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昨年5月公開の映画の紹介です監督は、フィリップ・ファラルドー。ジョアンナ・ラコフの自叙伝が原作の、ドラマ映画です。主演・出演は、マーガレット・クアリー、シガニー・ウィーヴァー、ダグラス・ブース、コルム・フィオール。(あらすじ)1995年。作家を目指すジョアンナは数日滞在するはずだったニューヨークに、移住することにしたと西海岸の恋人に伝えます。『作家は安アパートに住み、カフェで執筆』ところが決まった就職先の出版社“エージェンシー”では、作家を目指していないことが条件だったのです。それでもJ・D・サリンジャーの代理人を務めることになり、ジョアンナは有頂天になります。ファンレターを読みテープ起こしをする仕事を任されますが、社長のマーガレットからは、「返信は用意されたテンプレートで。必要ないと判断したファンレター...「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」
【停滞する思考に一石を投じる苦言】声にできない本音を言葉に…。#10
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2019年公開の映画の紹介です監督は、ダニー・ストロング。ケネス・スラウェンスキーの評伝が元になっている、伝記映画です。主演・出演は、ニコラス・ホルト、ゾーイ・ドゥイッチ、ケヴィン・スペイシー、サラ・ポールソン。(あらすじ)作家・サリンジャーはタイプライターを前にするも、手は震え目は空を彷徨います。「もう救いはないかも」6年前。1939年、ニューヨーク。高校生のサリンジャーは、クラブで美しいウーナに話しかけますが席を外されてしまいます。その後ウーナが忘れられず恋愛小説を書き始めるも、現実主義の父親に作家になることを反対されます。しかし才能を認める母親は、コロンビア大学に進み創作化に進むよう促すのです。数年して大学中退を繰り返すサリンジャーは、文芸誌の編集者でもあるバーネット教授の講義を受け刺激を受けます。...「ライ麦畑の反逆児ひとりぼっちのサリンジャー」
【日本のNEWS】〜「駅構内にサリンばら撒く」とツイッターで発言した、船橋市議会立候補の女の逮捕について〜
またまた1人〝アホ〟が出ましたね。 とりあえず、速攻で逮捕されたようですわ。 山本深雪 もう今時の10代、20代前半の子達は、 オ○ム関連ことなど全然知らないと思いますが【知る必要もない】と僕は思っています。 今回の【犯人】も25歳という年齢なので、普通に暮らしていれば知る可能性は低いはずなんですが、何かの〝不満〟によって、わざわざ学んでから発信したんでしょうね。 この事件に限らず、 この間の《岸田総理へ爆発物が投げ込まれた事件》においても、 《Z世代》の犯行が近頃多いと感じます。 *Z世代とは=年齢が10歳前後〜20代前半の人が該当。 若い人間というのは、身体が常に健康
1、作品の概要 『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』(原題はRebel in the Rye)は2017年に公開されたアメリカの映画。 監督・脚本はダニー・ストロング、主演でJ・D・サリンジャー役をニコラス・ホルトが演じた。 上映時間は106分。 日本では2019年に公開された。 『ライ麦畑でつかまえて』で世界的に有名な作家であるJ・D・サリンジャーがどのようにして売れっ子作家になり、隠遁生活を送るようになったかを描く。 2、あらすじ 小説家志望のサリンジャーは、大学でウィットの指導を受けながら作家になるための勉強をしていた。 なかなか芽が出なかったサリンジャーだったが、短編が雑誌…
1990年代のニューヨークを舞台に、作家を夢見て出版業界で働く若い女性を描いた作品。原題は「MySalingerYear」、原作は「サリンジャーと過ごした日々」。主人公の女性が「ライ麦畑でつかまえて」などで知られる小説家・サリンジャーと会話して影響を受けます。また登場人物の多くがサリンジャーの担当だったりファンだったりするので、原題・原作タイトルの方がしっくりきます。日本ではタイトルに「ニューヨーク」と入れた方が、より多くの人に興味を持ってもらえるのかもしれませんが。アイルランド・カナダ合作。オリジナルドリンク「サリンジャー・エール」(340円)を飲みながら鑑賞しました。『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』オリジナルドリンク発売中!2022年 ヒューマントラストシネマ有楽町バナナ、はちみつゼリー、ジンジャーエール...マイ・ニューヨーク・ダイアリー
こんにちは。RIYOです。 今回はこちらの作品群です。 ニューヨークに生まれたユダヤ人作家ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(1919-2010)が『ライ麦畑でつかまえて』の後に世に放った、連作短中篇で描く物語「グラース・サーガ」と呼ばれる作品群です。(以下表記はグラースで統一) サリンジャーの父はユダヤ人、母はスコッチ・アイリッシュという家系で生まれ、父の食肉貿易で裕福な暮らしに恵まれていました。1939年にはコロンビア大学にて非正規の聴講生として授業を受ける傍ら、執筆に専念して雑誌掲載されるにいたります。 文壇の道を歩み始めた彼は社交界で人脈を拡げ、作家として活動を本格化していきます。…