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1: 世界@名無史さん 2005/03/22(火) 19:56:15 0
好きなんですが








586: 世界@名無史さん 2006/11/25(土) 18:08:28 0
ルイ16世が信心深いので、当時の貴族連中は冷笑していたと言うのは事実でしょうか?

588: 世界@名無史さん 2006/11/25(土) 23:13:47 0
>>586
ベルサイユ宮殿内のミサでデカイ声で聖歌を歌うルイ16世を弟2人が「馬鹿」と嘲笑してたらしいです。

590: 世界@名無史さん 2006/11/26(日) 00:39:40 0
>>588
これは信心よりも「かっこ悪さ」を笑っているみたいですね。でもあのうっとうしい弟二人が王位についたのは悔しいです。

ギロチンにかかる貴族たちは堂々としていたそうですが、私が同じ目にあったら絶対騒ぎ立てると思いますよ。あの頃の貴族連中は嫌いですが、これは評価できる。

592: 世界@名無史さん 2006/11/26(日) 00:57:35 0
>>590
貴族で泣き喚き命乞いをして絶叫して死んだ人がいます。
かのデュ・バリー夫人です。
かつての国王の愛妾のギロチンを前にしての醜態に見物のパリ市民は大はしゃぎして喜んで見物していましたが、彼女の鬼気迫るギロチンへの恐怖=生への執着に最後は怖くなって、しいんとしてしまったそうです。
英国に亡命していたデュ・バリ夫人がこの時期のフランスに帰ってきたのはルイ15世からの贈り物の宝石が盗まれたから、というのは表向きの理由で革命の火消しを望んだ英国側からの密使としてフランスに帰ってきた、という説と危機管理能力ゼロで盗まれた宝石を取り返したい一心で帰国した説があります。
ルイ16世刑死を聞いて、英国で真っ先に喪服を着たのは彼女でしたが。

595: 世界@名無史さん 2006/11/26(日) 21:00:11 0
>>592
デュ・バリー夫人は成り上がりの平民女なんでは。
ブルジュア出身のポンパドール夫人よりさらに低い階層の出身。

587: 世界@名無史さん 2006/11/25(土) 23:12:29 0
ロベスピエールの恐怖政治の間中、ギロチンは休む間もなく稼動し続け「貴族だから」って理由だけで老若男女が死刑になったのですがル・ブラン夫人は回想で
「彼ら(貴族・王族)が威厳を持って自らの死に臨まず人間らしく恐怖に泣き叫んでいたら恐怖政治の寿命はもっと短かったでしょう」と言ってます。
平民の昨日今日議員になったような成り上がりから死刑宣告された王侯貴族は皆ルイ16世のような殉教者の心情だったのではないでしょうか。
革命の勝利に酔って死刑宣告を続ける成り上がりたちに怒りを覚えるよりも憐れむことで王侯貴族の矜持を保ち、自らの刑死を殉教死のようにとらえることでギロチンへの恐怖を克服しようとした。
ルイ16世の妹のエリザベートは一緒に刑場に轢かれていく貴婦人たちを慰め励まし「天にまします我らの神に、私たちのこの小さな命を捧げましょう」と微笑んでいたとか。
貴婦人たちは、ギロチン台に上る前にエリザベート前で膝を折って挨拶しいよいよエリザベートの番が来た時にも彼女の口元からは微笑みは消えなかったとか。

589: 世界@名無史さん 2006/11/26(日) 00:06:55 0
>>587
ギロチンは貴族というよりあらゆる階層を対象とした。
貴族だから死刑、だったとはいえません。
刑死した人々の多くが自制心をもって死に臨んだのは事実のようですが。
あるものは信仰心から、またあるものは自尊心や政治的信念や諦念から…。
ジロンド派の人々などは立憲政体そのものに殉じたつもりだったのかも。

593: 世界@名無史さん 2006/11/26(日) 01:13:56 0
>あの頃の貴族連中は嫌いですが

私なあの頃の革命家たちの方がずっと嫌いです。
自由・平等・博愛を掲げつつやったことは恐怖政治。
重労働の農民のたった一つと言っていい心の安らぎだった信仰まで奪ったのは許せません。

594: 世界@名無史さん 2006/11/26(日) 10:57:37 0
>>593
当時の革命家は愛国者も気取っていた。敵国が攻めてくる前に裏切り者を倒せ、というのが彼らの言い分だった。自由・平等・博愛のつぎに来たのがナショナリズムの誕生だったということ。
だから革命前から嫌われていた敵国出身の王妃や、国際人だった貴族・第三身分 富裕層が攻撃された。王の命取りになったのも外国との交信。
大革命は貴族対都市下層民というふうにはとても単純化出来ない複雑な事件。
また地方の農民でもかつて弾圧されたユグノーの多かった地域などもあり、すべてが保守的なカトリックとは一概に言えないのでは。
恐怖政治の実際の担い手は下級役人、元司祭、中産層以下の市民などなど。
どさくさまぎれに革命とは何の関係もない殺人が公然と行われたということか。
そして革命収束後…一番実利を得たのはかつての小作農。自作農となり何事もなかったようにまた教会に通う日常…。

615: 世界@名無史さん 2006/12/14(木) 22:15:46 0
陛下・・・
存命中は実父と実兄からイビられ
実弟二人からは小馬鹿にされて
腹黒い叔父は処刑に一票を投じて
妻な何かと物議をかもして国内外で自分の足を引っ張り
それでもそんな妻を愛していて
それでも「赦す」とおっしゃって断頭台に赴かれたのに
後世になってからも、小男のヲタク扱いされてしまうなんて。
おいたわしいです。

616: 世界@名無史さん 2006/12/14(木) 23:45:47 0
>>615
ツヴァイクの伝記も大きいでしょう。あれじゃ馬鹿に思える。

617: 世界@名無史さん 2006/12/17(日) 14:13:03 0
ツヴァイクをよ~く読むと、ルイ16世の妻への愛情が書いてある。
「ぞっこん惚れた」とか「手もなく参った」とか「皆にちやほやされる妻を持ったのが自慢で鼻をうごめかしている」とか「生ぬるい愛情」、「本当に愛するには心臓のエネルギーが足りない」…。

それに対して「妻がこんなファルスタッフ(シェイクスピア劇の樽のごとき酔っ払い)に愛情を感じるなんてムリ」などとも書いている。
(秋山他訳「マリ・アントワネット」岩波文庫版より)

見た目が悪ければ(でも本当の超肥満は父と王弟プロヴァンス)愛情も価値を失うかのようなツヴァイクの決め付け方は不満ですね。

また、ルイの判断ミスと非難を浴びていることも(1792年8月10日の無抵抗命令とか)かれの国民に銃口を向けたくないという良心的判断が裏目に出たということでは。
ナポレオンが自分なら馬にのって出てくるといった、とありましたが。

関楠生訳の「マリ・アントワネット」もまた再版が出回っているようです。
こちらのほうが岩波版より訳文が現代的でスッキリ読めると思う。

618: 世界@名無史さん 2006/12/18(月) 21:57:07 0
>>617
無抵抗命令を健忘症とか書いてましたね。ツヴァイクが今の研究を見たらルイの描き方は変わったのかも。

620: 世界@名無史さん 2006/12/20(水) 00:16:06 0
施政者としての判断と慈悲にあふれた判断と両立はしないだろう
革命の結果かれは処刑されることになったのだからツヴァイクが無抵抗命令を避難するのもやむをえんかな

621: 世界@名無史さん 2006/12/20(水) 11:06:38 0
はあ。そうですね。危機に際しての中途半端な慈悲心の発露。状況認識が致命的に間違っていた。

8月10日事件のさいは夜中から鐘が乱打され、武装した群集が未明から王宮前に集まっている。
2ヶ月前にも室内になだれ込んだ群衆に詰め寄られ、王は命の危険にも晒されている。
(だが群集に、こんなときでも自分の心臓はドキドキしていないと、胸に触らせ説明)

ここぞというときに思考停止というか、判断停止というか、現実からの乖離(解離)状態が訪れるような。

長男(最初の王太子)の死の前に何ら有効な治療を試みなかったことなども考えると、かれの無気力の正体が何となくわかるような気がする。

こうしたルイ16世の微妙な心のありようを、フロイトの友人にして伝記作者でもあったツヴァイクはぜんぜん無視…あまりにもフロイト的=性的なものに心理分析を依拠しすぎたせい。幼児期のトラウマなんてこともあまり言われなかった時代だっただろうとも思います。

622: 世界@名無史さん 2006/12/23(土) 23:49:04 0
>1792年8月10日の無抵抗命令とか

確か、この命令を下されたのはスイス兵だったかな、外国の傭兵たちですよね。
彼らは武装して向かってくる狂ったような群衆に対して「王宮を死守しろ。退却はするな、しかし発砲するな」という軍命を出され惨殺されたと、というのを昔読んだことがあります。
彼らとて、国で彼らを待つ老親や子供や妻がいたでしょうに。

623: 世界@名無史さん 2006/12/25(月) 23:24:13 0
↑スイスのルツェルンにそのときの犠牲者を讃える「瀕死のライオン像」があるそうです。
この日の攻撃側の国民軍兵士の死者98名(その他あわせて400名とも)、守備側の死者、スイス衛兵600名、廷臣200人(以上ルノートル/カストロ「物語フランス革命史」より)

↑この本で読むと、国王一家避難ののち、王の命令を破って、守備側も応戦、はじめは優位に立ち砲撃、しかし結局多勢に無勢、最後は無残に虐殺された。
その後暴民はチュイルリーに乱入、略奪と破壊の限りを尽くし、カルーゼル広場には真夏というのに羽毛布団の羽毛が雪のように乱舞した…。

最初に二人殺されたスイス衛兵側が侵入した暴徒に発砲し、戦端が開かれたそうです。
決して王命を守って無抵抗のまま虐殺された、というわけではなく戦闘の結果の死。

ただし宮廷の逃げ遅れた使用人たちは、本当に無抵抗なのを捉えられ虐殺された。
「日記」を書いたクレリーなどはこのとき上手く逃げおおせた使用人の一人だった。

806: 世界@名無史さん 2007/12/01(土) 06:46:03 0
>>623 
8月10日事件厨です。
あのチュイルリー宮殿での戦いは、マジで萌えますね~
連盟兵やサンキュロット2万人が攻撃して、国王側がスイス人衛兵と貴族の部隊1200人防衛する戦い。宮殿には大砲5門が装備されていた。言われてるほど革命側の圧勝では無い様だけどね。
ナポレオンが若い頃近くでこの戦いを見ているんだよ。
ナポレオンいわく「ルイ16世がもし先頭に立ち断固戦う姿勢を示したら国王側が勝っていただろう」ってね。

革命勃発後も実は王室側は近衛隊を保持していた。
貴族中心のメンバーで新たに革命後結成され、6000人の兵力と騎兵600騎の兵力で構成されていた。将校はほとんど貴族ばかり。

92年5月27日に議会の決議により近衛隊は解散され、その後の8月10日事件ではスイス人衛兵隊がメインに戦っている。解散されたメンバーはナニやっていたんだろうね?議会の近衛隊解散決議は国王の拒否権で拒否されている。
近衛隊6000人がチュイルリー宮殿を守れば革命側の攻撃を防ぐ事できたのでは悔やまれる。

633: 世界@名無史さん 2007/01/18(木) 18:16:40 0
ヲタ気質・勉強家・質素・愛人当たり前の時代に愛人無し・妻の愛人も許す寛大さ

受けないかなあ

640: 世界@名無史さん 2007/02/22(木) 01:42:11 O
>>633
個人的にそのスペックは最高
浮気に寛大でなくてもいいけど

昨日のNHK教育でやってた性器の軽い手術を勧められたって包茎切りの事だったのね…

634: 世界@名無史さん 2007/01/18(木) 18:29:23 0
ベルばらの池田女史は故・遠藤周作氏との対談で
「夫にするならルイ16世のようなのがいい」
と言っていたんだけどね。

635: 世界@名無史さん 2007/01/18(木) 18:32:23 0
錠前作り以外でも学問熱心だったがな。
安楽死装置「ギロチン」を作った偉大な為政者の一人だろ。
斧の首切り処刑や日本の介錯とか失敗時は悲惨だぞ。

642: 世界@名無史さん 2007/02/22(木) 06:48:49 0
自分の作ったギロチンで処刑されてるんだから世話ないぜ

644: 世界@名無史さん 2007/02/22(木) 09:41:10 0
自分で作ったんじゃないんじゃない?
ルイは改造のアドバイスをしただけじゃないかと。

646: 世界@名無史さん 2007/02/24(土) 10:41:12 0
ともかく、ルイ16世統治下の、後世にも繁く用いられた発明品、彼自身も重要な提言をした記念すべき刑具という事で、レッセフェールがいかに、革命期にとっていかに大事な準備期間であったかの現れ、という事でいい?

647: 世界@名無史さん 2007/02/26(月) 18:09:17 0
私もルイ16世好き。肖像画だとそんなキモオタなんかじゃないし。
むしろフェルゼンより育ちのよさはにじみ出ているし、男らしいかも。
体格もよかったんでしょ。ベルばらの文庫本を高1で読んだときは、フェルゼンさまさまだったけど、30近い今となっては断然オーギュスト派。
フェルゼンは、ツヴァイクの本とか漫画で美化されすぎかも。
かなりのモテ男だけど、王妃をものにしたことで歴史に残っただけではないか。

649: 世界@名無史さん 2007/02/27(火) 11:02:12 0
>>647
この肖像画はちょっとキモイw
no title


ルイ16世の魅力はきっと若い頃にはわからないよね。
幽囚記は読んだ?
自分の事よりも家族や周りの人の事ばかり気にかけていて泣けた。
お付の立場からだけじゃなく、革命家側からの人物像も読んでみたい。

ツヴァイクはこれから読む。

651: 世界@名無史さん 2007/03/01(木) 22:09:48 0
>>647
劉禅や今川氏真をかばう気持ちと同じじゃないかな。
子供の時は馬鹿にしていたが、大人の事情がわかって馬鹿にして来た彼らの偉さに気づく。

カール・セーガンの「コスモス」の中に、ルイが募集した遠征隊に若き日のナポレオンが参加しようとしたけど、結局諦めて結局その遠征隊は船が沈んで殆どが死んだという話が載っていた。
読んだ人は?

659: 世界@名無史さん 2007/03/07(水) 18:02:34 0
>>651
それは多分ラ・ペルーズの探検隊のことでしょう。
彼らは北海道と樺太(現サハリン)が地続きかどうか?というルイ16世の疑問点を解明するため、はるばる来たのだった。
宗谷海峡は国際的には「ラ・ペルーズ海峡」と呼ばれております。
(植民地獲得がその動機だったかもしれないが)18世紀に最新の地理学の知識を持って探検隊に指示を出す、そんな王がほかにいたでしょうか…。
探検隊は一人の使いに地図を持たせ、シベリア経由で本国に向かわせたのち、南太平洋で遭難したそうです。使いは王の死後革命中の母国に辿り着いた。
運命の無残さ、ルイに対する200年後までつづくいわれのないバカ呼ばわり、嗚呼、神もホトケもあるものか~!

648: 世界@名無史さん 2007/02/26(月) 23:55:59 0
ルイ16世って、人生の中で「幸せだ!」と心から思えた事ってあるのかなあ。

656: 世界@名無史さん 2007/03/04(日) 16:02:00 0
>>648
趣味に没頭しているとき
または
食事

657: 世界@名無史さん 2007/03/04(日) 17:20:24 0
>>656
家族がいるだろう。家族が。

660: 世界@名無史さん 2007/03/08(木) 22:55:20 0
ルイ16世って賢いのに世間的な印象が馬鹿っぽいのは革命側の資料から見ていることと、ツヴァイクの伝記がもとなんでしょうねえ。

661: 世界@名無史さん 2007/03/09(金) 11:20:05 0
アントワネットや周りの貴族も見下していたそうだからあの頃の文献そのものがその様に書かれていたのでは?
当然、ツヴァイクもその史料を参考にしたであろうからその通りにしか伝記を書けないのは仕方が無いと思うけど

662: 世界@名無史さん 2007/03/11(日) 09:19:44 0
ルイ16世はヴァカだ!と決め付けたのはまずショワズールとメルシー。
ツヴァイクはメルシーの報告とテレジア・アントワネット間の「秘密書簡」なんかを資料に書いたからね~(テレジアさんはヴェルサイユは愚かで退廃的という価値観で固まっていたし、メルシーは(フランス人なのに)フランスの王族が嫌い)。

そして革命中は悪政の象徴。死後は忘れられ、弟が帰国・即位後はエエ加減なイメージ(美談)で政治的利用。

アントワネット中心の話でも革命中心の話でもどっちにしてもルイは脇役。

ルイ自身の評伝や政策の研究書も色々あるけれどさっぱり和訳されませんし。

ルイ16世の映画もあるらしいがフランス国外で見る人は少ないでしょう。
残念です(大泣)。


663: 世界@名無史さん 2007/03/11(日) 10:01:28 0
>>662
最近は評価も少しずつ上がっていると思いますよ。
奥方様の話で申し訳ありませんが、「パンがなければ…」は、アントワネットの言葉ではないというのが一般的に浸透してきたし。
ルイ16世も勤勉な努力家で、心優しい父親であったというイメージが根付いてきたように思います。
だから、そんなに大泣きなさらないで(はーと)。

666: 世界@名無史さん 2007/03/12(月) 22:18:40 0
ルイ十六世は学問好きの一般家庭に生まれたら、本人にとっても最高に幸せで彼らしい一生を過ごせたかもしれない、と思った。
後を継ぐしかないもんな、かわいそうだな。
当時の極貧の家庭に生まれるのと同じ位酷い状況かもしれないな。

ただ、処刑前の行動だけは王族の血を引いてる、と感じさせるけど。

670: 世界@名無史さん 2007/03/13(火) 23:46:53 0
遠藤周作は「田舎貴族の息子に生まれていれば」一生人に愛されて幸せな生活を送っただろう、と書いています。

671: 世界@名無史さん 2007/03/14(水) 08:42:41 0
政治家として民意に誠実であろうとした彼の絶対君主らしくないセンスが、結果的に不幸な優柔不断をもたらしたのだと思う。

ヴァレンヌ事件にしてもルイは「(民がそれを望まない以上は)フランスを出る気はなかった」はずだ、と歴史家モナ・オズーフも言っております。

善人だ、というだけでなく本来理性的に状況を判断出来た人だと思う。
状況もわからず強硬策を言い足を引っ張ったのは奥さん。

675: 世界@名無史さん 2007/03/18(日) 01:37:51 0
ルイ16世一家に対するあまりにも非寛容・冷酷無比な革命家の態度を知り、王や王妃が死の間際まで酷い屈辱を与えられていたことを知り、恐怖政治のもとで上も下も大量処刑が行われたことを知るに及んで革命は実のところ集団ヒステリー以外のなにものでもなかったのではないかと深く幻滅した。

そして、革命家が嫌悪し罵倒する「アンシャン・レジーム」になぜか興味が惹かれる。
ルイ16世、ルイ17世の一生はただただ気の毒で涙が出そうになる・・・。

676: 世界@名無史さん 2007/03/19(月) 17:34:26 0
民衆の王家に対する、積年の憎悪が膨らみすぎた結果だよね。

王家には民衆の重税や飢饉に苦しむ現状が見えず、民衆も王家の存在が雲に隠れすぎていて本質が見えずでお互いに目の前のものしか見えていなかったんだと思う。
特に民衆は税金の使い道は公表されていなかっただろうから、税金を搾り取るだけ搾り取って贅沢をしている様にしか見えなかっただろうし。
本当は国王一家のお洒落や教養もただの贅沢だけではなくて外交・社交をする上で必要なものだったのにね
(だからその為に予算も組んでいたんだし)

若くして国王・王妃になったルイ16世夫妻じゃなく、年齢的にも威厳のあったルイ15世の治世から少しずつでも情報公開をする等政治改革を行っていれば王政が崩壊したとしてもそこまでひどい扱いは受けなかったのではないかと思う。
個人的な解釈では、ルイ16世一家は長い王政時代のとばっちりを受けただけ。

677: 世界@名無史さん 2007/03/20(火) 04:13:32 0
いや憎悪とかいうレベルなら最初にヴェルサイユ宮に乱入された時点で惨殺されてるって。

678: 世界@名無史さん 2007/03/20(火) 14:40:07 0
惨殺される寸前だったんじゃないか?
それにベル宮襲撃は計画的だったらしいし

679: 世界@名無史さん 2007/03/20(火) 14:50:57 0
基本的に処刑された理由は、
「権力基盤が脆弱な新体制が、旧体制の国王を生かしておく理由がない」
の一言だと思うがな。

ましてヴァレンヌ事件という前科があり、王妃は明らかに敵国に通じていた。
この状況で処刑しない奴がいたら単なる間抜けだろう。

680: 世界@名無史さん 2007/03/20(火) 17:03:21 0
王妃の裁判の時は王妃が敵国とつながっている物的証拠が出てなかったんじゃなかった?

処刑理由は
>旧体制の国王を生かしておく理由がない
というより、旧国王が王党派や欧米諸国の支持を得て王政復古するのを恐れていたのではないかと。
処刑したところで結果的には王政復古してしまった訳だけどさ

693: 世界@名無史さん 2007/04/14(土) 23:47:10 0
バスティーユ襲撃後、軍に出した指示を見ると、とうてい賢明な人とは思えないけどねぇ。
彼が清教徒革命の歴史から何を学んだのか興味深いところ。とことん無抵抗、か?

694: 世界@名無史さん 2007/04/29(日) 19:44:02 0
>指示を見ると
例えば?

695: 世界@名無史さん 2007/05/02(水) 12:55:09 0
>693ではありませんが…

『この事件(=バスティーユ襲撃 :引用者)は国王政府を驚愕させ、屈服させた。
ルイ16世は軍のパリ撤退とネッケルの復職を決定し、さらに自らパリに赴き、新たなパリ政府当局とブルジョワジーの民兵である『国民衛兵』を承認した。』(以上ウィキペディア「バスティーユ襲撃」より)

>693さんはこの「パリからの撤兵」のことをおっしゃっているのでしょう。
しかし、実は王が撤兵を指示したのは「襲撃」の報を知る前だったともいわれているらしい。
(ゴデショ著「フランス革命年代記」)

もともと襲撃の引き金になったネッケル罷免もパリ出兵もアルトワ伯ら強硬派の主張に屈したためだったが彼らは襲撃を見るやさっさと海外亡命している。

王は7月17日パリを訪問(死を覚悟したといわれる)既成事実を容認した。
これが絶対王政の終わりの始まりとなった。

しかし決してかれの選択がいつも間違いだったとは思えない。
王は民衆に銃口を向けることに最後までためらい続けたが、保身からだけではないのでは?

この1789年の時点ではまだ民衆の王室への愛情に期待する面もあったろうしフランス国内が内乱状態となり諸外国に攻め入られることも警戒していたのだと思う。

武力鎮圧がこうした場合の賢明な君主の唯一の選択肢だとは いえないのでは?

697: 世界@名無史さん 2007/05/09(水) 02:55:02 0
>>695
妥協して妥協して譲歩して、革命帽かぶせられても我慢して、それで何か改善したならいいけどさ。
王政が廃止されても、せめて生きていられればね。
無能で鳴らしたスペイン・ブルボン家の国王だって、国外で天寿を全うできてるわけでw
ルイ16世は運も悪かったかもしれないが、少なくとも平均以上とはいえないんじゃないの。

698: 世界@名無史さん 2007/05/10(木) 09:44:39 0
カルロス4世の場合は、ナポレオンが「国王殺しはまずい」と判断したおかげ。
革命当時のフランスの王など、同時代の他国のどの君主がなったとしても難しかったと思います。
いまでは「あの大革命の王としては最良だった」とかれを評価するフランス人もいるそうです。
悲しい話ですが。

699: 世界@名無史さん 2007/05/25(金) 10:51:51 0
まあ、革命派を武力鎮圧するなり、立憲君主制を認めるなり、国外逃亡するなり。
どれでもいいからもうちょっとちゃんと決断して実行してればあそこまで無残な死に方せずにすんだと思うが。

なにをやるにも中途半端で、その中途半端さで死んでしまった御仁だな。

引用元: ・ルイ16世万歳!!