集落に支援物資届け、集団避難促した25歳 「後ろ髪引かれ」福岡へ
能登半島地震3カ月 被災地の声
住まい、なりわい、地域のつながりはどうなるのか――。能登半島地震の発生から3カ月、石川県の被災者100人に取材したところ、みなさんが将来を見通せない中で暮らしている状況が浮かびました。それでも前へ進もうとしている被災地の声を紹介します。
石川県珠洲市高屋町に移住し、釣り船業を営んでいた高木優也さん(25)は元日、実家のある小松市にいた。
震度5強の揺れの後、「能登の方が震源では」との考えが脳裏をよぎった。ニュースで珠洲の被害を知り、水や食料を買い集めた。4日明け方、ガタガタの道を車で高屋町の集落へと向かった。土砂崩れに阻まれ、途中からは車を置いて、徒歩で進んだ。この日は片道1時間の道のりを3往復して、物資を届けた。
住民の松尾忠幸さん(72)は振り返る。「よう俺らを見捨てずに来てくれたなあって。小さい明かりがね、電球を照らしたような感じでうれしかった。よー来た、よー来たって言って、あの子を迎えた」
集落は孤立状態で電波も届かない。住民は被害の大きさをよくわかっていないようだった。
小松に戻ったが、約1週間後…