外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

現代の敵対者からの危機管理はどうすべきなのか?4

今日の報道には驚きを隠せませんでした。ヒズボラ戦闘員が所持するポケベルがほぼ一斉に「爆発」し、2750名もの死傷者が出たというのです。誰がどうやって爆発させたか、これを書いている段階でポツポツ情報が入り始めていますが、あくまでも推測としてポケベルにマルウェアが入り、ある時間に一斉に爆発するように仕組んだとみています。爆発の瞬間の画像を見る限り威力はさほど強いものではなくポケベルの電池を爆発させたのではないかと思います。

一部の報道では出荷段階で爆薬を仕組んでいたのではないかとされますが、2750台のポケベルすべてが爆薬装填済みだったのかと考えるとやや怪しい気もします。もしかするとモノによっては爆薬が入っていたものもあり、爆発が軽微なもの、シリアスなものが入り混じっていたのかもしれません。

たまたま私は今日の午後にイスラエルの立場から見たガザ地区問題の円卓会議にオブザーバー的参加をするので当然話題にはなってくるのでしょう。今回のポケベル爆破事件の犯行はたぶん、イスラエル、そしてその目的はヒズボラ戦闘員をあぶり出すことだったと思います。またポケベルという通信手段がなくなったことでヒズボラ戦闘員のコミュニケーションが断ち切れた点も大きいでしょう。爆薬がなくてもマルウェアで電池を爆発させることができるなら携帯電話(スマホ)はもっと大きな爆発を引き起こすわけでヒズボラ側もそれゆえに前近代的なポケベルを持たせていたとされます。

戦争の手段は我々が狭義の意味で使う肉弾戦、つまり地上戦を含む激しい「人対人」の戦いから高度、かつあらゆる手段を使ったものに変わってきています。戦略物資の輸出制限、イラン、ロシア、中国、北朝鮮など特定国への強力な貿易制限、入国制限や外国人の不動産購入制限、さらにはテロもあります。トランプ氏は短い間に2度も暗殺されかかっているし、安倍元首相は暗殺され、岸田首相にも暗殺未遂事件がありました。いかに特定のターゲットを抹消するか、007の映画顔負けの事態が今や日常的に行われているといって過言ではありません。

敵対者を作らなければよい、という発想はあります。しかし、現在進む自民党総裁選の各候補の主張を見ても面白いことが起きています。本来同じ政党仲間のはずがあのような論戦を繰り返し、それぞれの考えと主張をし続けることで候補者双方に敵対関係の意識を醸成します。保守派から中道派までその温度はバラバラ、支持層もバラバラにするのです。これは保守派にしろ中道派にしろ、将来、当選者に対する反発を生むことになり、当然、敵対者が生まれるのです。自民党が分裂の芽を生み出しているのです。

同様にトランプ氏の2度目の暗殺未遂事件は犯人がトランプ氏の対ウクライナ政策案について不満を抱いたからともされています。敵は常に存在するのです。

昨年、アメリカ、ダラスに行った際、ケネディ氏が暗殺された場所に行きました。犯人がどこからどう狙撃したか見ましたが、狙おうと思えばそんな場所は無数にあると言わざるを得ないのです。あの時、オープンカーではなければまだ犯行の可能性は低かったかもしれません。では犯人から見てターゲットが常に絶対防備されているかといえばそんな可能性はほとんどないのです。

私が恐れるのは国家元首級や戦闘相手といった犯人にとって明白なターゲットに限らず、ちょっとしたいざこざ相手を報いる手段が我々の社会にはあふれ、高度な手段も可能になってきている点です。殺人へのハードルが明らかに下がっています。チベット密教の述語である「ポア」とは嫌な奴を抹消せよとの意ですが、人間の理性のブレーキが利かなくなっている点に極めて大きな懸念が生まれています。

では現代において敵はどうしてできるのか、といえば国際関係や人間関係などがこの数十年間で大きく発展し、複雑化したからだと考えています。国際関係はグローバル化と地域や経済を通じた同盟づくりが進みました。日本が加入している各種同盟の集合を合わせていくと結局誰が友達で誰が敵かすら不明瞭になります。敵の敵は仲間ではなく敵かもしれない時代になったのです。人間関係もSNSでつながり、お互いの影響力がぶつかり合います。組織の中では常に醜い人事などの争いごとが起きています。憎しみが絶えず、その仇の取り方が問題である、ということです。

敵から守る危機管理はあるのか、と言われると正直ないかもしれないです。もしも私が人間社会から完全に離脱し無人島で孤独な人生を送れば人間という敵はいなくなるかもしれません。ですが、自然災害とか、ジャングルに潜む毒蛇や人を襲う動物が敵になるでしょう。

とすれば敵との共存という逆説的な考え方が有効なのかもしれません。人間が高度で知的である限りにおいて対話をし、一定の妥協のもと共存共栄をすることしか有効な手段は思いつかないのであります。

では今日はこのぐらいで

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日本人の消費が伸びない、なぜ?4

日経に「日本人は旅をやめたのか 海外は低迷、国内は伸び悩み」という記事があります。記事ではコロナ後も数字が伸びない国内旅行や海外旅行がコロナ前の2000万人がようやく1000万人水準に戻った程度だと記されています。海外旅行については海外の物価があまりにも高いことが要因とされていますが、私から言わせれば日本があまりにも安すぎると申し上げます。

今、日本にいるのですが、来るときの全日空機は超満席。乗客はほとんど全て非日本人。Youは本当に羽田を目指すの?と疑問に思っていたのですが、羽田の手荷物のターンテーブルに集まった人はせいぜい4-50人。つまり多くが日本を足掛かりに他国に行く客なのでしょう。このところ日本の航空会社の飛行機に乗るとCAさんの対応が良いのですが、ふと思ったのは「そうか、日本語で接客できるからだ!」と奇妙に合点がいきました。

では国内旅行はなぜ伸びないのでしょうか?訪日外国人客が押し上げたホテル価格が影響したとされます。今、仕事で京都に来ているのですが、ホテル代は四条で5000円程度で泊まっています。ホテルが多すぎて過当競争ですからタイミングを選べば大きく値段が下がるのです。ダイナミック プライシング システムも逆利用すればこうなるわけです。

個人的には日本人も国内旅行も飽きたこともあるのではないかと思います。海外旅行ブームから国内旅行にシフトして既に10年以上になりますが、そろそろ行き尽くしたのではないかと思います。旅行といえば食と観光スポットと土産ですが、食と土産の差別化は難しくなっていると思います。デパートの催し物の定番、北海道物産展がこれだけどこでも開催されると北海道に行かなくてもVRで北海道を愉しんで物産展で買ってきた食材を食べればそれで代替できます。

日本のスーパーマーケットに行き、買い物をしていると嬉しくなります。カナダに比べて「安すぎる」からです。日本円が新札に変わっていましたが、こども銀行マネーの絵柄の方が似合うのではないかと冗談を言いたくなるぐらいです。しかし、いくら安いといってもいつもの3倍も4倍も食べられないのです。安いのに鮮度は良い、品質も良いのです。正直一言、「参っちゃうなぁ」。

東京で会議の後、会議参加者と一杯ひっかけていきましょうと立ち寄った渋谷駅近くの居酒屋。お会計はおひとり様2000円ぽっきり。待てよ、学生時代、渋谷の安居酒屋で学生コンパしても一人3000円はかなり厳しい予算だったよなと思うのとあれから40数年たっても物価が一つも上がっていない、こんな幻のような国があってよいのかと思うわけです。

かつての消費は物欲でした。デザイナーズブランドから趣味のモノまで経済学的な所有欲という意識が強かったのです。物欲という欲望はコップいっぱいまで満たされるまでの事象で万国共通です。日本は30年ぐらい前にコップが小さくなって物欲がフルになり、大きな転換期を迎えます。そして経験、体験、サービスといった消費にシフトしました。食のブームもそうです。万人が食のレポーターになり、おいしいものをひたすら探し求めます。「私は限りある人生、一食たりともまずいものは食べません」宣言をした方を何人か知っていますが、そんなの長く続くわけないのです。フランス料理をずっと食べ続けてたらあなたがフォアグラになってしまいます。

小学校の時、おいしいものを食べ続けたいと思ったことがあります。その時に「天皇陛下もサンマをお食べになるのですよ」と聞いて衝撃でした。そうか、毎日豪勢なものを食べるのではないのだと。事実、私も秘書の時、数週間の会長の随行出張で業務上会食が続きグルメ三昧した帰り、JALのファーストクラスで黒服の「お食事はいかがいたしましょう」という質問に会長と私が隣同士でカレーライスを食したのは「普通のものが食べたい」一心でした。

私の大胆な予想を申し上げると日本の一人当たりの消費が伸びることはないと思います。なぜなら国を挙げて消費が急激に増えるほど欲望が伸びる要因がないからです。むしろ人口が減り、高齢化が進むのですから総消費つまり総需要は減るのが当然の流れになります。総需要が満たされないなら供給側は淘汰されるか、さもなければ外国人の需要で補填してもらうしかないと思います。

そうは言っても外国人の需要ってどれぐらいか計算したことありますか?訪日客が年間3000万人いたとします。平均滞在日数が1週間なら実質的な一時人口として58万人になります。23年の日本の人口減少数が59.5万人減少でしたので外国人が増えたぐらいでは需要は全然追い付かないことになります。

セブンイレブンが売り出している店内で揚げたドーナッツを食べようと思うのですが、ふと考えたのはドーナッツ市場の需要が増えるのではなく、ドーナッツの需要のパイの奪い合いが起きるのだろうなぁ、と。つまり優勝劣敗であり、相対評価でしかないのです。絶対評価に変えるほどのパワーがないのです。

ではお前は2050年の日本の社会をどう予言するのか、と言われたらずばり、現代のジパングであると。あまりにもユニークで世界とは異質感を保ちながら国民がより幸福で安心安全を追求し続ける国だと。各種世界ランキングからは遠く離れ、経済的にも外交的にも目立たない小国になるも世界がうらやむ国になるだろうと思います。ただくれぐれも黄泉の国にならないよう意識することが大事でしょう。

では今日はこのぐらいで

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解雇規制緩和論についての私見4

私がまだ中学生の頃、偏差値絶対主義の真っただ中で、日々の生活も学校も塾通いも進学と究極的には就職のための準備期間的存在でありました。その頃、教科書のレベルをはるかに上回るレベルの勉学とおびただしい数の試験、模試、そして各種ランクが年中発表され、一定ランクを維持できないと塾のクラスではランクを落とされるリスクを抱えていました。当然ストレスフルな日々です。その時、思ったことは今でも鮮明に覚えています。

早く大学卒業したいな。早く就職したいな。そうすればテストからも成績からも解放される、と。

当時は終身雇用が前提。つまり公務員も民間企業も同じ。公務員になれば給与は安いけれど恩給がつくぞ、民間は給与は魅力だけど競争社会だよな、でも仮に仕事ができなくてもクビになければ給与もらえるよなぁ、と。

それから高校生の時にこんなことも考えました。「俺、将来競輪選手になる。だっていつもビリでも年収1000万円が確保されているんだぜ」。伊豆修善寺に競輪選手養成学校があり、その横に高低差がある一周2キロの自転車レース場があり、普段は一般の人も走れます。自分の自転車を持ち込み、何度も走りました。この坂を登れば競輪選手になれるかもと。

終身雇用制度で原則的に解雇ができない日本のルールは労働者側にとっては「生活保険」のような制度だといってよいかもしれません。同じ釜の飯とはよく言ったもので同僚と一緒に過ごす時間が濃く、家族のような関係を築くことで落ちこぼれをなくすという美談も数多く生まれました。

これが変わったのがバブル崩壊。企業側が生き残りを賭けた点で大きく変わったのですが、雇われる側も変わったのです。この会社に一生いたくない、と。日本的ミーイズムが生まれる中で社畜に対する反感が一部で芽生えました。また、90年代を通して大手企業が次々倒産し、社会問題化する中で、会社に自分の人生を預託できるのかという単純な疑問が生じたのです。「うちの会社は大丈夫?」と。

今でも終身雇用に重きを置く経営者や労働者が多いのは知っています。全ての会社が倒産しなければそれでもいいでしょう。全ての会社が素晴らしい経営者のもとでガバナンスもしっかりしており、のびのびと仕事ができればよいでしょう。でもそんな絵にかいたような会社は一握りもないのです。私が中高生時代に思い描いた「社会人天国説」は現実社会では夢物語であったといってよいでしょう。それより飛んでくる罵声と灰皿をどうかわすか、こちら方が身を守るうえで重要だったのです。

小泉進次郎氏が解雇規制緩和を述べ、賛否両論になっています。まず一点クリアにしたいのは小泉氏は北米並みに解雇できる社会を作ろうとは述べていないのです。整理解雇の4要件の見直しを述べているだけで基本的にはフレキシビリティを持たせようとしているのです。

左派的な方からすればそれは解雇しやすい話ではないか、というかもしれません。が、今の雇用環境では一生の間に1−2度転職するのが当たり前です。絶対に解雇できないというのはわかりやすい例でいえば絶対に離婚できない夫婦こそが正しいことである、と言わんとしているのと同じように感じます。夫婦と会社勤めは相思相愛でないと成立しないのです。仮面夫婦や仮面社員あるいは、片思いでは無理。離婚して新しい人生が開けた方も多いでしょう。もちろん、雇われる側が辞めるのは自由、だから離婚の例えはふさわしくないと意見があるでしょうが、それではあまりにも片務的だと思っています。

私はアメリカとカナダで経営側として従業員と共に歩んできました。過去、残念な結果になり、解雇したことはあります。アメリカで一度に170名ほど解雇したことがあります。従業員を講堂に集め、30代半ばにもならない私が会社を代表して会社の惨状から解雇せざるを得ないことを述べ、これまでの協力に多大なる感謝の意を伝え、次の雇用先のあっせんをした旨を述べました。私は罵声の中、刺されるかと思いましたが、大きな拍手と従業員たちからの「世話になったな」という謝意があり、私の社会人人生の中で深く印象に刻まれた出来事となりました。

カナダで雇用をし続ける中で便利だと思ったのが3か月の試用期間という制度です。日本にも試用期間制度はありますが、根本的に意味が違います。カナダの場合はどんな事情でも労使ともに雇用関係を解消することが許容されているのに対し、日本は雇用条件や勤務評定に限定され、仕事ができないことを理由に解雇はできないと理解しています。

この3か月の試用期間は恋愛でいう「同棲期間」と考えてよいでしょう。お互い、一緒に住んでみて双方もう少し知ろうじゃないか、と。それでいいのです。会社は何が何でも雇うことが義務付けられているのではないのです。会社に貢献してくれるなら高い給与を払うという覚悟があるのです。

カナダでいろいろな方と話をしていると「ちゃんと仕事しないとクビになるので」ということをよく聞きます。スタッフレベルなら上司に言われたことを必ずこなすことでしょうし、マネージャークラスなら責任範囲の業務をどう取りまとめ、会社に貢献できたかを数字などで示すことが求められます。また顧客には「本日のサービスはどうでしたか?」というアンケートが頻繁に来ます。顧客が辛辣なコメントを書くとその従業員には罰点がつきます。つまり極めて高い緊張感の中で仕事をすることを求められます。その代わり給与も高いと思います。

日本で解雇ができる制度を取り入れるべきかという議論はいずれ避けて通れなくなります。理由は少子化で従業員が足りない事態になるので雇用の流動化を促進させ、リスキリングを含めた時代にマッチした能力と人材を適材適所として備えることが必要になるからです。例えば日本にはマスコミという名のもと、記者やフリーランスの物書きが非常に多く、安い報酬で一生懸命書いています。そのため、奇をてらいたいのか、功績を挙げたいのか、記者会見ではヤクザもどきの脅しをするような記者も目立ちます。私から見ればマスコミが多すぎる、よって薄給で雇われる物書きも多すぎる、だから記者会見は荒れ、品のない二流記事が蔓延するのです。ならば彼らをリスキリングでもっと違う世界にいざなうのはどうでしょうか?

つまり日本で多くみられるのは雇用の硬直化が時代の変化対応に極めて鈍く、従業員の意識の改善にもつながりにくいのです。大企業ならどうするかといえば数多くある子会社、関連会社に飛ばせばよいのです。実質には日本的解雇といってよいでしょう。金融機関にお勤めの方の悲哀物語を以前にもご紹介したのですが、それが本質的に何を意味するのか、私は問いたいのです。

会社勤めが面白くないと答え、それでも務めるのは生活のため、という現代社会の割り切り感が本当に人間社会を豊かにしているのか、政治家や知事や著名人がいかにも耳障りのよい話ばかりをするのが正しいわけではないのです。社会には流れがあり上り坂や下り坂もある、そしてそれは時代と共に全く違う価値観を伴うものである、と私は考えています。

では今日はこのぐらいで

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本を読まない、本が読めない、どっちだ?4

本をめぐる話題は多くあります。よくあるのが「最近、読んでいないなぁ」でしょうか?でも本当に「最近」ですか?昔から読んでいなかったのではないでしょうか?

私はまずまずの本好きだと思います。受験期はあまり読まなかったのですが、大学に入ってから少しずつ読むようになり社会人になってからピッチを上げてきました。若いころは金がなかったのと邪魔になるのでひたすら図書館で借りまくりです。カナダに来てからもかつて休暇でメキシコのオールインクルーシブリゾートに毎年行くたびにバンクーバーの中央図書館から日本の推理小説を10冊ほど借りてプールサイドでひたすら読みつけていました。コロナビールを片手にリゾート地で娯楽本を読むのは最高でした。(贅沢だと思うでしょう。飛行機、ホテル、滞在中の飲酒飲食全部入れておひとり様15万円ぐらいです。お得なんですよ。)

この20年ぐらいは更にピッチを上げて年間50冊を維持しています。これ以上は難しいし、自分の与えられている時間との兼ね合いを考えればバランスも崩れるので求めていません。50冊というのは週1冊ペースですが私は通勤電車に揺られるわけではないし、骨のある本も多いので2時間で完読「ゴチッ!」というわけにはいきません。つまりなかなかタフで意識しないと読めないのです。

私の場合はノンフィクションとフィクションを交互に読むことだけはルールづけています。あと、長く読み続けている作家、司馬遼太郎と今野敏が間に入るので割と窮屈な感じですね。本屋をやっているので話題本もある程度は目を通す必要があります。「成瀬は天下を取りに行く」は圧勝の本屋大賞でしたが、直木賞系統としてよく書けています。芥川賞をとった「バリ山行」は久々にハマって寝るのを忘れて一気読みしました。

そんな中でノンフィクションの分野で少し話題になった「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(三宅香帆著)は本がテーマというより途中から働き方の話になって一般書評がどうだか知りませんが、私はやや辛口評点です。全体の3/4は社会学的見地からよく書けているのです。さすが高学歴だけあると思ったのですが、最後の1/4で突然著者の哲学論になってしまい、私からすれば「あれぇ?」でした。これは読者を惑わしたと思います。

さて、「本を読まない」のか、「本が読めない」のかニュアンス的に似て非なるものと考えています。「本を読まない」はそもそも本を読む癖や意志がないという意味合いが強い一方、「本が読めない」は読みたいのだけど物理的制約で読めないケースが想定されるのではないかと思います。

上述の三宅さんの本では会社に入ると忙しくて本が読めないという仮説をもとに話が展開しています。私はそれはどのレベルの話をしているか次第だと思います。この著者はもの凄い本好きで、あるYoutube番組で一日一冊レベルの話だと聞いていますので私の7倍もお読みの話なのです。仮に週1冊程度なら「女工哀史」「あぁ野麦峠」の時代じゃあるまいし、娯楽系の本なら2−3時間で完読できるものも多いので読む気さえあれば会社に関係なく、問題なくこなせるはずです。

本を読めないのを会社や仕事の理由にしたくなるのはわかるのですが、私から見ればそうではないと感じています。2時間という人が集中できる時間を何に配分するか、その選択肢が昔に比べ増えただけの話で読書への配分が減っただけだと考えています。つまり、わき目も触れず本に集中すれば仕事が邪魔するのは屁理屈です。大学のクラスが90分、プロスポーツ観戦が概ね2時間、コンサートや映画も2時間、テレビのスペシャル番組も2時間、混んでいるレストランのMaxも90分から2時間、そしてライトノベルの読了も2時間、つまり人が集中できる時間でその中で何を選択するか、です。(この90分から2時間の集中力は科学的に検証されています。)

「本を読まない大人」に本を読めといってもそれは苦行でしかなく10ページ読めば終わりです。不思議なものですが、読書だけは小学校ぐらいの時に癖をつけていなければ将来、厳しいと思います。今の小学生でも読み癖がある子とない子がいるようですが、ない子は残念ながら大人になっても読まないでしょう。小学生が書籍を読むかどうかは親にかかっています。家に書架があるか、そして整然と書籍が並べられ親がどんな本でもよいので読んでいるところを子供に見せているか、そこが決め手になると思います。子は親の背中を見るのです。

前述の三宅さんの書籍の中に「司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン」という項があります。これはワロタ!です。60年代に書かれた司馬の文庫本を1970年代のサラリーマンが「坂の上に上がるロマンを感じ立身出世を目指したと。そうかもしれません。私が10年以上かけて読み続け(未だ全部読み切れない)のは司馬遼太郎の歴史観に事実と創作が入り混じった独特のテイストにハマるからでしょう。三宅さんも述べていますが、「坂の上の雲」や「竜馬は行く」は8巻まであり極めて重い内容です。当時のサラリーマンの方は今よりはるかに長時間労働をしていたのですから仕事が理由で読まなかったというのは当てはまらないように感じます。

私が土建屋でサラリーマンをしていた時の会社のランチや飲み会の会話はいわゆる名著の評論も多く話題に上がりました。レベル高しです。三国志の話は特に盛り上がっていて当時は読んでいないと会話に入れなかったとも言えます。つまり読むことが必然だったのです。ところが今は誰も読まないからそんな会話にならないのです。「成瀬は天下を取りに行く」の書評話を男性と酒飲み話にするのはとても想像できないのです。

私が知る限り良い書籍は結構あります。ただ、駄作も多いし、感性に訴えお涙頂戴系の女性作家小説と論理的組み立てがある男性作家のサスペンスでは全く違います。自分がどんな書籍が好きか、まずはもう一度見極める、そして完読する癖をつけるのがよいでしょう。おおむね350ページが一つの目安。これより長いと面白くない小説は苦痛です。これに慣れれば「カラマーゾフの兄弟」の1800ページに是非とも挑戦を。まぁ7割の方は途中棄権すると思いますが。

秋になりました。読書の秋、書店に行ってみようではありませんか?

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。

今週のつぶやき4

兵庫県、斎藤知事のニュースは食傷気味ですが、腑に落ちないのは知事があそこまで頑なに知事辞任を否定している点です。単に辞めたくないというのではなく、絶対的信念で自分が間違っていないという自信を持っているように感じます。おねだりの話は私的にはくだらないのでどうでもいいのですが、自殺した元職員の件に関する見解の相違はあると思います。死人に口なしですが、元職員は意見を陳述する機会を与えられたのになぜその直前に死を選んだのか、私は不思議でしょうがないのです。その件を取り上げる人はあまりいないようでしたがどうなんでしょうね?知事の肩を持っているわけじゃないですが、報道がエキセントリックすぎるように見えます。

では今週のつぶやきをお送りします。

で、9月の相場はまだ荒れるのか?
北米市場だけ見るとご都合主義的解釈で相場が右へ左へ揺れ動いている、そう感じます。今日時点で全ての行方は来週のFRBの政策決定にかかっています。金利が下がるのはほぼ確定しており、それが0.25%なのか0.50%なのかの見解が市場で日替わりメニューのように変わるのです。トロントの証券マン氏から「お前はどう思うのか?」と聞かれたので「市場の期待が年内1.25%の利下げ幅なら年内あと3回しかないFOMCで2度は0.50%の利下げが必要。ならばそれを先にやるか、後にやるかその違い。私は0.50%下げてもおかしくないと思う」と返しました。

仮にFOMCが今回0.25%しか下げないと強烈な催促相場になり、株価が一時的に下落する公算があります。ただそれは絶好の買い場になるでしょう。一方「9月の魔物」は過ぎ去ったのかという点は私の頭の中ではまだ解消していません。なにかもやもやするものが残っているのです。そしてたぶん、市場もそれを感じている、だからこそ、消去法で金(ゴールド)が買われているとみています。

金は今日も史上最高値をつけ、ついに終値ベースで2600紡罎砲里擦泙靴拭ではこれが買われ過ぎなのか、という質問については「愚門」とお答えします。なぜなら金は仮想通貨と共に価格の論理性が乏しい商品なのです。なので仮に金が将来1万ドルをつけたとしても「へぇ、そうなの」でしかないのです。少なくともアメリカの金利が下がるドルが弱くなり、ドル建て表記の金の価格が上がるのは自動的な計算で出てくるし、基軸通貨という思想がここに来て新たな局面を迎えるところになるかもしれないので魔物がいるなら金でも買っておくか、ということかと思います。

で、選挙の行方はどうなるのか?
自民党総裁選で各氏の主張が不思議なんです。自民党の改革を訴える候補者が多いのです。小林氏、小泉氏、高市氏は明白に訴えています。茂木氏も半分そうです。今回は自民党のみそぎであることはわかるのですが、それは党の内部の規律と規範、よってそれは幹事長を中心とする党幹部が中心となって大改革をすればよいと思うのです。総裁は最終的責任はありますが、政権与党としての仕事を全うしてもらいたいのです。自民党改革を唱える方々は幹事長の席を目指しているのか、とも思われても仕方がないでしょう。

それとメディアはもう解散総選挙の日程の話題を挙げています。そんなものなのでしょうか?小泉さんはすぐに解散総選挙をやるような話をしていましたが、100日のハネムーン、つまり3か月ぐらいは総裁としての手腕を見せてほしい、そうでないと良いか悪いか誰も判断ができないのです。個人的にはお願いだから今年の解散総選挙だけは止めてほしいです。

おまけですが、アメリカの選挙もよくわからないです。双方が勝ったと言っているのです。市場はハリス氏に軍配を上げたように見えます。討論会翌日はトランプ銘柄が下落、ハリス銘柄が上昇しました。ただ、ハリス氏の経済に関する主張は弱かったと思います。私が以前から気にしていた通りです。現在の政権に対する不満、つまりインフレ、生活水準、格差問題、更に今後は失業率の若干の悪化が見込まれる中、政権与党にとって逆風であり、他国でも政権交代やそれに近い状態が起きています。その線から推察するとこの選挙の行方はまだまだ分からないと思います。

で、日本製鉄のUSスチールの買収はどうなるのか?
これもあまりにも政治的になりすぎたと思います。ボタンの掛け違いもあります。当のUSスチールの従業員は日鉄による買収に賛同を示している人も多いとされます。ところが大統領選の最中、労働組合を敵に回せない大統領候補たちは「国家安全上重要かつ労働市場を守るためにもUSスチールはアメリカの会社であり続けるべきという組合の代弁者となったわけです。

ところが当のUSスチールは仮にこの買収が認められなければ厳しいリストラを余儀なくさせられると述べており、大統領と組合は労働者を守るのではなく切り裂く方向に着々と進んでいるのです。ここでバイデン氏が柔軟な姿勢を見せたという真偽不明の情報が出たようですが、バイデン氏は大統領候補者ではないからより中立的な立場に戻せる唯一の現職大統領ということになります。選択肢としては大統領選が終わるまでいったん買収案を取り下げるというのもあるようですが、それは愚策だと思います。そうではなく決定を先送りする手法はあるかもしれません。対米外国投資委員会(CFIUS)の決定は早ければ9月23日ともされます。

個人的には日鉄の買収はありだと思います。とすればセブン&アイのカナダ社による買収もあり、ということになります。財務省が外為法上の「コア事業」に認定したと報じられています。ただ、これは買収阻止ということでもなさそうで報じられているようにカナダ社が買収額を真摯に検討し、あと1−2兆円積み上げれば決まりになります。私が勝手に想像していた三井物産によるホワイトナイトですが、別記事で同社のCFOが同社の成長戦略として投資用資金を5兆円程度使えると述べているのでまさか他の事業を全部諦めて更に何兆円か積み上げてセブン救済買収をするのは体力的に難しそうです。となれば国境なき買収合戦が今後もしばしば起きるという覚悟はいよいよ日本でも本格化すると思います。

後記
チャールズIIIのCornation Medalを私の周りで2人授与され、その祝賀会に参りました。(授与された人は英国が40万人、カナダが3万人だったと記憶しています。)1人はインドネシアコミュニティを通じて、お1人は台湾系ながら教会の牧師としての長年の活躍をたたえられたものです。日本人、日系人の受賞はなかったと理解しています。日本は経済的に躍進したのですが、世界レベルで見るコミュニティ活動や社会貢献では一部の方の活躍は存じ上げていますが、組織力や草の根的見地からはかなり遅れていると言わざるを得ません。日本人はやや無関心主義が他国に比べて強いかなと思います。世界で活躍するにはビジネスだけできても評価は低いのです。そこを多くの海外在住の日本人ですら気がついていないのは残念なことです。

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週休3日制度は壮大な社会実験4

英国が週休3日を取り入れる検討を始めたそうです。スターマー政権は労働党で議会での議席数上の決定権もあるので詳細部分は多少の練り直しがあるにしても大枠ではそのような法案が通る可能性が高いのでしょう。私はこれは壮大なる社会実験だと思っています。

良い部分もあるし、歪みが出る部分もあるでしょう。私は弱小ながら経営者という立場でもあるし、経済や社会全体が年齢や経験を踏まえもう少し俯瞰できるとすれば週休3日への移行は一定の痛みを伴う流れになるだろうと感じています。

欧米の場合、業務の進め方は担当者制になっていることが多いかと思います。つまり担当者以外はその案件や交渉の事情がよくわからない、ということです。日本はグループで事業展開するケースが多いので担当者が休んでもグループ内の別の方がフォローしやすい仕組みがあるかと思います。

ここカナダで仕事をしていると必ずぶつかるのが「休暇中につき〇日まで不在」。もちろん休暇を取るのは権利であり、それを否定するつもりはないのですが非常に非効率で忍耐力を試されます。例えば役所仕事などでは担当者とのやり取りで全てが完結するわけではなく、関連部署や上司の承諾を得ることは日常茶飯事です。これが休暇シーズンである夏とか冬に担当者が2週間休み、ようやく戻ってきたら上司や関連部署が休み、という具合でさっぱり話が進展せず、たった一つのことを決めるのに1−2か月かかるようなことはザラにあります。

今年の春に完成したグループホームの建築で工事を主導したのはコンストラクションマネージメント会社ですが責任者である社長が年中、休暇やミニバケーションを取るのです。現場には右も左もわからないような担当者を配置し「彼がいるから大丈夫」と。問題は基礎のコンクリート打設の時に起きました。そんな大事な時に「旅行の予定しているから…」と担当に業務を投げます。私は心配で打設の日に何度か担当に連絡し「どうだ?」と聞きます。本人は「大丈夫」と。2日ぐらいしてから現場に行くとオーマイガッドです。コンクリを流し込んだ際、気泡が入るのですが、それを取り除くためのバイブレーション不足でとんでもない仕上がりだったのです。社長が休暇から戻ってきてそれを見て青ざめたのは言うまでもありません。あの修復だけで1か月以上の工事の遅れを出したのです。

休暇や日本出張を何時入れるか、私は業務のボリュームや波を知っていますのでひと段落した時に調整します。つまり夏や冬休みという括りはなく、不定期にそのタイミングはやってきます。私の相方も会社の経理業務や給与支払業務の波は決まった時に起きるので休暇取得は月の下旬と決めています。週休3日とか日本のゴールデンウィーク、夏季休業といった集中型だと日本の経済活動全体を止めてしまう発想に近いので案外迷惑は掛からないだろうと思われがちですが、そうでもないのです。

例えば日本の取引先からの月締めの請求書は概ね翌5日頃までに送付されてきます。取引先が多く、当然、支払業務も一気に行います。が、ある大手企業は正月とかゴールデンウィークになると下手すれば翌10日ぐらいまで送ってこないのです。(ほかの業者は請求作業が自動化しているのか何時でも決まった日に送ってきます。)一社遅れると支払業務全部を停滞させなくてはいけないし、業者によっては支払期限ぎりぎりになってしまうこともあるのです。これは小さい事例ですが、多くの会社はシステマティックに動いているので休暇によるバラバラの動きは企業経営に求められる効率性に問題が生じるのです。

では週休3日にするメリットは何でしょうか?ワークライフバランスでしょうか?何か自分のことをしたいという目的がある人には都合がよいでしょう。「そんなに休んでどうするの?」と思っても人間には必ず慣れが生じますのでしばらく経てば週休3日、当たり前だよね、になるはずです。

同じ議論がかつて週休2日にする際にあったと思います。週に2日休むという常識はその当時、社会全体にはありません。私だって土曜日は午前中は学校のクラスが普通にありましたし、銀行も役所もやっていました。それが週休2日になるのは社会の仕組みを総入れ替えするぐらいの話でした。事実、週休2日制度になっても長いこと土曜日出社は当たり前でした。会社に来る癖が抜けない人々は「俺たち、会社に住んでいるし…」でした。

もう少し付け足せば今でも建設業は日本でもカナダでも土曜日は普通に作業しています。これが週休3日になれば「格差が広がる」ということなのでしょう。休める人と休めない人が必ず生まれるのです。ある意味、別の意味での「格差是正」を英国労働党はどう取り組む気でしょうか?1日8時間労働を10時間にし週3日休むというのは計算上は可能なのですが、社会全体がそれに合わせた動きができるか、と言えばそう簡単でもないし、ワークシェアリングでこなせないことも多いのです。業種によっては24時間稼働しなくてはいけないものもあるし、緊急時対応はどの業種でも必要です。

労働者の権利を重視したい英国の実験は壮大なものになりそうです。英国という国はある意味、アメリカよりもフロンティア精神が旺盛なところがあり、大いなる議論を巻き起こすこともしばしばあります。近年ではEUからの離脱は正しかったのか、未だによくわかりません。週休3日はうらやましいし、私の生活がそうなれば全く違った人生のチャレンジをすることもできるかもしれません。まずは英国の実験をとくと眺めることにします。それが日本に導入されるかはまだはるか先の議論となりそうですが。

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。

揺れる株式市場の行方4

株式投資に於いて「9月には魔物がいる」という格言は今年はどうなるのでしょうか?本ブログでは何度かにわたり「秋の相場には気をつけよ」と申し上げました。9月に相場が急変しやすい理由の一つとして夏休みの7-8月の2か月の間に節目ができるから、と私は考えています。日本の方には実感がないかもしれませんが、欧米の7-8月は本当に腑抜けたような状態になります。仕事の話は二の次でどこに遊びに行くか、夏をどう過ごすかがメインテーマであり、9月第一週のレーバーホリディは日曜日6時半のサザエさんの拡大版のようなものです。「あぁ、明日から仕事モードだぁ」と。

ダウの10年分のチャートを眺めていてふと思うことがあるのです。2014年秋はまだダウが16000紡罎任靴拭今、40000鳳曚┐任后もっと広範囲の銘柄をカバーするS&P指数なら当時は2000ポイントでしたが今は5500以上まで上がっています。10年間の伸び率はそれぞれ2.5倍と2.7倍です。年間で見ると単純計算で十数%/年ずつ成長していることになります。

ではその間のGDPは、といえば各年ばらつきはありますが、おおむね年間2%台前半から半ばです。移民を受け入れているけれど成熟国なのでどちらかと言えば低位安定です。ではGDPと株式指標の差はどうやって説明するのでしょうか?

もちろんGDPが国内消費の指標であり、輸出や海外で稼いだ分は反映されていないことはわかっています。企業は海外進出を図ることで業績を伸ばしていることもわかっています。(但し、逆もしかりということは忘れてはなりません。アメリカには世界中の企業が入り込んでその消費の争奪戦を繰り広げているのです。)よってこの比較がApple to Appleではないことは承知ですが、それでもGDPと株価成長率が4倍から5倍もの差があることは感性的にみても説明しにくいのではないでしょうか?

ダウチャートをもう少し拡大してこの1年ぐらいの間の動きを見てみると今年の3月終わりぐらいから変調をきたしています。上がっては下げるというボラティリティが高い動きが頻繁に起きており、今回9月の変調で4度目になります。強気と弱気がぶつかり合う形で最終的には強気筋が勝ちあがる構図なのですが、乱高下の連続は大きな変調の予兆になりやすいことも事実です。

ではそのトリガーが何なのか、これが見えないのです。統計に出てくるような雇用とかインフレ率、経済成長率ではないように見えるのです。

相場を張っている人は好き勝手な理由をつけるのが得意とされます。いわゆる自己都合の論理とも言われるものです。ただ、基本的には大多数の方はロング(買い)から入りますので良い方向に向かうことを願っているはずです。

では株価が上伸する「良いこと」の前提である業績と新しい取り組みはどこにあるのでしょうか?AIとか宇宙かもしれませんが、それはごく一部の企業がほとんど利益を生み出さない形で先行投資として行っており、夢を買っているようなものです。アップルの新型iPhoneの価格を見たらわかるでしょう。AI機能を付けて価格は以前と据え置きです。つまりAI機能が価格としての付加価値を生み出していないのです。

現実社会を大雑把にとらえると個別企業ベースではヒット商品や流行のサービスが生まれていますが、国を持ち上げるほどのニューアイディアが生まれてこないとすれば株価の成長率とGDP成長率はもう少し寄ってきてもよい、つまり年間10%超から4-5%程度にまで寄ってくるのが妥当になる時が来るのだろうと思います。

私がトランプ氏とハリス氏の討論会前日に保有していたアメリカの株式の多く売却したのは討論の結果がなんとなく見えていたのです。優劣をつけたい人のイベントであり、概してハリス氏優勢と出たのです。中間層を厚くするハリス氏の政策だと経済の引っ張り役が出ません。アップルやグーグルは欧州で叩かれ、当局に多額の支払いをすると報じられています。AI事業がまだ金にならないこともわかっています。

だけど民主党はデカい会社を叩き、ハリス氏はもっと起業せよといいます。いまさらアメリカで起業を促す政策は正直、腑に落ちません。「アメリカ人よ、こじんまりまとまれ」と言っているのでしょうか?アメリカはもっとダイナミックな国でした。私からすれば「はぁ?」「あぁ」「あーあ」のつぶやきしか出ないのです。だから私はアメリカ株とは距離を置き、資金をカナダ株に一時的にシフトすべきと考えたのです。

9月はまだ半ばに差し掛かるところです。魔物は10月にも控えます。まだ心したほうがよいでしょう。

最後に日本株がなぜ冴えないのかについても一言だけ触れておきます。為替だけが理由とは思っていません。奥底に自民党総裁選と解散総選挙が視野に入ってきたからと考えています。これで海外から見て日本の政治の安定感がペンディングとなり、予想がつかなくなったのです。誰が首相になるかさっぱりわからないし、解散総選挙で自民党の基盤がどれぐらい崩れるのかもわからないのです。これは海外投資家からするとネガティブです。

そういう意味では今は現金保有か投資先の組み換えを進める方が有利だと考えています。投資のことは市場に聞け、です。また各自各様の読み方や投資スタイルがあるはずです。あくまでも私個人のスタンスだと思って読み流していただければ結構です。

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。

トランプ VS ハリス4

昨日従業員とビールを片手に雑談していたら「ひろ、お前は明日の討論会、見るのか?」と。なるほどカナダでも高い関心があるのかな、と感じています。ちょうどこのブログがアップされる日本時間午前10時から約1時間半枠でアメリカ大統領候補同士の討論会が行われます。個人的にはハリス氏の政策が今一つ開示されていない点が多いのでトランプ氏がどのようにハリス氏を刺激し、意見を引き出すのか、興味があるところです。

いずれにせよ、このブログテーマをあえて討論会が始まる前にぶつけさせて頂いたので想像力たくましく話を展開していかねばなりませんが、なんとなく双方の話の要点は予想がついています。それを受けて言葉尻や雰囲気を聴衆がどう理解するか次第です。そこはわかりません。

現時点での私の直感を述べます。トランプ氏は精彩を欠いている、その点が気になります。主義主張に新味がなく、遊説でも空席が目立ち、途中退席する人も増えるなど長丁場の選挙戦を一人で行うにはやや重い感じがします。

ハリス氏はその点、フレッシュ感があり、政策が十分にディスクローズされていない点において「何をしゃべるのか」否が応でも注目されやすいといえます。こうなれば話の中身がわかっているトランプ氏ではなく、気になるハリス氏ということになります。この点でトランプ氏には不利。

ただ、以前にも申し上げたようにハリス氏の政策に不明瞭な点が多い中、左派思考が強いのは相当気になっています。本人はそのイメージを修正すべくより中道にしようとしているようですが、たぶん寄らないと思います。選挙戦でどちらが有利かといえば都市票、移民層の票、西海岸票、女性票を取りやすい民主党のほうかと思います。ハリス氏が何を言おうとも同じです。共和党が嫌いでトランプ氏が嫌いという消去法的アプローチもあります。

では金融市場に与えるインパクトですが、トランプ氏当選なら一時的にプラス、ハリス氏の場合は影響は少ないとみています。トランプ氏当選の場合、一見、政策は金融市場によさげですが、インフレを引き起こす可能性があることとアメリカという市場をエンクローズ(囲い込み)することで長期的にはボディブローになるだろうと考えています。一方、ハリス氏当選で市場に大きな影響が出ないとみるのは現時点で既に民主党政権であり、その延長戦でしかないということです。

アメリカ株式市場がこのところ踊り場相場でそこからの展開がない理由の一つは市場が大統領選を「どっちもどっち」と評しており、いずれが大統領になっても不安材料を残すかもしれない懸念を消化しきれていない点もあるとみています。(経済のソフトランディングへの不安感が冴えない相場の主たる理由である点は変わりません。)

個人的には投資済みのアメリカ株からはいったん撤退をするために売却を進めています。今日もアメリカ株を4銘柄ほど売却し、残り僅かになります。理由は可能性として左派的な色彩を更に強めるかもしれないアメリカは明らかにピークを過ぎて将来を模索する公算が高いとみるからです。トランプ氏になった場合でも極端な政策が「奇をてらう」様相にも見え、少なくとも8年前の興奮とか話題性はないし、それ以上にトランプ氏が歳をとり、かつての政策推進のパワーを感じさせないのです。個人的にはトランプ氏のほうがベターだと思いますが、期待感は薄いのです。

ところでカナダでひょっとすると解散総選挙があるかもしれません。与党と一定の協力関係を持っていたNDP(新民主党)がその関係を解消をしたためで与党の法案が通りにくい状態になり、政権運営が厳しくなるためです。トルドー政権は支持率が一貫して下がっており、選挙がある場合、政権交代の可能性は高いとみています。その場合は中道右派が政権を握ります。今年が選挙イヤーであり、多くの国で様々なサプライズが起きているのと同様、「今に不満を持つ国民」が新味を求めていると理解しています。だからこそ、自民党総裁選も「我こそ」と思う方々が新味だか珍味だかわかりませんが、いろいろ主張しているわけです。

ところがアメリカ大統領選の場合、新味のはずのトランプ氏が新味のハリス氏に乗っ取られた感じになっているのです。トランプ氏にとってバイデン氏が相手なら勝てたでしょう。すっかり読めなくなりました。

本日の討論会は展開次第では一定の方向性が出ますが、個人的には最後の最後までもつれそうな気がしますが、個人的に期待値はすっかり下がってしまいました。さてどうなることやら。

では今日はこのぐらいで

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年末調整を止められるか?4

河野太郎氏が「年末調整廃止、全員確定申告案」を提示しました。これに賛否両論あるようです。

私の考えを述べます。

河野氏の発想は方向としては正しいです。ただ、3歩も4歩も先に行っているので国民も政府もすぐに「そうだ!」とは言えないのです。昔、私の元「部下」で創業者の息子がいました。入社直後、私が教育係の一人になり、その後、双方、転勤をするも3度にわたり同じ部署が重なった経緯があります。元部下と申し上げたのは彼が超特急で昇進し、数年で追い抜かれ、のちの「元上司」に代わったからです。その息子氏、東大主席卒業の親父譲りなのか、なかなか発想がぶっ飛んでいるのですが、飛び過ぎて現実的な解ではないのです。「わかるんですけれどそれじゃ誰も理解できないですよ」と進言したこともしばしば。河野さんの発言を聞いてついあの頃を思い出してしまいました。

ではそれでもお前はなぜ、河野氏の発言が方向としては正しいと思うのか、といえば年末調整という発想自体があまりにも古く、国民にマネーの感性を育てさせないからです。今でも大半の方は確定申告となると身構えると思います。それは税金の仕組みをほとんど知ろうともしないし、給与から天引きされる受け身の姿勢だからともいえます。

カナダでは全員確定申告制度をとっています。10年ぐらい前までは毎年、紙に書いて送っていたのですが、オンライン化に変わっただけではなく、毎年、どんどん進化していくその仕組みに目を見張る思いでした。では最新の仕組みはどうなっているか、ざっとご説明します。

企業は12月31日締めの従業員それぞれの「給与支払い証明」を税務当局のオンラインを通じて作成提出します。基本的に前年度のファイルに各従業員の基本情報がインプットされているので今年の収入や源泉した所得税、社会保険料などを上書きインプットします。全従業員分を合算したものがサマリーシートとして自動作成され、企業が年度内に源泉徴収して納付した金額とサマリーシートの源泉すべき金額を比較し、相違があれば説明をつけて過不足の精算をします。企業側はここまでの作業を2月末までにします。

また銀行や証券会社は利息の源泉税支払いや株式売買におけるキャピタルゲイン課税や配当金の課税を総合課税のような形ではやりません。そのため、上記の仕組み同様、2月末までに各個人宛「利息支払い証明」や「キャピタルゲイン金額の証明」「配当金の証明」が発行されます。

全ての収入がある人はこの頃から4月末にかけて確定申告をするのですが、申告方法の基本は税務当局が公認している市販の確定申告ソフトを使います。単純申告の場合にはソフト使用料は無料ですが、キャピタルゲインやその他もろもろの収入がある人はおおむね4−5000円程度のソフト使用料が毎年かかります。

ソフトにアクセスし、自分のアカウントに入るとソフトが「税務当局と情報をリンクさせてもよいですか?」という案内が出るのでOKをすると瞬く間に勤め先が発行した収入証明や銀行、証券会社からの支払い証明が自分のアカウントにダウンロードされます。

収入の分が自動で確定しない場合は手入力しますが、基本は全自動です。ここからは税金の控除の部分を自分でインプットしていきます。ソフトが一つずつ質問をしてきます。例えば老齢年金の支払いをしたか、カナダ国外からの利息などの収入において当該国に源泉税を払ったか、寄付金をしたか、子供が生まれたか…などいろいろです。このプロセスにおいて税金の控除という仕組みを体得できるのです。あぁ、こうやれば合法に節税できるのか、と。

全部終わると見込み還付額ないし、見込み納税額が表示されるので支払いの場合は可及的速やかにその表示額をオンラインで税務当局に払います。還付の場合はおおむね1か月程度で自分の口座に振り込まれる、そんな仕組みです。私の場合は還付の際、現金を返してもらうのではなく還付相当を次年度の源泉分に引き当てるようにしています。というのは通常は前年度に納税不足で支払った金額について翌年は分割納税を求められるからです。給与所得の場合は所得税が源泉されるので良いですが、私のように会社からの配当金がある場合、源泉されないので確定申告の際、多額の税額が請求されてしまうのです。それを避けるために年4回に分けて分割前納するのです。

もちろん、カナダの人が全員、コンピューターに精通しているわけではないので代替手段はいくつか用意されています。ただ、政府も時間をかけながらも少しずつ自動化の度合いを進める状況です。2024年のネットによるファイル率はカナダ国税によると92.5%です。大したレベルです。

如何でしょうか?仕組みとしては非常によくできていると思いませんか?河野氏はこれを実現させたいのです。ただ、アメリカにしろカナダにしろ、全員確定申告というベースが何十年にもわたって築かれてきた中で進化したものです。これと同等のモノを数年で実現させるのは日本では難しいと思います。

ただ、デジタル化の波は止まらないので2世代ぐらいかけて徐々にその仕組みを浸透させていくしかないと思います。つまり、今の50代以下の人たちが少しずつ受け入れるような仕組みを作る、その間、今の確定申告との併用です。20年後に全員確定申告という目標設定でいいんじゃないでしょうか?

一部の方は自分の損益が税務署にもろばれするのを嫌がる人もいるでしょう。気持ちはわかりますが、もうそんな時代でもないのです。現金を裏庭のツボの中に隠すような姑息な話と同じです。そして税務署は進化しています。税務署との格闘といいますが、多くは払わねばならぬものを払わないように細工したのがバレるというケースが大半だと思います。課税強化は世界共通でデジタル化が進めば本当に難しくなってきたと思います。まさに「化かし合い」ですが、もうそんなに抜け道はないと思います。

数年前、日本の税務界の大御所と話をしたとき、彼女が「税金で逃れるのは近い将来絶対に不可能になります。仮に今年や来年、うまく逃れても死ぬときには全部持っていかれるだけの話です」という言葉は超インパクトがありました。

河野さんの年末調整を止めようという発想は第一歩を踏み出すという点では評価できるし、ご本人も数年でできるとは思っていないはずです。でもそのような長い目標が日本には必要なのでしょう。

では今日はこのぐらいで

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どうする?老朽マンション4

日本には築40年以上たった老朽マンションが現在137万戸あるそうです。今後、この老朽マンションが飛躍的に増えるにあたり、その対策に頭を悩ましています。老朽マンションの解体後の土地の値上がり分について非課税にするなどの優遇措置はありますが、分譲マンションの所有者にとって解体後の土地の大きさは区分所有なのでそれこそ、どんだけの土地の価値なのよ、と言わざるを得ない状態です。そんなの貰っても嬉しくもなんともない、それが実態でしょう。発想の転換が必要な気がします。

カナダでは区分所有の法律が整備されたのは1970年代なのでそれまではマンション(分譲住宅、コンドミニアム)という発想がありませんでした。古い高層の建物の多くが賃貸マンションでこれは住民の権利がぶつかり物件により全く建て替えが出来ない迷路にはまっています。例えばダウンタウンに「バンクーバーのハワイ」と私が勝手に称している海岸線沿いの南向き最高の立地にはそのような築50年以上の古びた賃貸の高層住宅がずらりと並びます。過去何度かデベロッパーが再開発を目指しましたが全てとん挫。その理由はそんな美しい眺めを賃貸住宅の住民は誰もギブアップしないから、であります。

日本の場合は先日も書いた「住めば都」という発想が強いのと定年後、安定した収入がなくなった方が引っ越しをする物理的ハードルの高さがクリアできないと思います。私は東京で賃貸物件事業もやっている関係で不動産屋といろいろ話しますが、大家に高齢者の入居者を避ける傾向が強いのはほぼ公然の秘密とされます。なぜ嫌なのか、といえば賃料回収のリスク、あるいは病気などで知らぬ間に部屋で亡くなっていたというようなケースを極端に嫌うためとされます。これを逆に言えば高齢者にとって今住んでいる住宅から動けと言われたらカネの問題ではなく、俺の住む場所を探してからモノを申せ、ということなのでしょう。

日経に「老朽マンション、全面改修・解体に税優遇 再生後押し」とありますが、あくまでも建て替えに関する議決権とか税優遇など表面的な後押しだけであって本質的な解決策は提示していないのです。築40年以上たった老朽マンションの居住者の平均年齢を想像したらわかるでしょう。仮に新築時、住宅ローンを組んだのが30歳だとします。しかも今から40年前と言えばバブルが始まる少し前で物件価格が上昇し始めた頃です。とすれば「住めば都」に「住宅ローンの呪縛」「下落するマンション価格で売るに売れない」方々がそのままずっと住んでいる確率はそれなりに高いはずでそれらの方々は当然70代になっています。

そんなところに建て替え提案をされてみることを想像したらよいでしょう。考えるまでもなく「ハンターイ!」です。今ならローンも終わり月々の管理費や修繕積立金が2−3万円で済むのです。それをアパートに移るだけで月に7−8万円の出費、しかも嫌がられる高齢者となれば全く機能しないのは自明の理であります。

ではお前ならどういう知恵があるか、と言われたらその物件の状況にもよります。例えば私は東京にいる時にサイクリングをする際、板橋の高島平団地とか北区の桐ヶ丘団地を通るコースがあり、そこを横目で見ながら思うことがあるのです。このような団地の再生は比較的簡単だと。まず、2棟か3棟の複数の建物の開発計画案と買収案を第三者のデベロッパーが同時に発表します。その後、5割の同意が得られ買収が進んだとします。残り5割はたいがい上記の理由により動けない方々です。

そこでそれらの方々をその複数棟の中の一つの棟に集約させる、つまりわかりやすく言えば「恐れ入りますが、お隣の棟に移っていただけませんか?」です。団地なので間取りはほぼ同じ、場所も隣の棟なら了解は取りやすいでしょう。更に大規模開発前にそちらの建物の外壁や共有部を手直し、美化し、大規模開発が出来た時に老朽化陳腐化したイメージを出さないようにする、これが一つのギミックかと思います。

では単独のマンションの場合はどうするか、です。デベロッパーは正攻法で力づくの買収をしようとするから話がややっこしくなるのです。上述の通りカネの問題ではなく、安住の住処の問題なのです。よって老朽マンションのそばに一定規模の代替住宅を先に確保し、美化を行い、居住の確保を行う、これがやりやすいかと思います。

この大技が出来るのは一定規模のデベロッパーであり、管理組合がどれだけ知恵を出しても政府がどれだけ税制優遇をしても状況は改善しないのです。ただいわゆる日本のデベロッパーはイメージ第一主義でこんな泥臭い住宅の安定供給的な発想をする会社は少ないでしょう。UR都市機構も違うと思います。これができるデベがいれば老朽マンションの問題解決はだいぶ進むと考えています。

都市の再生とアップグレードは絶対に必要なのですが、人口減が進む日本に於いてそれほど立替需要が生まれるのか、という素朴な疑問もあります。災害時にエレベーターが使えないことを考えればむしろせいぜい20階建てぐらいに抑え、緑化を重視するような都市計画が必要ではないでしょうか?都市の進化とはむやみやたらに高層化することだけが能ではないと思います。

では今日はこのぐらいで

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炭水化物摂取制限に挑戦4

ずいぶん昔ですが、タバコを吸っていた時、止めたいなと何度も思ったことがあります。特にフィットネスに通いだしたころ、呼吸が苦しいだけではなくタバコのにおいが体に染みついていたりして汗と共にたばこのにおいで自分から悪臭を発しているのではないか、という自己嫌悪に陥ったからです。

そこで一大決心をして止めると決めるのですが、1度目も2度目も失敗。3度目の正直で止められました。理由の1つに当時カナダで売っていたタバコのパッケージに吸う人と吸わない人の肺のカラー写真がついていて衝撃的だったこととマラソンでタイムを競っていた頃だったのでどうにか「おさらば」することができました。

生活習慣を変えるのは本当に大変で相当の理由が必要になります。この1−2年、医者から糖尿病の予備軍といわれ3か月毎の検査でコレステロール値がいつも問題になりホームドクターから処方箋のクスリを飲めと言われているのですが、ささやかな抵抗で購入すらしていません。ドクターにどうにか自力で下げてみせる、と断言しているのですが、目立った数字の改善がありません。

先日、日本からのお客で健康オタクのような方とお会いした際、「一日何食食べていますか?」というので「2食半」(半とは朝、嫌いなオートミールを我慢してほんの少し食べている)というと「私は1食です」と。彼の主義主張は現代食品に含まれている様々な健康に良くないものを排出させるためのデトックス療法で1食にすることで摂取そのものをコントロールするというわけです。よくわからないけれど、なるほどと思ってしまうのです。

テレビのある番組では60歳を過ぎると炭水化物の過剰消費が健康に悪いと報じていました。体はもう若くないのだ、ということです。

日本では令和のコメ騒動状態がまだ続いているようです。もう間もなく徐々に改善していくはずですが、そもそもコメの消費量がこの10年で1割減るなど着実な需要の減少傾向の中での微妙な変化に市場の調整能力が追い付かなかったこともあるのでしょう。日本人が炭水化物好きなのは誰もが認めるところですが、それでも米の大盛飯を3杯お替りするような少年は少なくなった気がします。仮にしばらく米が不足しても代替手段は講じられるだろうと思うし、政府がコメ価格を維持するために備蓄米をリリースしなかったのは逆に消費者のコメ離れを加速させる結果になる気がします。日本は少子高齢化の中、炭水化物過剰摂取状態なのですから。農水の坂本大臣、あの記者会見じゃやっぱり自民党は冴えないな、と思わせます。

閑話休題。炭水化物の摂取量を控えるとコレステロール値の改善の一役となります。そこでタバコを止めた時の手法を思い出したのです。3度目の禁煙挑戦をする際、ある突然「今日から止める」という宣言断絶型ではなく「助走期間」を置いたのです。それは普通のタバコを購入せず、葉巻に切り替えたのです。葉巻となるとさすが公共のところでは吸えません。その頃、私が吸っていたのは葉巻のイメージと程遠い普通のタバコサイズのミニ葉巻でした。これは吸いやすいのですが、それでも葉巻は肺に吸い込むわけではないのでなんとなく飽きてきたのです。これが私の期待した成果でした。タバコを買わない、葉巻は飽きた、ということで口さみしさを解消できたということです。

この手法を炭水化物摂取制限に応用するためにふと思いついたのが昼は今まで通り普通に炭水化物を摂取する、ただし夜は止めるという方法です。私は昔から居酒屋で酒を飲んでも「最後の締め」が不必要、ましてや「夜鳴きそば」は人生で1度しか食べたことがありません。食べた後の不健康さの罪悪感に苛まれ、2度と口にしたことはありません。

つまり自分の特性を考え、「これならできる」と結論付けたのです。人生一度きり、食生活ぐらい楽しめよ、と言われます。別に夜、炭水化物を断絶するなどとは言っていません。ご飯を止めるだけです。もしかしたらフライドポテトは少し頂くかもしれないし、パスタぐらい食べるかもしれないです。それは自分の中でOKにするのです。つまりとっても緩い制限。だけどこれに慣れてくれば将来もう少し制限も加えやすくなると思うのです。

自己コントロールは自分にしかできないことで他人がどうこうするものではありません。それは意志との闘いであり、克服せざるを得ないのです。我慢という言葉が現代社会では美化されなくなったような気がします。ただ人のカラダは昔も今も原則変わらないはずで、それなりに節制することは生活全般の規律を維持するうえでも重要ではないでしょうか?

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今週のつぶやき4

買収提案を受けているセブン&アイの返答が「提案拒否」と報じられていますが、実質的には「金額次第では断れない」といっているようなものです。北米で日常茶飯事行われるM&Aの様相からすれば個人的にはカナダのアリマンタシォン クシュタール社に分が出てきたとみています。もしもア社が現状の6兆円弱からあと1−2兆円上乗せすればセブンは断れなくなります。ア社がそこまでしてでもセブンを欲しいか、賽は投げられたとみています。先方が敵対的買収を仕掛けるような野蛮さはないと思いますけれど、さてさて。

では今週のつぶやきをお送りいたします。

やはりFRBの判断ミスが問われるかも…
本日発表になった8月度のアメリカ雇用統計。インフレが収まりつつある中、アメリカ経済がソフトランディングできるかどうかを占う上で今回の雇用統計はいつも以上に注目され、数日前から投資家の手も止まり気味でした。ふたを開けてみれば市場の事前予想を下回る14.2万人増。6,7月分はそれぞれ11.8万人、8.9万人と大幅下方修正で雇用情勢は悪化気味になりました。この指標だけで経済着地がスムーズに行われるかは判断できませんが9月のFOMCでの利下げ幅が0.50%になる確率は高くなっています。

今週、カナダは3会合連続の利下げを発表し、経済の連関性が高いアメリカと歩調を合わせてきた中でその差が広がりすぎています。FRBが利下げに躊躇してきたのはパウエル議長のオウムのように繰り返す「様々な統計が1回だけではなくトレンドとして利下げと判断するに至っていない」としている点ですが、私から見れば時遅しだと何度も申し上げてきたとおりです。私ごときが統計の遅効性を主張するのもおかしな話ですが、数字Driven=数字しか信じない方々に経済のコンディションは体温計がすべてである、と言わんばかりで患者など見なくてもわかる、ということなのでしょうか?

もちろん、客観性は大事です。ではカナダはなぜ3会合も前からそれを判断できたかといえば以前にも申し上げたように適正な金利水準設定は温度調整のようなもので5%なのか3%なのか1%なのか最適なところを刻むための「神の手」のようなもの。ところがFRBは歴史的に見ても急激な利上げと利下げを繰り返しています。金利調整が緩やかにできないから民も企業も振り回されるのです。その点では頑固なパウエル氏は任期満了交代でよいと思います。

ここまでくると茶番化、自民総裁選
今週は茂木、林、小泉各氏が出馬表明しました。来週には高市さんが表明する予定です。残りの方々、上川、斎藤、野田、青山の各氏は厳しいでしょうか?いや仮に20名の推薦をとったとしてもその後が戦えるとは思えません。今回のように乱戦模様の時には出馬表明は早めの方がよいと思います。その点で一部の層から期待感が高い高市さんがここまで遅れているのは推薦人の取りまとめに時間を要した、つまり議員内にすそ野が広がっていないとみるべきでしょうか?(都知事選における小池さんのような戦略的ケースとは相違します。)立民の泉代表がようやく推薦人の目途をつけたのも議員の支持が集まっていなかったからでしょう。

早い者勝ちの観点からすれば下馬評が高い小泉さんも個人的には遅かったと思います。つまり議員支持の広がりがないかもしれません。小泉(父)は散々議員の不評を買ったので「リメンバーコイズミ」がないとは言えないでしょう。高市さんの票は小林さんに一部流れ、更に青山さんが遅まきながら参戦しようとしたことで余計面倒なことになったとみています。つまりカニバリゼーションです。ユーチューバーの皆さんは自分の推しの議員がいかにも有利で、芽があり、可能性が大で、決勝なら勝てる…と好き勝手放言し放題になっていますがかなり割り引いて聞いた方がいいでしょう。

ではお前は現時点でどう見ているのか、と聞かれればあくまでも個人の好き嫌いを排除した上で考えると石破氏が緒戦リード、その対抗馬が誰か、です。基本は菅、麻生両名の影響力を無視できないのです。麻生さん側から見ると河野さんが嫌いな人は多いのですが、バランス感覚は中国がらみ以外は悪くはないし、国民とのコミュニケーションも取れます。ただ河野さんと菅さんの関係はイマイチなので、麻生氏が推し、菅氏が妥協できるのが茂木氏とみます。不人気だけど賢いし、官僚や議員とのやり取りも幹事長経験でこなすでしょうし、経済政策に焦点を当てればこの人が一番無難かもしれないと思っています。小林氏は議員票をある程度とれるかもしれませんが、党員票が厳しいかもしれません。小泉さんはまだ軽すぎで勝手に想像している立憲、野田党首との論戦には勝てないでしょう。首相の器はまとめる力と経済が分かるかであり、外交ではありません。これが肝です。

ゼレンスキー氏は利用されているのか?
ゼレンスキー氏が西側諸国に必死に応援を求め、果敢にロシア内まで攻撃していますが、自国にはロシアが攻め入り、東部のみならず、キーウにもその攻めの手が入るなど混迷の度合いを深めています。ウクライナがロシア領に攻め入ったのは将来あるであろう終戦/停戦会議で有利な立場を築くため、ロシアがウクライナの領土を侵攻するなら自分たちはロシアに攻め入り、「領土相殺」の発想で取引条件を良化することとされています。

一方、国内統制は非常に悪いと言えます。3日には副首相以下5名の大臣が辞表を出し、4日にはクレバ外相も辞表を提出しました。ゼレンスキー氏は内閣改造と言っていますが、これだけの閣僚や要人が一斉に辞めるということは方針の不一致であり、ゼレンスキー氏の一人芝居がより強まる可能性が懸念されています。ではそのゼレンスキー氏は自身の意思で一歩も引かず、更に犠牲を伴いながらも戦況改善にまい進するのでしょうか?50カ国のウクライナ支援国による会議、ラムシュタイングループ会合が6日、開催され、欧米主要国は引き続きウクライナへの支援を約束しています。非常にうがった見方ですが欧米は武器刷新のためにウクライナを利用しているように見えます。

かつて「景気が悪くなれば戦争をする」と言われたことがあります。ウクライナが侵攻されてから2年半以上経ちます。欧米の景気が良くなったかと言えば株価はよく上がった、これは確かに言えますが、景気が良くなったとは感じられません。ただ、軍需産業が国家に利益をもたらすことは確かでこの戦いが止められない、止まらない既得権益になりつつあるようにも感じます。その点でゼレンスキー氏が大統領である限り欧米には都合がよい、というとんでもない私の偏見が絶対に間違っているとも言えない気がするのです。

後記
会社の同僚ではないですが、事業立ち上げ以降長年一緒に働いた「女帝」が数年前に退職後、クロアチアに帰国し「第三の人生」をエンジョイ中、交通事故で即死したとの報を受けました。私のカナダ32年間で数多くの人と関わった中で彼女の印象深さは横綱級でした。「I am a cobra. If you did a bad thing, I will bite you!」が口癖。正当な理論派ながらも強引に押し通すため、多くの人は彼女が大嫌いでいつも批判の渦潮がぐるぐる巻いていても決してくじけず、強かった点は見倣いました。私もコブラに何度もかみつかれそうになったけど、だみ声で「仲間にゃ噛まないよ」と優しさもあり、私は批判が多かった彼女の数少ないサポーターの一人でした。今ならコブラもコンプラに飲み込まれ、こんなユニークな方は雇われないのでしょう。ある意味、面白い時代がなくなったといえそうです。

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。

苦境のインテルとフォルクスワーゲン、何を間違えたか?4

インテルといえば90年代、半導体で世界のトップにのし上がり「泣く子も黙るインテル」とされました。そのインテル、今はその栄光ははるかかなたの思い出話であり、「インテルよ、もう一度」と期待しているのはバイデン大統領だけではないか、という気がします。

バイデン大統領はインテルが供給する半導体がアメリカ国防の要になるとみて、CHIPS法なるものを導入し、補助金85億ドル、融資110億ドルをインテル社に提供するパッケージを用意しているのですが、インテル側がこの受給条件を満たせないのです。まるでパン食い競争でパンにかじりつけないインテルをイメージしていただければよいかと思います。

なぜ、インテルは輝きを失ったのか、個人的には半導体の世界の潮流が変わったからではないかとみています。インテルがブイブイ言わせたときは半導体設計⇒製造⇒販売/メンテがワンパッケージでした。専門的には「垂直統合型デバイスメーカー」と言います。ところが半導体の性能が大きく進化し、製造コストも飛躍的に増加し、IT化が進み、最終製品が目指すものがパソコンの半導体といった時代からまるで変わり、目的に応じたカスタマイズをする必要が出てきました。そこで「出来合い」を買うスタイルから各社自前設計のカスタムメードという発想が出てきたのです。またアーム社の登場は特にスマホ関係の設計において圧倒的強みを見せます。アップルの自前設計=アーム社の採用への方針転換はインテル社にとって衝撃的な変化となります。

では設計を諦めて製造だけならどうかといってもAMDという強力なライバルとの戦いに負け、TSMCなどファウンドリ(Foundry)と称する受託製造会社が主流となり、日本でもラピダスが2025年稼働を目指しています。

こう見るとインテルは時代の流れに乗りそこなった、そして90年代の栄光というプライドが邪魔をしたことで「インテルの陽は昇らず」の状態になってしまったのです。半導体のように金食い虫の業界ではいったんペースが落ちると元に戻すのが厳しくなります。インテル社の長短借入金の合計は2018年には260億ドル程度だったものが現在は2倍の500億ドルを超す状況になり、フリーキャッシュフローは21年第4四半期からほぼ出血が止まらない状態にあります。挙句の果てにダウ採用銘柄からの陥落が見込まれています。これはダウ採用のルール上の理由ですが、逆風が止まらないといえるでしょう。

次にフォルクスワーゲンで何が起きたのか、です。報道の通り、同社のドイツ国内の工場の一部を閉鎖する案が経営陣から打ち出されました。これに対して労働組合や州、国も交えた泥仕合と化しており収拾がつかない状態にあります。経営陣のメッセージは非常にクリアで「このままではVWはやっていけない」であります。

何が同社を狂わせたのでしょうか?基本的には欧州自動車産業の酷い状況、これに尽きると思います。コロナ前に比べ欧州全体では2割ほど需要が足りません。ご承知の通り欧州製の自動車は価格が高いのですが、それを高級だからといって買うのは日本人であって、実態としては日本製と同じものが3割から5割も高いコストをかけないと作れないといった方が正しい気がします。

そこで起死回生の一発がEV化であったはずです。もともと環境問題に敏感な欧州ではVW社の排ガス不正問題からスタートしてEVが政治主導で席巻したもののここに来て本格的な調整局面に入ってしまいました。ボルボ社はかつていち早く30年までにオールEV化宣言をしていたのについに撤回したぐらいです。更に中国製の安価なEVが市場を混乱させ、EUはようやく中国製EVに対する関税率を大幅に引き上げる措置を行うところです。

ところがその前にVW社の体力が失われてきた、こう見るのが正解でしょう。特にEVの時代が確実に来ると見込んでいた多くの関連産業界にとって需要側(顧客)が買わないことで当てが外れました。フォルクスワーゲン社はポルシェやランボルギーニなど高級ブランドを傘下に持つ一方、同社の車は大衆車製造に特化しています。ところが同社の車は全般的にデザイン性に欠け、例えば北米では苦戦の連続でアメリカ市場などへは過去何度もテコ入れを図っていますが、うまくいきません。

インテル、フォルクスワーゲンは確かにそれぞれの業界で大帝国を築いた実績があります。ただ、それらは昔の話であり、栄華はなかなか続かないのです。それを栄枯盛衰という言葉で切り捨てるにはあまりにも単純すぎでその奥底の理由を探る必要があると思います。

アメリカでUSスチールが日本製鉄による買収がなされないならば大量のレイオフや本社移転を含めたリスクがあると同社経営陣が述べています。トランプ氏もバイデン氏もハリス氏もUSスチールを守るといいながらそれは黄昏に対する哀愁であり、その3人にとってUSスチールのような小さい会社の存亡はどちらでもよいはずですが、後ろにつく労働組合の票が欲しいがゆえに心にもないことでも平気で口にするわけです。これが逆に企業の生命力を悪化させるとも言えるのです。

ちなみにUSスチール買収に興味を持っていたクリーブランド クリフス社はカナダの大手ライバルStelcoの買収を行い、その承認の株主総会が9月16日に行われます。とすればクリーブランドは資金的にUSスチールには手が廻らないとみています。つまりUSスチールは取り残されるのです、大統領達の政治活動のせいで。

倒産や被買収は企業が自立できなくなった際の当然のあるべき姿であり、倒産ではなく、買収されるならば新しい資本が入り従業員にとってプラスのはずなのです。これを大統領や大統領候補になろう人が全然わかっていないのです。バイデン氏がCHIPS法を通じてインテルをそこまでして救おうとすること自体が自助と淘汰の世界に余計な力をかけ、経営の自立性を崩すのであります。

今日のタイトル、「インテルとフォルクスワーゲン、何を間違えたか」、私の答えはずばり、政府が手を差し伸べたあるいは政府が主導して何かをしようとしたことが概ね外したということではないかと思います。企業は野性味をもって野に放つ、そこで筋力をつけ、体力をつけ、成長するものなのに政府が檻に閉じ込め、餌をやり飼育計画を作ることでダメにしていると私は強く申し上げたいと思います。

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。

変化を感じる飲食消費4

9月第一週のレーバーホリディは北米では夏の終わりを告げる最後の3連休。当然、街中のイベントも多いのですが、恒例の日系秋祭りがあったので覗いてみました。私もイベントには数多く出店しているのですが、このイベントだけは出店を考えたことがないのは7月から8月にかけてイベントの嵐で出店が続き、来客も多い中、カラダが持たないのでこれだけは勘弁させてもらっているのです。

覗いてびっくりしたのは出店者の大半が飲食店だったことです。もちろん来場者も多いのですが、なぜこれほどまでに飲食店が集まるのか、ふと考えさせられました。道路にはフードトラックがずらり、敷地内の前庭にはテント設営の飲食店、建物内には出来合いの飲食を売る店…。みなさんそれなりに購入されているようですが、私は申し訳ないですが素通りしました。

日本で縁日やお祭りに行くと焼きそばやフランクフルトソーセージがおいしいと感じたのは屋外で食べるからで、別に縁日のフードの味が特別旨いわけではありません。私は携帯型BBQがあるので車のトランクに積んでおけばいつでもどこでもさっとBBQができるのですが、確かにBBQがうまいのは調理する際、BBQの蓋をすることで独特の風味が出ることもありますが、やはり外で食べる快感なのでしょう。

「外で食べる」とか「立って食べる」というのは一種の「非日常的行為」であり、それゆえに日本人にも外国人にも受けるのだと考えればなるほど、浅草浅草寺の屋台にしても福岡の中州の屋台にしても、丸の内のオフィス街のフードトラックも基本は買って外で食べることでうまさを感じているのでしょう。

通常の店舗店が味にこだわり、サービスにこだわる戦いであるのに対して外で販売する飲食店は短時間集中型でサービスよりもいかに手早く捌くかにかかっています。決して定期的に食べたいわけではなく、雰囲気に押されながら時々食べるからよいのでしょう。飲食の一断面ともいえますが、あまりこんなことを述べる人もいないかもしれません。

では店舗店ではどんな変化があるのかといえばアルコール摂取量が明らかに減っている点です。つまり飲まない客ばかりということです。先日も人気の韓国居酒屋に行きましたが、フルハウス(満席)状態の中、席を見渡すとアルコールを頼んでいる席はぽつぽつ程度。あとはコーラとか水だけの人も多く見受けられました。これは日系の居酒屋でも同様だし、寿司屋でもビールや日本酒を飲む人は限られています。つまり飲む文化が若い人を中心に明らかに減退している、そう見えます。

日本では2001年から2021年までの20年間で成人一人当たりのアルコール摂取量が22%も減っています。我々中高年者が一定量の消費を支えているわけです。ある調査によると20代の若者で定常的に飲酒するのは20年間で半減したとあります。また20代女性で飲酒が習慣化しているのは3%という調査もあります。つまり友達とでかければ飲むこともあるけど、それ以外は飲まないというわけです。

何故飲まないのか、これは私なりに解明しているのですが、時間が惜しいのです。飲むとその後、自分のことができないというわけです。私が麻雀をやらなかったのもゴルフを止めたのも時間が惜しいからでした。同様に今の人は酒でその日を潰したくない、ということなのでしょう。

飲食系ユーチューバーでうまそうに酒を飲む方を何人かフォローしていますが、よくよく考えれば時代の逆行なのかもしれません。

もしも飲食店から酒が無くなったら私は外食をしなくなる、これはほぼ断言できます。なぜなら酒も家飲みと外飲みの違いは屋台飯と同様に雰囲気を楽しんでいるからです。事実、家でベロベロに酔うことなどまずありません。私は「飲みに行く」けど「飯を食いに行く」というケースは案外少ないのでアルコールが禁止されているイスラム系の国に住んだら健康的になるだろうなとつくづく思うのであります。

最後、余談ですが、あまり外で飯を食わない私ですが、最近美味いと思うのは韓国のフライドチキンと台湾小皿。あとは時々食べるマレーシアカレーとかタイ料理などエスニック系もうまいと思います。日本の居酒屋はほとんど行かなくなりました。あと決して甘党ではないのですが、1年に一度、この時期になると月餅が店先に並びます。これは毎年一つは頂きますね。アヒルの卵の黄身が2つぐらい入っているのが良いのですが、最近は高くて饅頭一つ2000円近くするので今年は黄身なしでした。中秋の名月も物価に勝てず、ということでしょうか。

では今日はこのぐらいで

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富裕層は憎いか?4

ハリス副大統領と石破自民党総裁選候補の共通点、それは二人とも富裕者層への課税強化を主張していることです。

まずハリス氏。法人税率を21%⇒28%にするほか、多国籍企業の税率引き上げ、利益が10億ドルを超える企業への「公平な負担」を求めています。それだけではありません。超富裕層に対する資産税として含み益の25%を課税するとか、キャピタルゲイン課税を44.6%にするといった私から見れば無謀の極致のような主張をしています。

理由はハリス氏があくまでも中間層の取り込みを主眼としており、その層や低所得者層へのバラマキをするための財源が必要だからです。ではこんなバラマキをしたらどうなるでしょうか?

アメリカの超富裕層が海外に出る、その公算が高くなってしまいます。特に資産税を取り入れるなら経済がガタガタになるとほぼ断言します。実はカナダでかつて法人向けに資産税があったことがあります。90年代です。Large Corporation Taxと称するもので、不動産など資産額などを算出根拠に課税されていて実は私が担当していた関連会社もこのカテゴリーに入っていたため、「なんで会社の資産額が大きいだけで課税されるのだ!」と親会社からブンブン文句を言われたのをよく覚えています。カナダでは当然ながらひどく不評で確か政権交代で無くなったと記憶しています。

では転じて日本。石破氏がBSテレビで「首相に就任した際は、株式売却益などの金融所得への課税強化について『実行したい』と強調した」と述べています。具体的な言及がなかったようなのでどの程度を意図しているのか不明ですが、現在の税制が金持ち優遇になっているとされる点について修正したいということなのでしょう。もともとは岸田首相が2023年1月にそのような提案をしたことがありましたが頓挫しています。

日本の場合、労働者が所得税を払う場合累進制で最大45%になります。一方、金融所得は労働所得と分離しており、住民税を別にすると15%になっています。富裕層は金融所得が多くなりますので一般所得税と金融所得税がブレンドされる結果、税負担の総額は収入が多くなるほど低くなる傾向があります。(これはアメリカでも同じです。)

労働だけで1億円稼ぐ人はかなり限られると思いますが、所得に応じた税負担のグラフを描くと概ね年収1億円を超えると実質的な税率が下がる(=税のブレンド効果が効き始める)とされ、更に収入が増えると税負担率がどんどん下がるようになっています。(私は「1億円の壁」とされるあの有名なグラフは本当に正しいのかと未だ疑問府です。もっと緩やかで転換点はもっと低い金額ではないかと思います。)極端な話、投資だけで飯を食うなら15%プラス住民税なのです。しかもいくら稼いでも同じ税率です。

石破さんはこれは不平等である、と考えるわけです。創業者やIPOで株式を売却して莫大なる売却益を上げ、富裕層になったケースは確かに多々ありますが、人数的には知れています。石破さんはそこにターゲットを当てているとは思えないのです。石破さんの怖いところは平等主義が強すぎて「一億総中流よ、再び」を目指しているのではないかという気がするのです。ここがハリスさんと重なるところ。ハリスさんは民主党ですが、石破さんは自民党。こうなると自民党も右から左まで「思想のデパート」のようなもので総理候補者が何人出ても構いませんが、この人は本当に自民党の人?という方には要注意マークをつけるべきです。

ところで株式投資に対する課税強化は正しいのでしょうか?カナダでも今年6月からキャピタルゲイン課税が強化されました。私の会計士から「ひろ、利益が出ているものは今売った方がいい」と助言を受けたのですが、会計士には「大丈夫。手持ち全ての銘柄で利益が出ているわけではないので利益を出した場合、損をしている銘柄を売却して相殺するから」と言っています。

株式投資は常に勝てるわけではないのです。勝率は案外低かったりして私が思う目安は6−7割ではないかと思います。つまり常に損との闘いでトータルするとこれだけ勝ち、という話です。そのコンセプトは資本市場にリスクを取りながら参加しているという意味です。国家が資本主義を支持する限りリスク応分の低めの税率適用は当たり前なのです。そうでないと誰もリスクをとる投資活動に参加しなくなるのです。それこそみんなで定期預金で満足するようになったらどうするのでしょうか?

また石破氏はアメリカなど海外に投資が向いていることに「懸念」を示し、海外にマネーが行かないような工夫をしたいという趣旨のことを述べています。こうなるともう理想を追求した「仙人の域」であります。マネーに原則、国境はないのです。そしてもしも海外にマネーが逃避するならば国内が投資にふさわしい魅力的な市場ではないということなのです。そんなことを制限するより国内がより魅力的で光り輝く市場にする、こういう発想ができないと全然だめです。

その点でハリスさんと石破さんは私からすると論外の発想であって、少なくともこのお2人にだけはどうぞ、お引き取りください、と申し上げたいと思います。もしもハリスさんが大統領になるなら私はアメリカ株投資からは全部引き上げます。

では今日はこのぐらいで

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当たり前になった「私、会社を辞めます」4

「就職は会社との結婚である」と私は1980年代に普通に述べていました。その時の意味は奥さんといるより長い時間、会社に拘束され「深い契りを交わしす」ことで就職が成り立っていたと考えています。(思い出してください、リゲイン、24時間働けますか、の時代です。そして多くの人がいう「ウチの会社」です。)

当時、会社を辞めるなら30歳まで。再就職は今より給与は1-2ランク下がる、こう言われたもので、給与が下がるなら今の会社で我慢するか、という話があったのもこれまた事実。

では当時と今と会社を辞めたい理由が変わったのかといえばほとんどその変化はないと理解しています。つまりストレスフルで給与は安く、やりがいもあまりない、であります。ちなみに23年に発表されたギャラップ社の「グローバル就業環境調査」で日本人が感じる「やりがい」は5%と145か国の最低レベルだったそうです。これは極端な例にせよ、日本人の多くは会社の勤務はやらされ感の中にあるのでしょう。

では80年代まではそんな会社でもなぜ辞めなかったのか、私なりに考えた理由の1つが終身雇用が定理であったこと、2つ目が多くの会社が成長期にあり、会社の業績の伸びを社員が分かち合える余裕があったことではないかと考えています。

終身雇用は当時は人生で当たり前の方程式でした。この会社に終生をささげることは親と家族と世間から躾けられた「常識」であり、定年までそこの会社で働くことで老後もささやかながらも年金生活ができるという一種の保険を買うようなものであったのでしょう。よって当時、転職とは今のこの会社の水準についていけない「ダメ男」的なレッテルが貼られ、転職先は当然ながらにして1ランク下げる、よって給与も下がるという流れでした。

一方、会社の業績の伸びを社員が共有できたというのは確かにあったと思います。私が勤めていた会社では時折社内放送で決算の状況(主に売り上げ)や大プロジェクト受注、更には資本金がどんどん増えていく様子をかなり頻繁に放送しており社員に高揚感を与えていました。特に大プロジェクトの受注のアナウンスは「おぉー」という声と共に「我々の部署も頑張らねばならない」という強い団結力を社内全体に作り上げていました。

残念ながら今、終身雇用は社員の方から「そんなコミットできない」という時代になりました。会社の業績がぐいぐい伸びるのはごく一時期であったり、限られた会社であったりします。突然、車内放送で「ピンポンパーン、お知らせいたします。…」なんてやっているコテコテの会社はないでしょう。そんなのは会社のIRをウェブで見てくれと言わんばかりです。ですが、社員がIRを見ることはほとんどないのです。だから灯台下暗し。以前、ある大手製薬会社に勤めている方に「オタクの会社、〇〇の研究で将来有望なんですってね」と述べたら「えー、そんなの私知りませんよ。どこで聞きましたか?お詳しいのですね」というレベルです。

やりがいと給与水準への不満。これはある意味主観的であり、また日本的思考であるとも言えます。

海外から見る日本の会社運営の基本的には外国同様トップダウンです。ただし、欧米でいうトップダウンとはやや違い、「役員会や常務会、執行部など上層部が決めた会社方針」を下部組織に浸透させることであります。欧米でトップダウンといえば明白に社長/CEOの指示のことを指しますが、日本では〇〇会議での決定によるものであり、それは民主主義的多数決で決定されたわけであり、必ずしも社長が主導したとは限りません。サラリーマンの典型的な飲み屋の会話は「今度の方針、あれ何なのかね?」「しょうがないだろう、上が決めたことだ」という「上」は特定の人物というより会社という組織体の天の声のようなものではないでしょうか?

これはやらされ感が管理職を含め、社内全体に蔓延してしまうのです。現場の声は反映されず、社員は受動的立ち位置になってしまうのです。これではやる気は起きないですよね。そこでこの逆手で業績を伸ばしたのがパンパシフィックインターナショナル、誰も知らないと思いますが、ドン・キホーテといえばどうでしょうか?

このドンキ、小売りではイオン、ユニクロ、セブンに次いで国内第4位なのですが、その理由は現場の自由度がめちゃくちゃ高いのです。ドンキのスタッフを見たらわかるでしょう。様々な個性をこれでもか、と生かしています。もちろん、仕入れなどの自由度も高く、バイトから社員まで一体感を作っています。

もう一つが「餃子の王将」でこちらはメニューが店ごとに違います。店長の鍋の振り具合であっちの王将とこっちの王将では違う品目で味も違うということが起きています。これは店長以下しっかりしたチームを組成し、同業他社のみならず、社内競争を煽るという意味でプラス効果が出ています。これらはやらされ感をやる気に変える好例だと思います。

では給与です。多くの方が真っ先に挙げる会社を辞めたい理由「給与が安い」ですが、「辞めたら給与が増えるのですか」と私は問いてみたいです。案外、こんな安月給でストレス貯めさせられてボロボロになるまで使われて…という一種の怨嗟で辞めるケースは会社側と従業員側双方に理由があると考えています。もちろんケースバイケースです。

ただ1つ聞いてみたいのは「あなた、転職するにあたり何かスキルがありますか?」です。かつての履歴書の特技技能欄は「普通運転免許」でした。20年前には「エクセル、ワード」が加わったりしました。では現在は、といえばそれから特に変わっていないのです。つまり前職で業務に対する特別なスキルはほとんど身に着けていません。よって転職するにあたり「ガッツだけはあります!」になってしまうのです。これでは人事担当者の心は動かないのです。

会社を辞める前に少なくともどんな汎用性あるノウハウを身に着けたか、そこを考えるべきだと思います。社内ルールや社内人事にいくら詳しくてもそんなのは屁にもならないのです。汎用性、ここに注力し、本当に実力がついたときが辞める権利取得とも言えます。辞め方は自由。ですが、禍根を残さないことも大事ではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで

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負のサイクルから抜けられない中国経済4

先日、「中国とどう対峙するか」というテーマを書いたばかりですが、その際にあまり取り上げなかった中国経済面もどうも悪化の度合いが進んでいるように感じます。そのあたりを今日は考えてみたいと思います。

2008年のリーマンショックの際、株価が軒並み暴落する中、私はこのブログで「株価が上がるのは100均業者ぐらいかもしれない」と申し上げました。16年前に書いたことですが案外覚えているものです。その代表格、Dollar Tree社の株価は08年9月当時は12膨度。そこから長く見事な右肩上がりとなりピーク時には160砲鯆兇┐討い泙靴拭

人間、消費行動はある程度本能的に行うもので「お金を使う癖」がどれだけしみついているか次第でほぼ無意識に消費をします。ところがそのお金がないとなれば使う金額を減らしてでも消費を愉しむ行動に出るので100均は大賑わいになるのです。俺はモノは買わないぞ、という方も無意識に飲み屋に行っている方もいるでしょう。私も週に1−2回(いやもっとかも)行く方です。本能的行動なのでしょう。

もしもその100均ですら買えないとなればこれは経済的にかなりシビアな状態にある、こう考えるべきでしょう。私が長く持っていた中国のミンソウ社の株も程よい金額で売却しました。これは国内消費が伸びないので海外でいくら成長しても経営数字にはボディブローのように効いてくると判断したからです。中国安売りECの両綱といえばSheinとTemuです。Sheinは非公開企業なのですが、Temuを持つPDD社の4−6月決算発表では売り上げが予想に届かなかったことを受け一日にして29%の株価下落し、その後の展開もさえない状態になっています。

中国小売りについては11月11日の独身の日セールに次ぐ二大イベント、6月の「618セール」が行われたのですが、これが今年は開催以来初の前年比マイナス7%の売り上げになりました。中国人の消費意識はそれまでの爆買いにみられた消費型から貯蓄型に一気に転換しています。「貯金は良いことだ」とした人はこの6年間で20%ポイントアップし60%を超えてて来ています。日本の1990年頃をはさんだ前後の動きとほぼ同一と考えてよいと思います。中国の消費者物価指数は下落に次ぐ下落で現在はゼロ前後をさまよっています。

中国の一人当たりGDPは現時点で12500膨度で世界ランクで見れば74位で同じくらいの位置にはトルコやマレーシアがあります。一人当たりGDPは国民の富を見るうえでは参考になるのですが、今、面しているのは中進国の罠というより共産主義の限界といったほうが正しい気がしています。経済は不正不当競争防ぎながら自由な競争と市場の需給の自動調整機能を重視すべきというのが基本シナリオです。

ところが中国の場合2つのエラーが起きたとみています。1つは国民の消費行動が受動的で人の話や評判による行動規範が強く出る点です。(中国ほどではないですが、日本もこの点は否定しません。)そのため例えば、不動産⇒儲かる⇒買う⇒儲かった⇒人に言う⇒皆が買うという流れが強く出ます。不動産をEVに置き換えた場合、皆が乗る⇒自分も乗る⇒補助金の大盤振る舞い⇒Buy Chinese 主義万歳 ということになるのでしょうか?

もう1つのエラーは政府が経済の自由度に制約を加えたことです。これは習近平氏が考える共産党のイデオロギーとの対比において困る業種、例えば民間企業のビッグデータが国家保有データを凌駕するリスクとか、教育の仕方が欧米的になれば共産主義を否定する輩も出るだろうといったリスクです。これらは中国共産党が自らの身を守るために設定した制限ルールです。

一方、以前も書きましたが、国内の需要が十分でなければ海外で売り捌くという姿勢があり、中国製品が雪崩のように諸外国に押し寄せています。これで世界経済の歯車は当然狂ってしまいます。これが今起きていることです。

ここでカナダが立ち上がりました。中国製EVに100%関税実施をアメリカに先駆けて実施することにしたのです。アメリカはEVの100%関税をアナウンスしていますが、手続きに時間がかかっており、具体的な発表は9月下旬以降になるはずでカナダが先行した形になります。ではなぜカナダが先行したか、これはたぶん日本のメディアは触れていないと思います。

理由はテスラにあります。アメリカで売っているテスラはアメリカ製。ところがカナダのテスラは中国上海製なのです。カナダ政府はこれを嫌ったのでしょう。今回の100%関税はテスラ社への対抗措置なのです。テスラ社はやむを得ないのでアメリカか欧州で作るテスラをカナダに振り替える準備に追われるのです。ちなみにカナダではテスラ以外は中国製EVは市場に実質的にはないと理解しています。

日本市場ではBYDを含め中国EVの販売を展開する動きが出てきています。政府は関税なりで対抗措置をとれるのでしょうか?日本はそもそもEVに対する反応が鈍いのですが世界でも名だたる自動車王国で中国製EVとなれば恥ずかしいどころではありません。

中国が経済的に回らない、少額消費すらおぼつかないとなれば次に起きるのは富裕者層の国外脱出だとみています。これは以前ほどたやすくないでしょう。お金があれば外国のパスポートを取得できた時期もありますが、その後、中国人が移住先国で様々な活動、主に中国共産党との連絡を含めた協力者となるケースがあるためです。このあたりの感覚が日本では鈍いですから中国の富裕者にとって移住対象になりやすいのが日本になりかねないとみています。

香港で1997年返還前富裕層の国外脱出がおきたのを私はつぶさに見てきました。今、それが中国本土で起きた場合、それは中国にとっても世界にとっても頭痛のタネになるでしょう。

中国はモノだけでなく、人も輸出してきたぞー、ということです。

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身の丈に合った生き方4

「身の丈経営」という言葉があります。自分の会社の能力や人材、売り上げ、財務規模など大きさに見合った経営をせよ、という意味です。ビジネスをしていると時として大きな話が舞い降りてくることがあります。それに踊り高ぶってしまうとどこかで梯子が外れるというわけです。

シャープが堺工場で作っていた大型テレビ向けパネルの生産をついに中止、撤退しました。シャープの液晶パネルといえば多くの方の思い出かもしれません。家電量販店のテレビコーナーに行けば「亀山製」などとシールを張ったシャープ製品がずらりと並び、日本人ならこれ、買うよね、と言わんばかりのブイブイぶりでした。その頃が同社にとってピーク。そしてそこから衰退というより坂を転がり落ちるような惨劇となります。台湾の鴻海に売られたとき、多くの人は嘆きました。なぜダメだったのだろう、と。鴻海傘下になって当初は多少、経営改善の期待がありましたが、その後は歌を忘れたカナリアのような状態でした。

何処で躓いたのか、細かいところを見ていけばいろいろ出てくるのでしょうけれど同社が家電大手と肩を並べ、更に突き放そうとしたこと、私はここにみています。それまでおこなっていた同業他社へのパネルの供給を自社向けに振り替え、他社から恨みを買ったのです。別に大きくなることが悪いとは言いません。ただ、日本の社会において各々の立ち位置には見えない「格式」が育まれているのです。差別意識ではなく、いわゆるプライドです。これが見えない壁だということに多くの人が気がつかないのです。

日本語に「閥(ばつ)」という言葉があります。「人と人とのつながり」という意味ですが、これに様々な漢字を組み合わせます。財閥、閨閥、門閥、学閥、派閥…といった具合です。現代なら「SNS閥」という言葉もできそうです。つまり人と人がつながりある共通点を通じてグループ化するわけです。その上で人は「閥」の所属意識を宿命、あるいは運命と考え、時としてそこに所属することに多大なるエネルギーを向けるのです。たとえば松下政経塾に入りたいというのは閥を自分の力で呼び込むことですね。

政治家が派閥を作りたがるのはひとりの意見より10人、20人の意見の方がより大きくなるからでしょう。政治家は政策実現のためにあらゆる工夫をするわけですが、賛同者がいないことには何もできない、そこで閥を作るわけです。

このような仕組みが日本の社会にはあらゆるところにはびこっています。これが身の丈とどう関係するのか、といえば「よそ者意識」です。同じ日本人でも隣人と必ずしも仲が良いわけではありません。マンションの鉄の扉は人の関係を冷たく遮断するものであり、お隣さんと親しく会話することはなかなかありません。

大学生あたりで「よっ友」という言葉が使われて久しいそうです。クラスなどで顔見知りなので「よっ!」とあいさつするけれどそれ以上はないというわけです。英語でGood Friendと訳すそうですが、誤訳だと思います。recognition (認識)、それ以上のなにものでもなく、友達なんかでもないのです。つまり会社や人々の交際交流範囲は思った以上に狭く、それを超えた部分は未知の世界とも言えるのです。

身の丈に合った生き方とはある意味、自分が所属している閥の中で出る杭にならず、うまく生きていくこと、これが日本的美感なのではないかと思うのです。冒頭のシャープの例とは踏み込んではいけない領域に入り込んだ、その入り方の礼儀がわるく、失礼な会社と思われたわけです。

では所属閥からは一生抜け出すことができないのか、これは議論が生まれそうです。ただ、日本では明らかに個人なり会社のキャリアや歴史を重んじる傾向があります。「あの人ってさ、昔〇〇だったんだって」とか「〇〇やっているあの会社が今度、これ作ったんだって」という感じです。新参者は明らかに距離を置かれる、これが常でしょう。

私はその制約が比較的薄いカナダで移民という立場で日々暮らしています。楽なんですね。気負うことなく、自分のビジネスを少しずつ成長させ、自分のライフを少しずつ変化させる中で閥意識をほとんど持たず、誰とでもすんなり入り込めるので新たな気づきやチャンスがたくさんめぐってきます。飛びつかず、しばらく放置した後「やっぱりやろう!」という選択もあります。

私が日本に戻りにくいのはその閥に再度入り込むのが大変だからなのです。そして閥には取り巻きとコア=幹部があり、取り巻きにはなれるけれど、今更幹部にはまずなれないもどかしさと壁に「面倒くさい」という気持ちにならざるを得ない、これが一番高いハードルではないかと感じるのです。

身の丈という尺度がない北米はある意味、伸び盛りには良いのかもしれませんね。

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。

今週のつぶやき4

日本の報道は台風第一主義。そもそもが農水産業国であり自然と共生することが日本人のDNAであることから昔から報道に於いて天気の話は大いに優先させてきたと感じます。レポーターが嵐の中で飛ばされそうになりながらも報じている姿を画像を通して見せるのはある意味、奇妙と言えば奇妙なのですが誰もそれを危ないとか、おかしいと指摘することもありません。それにしても異常気象が招く台風の進路や巨大化に今後どう対応すべきか、次のレベルの国土強靭化が求めらえるのでしょうか?

では今週のつぶやきをお送りいたします。

強欲な市場
今週、市場の話題をさらったのはエヌビディアの決算発表。水曜日の場引け後の発表でしたが月曜日からソワソワ。まるで他のことが手につかない、そんな状況が月曜から水曜日まで続き、場引け後の決算発表では好調な売り上げだったもののアナリストの目標に届かない、先行きも安泰とは言い切れないという解釈が目立ち、夜間取引では一時8%超の下落。翌木曜日はエヌビディアの株価のみ不調でしたが他の銘柄は台風一過という感じでした。

市場は強欲である、そしてそれ以上にサプライズ感に飢えている、こう表現するしかありません。妥当な株価を計算するアナリストたちの予想の過半は当たらないとされています。つまり株価は理論値だけではなく、実に人間臭い、そして時として論理性を勝手に無視し、集団行動で「皆が買えば怖くない」「皆が売るなら僕も売る」的な意図が働きやすくなります。一時はやったミーム株(はやり株)もその典型であろうと思います。

強欲な市場はある意味、順張りを期待しているともいえます。「もっと欲しい」からです。ところが日本人の個人投資家は逆張りがお好きとされます。「落ちるナイフはつかむな」とは株式格言ですが、手に傷がついても手の傷ぐらい痛くもないという果敢な攻め方は日本独特で北米主体で投資を行っている私としては分かりにくい時もあります。ですが、最近の北米の強欲さに私は一、二歩下がって冷静に見るようにしています。今月は全般的に売却を進めており、現金ポジションも相当高めになっています。今週はカナダのREITを2銘柄購入したのみです。少し様子見をするのがベターな気がします。

先が読めない政治の世界
自民党総裁選は大乱戦、立憲民主党は野田氏の出馬表明で大きな変化、アメリカ大統領選は行方知らず。おまけでいうなら兵庫、斎藤知事の去就もさてどうなるのか、です。現時点で私が予想を出せるのは立民は野田氏が有利ぐらいであとはどう見ても方向性すら見えなくなってきています。自民党に至っては横一線出馬しゴールまでもつれにもつれ、投票したらあれー?という想定外の方が残ることもあり得ます。こうなると変な話ですが、顔カタチと言った外見ウケする方が有利になるかもしれません。

アメリカについても世論調査でハリス氏がトランプ氏を抑え若干のリードを保ったまま、論戦に入りそうです。トランプ氏のかつての「口撃」は効力がなくなったのか、はたまたトランプ氏も「大人」になって政策論争で巻き返しを図ろうとするのか、この辺りの戦略は分かりません。日本の論客はトランプ氏支持派が多いように感じます。支持だけのはずなのにトランプ氏があたかも当選するようなことを述べる方もいらっしゃるようですがこの辺りが日本のメディアのマナーの悪いところともいえます。

最後に兵庫の斎藤知事。粘りますねぇ。百条委員会でも「カエルの面に小便」状態。市民の負託があったという自負だと思いますが、それは知事になる前の期待値であって蓋を開けてみたらダメだったとなればその負託の意味はありません。前節で述べたエヌビディアの株が好決算にもかかわらず下落したのは期待値がそれ以上に高かったのが理由ですが、「斎藤元彦」株は上場したら期待どころか散々裏切り、不評を買ったのですから兵庫県民にとって大損の状態なのではないでしょうか?

出生者数がヤバい状態に
「品の良い私」が「ヤバい」なんて言葉を使うのは憚れるのですが、1-6月の出生者数35万74人という報道は衝撃です。「トレンドに拍車がかかっている」とか「想定以上」と言った上品な言い方ではなくシンプルに「ヤバい」です。出生者数は20年後の成人の数になるので20年後の労働市場や働き手の数、更には人口から想定される内需などの経済環境がほぼ確実な数字として予見できます。ずいぶん前から私は危機感を募らせ様々な警鐘を出してきましたがこのままでは国家の維持の可否という話になりかねません。

一方で不安を煽るばかりが私のブログでもありません。我々が普段目にするのは合計特殊出生率であり、その分母は既婚、未婚女性の両方の合算です。フランスではないので日本で未婚の女性が子供を産む数は少ないですから分母と分子(子供の数)がある意味、Apple to Apple ではないのです。つまり狭義の意味では比較できないのです。その為日本ではむしろ完結出生児数という分母が既婚者に限定された統計の方がより正しい認識が出来るのです。その数値は1952年が3.50、2002年が2.23,2021年が1.90です。下がってきているとはいえ、結婚すればお2人ぐらいは授かるケースが高いと言えます。

よって少子化対策としては婚姻を進め、子作りをしてもらうことが最もシンプルなスタイルになります。ではなぜ合計特殊出生率はここまで下がるのか、といえば結婚しない選択肢もありますが、男女の価値観の相違があるように感じます。かつて結婚時の男女年齢差は2-3歳と言われましたが、現在では個人的には10-15歳ぐらい必要な気がします。つまり男が40歳ぐらいになってようやく若い女性からみれば「この男の先が見える」ということ。ヤンチャなガキでは女性に相手にされないということではないかと思います。男よ、奮起せよ!と申し上げます。

後記
このところビジネスの交渉事が立て続けに発生しており、今週だけで3件交渉の末、ひっくり返したりして自分に有利な形で取り込みに成功しました。私のやり方は論理性をもって押し込むのでこちらの方には「Japaneseがこんなにアグレッシブとは?」と思われているかもしれません。社長業はモノを決断すること、交渉の矢面に立つこと、そして先手必勝で攻める時は速攻勝負です。その際に足元を見られないようにするではなく、こちらが相手の足元を見るぐらいの強気と押し込む姿勢がないと北米のビジネスシーンでは勝てないのです。

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。

セブン買収提案を政府はどう判断するか?4

セブン&アイに買収提案をしているアリマンタシォン クシュタール社。セブンは社外取締役などで構成される特別委員会で同提案に対して検討を行っている最中であります。こぼれ聞こえてくるのはセブン側は買収提案拒否するのではないかされています。さて、この展開、どう動くのか、日本の企業統治やグローバルな買収に関しての好例としても注目されます。

セブンは今般、同社が外資規制の対象となる「コア事業」という申請を行いました。申請先は財務省かと思いますが、かなり慎重な審査が行われるとみています。なぜかといえば政府の安直な判断は国際問題につながりかねないからです。

仮に財務省がコア事業であると認めたとしましょう。問題はその根拠です。そもそもコア事業とは軍事転用されたり、極めて重要な技術やノウハウ、特許など海外企業に流出することにより当該企業だけではなく日本の損失につながることを防ぐために外為法で規制するというものです。

似たような法律は諸外国にもありますが、この運用は極めて慎重に行わねばなりません。たとえば軍事転用しやすい技術であればほぼ誰もが納得できる規制です。ところが飲食、小売りはそもそもコア事業リストには入っていません。よって単純に考えればセブンがなぜコア事業なのか、と思われるでしょうが、セブンは180社ほどのグループ会社があり、その中に様々な業種が含まれており、一部コア事業の対象になるものがあるのです。今回の買収対象ではないと思いますが、セブン銀行はコア事業対象かと思います。財務省のリストを見ると同じ金融でもコアではないものもあればコア指定されているものもあり、この違いは申請内容と個別案件がわからないのでコメントしようがありません。

もしもセブンがコア業種となれば持ち株会社の下にあらゆる業種をぶら下げそのうちの一部にコアになるようなグループ会社をぶら下げることで買収しにくくすることが可能になります。しかしそれを安易に認めると日本が海外企業による買収に対して閉鎖的であり、日本政府がその片棒を担いでいると叩かれるわけで日本が平等で公平な資本主義を掲げているとアピールする点からすれば判断は極めて難しい、こう考えるわけです。

ではお前はどう予想するか、と言われれば公開されている情報だけでモノを申し上げるのは憚れるのですが、コア事業申請は却下される公算があるのではないかとみています。セブンにとって真の意味でのコア事業はごくわずかであり、逆に言えばその事業だけ買収対象から外せばよいということになるかと思います。

ではなぜセブンはそのような申請をしたのか、ですが、これも想像ですが、一つは時間稼ぎ、一つは運よくコア事業になれば買収のハードルが上がるということです。ただ、私から見れば正攻法ではないと思いますが、特別委員会がセブンの気持ちを斟酌しているようにも感じます。

ところでカナダのこのコンビニ大手、クシュタールはセブンの何が欲しいのか、これまた様々な意見が出ています。私は単に店舗数、特にセブンの「スピードウェイ」買収でアメリカのロードサイド店が増加したこととセブンの企業価値が「バーゲンセール」状態であることに目を付けた、それが主たる理由だと思います。一部には日本式セブンの運営、つまりレジの後ろで様々な調理品を作ったりするノウハウ、例えば最近では焼きたてピザを他のセブンの商品と共に宅配するという新サービスも始めていますが、それが主眼ではないと思います。

あのような日本的(アジア的)サービスをクシュタールの得手としている北米や欧州北部の店舗で展開するのはほぼ不可能だと考えています。理由は簡単。物流ができません。日本は比較的小さい国土にコンビニが密集するようにあります。それなら一日に複数回の配達を含めたきめ細かいサービスが可能です。ところが北米ではそんな器用なことは物流的に不可能だし、それ以上にコンビニのスタッフにそれをやらせるのは至難の業なのです。

日本人は器用なのです。だからこそ温めや調理もできるのです。また国や地域によってルールが違うと思いますが、食品調理を伴う場合、保健所の管理も厳しくなります。そこまでして北米の店舗でセブン流調理できるとは私は逆立ちしても思えないのです。

日本人の多くはセブンが外国企業に買収される可能性について懸念をお持ちかもしれません。では聞きますが、日本製鉄がUSスチールを買収するのはアメリカ人にとってどうなのでしょうか?例えが悪いという意見も出るかもしれませんが、そんなものなのです。では国民のインフラとなった「LINE」は韓国の会社が親会社ですよね。それでも政府を含め情報伝達手段として最も利用価値が高いものです。これ、日本流にいえばコア事業ですよね。

事業の国境の垣根は紆余曲折しながらも下がる、これが流れだと思います。どうしてもそれが嫌なら以前申し上げたように日本企業がホワイトナイトを出せばよい、それだけです。ただ、買収額はせりあがりそうで5兆円では足りなくなりそうです。そうすると企業価値、収益、キャッシュフローなどからそれを出せる支援企業があるのか、です。難しいところだと思います。

では今日はこのぐらいで

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