(日) 20:27:54.40 ID:eyDXKL/A0
聞けば聞くほどめんどくせー土地だよな

引用元: ・【三国志】呉総合スレ6