キジ子、家族になる 09/14/2023
前回は、実家に毎日3、4回来る『通い猫キジ子』が飼い猫だったと判明し、「ところが」なんて意味深な終わり方をしましたが、そのつづきです。
2023年、今年5月初旬。
丁度ゴールデンウィークの時のこと。
「キジ子、食欲がないのよ。舐める程度しか食べないの。餌に飽きたのかと思って色々変えてみたのだけど、どの餌も食べなくて。もう、4、5日食べてないかも。どうしちゃったのかしら?」
と、母から連絡が入る。
「それって、具合が悪いんじゃない。」
と私。
「そうかな~?どうしたらいいと思う?あんただったらどうする?」
「えっ 私だったらそんなの・・・病院に連れて行くに決まっているじゃん」
「でも、キジ子はうちの子じゃないのよ。」
「毎日入り浸っているんだからうちの子のようなもんでしょ。前にも言ったけどさ~、キジちゃんは野良みたいなもんだと思うよ。」
と私。
親子でも性格は違う。
母は私以外の意見も聞きたかったのか?
いつものように公園の『地域猫さん達&地域猫さん達を見守る人々』のところへ行った。
「うちに来るキジ子ちゃんが食欲がなくって。どこか悪いような気がするのだけど、飼い主さんがいるし、どうしたもんやら?」
とでも言ったのだろう。
それに食いついたのが猫ボランティアの●さんである。
「私、飼い主さんの連絡先知っているから、連絡してあげる。」
●さんはボランティアをしているだけあって、情報通なのだ。
●さんがキジ子の飼い主にどう話したのかはわからないが、飼い主さんは働いていて、帰宅が6時頃。
6時過ぎに母の家に来ることになり、その日の6時過ぎ、キジ子の飼い主さん(女性)とその娘さん(何歳かはわからないが大人)が母の所へ来た。
なんだか正妻と不倫相手との『初めてのご対面』みたいだが、互いに会うのは初めて。
しかも飼い主さんにとってはキジ子に別宅があったなんて思いもしなかったことだろう。
その夜、母から連絡が入る。
「ビックリ キジ子、1年以上飼い主さんの所には帰っていないんだって。何かあったら連絡下さいと連絡先教えてくれて、あと100均の首輪置いてったよ。」
「ねぇ、今がまさに『何かあった時』じゃん!食欲がない、病気だと思うって言った?」
と私が聞くと
「もちろん言ったよ。でも、飼い主さん、その事については触れないのよ。はぐらかすというか・・・、どういう意味だと思う?」
「それはさ~、1年以上帰ってないから、以前はうちの子だったけど今はうちの子じゃない。だから病気になろうがうちには関係ありません、という意味だと思うけど・・・私は。それに動物病院って、保険きかないから、お金かかるじゃん。」
と私が言うと
「じゃあ、何かあったら連絡下さいと首輪は?」
「社交辞令みたいなもんだよ。猫を捨てたとか動物虐待とか、こういう時代だから変な噂でもたったら嫌だからじゃないの?」
飼い主さんに会ったからといってキジ子の食欲が増すわけではない。
2、3日様子を見るが、人間の1日は猫にとっては3日だか4日にあたると何かの本で見た記憶がある。
コロコロに太っていたキジ子は痩せてしまい、母は飼い主さんに電話をかけ、キジ子の状態を言う。
返答は
「もう少し、様子を見て下さい。」
更に2、3日様子を見たが、餌を食べずに辛そうに猫座り(我が家ではこう呼んでいますが、世の中では香箱座りと言うようです)をしている。
見るに見かね、以前飼っていた猫が何度かかかったことのある動物病院に連れて行った。
「この子、うちの子ではなく、通い猫なんですけど。」
と先生に言うと、
「どこかは悪いとは思いますが、どこが悪いのかは血液検査をしないとわからないです。今日は点滴だけします。あとは、飼い主さんと話し合って下さい。」
当然ながらお金は母が払った。
点滴が効いたのか、数日したらキジ子の食欲が少し回復した。
が、単純には喜べない。
「点滴しただけなんだから、一時的なものだろうね。」
と、私が言うと
「そうかもね。」
と母。
そして、予想通りになった。
1、2週間はまあまあ元気だったが、その後、また食欲が落ちた。
5月半ば過ぎ、毎日来ていたキジ子が来ない。
心配になった母はあっちこっち探すがいない。
1年以上帰っていないと言うから飼い主さんの所にいるとは思えなかったが、念の為、夜、飼い主さんに連絡をすると
「今、家の中で寝てます。1年ぶりに帰って来て驚きました。」
とのこと。
キジ子の状態の事、1度病院にかかった事、血液検査をしないと病名はわからない事等、飼い主さんに話すと、
「働いているので病院に連れて行く時間がない。それに足(車のこと)がない。」
というような返答が返ってきたと母。
だが、それは通用しない。
飼い主さんのお休みが何曜日なのかはわからないが、動物病院は大抵土日祝日はやっているし、家族構成は知らないが大きな娘さんもいる。
しかも実家からも飼い主さんの所からも徒歩5分の所に▲動物病院がある。
それを母が言うと
「病院に行くも行かないもお宅(我が母)の判断にお任せします。」
というような答えが返って来たらしく
「なんか、回りくどい言い方をする人で、よくわからないのよ。どういう意味だと思う?」
と母。
「簡単に言えば、あんたが病院に連れて行くのはあんたの勝手。うちは病院には連れて行く気はない。よって金も払わん、という意味なんじゃない?」
と、私が言うと
「普通、1年ぶりでも自分の家の子が帰って来たら嬉しいし、病気だったらできる限りの事はするよね?」
と母。
「それはお母さんや私の『普通』。人によって普通は違うんだよ。」
猫の心理はわからないもので、翌日、キジ子はヨロヨロしながら母の所に来た。
母は病院に連れて行くと決心はついていたものの、以前かかった病院はその日は休み。
「ねぇ、病院休みなんだよ。でも、キジ子、かなり弱っているの。明日まで我慢させるか、他の病院へ行くか、どうしたらいいと思う?」
と、母から連絡が入る。
ネットで調べたら実家から徒歩5分の▲動物病院はやっているとわかる。
だが、▲動物病院はあまり評判がよくない、というか
「▲さんは、前に行ったことはあるけど・・・、今は他の所に行っているの。」
と言うご近所さんが多く、肝心の理由を誰も言ってくれないのだ。
母はそろそろ車の免許を返納した方がいい年齢なのだが、まだ運転している。
「この機会に徒歩でも行ける▲動物病院に行ってみたら?近い将来、免許返納なんだから。それにクー太(母の猫)もいるからいつかは病院のお世話になるでしょ。」
と私が提案し、▲動物病院に予約を入れる。
▲病院には院長先生の他、何人か医師がいて、キジ子の担当は若い男性の先生。
優しい先生だった。
血液検査をしないと病名はわからないとのことで、この際だから検査をしてもらう。
で、結果はというと、慢性腎臓病。
それもかなり進行していて、いい状態ではないらしく
「正直言って今すぐにでも入院治療をしてもらいたい。」
と先生。
「実はこの子、うちに通って来る子で、飼い主さんは別にいるんです。」
と母が言うと、先生は笑いながら
「あ~、そうなんですか。じゃあ、飼い主さんと話し合って下さい。」
入院治療以外の治療法を聞くと、毎日点滴に通う治療もあるとのこと。
あと、先生によればキジ子は6、7歳じゃないかとのこと。
その日は点滴&薬を皮下注射で入れてもらい帰宅。
ご近所の人々が▲病院のことを濁す言い方をする理由はお会計の時にわかった。
料金である。
他の病院より高く、他の病院の倍くらいの金額だったのである。
その夜、また母から連絡が入る。
「ねぇ、キジ子が夜、外に出たがったらどうしよう。」
「えっ キジちゃん、重症みたいなもんなんだよ。外になんて出しちゃダメだよ。死んじゃうよこれからは完全室内飼」
と私が言うと
「でも、うちの子じゃないじゃないし・・・。」
と、『うちの子じゃない』にこだわる母。
とはいえ、外には出すことはできなかったようだ。
母は室内飼いにトライし、毎日LINEが来る。
「2階の部屋で吐いていた」
「2階の押入れの中の、しかも布団の上で粗相してた」
「何回言ってもトイレを覚えない」
と、しつけに悪戦苦闘している内容。
挙句には、病気の猫とはいえ、よほど頭にきたのか
「遅かれ早かれ死ぬのだから外に出すか」
母は猫は大好きだが、しつけは苦手なのだ。
5月末、母は飼い主さんに連絡し、病院にかかった事、キジ子が慢性腎臓病で状態が悪い事を言ったそうだ。
奥歯に物が挟まったような飼い主さんの言い方が、母には納得がいかなかったようだ。
それに、以前にボランティアの●さんに言われた『猫泥棒』も気になっていたのかもしれない。
すると、飼い主さんと娘さんがまた母の所に来て、飼い主さんは面倒みれないことと
「よろしくお願いします。」
と、2回分の病院代の半分の金額を置いて行ったとのこと。
飼い主さんにとっては予想外の出費だっただろう。
こうして約3年『通い猫』だったキジ子が家族になった。
で、キジ子のしつけだが、2週間位でトイレを覚え
「キーちゃん、いい子ちゃんなのよ」
以前は怒りに満ちていた母のLINEが柔らかくなった。
▲病院に入院治療と毎日の点滴治療の他に治療方法がないか聞くと、投薬治療もあるとのこと。
母は投薬治療を希望し、腎臓食を食べさせ、6月はなんとか乗り切る。
しかし、7月になるとまた食欲が落ち、予想はしていたが薬が効かなくなり、毎日皮下注射点滴をしに病院へ通うことになる。
元々積極的に食べなかった腎臓食には口をつけなくなり
「腎臓食にこだわらなくていいです。キジ子ちゃんが好きな物なら何でもいいです。とにかく『食べる』を優先させて下さい。」
と、病院で言われる。
7月半ば、キジ子はガリガリに痩せ、体重を量ったら2㎏弱。
食欲もなく、タラーッとよだれをたらし、人間にその顔を見せたくないのか、別の方を向き、静かに座っているだけ。
長年猫を飼っていればわかる。
もう長くないと。
病院から
「皮下注射点滴は効き目が弱いから、効き目のいい入院治療をした方がいい。」
と勧められ、3日間入院する。
1日かけてゆっくり点滴をする治療で、この治療をすると多少はよくなるようだ。
病院が撮った、キジ子が自力で餌を食べている動画も見せてもらう。
入院中に検査もしたらしく、たった3日間だというのに
「あららら 高いとは思っていたけど、本当に高いね。」
と、母と私の声が揃う程の金額だった。
が、仕方がない。
それを承知で引き取ったのだから。
入院治療後は、入院をしないだけで、1日かけての点滴治療を続行することになる。
朝、キジ子を病院に預け、夕方、キジ子を引き取りにいく。
劇的によくなるなんてことはなく、いつ旅立ってもおかしくない状態。
「私達がやっていることって、延命治療だよね?点滴に行かなければ、キジ子、すぐ死ぬよね。苦しい時間が長いより、そっちの方がいいのかな?」
と母。
可能な限り病院に連れて行き、面倒をみて、看取るというのが我が家での長年のやり方なのだが・・・、いつも考えてしまう。
7月26日の午前中。
キジ子はトイレに入り、トイレから出ようとまたいだところでパタッと倒れ、そのまま静かに『猫の国』に帰った
【追伸】
我が家ではこれまで旅立った子達は実家の庭に土葬だった。
キジ子もそのつもりだったのだが、7月26日はものすごく暑かった。
暑くても私は掘る気でいたのだが、母が躊躇った。
穴を掘ることではなく、『におい』にである。
ご近所さんに迷惑がかかったら嫌だとの為、初めて火葬を依頼し、キジ子はお骨になって帰って来た。
実家の居間にある小さな棚の上は我が家の仏壇のようなもの。
今は亡き父の写真を真ん中に、これまでの猫さん達の写真も飾ってある。
キジ子のお骨を置く場所がなく
「父の写真が邪魔だわね。これを端によければいい。」
と母は言うと、父の写真を隅においやり、キーちゃんをドーンと真ん中に置いた。
「お父さん、怒っているかしら?まぁ、いいわね。」
母はふふふっと笑い、『キジ子ロス』にはならなさそうだと私は少し安心したのでした。
【写真】
亡くなる2日前のキジちゃん。
薬が効いていたのでしょう。
かろうじて膝に抱かれる気力がありました。
元気で太っていた頃のキジちゃん。
もっと早くに『家族』になりたかった。
初心者も安心のサポート充実【DMM FX】
通い猫 09/06/2023
前回は、実家の黒猫クー太が私に懐いてくれず、それどころか実家に行っても姿すら見たことがないこと。
2020年から実家にキジ猫の雌、キジ子が来るようになったことを書き、そのつづきです。
キジ子が母の所にコンスタントに来るようになるのにそう時間はかからなかった。
母はキジ子が来れば
「あら、キジ子ちゃん、来たの~。」
と話しかけ、キジ子は「ニャニャッ」と細い声を出して母の足に擦り寄る。
そして、
「ちょこっとお邪魔します」→「ご飯、頂きます」→「ちょっと眠くなったのでうたた寝させて頂きますね」→「お腹も満たされたし、疲れも取れたので、ちょっと出かけます」
ってな感じの行動を1日に3、4回し、来る時間も出かける時間も大体同じ。
実家にいる時間が長くなり、通い猫となった。
我が母のような人を『猫好き婆さん』とか『猫婆』というのだろう。
(こんな事をブログに書いている事がバレたら怒るだろうな~)
自分の家に猫がいるのに、毎日ではないにせよ、ちょいちょい公園の『地域猫』を見に行く。
その理由を聞いてみたら
「だって、年より猫も沢山いるから。なんか心配じゃない。気になるのよ。」
とのこと。
ある日、母が公園に行くと、いつも通り『地域猫達』とその子達を好んでいる人間達がたむろしていた。
地域猫達に餌をやり終え
「散歩しがてら帰ろうか。」
と、公園内だが地域猫達の餌やり場から少し離れた所を歩いていると、母がキジ子を発見。
キジ猫なんてどこにでもいるのだが、キジ子は尻尾の一部に毛が少ないところがあり、母曰く「すぐにわかる。」
「この猫、毎日、うちに来る子なの。」
と、母が言うと
「あら、この子ならすぐそこの家の子よ。昨日わかったの。」
と、猫ボランティアの●さん。
●さんによると、キジ子を時々公園で見かけ、だからといって地域猫の仲間入りはしない。
公園近くの家の庭をチラッと見たら、猫小屋と思しき段ボールがいくつかあり
「もしや、ここの飼い猫?野良だったら捕獲して手術しないと。」
と、手術の使命感に全パワーを注いでいるボランティアの●さんはその家に尋ねたそうだ。
そして判明したのが
・キジ子は公園近くの家の猫。
・マーキングをするから家には入れず完全放し飼い。(雌でもマーキングをする子がいる)
・本名はチビ。
・チビ(我が家ではキジ子)の他に、あと3匹飼っているらしい。
母と私と妹(我が妹)の1番の驚きは
飼い猫だったの~
とはいえ、人間の驚きがキジ子にわかる由もない。
また、「あんた、飼い猫だから来ちゃダメ。餌もあげない。」
なんて意地悪な事は、猫大好き母にはできない。
翌日以降も、キジ子はいつも通り実家に来た。
ただひとつ違ったのは首輪がついていたこと。
100円ショップのだが。
だがその首輪は1週間でなくなった。
恐らく落としたのだろう。
外猫はしばしば首輪を落とす。
その翌日、100円ショップの違う色の首輪がついていた。
が、1週間後、また首輪を落としたと思われる。
以後、首輪がついたことはない。
それから月日がたった。
それが2021年の冬だったのか2022年初旬だったかは忘れたが、冬だった。
キジ子の我が家でのルーティーンに『お泊り』が加わった。
「寒いわ~、家の中で寝たいわ~」
と、キジ子は思ったのかもしれない。
そして、初めて会った頃よりも太った。
母から1日に3回も4回も餌をもらうからだろう。
ある時、『お泊り』のことを母がボランティアの●さんにチラッと話したらしく
「そんな事したらダメよ!猫泥棒で訴えられるわよ!」
と、言われ、『猫泥棒』に動揺した母が私に相談してきた。
「猫泥棒 首輪もつけずにほったらかしってるんだから、訴えられることなんて、ないよ!」
と、私が言うと
「キジ子の飼い主はキジ子がうちに来てること、知っているのかしら?」
と母。
「知らないんじゃない。キジ子さ~、殆ど野良みたいなもんだと思うよ。」
と言うと
「そうかしら?だって、外に出すと自分の家の方に走って行くよ。」
と母。
「家に帰っているかどうかなんて、尾行しているわけじゃないんだから、わからないじゃん。『ワタシ、この家(母)の養女になりたい。家猫になりたい。』って、キジちゃんが言ってるよ。」
と、私がキジ子を抱きながら言うと
「・・・・・・・・・・・・・」
母、無言。
少し話は変わりますが、クー太以前の我が家で飼っていた8匹は放し飼いだった。
家と外を出たり入ったり。
全員首輪はつけていて、全員「帰って来ない」ということは1度もなかった。
というのは、今は亡き父が厳しくしつけ、帰りが遅いと庭に出て大きな声で猫の名前を呼ぶ。
その声を聞くと猫は慌てて帰って来た。
我が家では、母、私、妹、猫のはてまで、父は怖い存在だったのだ。
今は完全室内飼いが推奨されている。
放し飼いにはデメリットが多いからだ。
そのデメリットを我が家も経験している。
まずは交通事故。
テンという大人しい三毛猫だった。
現場を見ていないのでわからないが、車にはねられたに違いない。
見つけた時は左の前足がブラブラになっており、切断した。
切断後も3本足で元気に過ごしてはいたが、身体に負担がかかっていたのだろう。
他の子よりも早く、10歳位で『猫の国』に帰った。(←我が家独自の言い回し。亡くなりました。)
次にウィルス感染。
猫エイズに感染した子もいた。
我が家の子はみな元野良で、我が家にふらりと来て、父のお眼鏡に叶えば『うちの子』になれたので、元々ウィルス感染していたのか、放し飼いで感染したのかはわからない。
どちらにしても放し飼いは感染率が高い。
そして『ご近所迷惑』。
「庭を荒らした」「庭でフンをした」「車の上に乗る」「ガレージの屋根に乗る」等、よく苦情を言われた。
逆の立場になれば、頭にくることだろう。
その当時いた雄猫2匹、雌猫1匹に完全室内飼いを試みた。
が、外の楽しさを知っている猫を室内飼いにするのは、とーっても難しい。
外に出たがり、狂ったように家の中を走り回り、壁やら柱やら襖やら、あちこちで爪とぎをする。
更に、「出してくれるまで鳴いてやる。」と言わんばかりに1日中鳴き喚く。
更に更に困ったのが雄猫のマーキングである。
これまたカーテンをはじめ、あらゆる物にマーキングをし、しまいには眠っている母の顔にまでマーキングした。
獣医さんに相談し、猫の心を落ち着かせるアロマを使ったりしてみたが、効果なし。
しかしご近所さんとのトラブルは避けたい。
たまたま父が日曜大工(DIY)ができ、実家は家はボロだが庭だけは広いので、猫が実家の敷地から外に出られないように柵を作った。
DIYができるのはいいのだが、父の場合美観を全く考えない。
元々素敵からかけ離れていた庭が、とーっても汚い庭になった。
但し、以後ご近所さんから苦情は来ることはなくなった。
猫さん達も庭だけでも外に出られるだけで心が落ち着くのか、悪さをしなくなった。
話はキジ子に戻り、母と私の会話。
「ねぇ、もしキジちゃんが病気になったらどうするの?」
と私が言うと
「だって飼い主さんいるんだから・・・・。」
と母。
「うちで病気になったら、飼い主の所に持って行くの?」
と聞くと
「・・・・・・・・・・・・・」
母、無言。
「そういう事も考えておいた方がいいんじゃない。わかっているとは思うけどさ~、生きていれば病気にもなるし、いつかは必ず死ぬんだから。まぁ、人間もだけどさ。」
と私。
母、無言が続く。
ところが、私の心配が現実になってしまったのだった。(次回につづく)
【写真】
キジ子ちゃん。
この場所が好み。
実家の庭をさっそうと歩くキジ子。
この草伸び放題の庭、酷いですねぇ(笑)
個人的には芝生の庭が好きなのですが・・・。
我が家の場合、人間の好みよりも猫の好みが優先なんです。
クー太のアップ。
先日母から貰った写真です。
私はクー太の顔を見たことがないので
初心者も安心のサポート充実【DMM FX】
母の恋人(?) 08/31/2023
8月も今日で終わり。
早いですね。
しかも連日異常に暑く、もはや35度が当たり前になりましたね。
話は今回の記事になりますが、前回の『思い出話』ほど長くはなりませんが、つづきものになります。
よろしくお願いします
物心ついた頃から我が家には常に動物がいて、今、私はセキセインコの虜だが、我が母は云十年も猫一筋。
云十年も猫と添い寝をしている。
現在母と暮らしている猫は黒猫クー太
クー太のことは2020年の8月のブログに書きましたが、かる~く書きます。
(ご興味のある方はカテゴリ『猫の事』からご覧頂ければと思います)
我が家から実家は徒歩10分弱。
その10分弱の間に公園があり、実家から公園は徒歩2分。
公園には常時10匹弱の猫がいて、『地域猫』と思っているのは猫好きだけなのかもしれないが、去勢・避妊手術をし、毎日餌ももらっている。
ちなみに、手術は猫ボランティア活動をされている●さんが捕獲し、病院に連れて行く。
餌は夕方は母と私の間で『猫オジサン』と呼んでいる男性が与えていて、それ以外の時間も猫好きがかわるがわる来ては与えているようだ。
だから公園猫はみな太っていて、コロンコロンしている。
猫の入れ替わりはある。
年老いて死んだり、病気で死んだり、交通事故で死んだり等、減ることもあれば、どこからともなくふらりとやって来て加わる子もいる。
また、猫の餌やりをする人、猫を見に来る人の入れ替わりもある。
引越し、病気、認知症で施設に入られたり等のようだ。
話が前後するが、公園猫が地域猫になったきっかけは、チビと名付けられた雌猫が出産をしたからだ。
チビは6匹産み
「これ以上増えたら大変!」
となったからだ。
チビの産んだ6匹のうちの1匹を
「私が飼う」
と、我が母が申し出た。
それがクー太だ。
残る5匹はボランティアの●さんによって、すぐに飼い主が見つかった。
クー太は我が家では9番目の猫。
雄猫である。
そして我が家初の『完全室内飼い猫』である。
母ほどではないが、私も15、6歳の頃から猫と一緒に暮らし、よく添い寝をしていたので、猫の扱いには慣れている。
特に顎や尻尾のつけ根にツボのある猫の扱いは得意だ。
私が手を差し出して
「ナントカちゃ~ん」或は「ナントカく~ん」
と呼べば
「ニャーン」とか「ニャニャッ」とか、その子達それぞれの声を出して走って来る。
そして私がツボを刺激してあげると、どの子もうっとり
「もっとやって、もっとやって。」
で、自分でいうのもなんだが
「私の手って、猫にとっては『魔法の手』だったりして」
と思ったりしたものだ。
(このように思っている人はきっと多いと思いますが。)
ところが、クー太は今まで一緒に暮らしてきた猫さん達とは全然違うタイプの猫だった。
臆病なのだ
それも尋常じゃないほどに
2020年のブログを読み返したら
「私が実家へ行くとテレビ台の後ろに隠れて出て来ない」
と、嘆いている。
それでも何度も会えば慣れ、そのうち心を開いてくれるだろうと思っていた。
が、何年たってもダメ。
今はというと・・・、臆病度が更に上がり、悲しいことに2020年の時より警戒されている
何もしていないのに
私が実家の敷地に足を踏み入れる前から2階の部屋の押入れの奥に隠れる。
私が見たことのあるクー太は暗い中で黄色く光る目だけ
美味しい餌、大好きなおもちゃ、マタタビを持って行っても頑としてなびかない。
あまり構うと可哀想だし更に嫌われるので、下の部屋に戻り、母とお喋りをする。
長時間お喋りをし、トイレに立った時だった。
多分私がいることをクー太は忘れていたのだろう。
2階から下りて来たクー太と鉢合わせ。
ビックリしたクー太は一目散に2階に駆け上がり、私が見たのはクー太のタヌキのように太くなった尻尾だけ。
猫の尻尾は警戒や威嚇をしている時に膨らむのだ。
「どこでわかるのかしら?不思議よね~。あんたが敷地に入る前から2階に避難なんだから。」
と母。
「猫って、耳と鼻がすごくいいらしいから、私が遠くにいる時から『あいつが来る』って、わかるんじゃないの。私が帰ると出てくるんでしょ。」
と、私が言うと
「そうなの」
なんだか母は嬉しそうに答え
「あんたがいたところのにおいかいで、あんたが持って来たおもちゃで遊ぶの。こんなに『臆病な猫』、はじめて あんた以外の人が来ても勿論逃げるし、チャイムが鳴るだけで逃げるし、テレビドラマのチャイムでも逃げるし、地震なんてあったら大変よ~。それに私がマスクしただけでも逃げるんだから。『クー太、なんで逃げるの おまえのお母ちゃんだよ。』と言っても猛ダッシュで2階だよ。困った猫だわ。」
と言いつつも、全然困っているように見えない。
そりゃ、そうだ。
他人には絶対に媚びを売らない、自分だけに懐いている猫なのだから。
寝る時は母の脇腹にベッタリくっついて添い寝してるらしいし、母の顔をペロペロと舐めたりもするそうだ。
「クー太がそんなコトするなんて信じられないわ お母さんの恋人だね。可愛いでしょ」
と言うと、母はフフフっと笑う。
話は今からまた過去に戻ります
クー太が母の子になったのは2019年。(我が家のパル(セキセインコ)と同じ年なんです。)
その頃はメリ子という先住猫がいたのだが、これも2020年10月のブログに書きましたが、メリ子は2020年6月16日に『猫の国に帰ってしまった』というのは我が家族の間での言い回し。
亡くなったのだ。
それから3ヵ月位たった頃、実家にキジ猫の雌が来るようになった、と母の家計簿に書いてあるらしい。
家計簿というのが我が母らしいのだが、まぁ、よしとしよう。
キジ猫はあまり大きくなく、だからといって子猫でもなく、そんなに年を取っている猫ではなさそうだ。
母が餌を与えたからだろう。
度々実家に来るようになり、日に日に母に懐いていった。
「名無しじゃなんだから。」
と、母はキジ子と名付けた。
キジ子とクー太の相性は悪くはない、らしい。
臆病クー太のくせにキジ子には積極的で、キジ子にちょっかいを出す、らしい。
だが、キジ子は相手にせず、ひたすら居間で寝ている。
私が初めてキジ子に会った時は、一瞬逃げの姿勢を取ったが
「キジちゃん、キーちゃん。」
と、呼んだら
「ニャーン」
と、細くて可愛い声を出し、まとわりつくように私の足にすり寄って来た。
猫って猫好きかどうか、わかるんですね。
約1匹、わからない黒猫もいますが
更にキジ子は尻尾のつけ根にツボのある子で、お尻をトントントントンと叩くと、お尻を高く上げ
「もっと、もっと。もっと、やってくださ~い」
と、甘えん坊。
私好みの猫である。
この時、クー太は勿論2階の押入れの奥。
「どっちがうちの子か、わからないわね。」
と、我が母は笑うのだった。
(今回はここまで。つづきは次回へ)
【写真】
クー太はこんな格好もよくするそうです。
勿論私は見たことがありません。
押入れの奥の黄色の目しか見たことがありませんから
居間でくつろいでいるクー太。
チラッとしか見えないと思いますが、
後ろにあるのは母が買い与えたおもちゃ。
2020年にも同じ写真をアップしています。
私が撮った唯一の1枚。
公園にいた頃の子猫の時のクー太。
この時は触り放題だったのに・・・。
猫の性格も変わるんですね。
このシャンプー、本来は染めを長持ちさせるもの。
だけど、結構染まります。
といっても毛質にもよると思いますが。
私は年齢のわりに白髪が少なく、細くて猫っ毛。
そして黒髪ではなく、ブラウン。
ブラウンの上からこのシャンプーを使ったら、
ピンクブランになりました。
仕事を辞めてから髪の毛をいじってます。
それまで会社の規制があり、我慢していたので、その反動ですね(笑)
初心者も安心のサポート充実【DMM FX】
母と猫・お別れ 10/04/2020
今回もタイトル通り実家の猫の話です。
前回、我が母が公園の子猫を家族の一員として迎えたことを書いたが、今回は先住猫メメタン(本名メリ子)のことである。
メメタンが我が家に来たのは14年前。
「猫がいるよ、子猫がいる。雌猫みたいだ。ちょっと餌、やってみるか。」
とっ言ったのは、今は亡き我が父である。
ある日突然、隣の家の我が家寄りの庭先に猫がいて、我が家の方向を見ながらミャーミャーと鳴いており、それを見つけたのが父で、父が餌をあげるということは飼ってもいい、いやいや「飼う」ということだ。
かなり前に「ペット遍歴」というタイトルで、我が家のペット歴を書いたことがあったが、我が家においては、ペットを飼うかどうかは勿論のこと、その他全てにおいて父が絶対的権限を持っていた。
父は怖い存在であり、昔ながらの厳格な「お父さん」だった。
父は動物好きではあったが、どんな犬や猫でもいいというわけではなかった。
父の好みは、本人に直接聞いたことがなく、また聞いたところで答えてくれるような人ではないのでわからないのだが、私が察する限りでは、絶対に「雑種」でなければならない。
逆を言えば、ペットショップにいるような素敵なワンちゃん猫ちゃんはダメなのだ。
また、当時我が家には雄猫が2匹おり、雄と雌の比率が父なりにあったようだ。
雄が多い時は雌を迎え、雌が多い時には雄を迎えるというようにしていたように思う。
そして一番重要なのは出合い方である。
我が家にフラッと来たとか公園や道で出会い、そのままついて来てしまったとか、こういう出合いを我が家では「運命的出会い」と呼んでいるが、運命的出会いでなければならないのだった。
子猫は愛情に飢えていたのか、すぐに家の中に入って来て、「うちの子」になった。
うちの子になったのならば、名前をつけなければならない。
本来ならば半年位一緒に生活をしてから名前はつけたい。
というのは、半年くらいするとその子の特徴がわかるからだ。
しかし、半年間名無しというわけにもいかないから頭をひねる。
そこで、写真でしか見たことがないが、昔、父が飼っていたヤギから名前を頂くことにした。
メリーという名のヤギだったらしく、「メリ」に「子」をつけてメリ子と命名。
名付け親は私である。
とはいえ、メリ子と呼んでいたのは初めだけ。
時がたつにつれて呼び名が変わってしまうのが我が家の常で、メリ子から「メメタン」になり、誰かに名前を聞かれた時や動物病院でだけ「メリ子」になる。
先に書いたが、メメタンが来た頃、先住猫が2匹いた。
2匹共雄猫だったが、この2匹は性格がピッタリ合っており、常にベッタリくっついていた。
そこにメメタンが入ったのだが、2匹の雄猫が優しい性格だったせいか、特に争うこともなく、メメタンはすぐに受け入れられ、3匹でベッタリくっついて寝ていることも多かった。
メメタンは子猫といっても生まれたばかりではない。
生後半年位だろうか?
だったらそろそろ避妊手術した方がいいだろうと、母が病院へ連れて行くことになった。
その頃のかかりつけ病院は、最寄り駅の駅前に古くからあるN動物病院だった。
先生は我が母より少し年上、助手は先生の奥様がされていた。
話しやすく、いい病院ではあったが、絶対に入院はさせず家に返すというのが先生のポリシーだった。
飼い主のそばが一番安心するという理由からだ。
それはいいのだが、母にとっての一番の難点は駐車場がないということだった。
近くのスーパーの駐車場に車を止めるのだが、そこから獣医さんまでのわずか5分の道のりが辛い。
メメタンはまだ小さく痩せていたからいいが、他の雄猫は2匹共6㎏以上あり、5分といえども6㎏が入った猫ケージは重いのだ。
「メメタンにはびっくりよ!」
話したくてしょうがないといった感じで、その日の夜、母から連絡が入った。
「あのね、メメタン、子猫じゃなかったのよ。しかも、もう避妊手術済の猫だったの。」
「えっ!そうなの。じゃあ、元飼い猫だったんだね。」
「そういうことになるわね。先生が言うには、1歳か2歳位なのか、何歳かはわからないって。」
「お金かかったの?」
「かからなかったわよ。何もすることがないからお金を取るわけにはいかないって先生に言われて、そのまま帰って来たの。メメタン、捨てられたんだわね。手術までして捨てる人もいるのね。」
それからは、猫3匹の幸せな日々が続いたが、雄猫2匹は年の順に病気になり、天国へ旅立ち、メメタンひとり(正確には1匹)となった。
メメタンはというと、来た時に大人猫なのに子猫に見えたほど小さく痩せていたというのに、うちの子になったら丸々と太り、デブ猫に変身した。
それからどの位たったかは忘れたが、母が公園から黒という猫を連れて来た。
黒のことは以前書いたが、連れて来た時に既に猫エイズにかかっていて、その後腎臓も悪くなり、予想よりずっと早く天国へ旅立ってしまい、またメメタンひとりになり、次に来たのが前回書いた黒猫クー太である。
過去のブログを読み返したら、メメタンと黒は一戦交え、メメタンが勝ち、それから仲良しになったようなのだが、母曰くクー太とは戦っていない。
クー太が子猫だからなのか、メメタンが年を取り、そんな気力がなくなったのかもしれない。
但し、メメタンの食欲が増したようだ。
「ひとりの時はいつでも食べられるからだからなのかしら?餌を残していたのに、クー太が来てからすごい食欲なのよ。残すとクー太に食べられちゃうから競うように食べてるの。おかげでデブになって、トドみたいよ。」
と母は言い、こんな話をしていたのは今年の2月だった。
今年4月半ば頃のこと。
「メメタンが、なんか食欲がないのよ。病院連れて行った方がいいのかな~?どうしたらいいと思う?」
母から電話があった。
「えっ、少し前までよく食べる、トド猫って言ってたじゃん。」
「そうなのよ。それが急に、ガクッと食欲が落ちて、なんか調子、悪そうなのよ。」
通常の私であればすぐに病院へ連れて行くべきだと言うのだが、この頃はコロナで緊急事態宣言が出ていた時期で、高齢で肺に持病がある母に「すぐに行け」とは言えない。
されとて私が連れて行くこともできない。
実家は徒歩10分以内と近いとはいえ、互いに感染させてはいけないと、2月以来母とは会っていず、専らメールと長電話で連絡を取っていた。
「コロナだからね・・・、少し様子をみてから決めたら?」
「そうだね、そうするわ。」
それから1ヵ月位様子を見たのだが、メメタンの食欲が戻ることはなく、病院へ連れて行くことになった。
問題はどこの病院に連れて行くかである。
これまでメメタンは病院へは2回しかかかったことがない。
先に書いた我が家に来て間もない時の、行っただけで何もせず帰宅したのが1回目。
2回目は昨年の11月。
毛にダニらしき虫がついており、ダニ駆除&健康診断でかかった。
その時かかったのは、車で10分位の所にある女性獣医さんの病院である。
1回目の歴代の猫ちゃん達かかりつけ駅前病院は先生のご年齢により廃業されたからだ。
ダニはすぐに解決したが、健康診断では腎臓の数値があまりよくないと言われたらしい。
だかといって特に薬が出るということもなく、腎臓食に切り替えるといいとアドバイスを受けただけ。
腎臓だからどうしようもないのではないかというのが母の意見であり、今回も同じ病院にかかることにした。
先生の感じは悪くなく、また駐車場もあり、母にとって通いやすいというのが理由である。
病院では口の中を診て、血液検査をしたそうだ。
腎臓の数値はそんなに悪くなく、問題は歯であり、奥歯を抜けば食べられるようになるとのこと。
奥歯を全て抜いてしまっても猫の場合食べるのには支障はなく、しかし全身麻酔をして抜かなければならず、高齢のメメタンが全身麻酔に耐えられるかが問題だ。
全身麻酔で死んでしまうことはないかという母の質問に
「そういう子もいます。」
と先生はおっしゃり、飼い主としては「お願いします。」と二つ返事できない。
とりあえず点滴と痛み止めの注射をしてもらい、「考えます」と持ち帰りになった。
「どうしよう」
母から相談電話が来る。
私は物事をポンポンと、わりと早く決めてしまう性格なのだが、麻酔で死ぬかもしれないと聞かされると、「手術した方がいい」とも言えない。
「点滴と注射で、メメタン、どうなの?」
「少し元気になって、少し食べるようになったけど、でも少しだけだよ。このまま点滴と注射でもつのかしら?メメタン、あんまり長くないかも。今年一杯もつかどうか?」
と母。
それからは点滴と注射をしに週に2回通院したが、点滴と注射が効いたのは初めだけ。
メメタンはまた食べなくなり、食べないものだからどんどん痩せ、6月になった。
「メメタン、手術することにした。だって、このまま点滴と注射を続けてももちそうにないし・・・。一か八かよ。手術は6月9日。前日に入院して、検査してからだって。」
母が決断をしたのだった。
6月9日は朝から気が気でなかった。
私は毎朝、通勤電車の中から母にメールをする。
「昨日獣医さんから連絡あった?メメタンの手術、何時?」
と、メールを送ると
「病院から連絡ないよ。前に先生が午前と午後の診察の合間に手術すると言ってた。」
と、返信があり、仕事が終わると帰りの電車の中でまたメールを打つ。
「メメタンの手術、終わった?メメタン、大丈夫?」
「メメタン、まだ手術してないの。帰ったら電話頂戴。」
母の年齢になるとメールよりも電話なのだ。
帰宅し、母に電話をすると、「夕方病院から電話があって、昨日検査をしたら腎臓の数値が悪いんだって。点滴に何が入ってんだかわからないけど、薬の影響で数値が悪い可能性があるから2日間薬を調整して、もう一度検査をして、大丈夫なら手術するって。」
手術日が12日に変更になったのだった。
12日も朝から落ち着かず、仕事を終え、帰宅し母に電話をすると、
「メメタン、連れて帰って来た。」
「手術は?」
「腎臓の数値がすごく悪くて、手術に耐えられないって。もう手の施しようがないって。」
「手の施しようがないって・・・、メメタン、そんなに悪いの。歯が悪かったんじゃないの?」
「初めは歯が悪いって言われたのだけど・・・、今月一杯もつか・・・」
「え-----!医者はなんて言ってるの?」
「1週間とか・・・曖昧で、医者もわかんないんじゃない。」
「1週間!メメタン、どんな感じなの?」
「全然食べないし、元気もなくて、ぐったりしている。怪獣みたいな声で鳴くのよ。」
メメタンは5日間入院し、家に戻った。
入院する前より、一層悪くなって帰って来たのだった。
翌日の13日は土曜日で、仕事は休みだった。
コロナ禍だから実家へ行くのは長らく控えていたが、メメタンのことが心配で、がっちりマスクをつけて実家へ行った。
「メメターン」
と言いながら実家へ入ると、いつもなら「ニャーン」と可愛い声で鳴きながら足元にすり寄ってくるメメタンが無反応。
窓のそばでうずくまっており、険しい顔をしている。
「メメタン」
と呼ぶと、ギャーッと、母が言うように怪獣のような声を出し、見るからに弱っている。
どのくらいもつかはわからないが、もう長くないということはわかる。
帰宅してもメメタンのことが気になり、ネットで「猫 腎臓」ばかり検索してしまう。
すると、ペット用の腎臓に効く水があり、腎臓が悪く死にそうだった子がその水を飲んだら元気になった、というサイトが出てきた。
その水が、水のわりには高い。
高いのだが、買えない値段ではない。
非常に眉唾なのだが、手立てがないと医者に匙を投げられると、こういう物でもいいからすがりたくなる。
しかし、値段に躊躇いすぐに買うとまではいかない。
翌週、17日水曜日は休みを取っていたので、またメメタンに会いに行き、水については母と検討することにした。
ところが、16日火曜の朝、
「メメタン、どう?明日、メメタンに会いに行く。腎臓に効くっていう水があるから、買うか検討中。」
いつものように通勤電車の中から母にメールを送ると、
「メメタン、夜中の2時頃、天国に行っちゃった」
母から涙マークのついた短いメールが来た。
長くはないとは思っていたが、こんなにも早く旅立ってしまうとは思ってもいなかった。
メメタンがいなくなった後、母は暫くの間心にぽっかり穴が開いたような状態になり、クー太に向かって「メメタン」と呼んでしまったりしていたそうだ。
でも、クー太がいてくれてよかったと思う。
クー太がいなかったら、母はきっと、ペットロスになっていただろう。
2020年、コロナ禍の6月16日午前2時頃、メメタン、天国へ旅立つ。
メメタンが一番辛い時に、コロナであまり会えなかったのが残念でならない。
今までペットとのお別れは何度もしているが、何度経験しても慣れることはない。
毎回、すごく悲しい。
メメタン。
目の上の茶色の模様がチャームポイントでした。
我が家に来た時は子猫と間違える程小さかったのに、
うちの子になってからはどんどん太りました。
小さい時も可愛かったけど、太ったメメタンはもっと可愛かったです。
抱っこは嫌いでしたが、毛を撫でられるのは大好きでした。
もう撫でることができないと思うと、
前回、我が母が公園の子猫を家族の一員として迎えたことを書いたが、今回は先住猫メメタン(本名メリ子)のことである。
メメタンが我が家に来たのは14年前。
「猫がいるよ、子猫がいる。雌猫みたいだ。ちょっと餌、やってみるか。」
とっ言ったのは、今は亡き我が父である。
ある日突然、隣の家の我が家寄りの庭先に猫がいて、我が家の方向を見ながらミャーミャーと鳴いており、それを見つけたのが父で、父が餌をあげるということは飼ってもいい、いやいや「飼う」ということだ。
かなり前に「ペット遍歴」というタイトルで、我が家のペット歴を書いたことがあったが、我が家においては、ペットを飼うかどうかは勿論のこと、その他全てにおいて父が絶対的権限を持っていた。
父は怖い存在であり、昔ながらの厳格な「お父さん」だった。
父は動物好きではあったが、どんな犬や猫でもいいというわけではなかった。
父の好みは、本人に直接聞いたことがなく、また聞いたところで答えてくれるような人ではないのでわからないのだが、私が察する限りでは、絶対に「雑種」でなければならない。
逆を言えば、ペットショップにいるような素敵なワンちゃん猫ちゃんはダメなのだ。
また、当時我が家には雄猫が2匹おり、雄と雌の比率が父なりにあったようだ。
雄が多い時は雌を迎え、雌が多い時には雄を迎えるというようにしていたように思う。
そして一番重要なのは出合い方である。
我が家にフラッと来たとか公園や道で出会い、そのままついて来てしまったとか、こういう出合いを我が家では「運命的出会い」と呼んでいるが、運命的出会いでなければならないのだった。
子猫は愛情に飢えていたのか、すぐに家の中に入って来て、「うちの子」になった。
うちの子になったのならば、名前をつけなければならない。
本来ならば半年位一緒に生活をしてから名前はつけたい。
というのは、半年くらいするとその子の特徴がわかるからだ。
しかし、半年間名無しというわけにもいかないから頭をひねる。
そこで、写真でしか見たことがないが、昔、父が飼っていたヤギから名前を頂くことにした。
メリーという名のヤギだったらしく、「メリ」に「子」をつけてメリ子と命名。
名付け親は私である。
とはいえ、メリ子と呼んでいたのは初めだけ。
時がたつにつれて呼び名が変わってしまうのが我が家の常で、メリ子から「メメタン」になり、誰かに名前を聞かれた時や動物病院でだけ「メリ子」になる。
先に書いたが、メメタンが来た頃、先住猫が2匹いた。
2匹共雄猫だったが、この2匹は性格がピッタリ合っており、常にベッタリくっついていた。
そこにメメタンが入ったのだが、2匹の雄猫が優しい性格だったせいか、特に争うこともなく、メメタンはすぐに受け入れられ、3匹でベッタリくっついて寝ていることも多かった。
メメタンは子猫といっても生まれたばかりではない。
生後半年位だろうか?
だったらそろそろ避妊手術した方がいいだろうと、母が病院へ連れて行くことになった。
その頃のかかりつけ病院は、最寄り駅の駅前に古くからあるN動物病院だった。
先生は我が母より少し年上、助手は先生の奥様がされていた。
話しやすく、いい病院ではあったが、絶対に入院はさせず家に返すというのが先生のポリシーだった。
飼い主のそばが一番安心するという理由からだ。
それはいいのだが、母にとっての一番の難点は駐車場がないということだった。
近くのスーパーの駐車場に車を止めるのだが、そこから獣医さんまでのわずか5分の道のりが辛い。
メメタンはまだ小さく痩せていたからいいが、他の雄猫は2匹共6㎏以上あり、5分といえども6㎏が入った猫ケージは重いのだ。
「メメタンにはびっくりよ!」
話したくてしょうがないといった感じで、その日の夜、母から連絡が入った。
「あのね、メメタン、子猫じゃなかったのよ。しかも、もう避妊手術済の猫だったの。」
「えっ!そうなの。じゃあ、元飼い猫だったんだね。」
「そういうことになるわね。先生が言うには、1歳か2歳位なのか、何歳かはわからないって。」
「お金かかったの?」
「かからなかったわよ。何もすることがないからお金を取るわけにはいかないって先生に言われて、そのまま帰って来たの。メメタン、捨てられたんだわね。手術までして捨てる人もいるのね。」
それからは、猫3匹の幸せな日々が続いたが、雄猫2匹は年の順に病気になり、天国へ旅立ち、メメタンひとり(正確には1匹)となった。
メメタンはというと、来た時に大人猫なのに子猫に見えたほど小さく痩せていたというのに、うちの子になったら丸々と太り、デブ猫に変身した。
それからどの位たったかは忘れたが、母が公園から黒という猫を連れて来た。
黒のことは以前書いたが、連れて来た時に既に猫エイズにかかっていて、その後腎臓も悪くなり、予想よりずっと早く天国へ旅立ってしまい、またメメタンひとりになり、次に来たのが前回書いた黒猫クー太である。
過去のブログを読み返したら、メメタンと黒は一戦交え、メメタンが勝ち、それから仲良しになったようなのだが、母曰くクー太とは戦っていない。
クー太が子猫だからなのか、メメタンが年を取り、そんな気力がなくなったのかもしれない。
但し、メメタンの食欲が増したようだ。
「ひとりの時はいつでも食べられるからだからなのかしら?餌を残していたのに、クー太が来てからすごい食欲なのよ。残すとクー太に食べられちゃうから競うように食べてるの。おかげでデブになって、トドみたいよ。」
と母は言い、こんな話をしていたのは今年の2月だった。
今年4月半ば頃のこと。
「メメタンが、なんか食欲がないのよ。病院連れて行った方がいいのかな~?どうしたらいいと思う?」
母から電話があった。
「えっ、少し前までよく食べる、トド猫って言ってたじゃん。」
「そうなのよ。それが急に、ガクッと食欲が落ちて、なんか調子、悪そうなのよ。」
通常の私であればすぐに病院へ連れて行くべきだと言うのだが、この頃はコロナで緊急事態宣言が出ていた時期で、高齢で肺に持病がある母に「すぐに行け」とは言えない。
されとて私が連れて行くこともできない。
実家は徒歩10分以内と近いとはいえ、互いに感染させてはいけないと、2月以来母とは会っていず、専らメールと長電話で連絡を取っていた。
「コロナだからね・・・、少し様子をみてから決めたら?」
「そうだね、そうするわ。」
それから1ヵ月位様子を見たのだが、メメタンの食欲が戻ることはなく、病院へ連れて行くことになった。
問題はどこの病院に連れて行くかである。
これまでメメタンは病院へは2回しかかかったことがない。
先に書いた我が家に来て間もない時の、行っただけで何もせず帰宅したのが1回目。
2回目は昨年の11月。
毛にダニらしき虫がついており、ダニ駆除&健康診断でかかった。
その時かかったのは、車で10分位の所にある女性獣医さんの病院である。
1回目の歴代の猫ちゃん達かかりつけ駅前病院は先生のご年齢により廃業されたからだ。
ダニはすぐに解決したが、健康診断では腎臓の数値があまりよくないと言われたらしい。
だかといって特に薬が出るということもなく、腎臓食に切り替えるといいとアドバイスを受けただけ。
腎臓だからどうしようもないのではないかというのが母の意見であり、今回も同じ病院にかかることにした。
先生の感じは悪くなく、また駐車場もあり、母にとって通いやすいというのが理由である。
病院では口の中を診て、血液検査をしたそうだ。
腎臓の数値はそんなに悪くなく、問題は歯であり、奥歯を抜けば食べられるようになるとのこと。
奥歯を全て抜いてしまっても猫の場合食べるのには支障はなく、しかし全身麻酔をして抜かなければならず、高齢のメメタンが全身麻酔に耐えられるかが問題だ。
全身麻酔で死んでしまうことはないかという母の質問に
「そういう子もいます。」
と先生はおっしゃり、飼い主としては「お願いします。」と二つ返事できない。
とりあえず点滴と痛み止めの注射をしてもらい、「考えます」と持ち帰りになった。
「どうしよう」
母から相談電話が来る。
私は物事をポンポンと、わりと早く決めてしまう性格なのだが、麻酔で死ぬかもしれないと聞かされると、「手術した方がいい」とも言えない。
「点滴と注射で、メメタン、どうなの?」
「少し元気になって、少し食べるようになったけど、でも少しだけだよ。このまま点滴と注射でもつのかしら?メメタン、あんまり長くないかも。今年一杯もつかどうか?」
と母。
それからは点滴と注射をしに週に2回通院したが、点滴と注射が効いたのは初めだけ。
メメタンはまた食べなくなり、食べないものだからどんどん痩せ、6月になった。
「メメタン、手術することにした。だって、このまま点滴と注射を続けてももちそうにないし・・・。一か八かよ。手術は6月9日。前日に入院して、検査してからだって。」
母が決断をしたのだった。
6月9日は朝から気が気でなかった。
私は毎朝、通勤電車の中から母にメールをする。
「昨日獣医さんから連絡あった?メメタンの手術、何時?」
と、メールを送ると
「病院から連絡ないよ。前に先生が午前と午後の診察の合間に手術すると言ってた。」
と、返信があり、仕事が終わると帰りの電車の中でまたメールを打つ。
「メメタンの手術、終わった?メメタン、大丈夫?」
「メメタン、まだ手術してないの。帰ったら電話頂戴。」
母の年齢になるとメールよりも電話なのだ。
帰宅し、母に電話をすると、「夕方病院から電話があって、昨日検査をしたら腎臓の数値が悪いんだって。点滴に何が入ってんだかわからないけど、薬の影響で数値が悪い可能性があるから2日間薬を調整して、もう一度検査をして、大丈夫なら手術するって。」
手術日が12日に変更になったのだった。
12日も朝から落ち着かず、仕事を終え、帰宅し母に電話をすると、
「メメタン、連れて帰って来た。」
「手術は?」
「腎臓の数値がすごく悪くて、手術に耐えられないって。もう手の施しようがないって。」
「手の施しようがないって・・・、メメタン、そんなに悪いの。歯が悪かったんじゃないの?」
「初めは歯が悪いって言われたのだけど・・・、今月一杯もつか・・・」
「え-----!医者はなんて言ってるの?」
「1週間とか・・・曖昧で、医者もわかんないんじゃない。」
「1週間!メメタン、どんな感じなの?」
「全然食べないし、元気もなくて、ぐったりしている。怪獣みたいな声で鳴くのよ。」
メメタンは5日間入院し、家に戻った。
入院する前より、一層悪くなって帰って来たのだった。
翌日の13日は土曜日で、仕事は休みだった。
コロナ禍だから実家へ行くのは長らく控えていたが、メメタンのことが心配で、がっちりマスクをつけて実家へ行った。
「メメターン」
と言いながら実家へ入ると、いつもなら「ニャーン」と可愛い声で鳴きながら足元にすり寄ってくるメメタンが無反応。
窓のそばでうずくまっており、険しい顔をしている。
「メメタン」
と呼ぶと、ギャーッと、母が言うように怪獣のような声を出し、見るからに弱っている。
どのくらいもつかはわからないが、もう長くないということはわかる。
帰宅してもメメタンのことが気になり、ネットで「猫 腎臓」ばかり検索してしまう。
すると、ペット用の腎臓に効く水があり、腎臓が悪く死にそうだった子がその水を飲んだら元気になった、というサイトが出てきた。
その水が、水のわりには高い。
高いのだが、買えない値段ではない。
非常に眉唾なのだが、手立てがないと医者に匙を投げられると、こういう物でもいいからすがりたくなる。
しかし、値段に躊躇いすぐに買うとまではいかない。
翌週、17日水曜日は休みを取っていたので、またメメタンに会いに行き、水については母と検討することにした。
ところが、16日火曜の朝、
「メメタン、どう?明日、メメタンに会いに行く。腎臓に効くっていう水があるから、買うか検討中。」
いつものように通勤電車の中から母にメールを送ると、
「メメタン、夜中の2時頃、天国に行っちゃった」
母から涙マークのついた短いメールが来た。
長くはないとは思っていたが、こんなにも早く旅立ってしまうとは思ってもいなかった。
メメタンがいなくなった後、母は暫くの間心にぽっかり穴が開いたような状態になり、クー太に向かって「メメタン」と呼んでしまったりしていたそうだ。
でも、クー太がいてくれてよかったと思う。
クー太がいなかったら、母はきっと、ペットロスになっていただろう。
2020年、コロナ禍の6月16日午前2時頃、メメタン、天国へ旅立つ。
メメタンが一番辛い時に、コロナであまり会えなかったのが残念でならない。
今までペットとのお別れは何度もしているが、何度経験しても慣れることはない。
毎回、すごく悲しい。
メメタン。
目の上の茶色の模様がチャームポイントでした。
我が家に来た時は子猫と間違える程小さかったのに、
うちの子になってからはどんどん太りました。
小さい時も可愛かったけど、太ったメメタンはもっと可愛かったです。
抱っこは嫌いでしたが、毛を撫でられるのは大好きでした。
もう撫でることができないと思うと、
母と猫・お迎え 08/15/2020
いつものことながら、更新が滞ってしまった。
時間がないわけではない。
私が怠惰だからだ。
休みの日の午後なんぞはたんまり時間があるのだが、ゴロンと寝転がりながら再放送のドラマなんぞを見てしまい、見ているうちにうたた寝。
起きたら夕方になっていて、
「うゎ!今日も寝ちゃったよ。」
いつもこんな感じで貴重な休みを終わらせてしまうおバカな私。
まあ、どうでもいい話しはこのへんまでにし、本題に入るとしましょう。
とはいえ、ここから先もどうでもいい話しなんですけどね。
我が母は40年以上猫と共に暮らし、40年以上猫と添い寝している。
そんな母は当然ながら猫好きだ。
2年位前に『元地域猫、黒の猫生』というタイトルで黒という猫のことを書いた。
(興味のある方はカテゴリ猫からご覧下さい。)
黒が亡くなってから暫く落ち込んでいた母だったが、黒を連れて来てからピタっと通わなくなった、かつて黒のいた公園にまた通うようになった。
実家にはメメタン(本名メリ子)という雌猫がいて、メメタンだけで十分ではないかと私なんぞは思うのだが、
母曰く「メメタンは可愛いわよ。でも、メメタン抱っこできないから・・・」
メメタンは触り放題なのだが、抱っこが大嫌い。
そして母はというと、ないものねだりなのか、抱っこができる猫が好きなのだ。
母の家から公園までは歩いて2、3分。
黒もそうだったが、そこには決まった時間になると、どこからともなく9匹位の猫達がやって来る。
猫達のお目当ては、母と私が密かに『猫おじさん』と呼んでいる男性だ。
おじさんと書いたが、私よりほんの少し年上、母よりはかなり若く、しかしまあ、おじさんには変わりない。
猫おじさんは10年以上、よほどの大雨でない限り、毎日公園に通い、公園にいる猫達全員に餌をあげている。
9匹全員が来て、9匹全員が食べ終わるのを見届け、水も与え、綺麗に後片付けをして帰るのが猫おじさんの日課でもあり楽しみでもあるようだ。
母は何をしているのかというと、猫おじさんに猫缶2個位を差し入れし、猫おじさんが猫達に餌をあげ、猫達が餌を食べるのを見たり、猫達をかまったりしている。
そして、母と同じ存在の人がもう2人いる。
ひとりは40代のOさんという女性で、Oさんは猫おじさんの来る夕方のみならず、朝もジョギングついでに公園に来るらしい。
もうひとりは母と同じく、公園に隣接する住宅街に住むSさんという60代の女性だ。
猫おじさん、Oさん、Sさん、我が母、全員猫を飼っており、皆猫好きなのだ。
「私が毎日たっぷり餌をあげているから、ここの猫達は悪さはしません。」
と断言する猫おじさんなのだが、朝も公園通いをしているOさんによれば、餌をあげているのは猫おじさんだけではない。
朝には朝のメンバーがおり、猫達は朝ごはんも貰っているのだそうだ。
従って、ここの猫達は皆、丸々と太っている。
9匹の猫には皆、名前がついている。
ヒデ君、ノブ君、らんちゃん、チョビ君、スノーちゃん、はなちゃん、黒ニャン、ヨリ、ドラ。
私は名前と顔が一致しないが、毎日接している母達は当然ながら名前と顔は一致し、それぞれの性格も知っている。
ここにいる猫全員が野良猫というわけではない。
ヒデ君とノブ君とらんちゃん、そしてスノーちゃんは飼い猫だ。
ヒデ君とノブ君とらんちゃんは近所の同じ家の飼い猫なのだが、放し飼いであり、家より公園の方が好きらしく、飼い主曰く「たまにしか帰って来ない。」
首輪はつけている時もあれば、つけていない時もある。
たまに家に帰った時に、首輪がないことに気づいた飼い主が首輪をつけるのだが、公園にいる間に首輪を落とすようなのだ。
そしてスノーちゃん、この子は公園のすぐそばの家の子なのだが、この子も放し飼いであり、高齢の飼い主さんは認知症らしい。
猫を飼っていること、スノーという名前はわかっているようなのだが、どの子が自分の猫なのかわからない。
そして、その飼い主さんも最近施設に入られたらしく、スノーちゃんは公園に置き去り。
元飼い猫の可哀想な猫なのである。
一昨年の春のこと。
ヨリという細身の三毛猫が妊娠し、出産した。
ヨリの性格は、母曰く「慎重でしっかり者。」
そんなヨリだから、気心知れた餌やりおじさん&おばさん達に子猫をお披露目したのは、子猫が少しばかり大きくなってからだった。
子猫は3匹。
毎日餌は貰えるとはいえ野良猫には変わりない。
悪天候の日もあれば天敵もいる厳しい世界。
3匹のうち2匹は恐らく生き延びることができなかったのだろう。
ヨリの子供は白黒の猫1匹となり、ありきたりだが「チビ」と名付けられた。
チビは他の猫達にすぐに受け入れられ、すくすくと成長した。
性格は親猫ヨリとはだいぶ違い、とにかく落ち着きがなく、ピョンピョンとうさぎのように跳ね回る。
抱っこはおろか、触ることもできない。
それでも餌をくれる人はちゃんとわかっており、とりわけ猫おじさんにはそれれなりに懐き、少しばかり毛を触らせる。
「この子は女の子ですね~。」
チビの毛を撫でながら猫おじさんが言い、チビが雌猫だと判明する。
左がチビ、右がお母さん猫ヨリ
チビがチョロチョロするようになってから公園にチビを見に来る人が増えた。
チビはなかなかの器量よしだったので、「欲しい、飼いたい」という人も何人かいたのだが、家族の反対があったり、またチビの落ち着きのない性格が災いしたのか、公園の猫のまま月日が過ぎた。
昨年の春のこと。
ヨリがまた妊娠した。
「あら~、今度は何匹産むのかしら?」
母、Oさん、Sさんが言うと
「ヨリちゃんは小さいから、また3匹くらいじゃないですかね~。」
と猫おじさん。
ところが、妊娠したのはヨリだけではなかった。
痩せていて、また、まだまだ子供だと思っていたヨリの子供チビのお腹も膨らんでいるではないか。
毎日餌をあげ、お互いにわかりあえている仲とはいえ、ヨリもチビも人間に出産は見せない。
2匹共、どこか安全な場所で出産したらしく、先に子猫を紹介してくれたのはチビだった。
チビの子供は、なんと6匹。
6匹中5匹は頭の先から尻尾の先まで全身真っ黒な黒猫で、1匹だけチビと同じ白黒猫。
白黒猫は雌猫、5匹の黒猫中4匹は雌猫で、6匹中、雄猫は1匹だけ。
慎重でしっかり者のヨリが子猫を見せてくれたのはチビよりももっと後のことで、子猫は2匹。
2匹共ヨリと同じ三毛猫で、三毛猫だから雌だ。
一気に8匹もの猫が増え、公園の猫は17匹となった。
「可愛いけど、餌代が大変だわね~。」
と母が言うと
「まあ、これくらいなら大丈夫です。子猫がいると賑やかでいいですね~。」
餌代よりも子猫にデレデレな猫おじさんなのであった。
母の住む住宅街には、母の家と反対方向にもうひとつ公園があり、そこにも何匹もの猫がいる。
そこの猫達の世話及び避妊・去勢手術は公園の近くに住む、母も知っているWさんだ。
猫の世話をするくらいだからWさんも猫を飼っている猫好きである。
時々母の通う公園にも来るらしく、子猫の存在も知ってる。
「知り合いに子猫が欲しいって人がいて、1匹もらってもいいかしら?」
Wさんが猫おじさんに言う。
「子猫は誰の物でもありませんから。いい飼い主さんに恵まれればそれが一番ですからね。只、どうしても懐かなかった時はいつでもここに返して下さい。私が生きている限り、ここの子達に餌はあげますから。」
そう言われるとWさんはどうやって捕獲したのしたのかはわからないが、すぐに捕獲し、子猫を連れて行ってしまった。
Wさんに捕獲されたのは、ヨリの、いつも鳴き喚いている一番臆病な子だった。
「あの子、臆病で鳴いてばかりいたから・・・、大丈夫かしら?」
などと、母達餌やり仲間の間では心配しており、心配が現実となった。
3日後、公園に戻されたのだ。
雌猫は望んでいなかったというのが理由らしいが、恐らく懐かなかったのだろう。
まあ、3日位では懐かないものなのだが、捕獲され怖いおもいをした臆病な子は一層臆病になり、母猫ヨリにくっついているか、もう1匹のきょうだいにくっついているかになった。
チビの時もそうだったが、子猫がいるとどこからともく人が集まって来る。
猫好きは勿論のこと、猫嫌いの人も来て、後者とは時に揉めることになる。
「今はまだ小さいからいいけど、雌猫がこうだし、猫って半年で妊娠するから、このままいくと鼠算式に増えてしまうわよ。もう少ししたら子猫もチビちゃんもヨリちゃんも、あと他の若い子も避妊手術をした方がいいんじゃないかしら。」
とOさんが言うと
「それは私がしますよ。もうひとり猫好きのオジサンがいて、その人が去勢・避妊がタダのなるパスみたいなものを持っているんですよ。夏は手術には向かないみたいですから、秋にでもしますかね。」
と猫おじさん。
沢山の人が見に来るわりには子猫達は誰からも引き取られることなく、9月になった。
生後約半年。
可愛い盛りである。
「そろそろ手術した方がいいと思うのだけど・・・」
と、Oさんが心配して猫おじさんをせかすと
「今の時期はあんまりよくないみたいですから、もう少ししてからにしましょう。」
どうも猫おじさんはその都度言うことが違い、先延ばしにする。
猫おじさんは口だけ、やる気がないと、Oさんと母の意見が一致した。
しかし、このままにしておけば猫が何十匹にもなってしまい、広い公園といえども近所迷惑が考えられるし、保健所に通報され、殺処分されることも考えられ、それだけは避けたい。
動いたのはOさんだった。
Oさん宅にいる2匹の猫は保護ボランティアの人から譲り受けた子で、口にこそ出さないが、どうやらOさんはボランティア活動をしているようであった。
翌日、Oさんは猫達の手術費の寄付を募るチラシを作って来て、朝と夕方、公園でいつも会う人達に配り、手術費は瞬く間に集まった。
次は、Oさんとボランティアのお仲間が捕獲し、地域猫の手術をしてくれる病院へ連れて行くのだ。
と、ここで、我が母が私に相談があると言ってきた。
「あのさー、『しっぽ』を飼いたいのだけど・・・、どう思う?」
しっぽというのはチビの子供の唯一の雄猫である。
しっぽ、クマちゃん、おまめ・・・・などなど、私は全員の名前はわからなが、子猫全員に名前がついていた。
チビの真っ黒な黒猫達の区別も、毎日見ている母達にはわかるらしい。
唯一の雄で、しっぽがすーっと長くまっすぐで、なにより抱っこができ、母はしっぽを気に入ってしまったのだ。
但し母には心配事があった。
それは自分の年齢である。
これまでの我が家の経験では、猫は15、6年は生きる。
我が母は還暦である。
しっぽが15歳の時、母は90歳。
90歳まで生きる自信もなければ、途中でボケてしまい、しっぽがスノーちゃんみたいになったら可哀想だと言うのである。
「万一そうなったらさー、私が元気だったらだけど、私がしっぽの面倒みるよ。」
「ホント!いいの?いいのね。」
「だって、仕方ないじゃん。」
と言うと、翌日、母は
「しっぽは私が飼います。去勢のお金は私が払います。その代わり、耳は切って欲しくないの。」
とOさんにお願いしたそうだ。
耳を切るというのは、ご存じの方もいるだろうが、去勢・避妊手術済の子の片耳を少しだけ切り、地域猫の証なのだ。
自分で撮っておきながら、この子がチビなのかチビの子供のおまめなのか?
多分「おまめ」だと思います。
9月末から10月初旬にかけて、猫達捕獲&手術が行われた。
対象の猫は子猫8匹、チビ、ヨリ、黒ニャン、ドラの12匹。
他の猫、はなちゃんとスノーちゃんは年寄猫なので手術の必要はないだろうといことになり、ノブ君、ヒデ君、らんちゃんも年寄猫だし、おまけに飼い猫なので必要なしということになった。
12匹いっぺんに病院へ連れて行くことはできないので、3回に分けて捕獲することになった。
手術の前日、対象の猫は絶食である。
Oさんとボランティアの人が捕獲機をセットする。
いつも母から話だけ聞かされている私は当然ながら捕獲機がどんなものなのかは見たことがない。
「ねえ、捕獲機って・・・、見た?そんなにうまいこと捕まるのかね?」
母に聞くと
「ボランティアの人とOさんがセットしてくれたから私も見てないのよ。」
しかし、流石ボランティアの人だ。
猫達は案外すんなり捕獲機に入り、順番に病院へ連れて行かれ、手術をし、1日入院し、公園に帰って来た。
そんな中、なかなか捕獲機に入らなかったのが「ドラ」という雄猫である。
「ドラ」の名付け親は猫おじさんで、ドラ猫の「ドラ」だ。
いつの頃からか突然現れた新参者で、強いのだ。
ドラが来ると他の猫達は震え、逃げてしまい、いうなれば、公園のボス猫だ。
そして、ヨリとチビの子猫達のお父さんはドラではないかと人間達は推測している。
他の猫の餌は横取りするドラだが、子猫達の餌は横取りせず、子猫に譲るようなのである。
話が少しそれたが、ボス猫だけあってドラは頭がよかった。
ボランティアの人とOさんが2度試したが他の猫達がすんなり入った捕獲機にドラは決して入らず、こういう手ごわい猫向きのとっておき捕獲機があるらしく、3回目にしてやっと捕まえることができたのだった。
ドラは思っていたより若く、病院の先生曰く「まだ、3、4歳。」
流石のドラも手術後数日間は餌も食べに来ず、人間の姿を見ると逃げる程だったらしい。
我が家にパル(インコ)が来たのと同時期の昨年10月初旬、母はしっぽをお迎えした。
しっぽは去勢手術の他、健康診断もしてもらい、母曰く1万2千円かかった。
公園にいる時はしっぽが長いからという理由で「しっぽ」という名前だったが、飼い猫で「しっぽ」では可哀想だとなり、母と同居している我が妹が、クー太と名付けた。
恐らく黒いからクー、それに「太」をつけただけだと思われる。
クー太は公園にいた時は誰にでも触られ、抱っこされる人懐っこい猫だったというのに、家猫になったら性格が豹変したらしい。
すぐに懐いたものの、ものすごく臆病らしく、少しの物音でも飛び上がって逃げてしまい、飼い主の母がマスクをしただけで、マスクに怯え逃げてしまう。
私が実家へ行く時なんぞはもっとひどい。
今ではインコに夢中の私だが、私とて子供の時から猫と暮らしていたので、猫の扱いには自信がある。
だが、クー太だけはダメだ。
臆病だとは聞かされていたが、我の想像を上回る臆病猫で、私が玄関に入った途端、他人を察知したクー太はテレビ台の奥へ隠れる。
実家のテレビ台は猫がテレビの上に乗るからと、テレビをすっぽり覆い、尚且つ飾り棚までついている、最近ではあまりお見かけしなようなバカでかいもので、その陰に隠れてしまうと、真っ黒なクー太の黄色に光る目しか見えない。
クー太はそこで、私が帰るのを今か今かと息をひそめて待っているのだ。
帰るまで決して出てこない。
そんなわけで、公園にいた頃にクー太らしき猫を見たことはあったが、飼い猫になってからのクー太の顔をしっかり見たこともなければ、全身の姿を見たこともない。
そんな臆病猫でも先住者のメメタンとはすぐに仲良しになったらしい。
最も14歳のおばあちゃん猫メメタンはクー太など相手にしちゃいない。
手術後の他の子猫達だが、ボランティアさんの手にかかるとすごい。
8匹中1匹は我が母の猫になったので残るは7匹。
そのうち6匹はすぐに里親が見つかり、それぞれの家に貰われて行った。
かつてWさんに捕獲され、公園に戻された臆病な子は、もう一匹のきょうだいと一緒に引き取られ、姉妹でベッタリくっついているらしい。
最後の1匹、チビの子供のクマちゃんという黒猫だけは風邪をこじらせ、外に置いておくのは危険ということになり、ひとまずボランティアさんの家に引き取られた。
そこで回復するのを待ち、回復したら里親探しをし、里親が見つからなければそのままボランティアさんの家の子になるらしいのだが、そんなボランティアさんは10匹以上の猫を飼っている。
好きだけではできない活動である。
少しの間ボランティアさんの家で過ごしていたクマちゃんだが、体があまり強くないクマちゃんを不憫に思ったのはOさんだった。
先にOさんの家には2匹猫がいると書いたが、
「体が弱いから可哀想。クマちゃんを引き取りたい。」
と言うOさんにOさんの旦那さんは猛反対。
「2匹で十分。これ以上飼っちゃダメだ。」
と言われたそうなのだが、Oさんは粘りに粘り、旦那さんは根負けし、クマちゃんはOさん宅の猫になった。
今では改名され、ベルちゃんである。
何度も獣医さんにかかったらしく、風邪も治り、2匹の先住猫とも仲良くしているそうだ。
ちなみに、他の子達も全員改名れ、皆素敵な名前を貰っている。
子猫がいなくなって悲しんでいるのは猫おじさんである。
おじさんとしては1匹だけでも残して欲しかったようだ。
でも、これでよかったのだ。
猫人生は飼い主によって決まる。
いい飼い主に恵まれれば素晴らしい猫人生になるのだから。
今回は文章の途中に写真を挿入してみました。
クー太お迎えまで書きましたが、まだ書きたいことがあります。
しかし長くなりましたし、私も書き疲れてしまったので、今回はこのへんで。
つづきは次回へ。
母の猫、クー太です。
まだ公園にいた頃で、この頃は写真も撮れたし、触らせてくれました。
今では私の声を聞くだけで、私の気配を感じただけで、テレビ台の後ろに隠れてしまいますけど
時間がないわけではない。
私が怠惰だからだ。
休みの日の午後なんぞはたんまり時間があるのだが、ゴロンと寝転がりながら再放送のドラマなんぞを見てしまい、見ているうちにうたた寝。
起きたら夕方になっていて、
「うゎ!今日も寝ちゃったよ。」
いつもこんな感じで貴重な休みを終わらせてしまうおバカな私。
まあ、どうでもいい話しはこのへんまでにし、本題に入るとしましょう。
とはいえ、ここから先もどうでもいい話しなんですけどね。
我が母は40年以上猫と共に暮らし、40年以上猫と添い寝している。
そんな母は当然ながら猫好きだ。
2年位前に『元地域猫、黒の猫生』というタイトルで黒という猫のことを書いた。
(興味のある方はカテゴリ猫からご覧下さい。)
黒が亡くなってから暫く落ち込んでいた母だったが、黒を連れて来てからピタっと通わなくなった、かつて黒のいた公園にまた通うようになった。
実家にはメメタン(本名メリ子)という雌猫がいて、メメタンだけで十分ではないかと私なんぞは思うのだが、
母曰く「メメタンは可愛いわよ。でも、メメタン抱っこできないから・・・」
メメタンは触り放題なのだが、抱っこが大嫌い。
そして母はというと、ないものねだりなのか、抱っこができる猫が好きなのだ。
母の家から公園までは歩いて2、3分。
黒もそうだったが、そこには決まった時間になると、どこからともなく9匹位の猫達がやって来る。
猫達のお目当ては、母と私が密かに『猫おじさん』と呼んでいる男性だ。
おじさんと書いたが、私よりほんの少し年上、母よりはかなり若く、しかしまあ、おじさんには変わりない。
猫おじさんは10年以上、よほどの大雨でない限り、毎日公園に通い、公園にいる猫達全員に餌をあげている。
9匹全員が来て、9匹全員が食べ終わるのを見届け、水も与え、綺麗に後片付けをして帰るのが猫おじさんの日課でもあり楽しみでもあるようだ。
母は何をしているのかというと、猫おじさんに猫缶2個位を差し入れし、猫おじさんが猫達に餌をあげ、猫達が餌を食べるのを見たり、猫達をかまったりしている。
そして、母と同じ存在の人がもう2人いる。
ひとりは40代のOさんという女性で、Oさんは猫おじさんの来る夕方のみならず、朝もジョギングついでに公園に来るらしい。
もうひとりは母と同じく、公園に隣接する住宅街に住むSさんという60代の女性だ。
猫おじさん、Oさん、Sさん、我が母、全員猫を飼っており、皆猫好きなのだ。
「私が毎日たっぷり餌をあげているから、ここの猫達は悪さはしません。」
と断言する猫おじさんなのだが、朝も公園通いをしているOさんによれば、餌をあげているのは猫おじさんだけではない。
朝には朝のメンバーがおり、猫達は朝ごはんも貰っているのだそうだ。
従って、ここの猫達は皆、丸々と太っている。
9匹の猫には皆、名前がついている。
ヒデ君、ノブ君、らんちゃん、チョビ君、スノーちゃん、はなちゃん、黒ニャン、ヨリ、ドラ。
私は名前と顔が一致しないが、毎日接している母達は当然ながら名前と顔は一致し、それぞれの性格も知っている。
ここにいる猫全員が野良猫というわけではない。
ヒデ君とノブ君とらんちゃん、そしてスノーちゃんは飼い猫だ。
ヒデ君とノブ君とらんちゃんは近所の同じ家の飼い猫なのだが、放し飼いであり、家より公園の方が好きらしく、飼い主曰く「たまにしか帰って来ない。」
首輪はつけている時もあれば、つけていない時もある。
たまに家に帰った時に、首輪がないことに気づいた飼い主が首輪をつけるのだが、公園にいる間に首輪を落とすようなのだ。
そしてスノーちゃん、この子は公園のすぐそばの家の子なのだが、この子も放し飼いであり、高齢の飼い主さんは認知症らしい。
猫を飼っていること、スノーという名前はわかっているようなのだが、どの子が自分の猫なのかわからない。
そして、その飼い主さんも最近施設に入られたらしく、スノーちゃんは公園に置き去り。
元飼い猫の可哀想な猫なのである。
一昨年の春のこと。
ヨリという細身の三毛猫が妊娠し、出産した。
ヨリの性格は、母曰く「慎重でしっかり者。」
そんなヨリだから、気心知れた餌やりおじさん&おばさん達に子猫をお披露目したのは、子猫が少しばかり大きくなってからだった。
子猫は3匹。
毎日餌は貰えるとはいえ野良猫には変わりない。
悪天候の日もあれば天敵もいる厳しい世界。
3匹のうち2匹は恐らく生き延びることができなかったのだろう。
ヨリの子供は白黒の猫1匹となり、ありきたりだが「チビ」と名付けられた。
チビは他の猫達にすぐに受け入れられ、すくすくと成長した。
性格は親猫ヨリとはだいぶ違い、とにかく落ち着きがなく、ピョンピョンとうさぎのように跳ね回る。
抱っこはおろか、触ることもできない。
それでも餌をくれる人はちゃんとわかっており、とりわけ猫おじさんにはそれれなりに懐き、少しばかり毛を触らせる。
「この子は女の子ですね~。」
チビの毛を撫でながら猫おじさんが言い、チビが雌猫だと判明する。
左がチビ、右がお母さん猫ヨリ
チビがチョロチョロするようになってから公園にチビを見に来る人が増えた。
チビはなかなかの器量よしだったので、「欲しい、飼いたい」という人も何人かいたのだが、家族の反対があったり、またチビの落ち着きのない性格が災いしたのか、公園の猫のまま月日が過ぎた。
昨年の春のこと。
ヨリがまた妊娠した。
「あら~、今度は何匹産むのかしら?」
母、Oさん、Sさんが言うと
「ヨリちゃんは小さいから、また3匹くらいじゃないですかね~。」
と猫おじさん。
ところが、妊娠したのはヨリだけではなかった。
痩せていて、また、まだまだ子供だと思っていたヨリの子供チビのお腹も膨らんでいるではないか。
毎日餌をあげ、お互いにわかりあえている仲とはいえ、ヨリもチビも人間に出産は見せない。
2匹共、どこか安全な場所で出産したらしく、先に子猫を紹介してくれたのはチビだった。
チビの子供は、なんと6匹。
6匹中5匹は頭の先から尻尾の先まで全身真っ黒な黒猫で、1匹だけチビと同じ白黒猫。
白黒猫は雌猫、5匹の黒猫中4匹は雌猫で、6匹中、雄猫は1匹だけ。
慎重でしっかり者のヨリが子猫を見せてくれたのはチビよりももっと後のことで、子猫は2匹。
2匹共ヨリと同じ三毛猫で、三毛猫だから雌だ。
一気に8匹もの猫が増え、公園の猫は17匹となった。
「可愛いけど、餌代が大変だわね~。」
と母が言うと
「まあ、これくらいなら大丈夫です。子猫がいると賑やかでいいですね~。」
餌代よりも子猫にデレデレな猫おじさんなのであった。
母の住む住宅街には、母の家と反対方向にもうひとつ公園があり、そこにも何匹もの猫がいる。
そこの猫達の世話及び避妊・去勢手術は公園の近くに住む、母も知っているWさんだ。
猫の世話をするくらいだからWさんも猫を飼っている猫好きである。
時々母の通う公園にも来るらしく、子猫の存在も知ってる。
「知り合いに子猫が欲しいって人がいて、1匹もらってもいいかしら?」
Wさんが猫おじさんに言う。
「子猫は誰の物でもありませんから。いい飼い主さんに恵まれればそれが一番ですからね。只、どうしても懐かなかった時はいつでもここに返して下さい。私が生きている限り、ここの子達に餌はあげますから。」
そう言われるとWさんはどうやって捕獲したのしたのかはわからないが、すぐに捕獲し、子猫を連れて行ってしまった。
Wさんに捕獲されたのは、ヨリの、いつも鳴き喚いている一番臆病な子だった。
「あの子、臆病で鳴いてばかりいたから・・・、大丈夫かしら?」
などと、母達餌やり仲間の間では心配しており、心配が現実となった。
3日後、公園に戻されたのだ。
雌猫は望んでいなかったというのが理由らしいが、恐らく懐かなかったのだろう。
まあ、3日位では懐かないものなのだが、捕獲され怖いおもいをした臆病な子は一層臆病になり、母猫ヨリにくっついているか、もう1匹のきょうだいにくっついているかになった。
チビの時もそうだったが、子猫がいるとどこからともく人が集まって来る。
猫好きは勿論のこと、猫嫌いの人も来て、後者とは時に揉めることになる。
「今はまだ小さいからいいけど、雌猫がこうだし、猫って半年で妊娠するから、このままいくと鼠算式に増えてしまうわよ。もう少ししたら子猫もチビちゃんもヨリちゃんも、あと他の若い子も避妊手術をした方がいいんじゃないかしら。」
とOさんが言うと
「それは私がしますよ。もうひとり猫好きのオジサンがいて、その人が去勢・避妊がタダのなるパスみたいなものを持っているんですよ。夏は手術には向かないみたいですから、秋にでもしますかね。」
と猫おじさん。
沢山の人が見に来るわりには子猫達は誰からも引き取られることなく、9月になった。
生後約半年。
可愛い盛りである。
「そろそろ手術した方がいいと思うのだけど・・・」
と、Oさんが心配して猫おじさんをせかすと
「今の時期はあんまりよくないみたいですから、もう少ししてからにしましょう。」
どうも猫おじさんはその都度言うことが違い、先延ばしにする。
猫おじさんは口だけ、やる気がないと、Oさんと母の意見が一致した。
しかし、このままにしておけば猫が何十匹にもなってしまい、広い公園といえども近所迷惑が考えられるし、保健所に通報され、殺処分されることも考えられ、それだけは避けたい。
動いたのはOさんだった。
Oさん宅にいる2匹の猫は保護ボランティアの人から譲り受けた子で、口にこそ出さないが、どうやらOさんはボランティア活動をしているようであった。
翌日、Oさんは猫達の手術費の寄付を募るチラシを作って来て、朝と夕方、公園でいつも会う人達に配り、手術費は瞬く間に集まった。
次は、Oさんとボランティアのお仲間が捕獲し、地域猫の手術をしてくれる病院へ連れて行くのだ。
と、ここで、我が母が私に相談があると言ってきた。
「あのさー、『しっぽ』を飼いたいのだけど・・・、どう思う?」
しっぽというのはチビの子供の唯一の雄猫である。
しっぽ、クマちゃん、おまめ・・・・などなど、私は全員の名前はわからなが、子猫全員に名前がついていた。
チビの真っ黒な黒猫達の区別も、毎日見ている母達にはわかるらしい。
唯一の雄で、しっぽがすーっと長くまっすぐで、なにより抱っこができ、母はしっぽを気に入ってしまったのだ。
但し母には心配事があった。
それは自分の年齢である。
これまでの我が家の経験では、猫は15、6年は生きる。
我が母は還暦である。
しっぽが15歳の時、母は90歳。
90歳まで生きる自信もなければ、途中でボケてしまい、しっぽがスノーちゃんみたいになったら可哀想だと言うのである。
「万一そうなったらさー、私が元気だったらだけど、私がしっぽの面倒みるよ。」
「ホント!いいの?いいのね。」
「だって、仕方ないじゃん。」
と言うと、翌日、母は
「しっぽは私が飼います。去勢のお金は私が払います。その代わり、耳は切って欲しくないの。」
とOさんにお願いしたそうだ。
耳を切るというのは、ご存じの方もいるだろうが、去勢・避妊手術済の子の片耳を少しだけ切り、地域猫の証なのだ。
自分で撮っておきながら、この子がチビなのかチビの子供のおまめなのか?
多分「おまめ」だと思います。
9月末から10月初旬にかけて、猫達捕獲&手術が行われた。
対象の猫は子猫8匹、チビ、ヨリ、黒ニャン、ドラの12匹。
他の猫、はなちゃんとスノーちゃんは年寄猫なので手術の必要はないだろうといことになり、ノブ君、ヒデ君、らんちゃんも年寄猫だし、おまけに飼い猫なので必要なしということになった。
12匹いっぺんに病院へ連れて行くことはできないので、3回に分けて捕獲することになった。
手術の前日、対象の猫は絶食である。
Oさんとボランティアの人が捕獲機をセットする。
いつも母から話だけ聞かされている私は当然ながら捕獲機がどんなものなのかは見たことがない。
「ねえ、捕獲機って・・・、見た?そんなにうまいこと捕まるのかね?」
母に聞くと
「ボランティアの人とOさんがセットしてくれたから私も見てないのよ。」
しかし、流石ボランティアの人だ。
猫達は案外すんなり捕獲機に入り、順番に病院へ連れて行かれ、手術をし、1日入院し、公園に帰って来た。
そんな中、なかなか捕獲機に入らなかったのが「ドラ」という雄猫である。
「ドラ」の名付け親は猫おじさんで、ドラ猫の「ドラ」だ。
いつの頃からか突然現れた新参者で、強いのだ。
ドラが来ると他の猫達は震え、逃げてしまい、いうなれば、公園のボス猫だ。
そして、ヨリとチビの子猫達のお父さんはドラではないかと人間達は推測している。
他の猫の餌は横取りするドラだが、子猫達の餌は横取りせず、子猫に譲るようなのである。
話が少しそれたが、ボス猫だけあってドラは頭がよかった。
ボランティアの人とOさんが2度試したが他の猫達がすんなり入った捕獲機にドラは決して入らず、こういう手ごわい猫向きのとっておき捕獲機があるらしく、3回目にしてやっと捕まえることができたのだった。
ドラは思っていたより若く、病院の先生曰く「まだ、3、4歳。」
流石のドラも手術後数日間は餌も食べに来ず、人間の姿を見ると逃げる程だったらしい。
我が家にパル(インコ)が来たのと同時期の昨年10月初旬、母はしっぽをお迎えした。
しっぽは去勢手術の他、健康診断もしてもらい、母曰く1万2千円かかった。
公園にいる時はしっぽが長いからという理由で「しっぽ」という名前だったが、飼い猫で「しっぽ」では可哀想だとなり、母と同居している我が妹が、クー太と名付けた。
恐らく黒いからクー、それに「太」をつけただけだと思われる。
クー太は公園にいた時は誰にでも触られ、抱っこされる人懐っこい猫だったというのに、家猫になったら性格が豹変したらしい。
すぐに懐いたものの、ものすごく臆病らしく、少しの物音でも飛び上がって逃げてしまい、飼い主の母がマスクをしただけで、マスクに怯え逃げてしまう。
私が実家へ行く時なんぞはもっとひどい。
今ではインコに夢中の私だが、私とて子供の時から猫と暮らしていたので、猫の扱いには自信がある。
だが、クー太だけはダメだ。
臆病だとは聞かされていたが、我の想像を上回る臆病猫で、私が玄関に入った途端、他人を察知したクー太はテレビ台の奥へ隠れる。
実家のテレビ台は猫がテレビの上に乗るからと、テレビをすっぽり覆い、尚且つ飾り棚までついている、最近ではあまりお見かけしなようなバカでかいもので、その陰に隠れてしまうと、真っ黒なクー太の黄色に光る目しか見えない。
クー太はそこで、私が帰るのを今か今かと息をひそめて待っているのだ。
帰るまで決して出てこない。
そんなわけで、公園にいた頃にクー太らしき猫を見たことはあったが、飼い猫になってからのクー太の顔をしっかり見たこともなければ、全身の姿を見たこともない。
そんな臆病猫でも先住者のメメタンとはすぐに仲良しになったらしい。
最も14歳のおばあちゃん猫メメタンはクー太など相手にしちゃいない。
手術後の他の子猫達だが、ボランティアさんの手にかかるとすごい。
8匹中1匹は我が母の猫になったので残るは7匹。
そのうち6匹はすぐに里親が見つかり、それぞれの家に貰われて行った。
かつてWさんに捕獲され、公園に戻された臆病な子は、もう一匹のきょうだいと一緒に引き取られ、姉妹でベッタリくっついているらしい。
最後の1匹、チビの子供のクマちゃんという黒猫だけは風邪をこじらせ、外に置いておくのは危険ということになり、ひとまずボランティアさんの家に引き取られた。
そこで回復するのを待ち、回復したら里親探しをし、里親が見つからなければそのままボランティアさんの家の子になるらしいのだが、そんなボランティアさんは10匹以上の猫を飼っている。
好きだけではできない活動である。
少しの間ボランティアさんの家で過ごしていたクマちゃんだが、体があまり強くないクマちゃんを不憫に思ったのはOさんだった。
先にOさんの家には2匹猫がいると書いたが、
「体が弱いから可哀想。クマちゃんを引き取りたい。」
と言うOさんにOさんの旦那さんは猛反対。
「2匹で十分。これ以上飼っちゃダメだ。」
と言われたそうなのだが、Oさんは粘りに粘り、旦那さんは根負けし、クマちゃんはOさん宅の猫になった。
今では改名され、ベルちゃんである。
何度も獣医さんにかかったらしく、風邪も治り、2匹の先住猫とも仲良くしているそうだ。
ちなみに、他の子達も全員改名れ、皆素敵な名前を貰っている。
子猫がいなくなって悲しんでいるのは猫おじさんである。
おじさんとしては1匹だけでも残して欲しかったようだ。
でも、これでよかったのだ。
猫人生は飼い主によって決まる。
いい飼い主に恵まれれば素晴らしい猫人生になるのだから。
今回は文章の途中に写真を挿入してみました。
クー太お迎えまで書きましたが、まだ書きたいことがあります。
しかし長くなりましたし、私も書き疲れてしまったので、今回はこのへんで。
つづきは次回へ。
母の猫、クー太です。
まだ公園にいた頃で、この頃は写真も撮れたし、触らせてくれました。
今では私の声を聞くだけで、私の気配を感じただけで、テレビ台の後ろに隠れてしまいますけど