2010.02.27 (Sat)
徒な努力よさらば
初見演奏を大の苦手としている人であっても、本心では適当に楽譜を開いてすらすらと未知の曲を演奏したいと思っているだろうと思う。
勿論初見なんてまったく興味のない人もいるだろうけれど、そう云う人はちょっとだけ置いといて。
初見演奏では、初めに拍子や速度記号を確認するけれど、あまり音符や休符や表情記号や強弱記号以外の細かい指示を守っている暇がない。つまり指示を無視するのは主に運指記号だったりする。
勿論初見でも書かれた運指を守って弾ける人がいるけれど、彼はおそらくもの凄くギターの演奏技術に長けているのだろうけれど、僕の経験では、そんな芸当のできる人の演奏からは運指をきっちり守って弾くと云うこと以外の何ものも聴き取ることができなかった。
初見演奏で一番大切なことは、例えば初めて手にした本に書かれている内容が、時代劇なのか胡散臭いゴシップ記事の寄せ集めなのか、あることに関する論文なのか、と云う内容を知ることと同じく、調性が何で、リズムにはどういうものを使っているか、また旋律が装飾音がたくさん使われているような、つまりメリスマと云うかコロラトゥーラのような華やかな旋律なのか、ある意味禁欲的なメロディなのか、ソナタなのか変奏曲なのか多声音楽なのかと云う内容を知ることである。と、僕は考える。当然これと違う意見の人もいるだろうけれど。
さて、初見演奏をするためには何を知ればいいかが分かったところで、器用に弾くためにできなければいけないことの筆頭は、ぱっと目に飛び込んできた音符が何弦の何ポジションを押さえて弾けば良いのかを瞬間的に判断できる程度のギターに関する知識である。
仮にそれが0.1秒に音符ひとつを認識できて音を出すことができれば、最大1秒間に10個の音を初見でも演奏することができる。それが1秒にひとつ程度しか認識できなければ、当然1秒間にひとつしか音を出すことができないと云うことである。この場合認識のための速さは大切な要因になる。
それと同時に、常に拍を数えて、リズムを数え続けることが必要だから、初見で1秒間に10個の音を出せる人の能力はずば抜けていると云うことになる。
そのようなトレーニングをある程度積むことで次第に初見演奏に慣れてくるものであって、音楽の内容を知りつつ楽しく練習することができるようになるのである。
僕は音楽の練習で、勿論音楽だけに限らないと思うけれど、スポ根もののような汗と涙と忍耐と体力だけを頼りにするのは、時代遅れで本質を見誤るだけの間違った考え方だと思う。
勿論忍耐と精神力は非常に大切なものである。
でもそれは、違う場面で修練を積めばよろしいものだと、僕は考えるのである。
何しろ肝心のスポーツの世界でさえ、ただ努力と根性だけで上手になろうと云うのは、前時代的な感覚なのだろうと思うから。
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