1: 李王職長官 03/05/30 21:57

真面目に議論しましょう。









李 垠(り ぎん、(1897年)10月20日 - 1970年5月1日)

 朝鮮王朝高宗(コジヨン)国王の第7王子。光武元年10月20日生まれ。
1907年純宗の皇太子となり,留学名目で日本にうつされる。
1910年韓国併合により,日本の皇族待遇となる。
1920年梨本宮方子と結婚。終戦時は陸軍中将。
1963年朴正煕政権のもとで56年ぶりに帰国した。
1970年5月1日死去。74歳。日本の陸軍大学校卒。日本では李王垠(りおう-ぎん)とよばれた。



15: 日本@名無史さん 03/06/01 21:00
とりあえず、李王家の詳しい系図はないんですか?

16: 日本@名無史さん 03/06/01 22:26
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李王家

20: 日本@名無史さん 03/06/07 20:27
朝鮮国王(李氏)
代数  在位期間 王 名
第1代 1392-1393 太祖康献王(権署高麗国事)
    1393-1398 太祖康献王(権署朝鮮国事)
第2代 1398-1400 定宗恭靖王(権署朝鮮国事)
第3代 1400-1418 太宗恭定王(以後、朝鮮国王)
第4代 1418-1450 世宗荘献大王
第5代 1450-1452 文宗恭順王
第6代 1452-1455 端宗恭懿王
第7代 1455-1468 世祖恵荘王
第8代 1468-1469 睿宗襄悼王
第9代 1469-1494 成宗康靖王
第10代 1494-1506 廃王・燕山君
第11代 1506-1544 中宗恭僖王
第12代 1544-1545 仁宗栄靖王
第13代 1545-1567 明宗恭憲王
第14代 1567-1608 宣祖昭敬王(宣宗)★
第15代 1608-1623 廃王・光海君
第16代 1623-1649 仁祖(仁宗)


21: 日本@名無史さん 03/06/07 20:29

第17代 1649-1659 孝宗
第18代 1659-1674 顕宗
第19代 1674-1720 粛宗
第20代 1720-1724 景宗
第21代 1724-1776 英宗★
第22代 1776-1800 正祖(正宗)★
第23代 1800-1834 純祖
第24代 1834-1849 憲宗
第25代 1839-1863 哲宗
第26代 1863-1897 高宗(以後、帝位)
大韓帝国皇帝(李氏)
第1代 1897-1907 高宗光武皇帝(徳寿宮李太王)
第2代 1907-1910 純宗隆煕皇帝(昌徳宮李王)

22: 日本@名無史さん 03/06/07 20:32
過去ログより

二人の最初の王子は王族の親ロ派に殺されたんだよね?
子供いたんだ、知らなかった。
あと、もう一人李王朝の王子が、広島で被爆されて亡くなっていますよね。

広島で被曝死されたのは公族の李グウ公殿下です。(グウは金偏に「偶」から人偏を取った字)
李王殿下の御子ではなく、親族の一人です。

騎乗して市内を巡察中に被曝。
手当の甲斐なく亡くなられました。
御附武官(日本人)は自決。覚悟の殉死でした。

24: 日本@名無史さん 03/06/07 20:44
高宗には一説に7人の子があったと言い、私が確認できたのは年長順に、
完和大君(母 側室李氏。13才で死亡。皇后閔妃による毒殺説あり。)、
男子(名前不詳。母 皇后閔妃。生後数日で死亡。毒殺説あり。)、
李せき(土編に石。母 皇后閔妃。最後の大韓皇帝純宗。)、
李こう(土編に岡。母 側室張氏。義親王。)、
李垠(母 側室厳妃。英親王。)、
李恵徳(母 梁氏。)の6人です。

25: 24 03/06/07 20:46
純宗李せき(日韓合併後、李王)は病弱で子がなかったため、末弟の李垠が皇太子(合併後、王世子)となりました。
次弟李こうは母の出自の関係で後継から除かれたみたいです。
合併後、韓国皇族からは李王家と2李公家がたてられ、純宗皇帝が李王となり、彼の死後、李垠殿下が李王となられました。
庶兄李土岡殿下と高宗の兄、李熹殿下が李公に封じられました。
李徳恵は宗伯爵家に嫁ぎました。(女子あり。後に精神を病み離婚。)

26: 24 03/06/07 20:47
すでに述べたように、李垠殿下は皇族梨本宮方子女王と結婚され、長男李晉殿下(夭逝)と次男李玖殿下(王世子)をもうけられました。
李玖殿下は終戦時15才、海軍兵学校入学直前でした。
昭和25年に学習院の同級生伏見博明(元皇族伏見宮博明王、現在日本文化振興会総裁。)とともに渡米し、マサチューセッツ工科大学(MIT)で建築学を学ばれました。
(入国許可等の詳細は不明ですが、李玖殿下によると、李垠殿下が米軍と相談して留学をすすめたとあります。)
殿下は渡米後も長い間無国籍のままでしたが、昭和36年にJ.F.ケネディ上院議員の斡旋でアメリカ国籍を取得しました。
27: 24 03/06/07 20:51
李土岡公には2子があり、長男李鍵は父の隠居後に李公を継ぎました。
次男李ぐう(金偏に禺)も、子のない李俊殿下(李熹殿下の子)の跡を継ぎ李公となりました。李鍵殿下は終戦時陸軍中佐で(妻は松平佳子、戦後離婚、1男子あり。)日本国籍を取得し、桃山虔一と名乗りました。
李金禺公も陸軍中佐で昭和20年8月6日に広島で被爆死しました。
(妻は朴賛珠、長男は清。確認していませんが、李金禺公は靖国に祀られているはずです。)
余談ですが李公お付き武官は責任をとって自決したそうです。
彼らの末の弟に李寿吉というものがあり、李垠殿下帰国の際に空港で迎えに来られました。

29: !!! 03/06/07 21:01
私の父が李玖殿下と大阪の旧陸軍偕行社付属小学校で、同級生でした。英親王については、英親王ゆかりの人たちが「英親王李垠伝」という本を出版していて、私の実家に李玖殿下の直筆サイン入りのその本があります。
なんでしたら、少し時間は必要ですが調べます。この本は多分に自費出版に近いようなマイナーな本なので、国会図書館ぐらいでしか手に入らないのでは?

父によると、英親王の家にも招かれたことがあり、李朝の紋が入った饅頭を土産に頂いたそうです。終戦時、英親王は大阪で留守師団の師団長をしていたハズです。
英親王も李玖殿下は終戦後は帰るに帰れず(政敵になるから)、かなり苦労されたようです。李玖殿下が海軍兵学校に入校直前だったというのは初耳なのですが、私の父と同じ昭和6年生まれのハズなので、まだ入校年齢に達していなかったと思います。

30: 03/06/07 21:13
「英親王李垠伝」~この本は持っています。
李垠殿下はすごくいい人だったみたいですね。
35: 29です 03/06/07 22:41
>>30
凄くマイナーな本を、持っておられたのですね。
私も読んでみて、数奇な運命をたどった最後の皇太子に感じ入るところが多々ありました。私の場合はむしろ英親王よりも、父から李玖殿下のことをいろいろと聞いたことがあります。存命中の方ですので、あまりUPするのも気が引けますが、、、

その時の同級生には辻正信参謀の息子さんもいたそうで、中々に賑やかな小学校だったらしい。体育の時間に騎馬戦をする時、殿下は当然に常に、担がれる人。それを目掛けて相手陣営が殿下の帽子を取ろうと、必死になって大格闘。
私の父なんか、歯を食いしばって殿下の帽子が取られないようにしたらしい。

梨本宮方子女王は、本当に優しい人だったと聞いています。高貴な方なのに殿下の友人というだけで小学生のガキを招きいれ、親しく接して頂いたそうです。家の前には当然に憲兵が警備していて、物々しい雰囲気はあったそうですが。無難にアップできるのはこの程度ですが、父からいろいろと聞いてます。

殿下の通われていた小学校は陸軍の小学校だったので、敗戦とともに家が没落してしまったケースが多く、戦後は大変だったようです。私の家は軍人の家ではなかったので、没落は免れたようです。今でも同窓会を開催しているようですが、さすがに李玖殿下は出席されません。でも、今でも手紙の交換は時々しているようです。

36: 1 03/06/08 16:21
>>35
ところで旧陸軍偕行社付属小学校って大阪の追手門学院の前身ですね。

37: 29です 03/06/08 23:36
>>36
Yes
ですが正確には前身というよりも敗戦により、学校の経営母体である陸軍が消滅。
学校存続のために、私立学校へと転換したらしいです。李玖殿下はご存知のように、東京の学習院から父親である英親王の大阪への転勤に伴い、大阪の偕行社付属小学校へ転校されました。

39: 03/06/13 21:00
>29
「英親王李垠伝」~この本を読んで李垠殿下にすごく親しみを感じました。
しかし戦後は苦労されたみたいです。
個人的にはもっと日本政府が優遇すべきだったと思います。

40: 日本@名無史さん 03/06/15 14:35
朝鮮王族は戦前までは、皇族待遇だったよ。
軍隊でも昇進も皇族と同等に扱われていたよ。
戦後、11宮家の臣籍降下に伴って、皇族待遇の身分を剥奪されたんだよ。
李玖殿下が、今上陛下と一緒にランドセル背負った、学習院初等科時代の写真を雑誌で見たことあるよ。学年は今上陛下が二つ下だけど。
学習院から大阪の偕行社付属小学校に転校したんだ。
方子殿下は、戦後、ソウルで福祉事業に尽力されておられたよ。
方子殿下の葬儀には、非公式だけど、三笠宮殿下(高円宮殿下の父)が参列されたよ。皇族が戦後、韓国に行かれたのは、三笠宮殿下が最初だったと思う。

41: 日本@名無史さん 03/06/15 15:26
>>39
戦後、生活費の支給を打ち切ったのは酷かったね。
戦後も、皇族待遇のままにしておけば良かったのに。
戦後は李朝伝来の書画骨董の切り売りで生計立てていた訳だし。

42: 日本@名無史さん 03/06/15 17:43
>>41
11宮家が皇籍離脱してるのに李王家だけ皇族待遇のままというのは無理がある。
李王家の面倒をみるのは戦後に独立した韓国政府の責任だと思う。

43: 日本@名無史さん 03/06/15 17:52
李王家、特に本家の妃殿下(方子妃)は、元皇族だろ。
韓国の李承晩は李王家を目の仇にしていたから、生活費など支給するはずがない。(実際、しなかったし)
方子妃は、父親(梨本宮守正王)は戦犯として収監されるわ、切り売り生り生活を強いられるわ、戦後は不幸だったよね。
李垠殿下は大正天皇が弟同然に可愛がっておられたよ。大正天皇が生きていれば皇族待遇剥奪はなかったと思うが。
 
 

45: 日本@名無史さん 03/06/15 19:04
>>43
直宮以外は皇籍離脱なんだからそれはなさそう。
確か李王家には一時金も出なかったと思うんだけど、それはちょっときついね。

>李承晩は李王家を目の仇にしていたから、生活費など支給するはずがない
これは韓国の国内問題だからここまでは当時の日本にはどうしようもないよ。

44: 日本@名無史さん 03/06/15 18:01
李グウ公殿下は、広島でもあまり話題にならないね。
広島湾にある似島の陸軍仮設病院で亡くなられた。
原爆の死亡者では一番高貴な身分の方なんだけどね。
軍人で戦死なので、靖国神社に祭られているよ。

46: 日本@名無史さん 03/06/15 19:22
朝鮮王族は、臣籍降下当時、10人もいなかったんだから、税金で養えたんじゃないの。(妻子含む)
日韓併合時に、朝鮮王族の生活は保障すると言うことを約束した訳だから、「名族保持」のためにも生活費を支給すべきだった。
日本に帰化した、桃山家に対しては、皇族待遇と生活費支給すべきじゃないの。

47: 日本@名無史さん 03/06/15 19:25
李王玖殿下には子供がおられないから、李朝の正統を受け継ぐのは、桃山家しかないよ。(元李鍵公)
桃山家は子供がいるし。徳川幕府が足利や今川などの名族を「高家」として残したように、税金で保護すべき。

50: 日本@名無史さん 03/06/15 21:51
李氏なんぞを保護するくらいなら、旧宮家や摂家その他の名家を保護すべき。
ってか保護する必要なんて全然ないけど。

51: 日本@名無史さん 03/06/15 22:02
かつて、朝鮮八道を500年間統治した名族だよ。李王家は。
それに日韓併合の時に日本が面倒見る約束したし。
摂家は臣下筋だから保護する必要なし。
一応、日本とは対等合併だったし。

52: 日本@名無史さん 03/06/15 22:17
>>51
マジレスすると、日韓基本条約で無効に。

77:   03/06/16 22:46
大韓帝国が日本によって亡国となってわずか8年後、金九、李承晩ら独立運動家たちは上海で亡命政権(大韓民国臨時政府)を樹立した。
この臨時政府自体が、李王家を否定していた。
李王家は日本に国を奪われ、日本の王公族の一員になることを強制された、悲劇の王族と言える。
わずか8年しか経っていないのに、それが自国の独立運動家にも蔑ろにされてしまった。
伝統を大事にしない韓民族の性か?

78: 日本@名無史さん 03/06/16 22:53
3・1運動の独立宣言文も李王家を無視してるしね。

102: 日本@名無史さん 03/06/20 23:13
>李王職長官殿

朝鮮の王公族や貴族だけでなく「満洲国の皇族,そしてその後」「近代台湾の鄭氏一族」などを絡めることも可として「大日本帝国における植民地諸国の王侯貴族スレ」にするとかはダメですかね。
満洲国は厳密には植民地ではありませんが日本が深く関わった国ということで。
人が来てるうちになんとかしないと前スレの二の舞い踏みますよ。

121: 李王職長官 03/06/22 17:54
>>102
もちろん良いですよ

122: 日本@名無史さん 03/06/22 19:03
>>121
では。
現在日本にいる清朝皇族にはどんなひとがいますか?
日本人と結婚した立命館かどこかの先生ぐらいしか知らない。

台湾では鄭成功の子孫が現在も先祖の祭祀をしていて、鄭氏宗親会なる親睦会を主宰しているそうですが、詳細を御存知のかたは情報を下さい。

台湾には孔子の末裔がいるそうですが、清朝崩壊後から現在までの足跡などは?

これらについて情報が出た後、その変遷と李王家を比較検討してみましょうか。
李王職長官さん、司会お願いします。

125: 李王職長官 03/06/22 20:08
>>122
>現在日本にいる清朝皇族にはどんなひとがいますか?
>日本人と結婚した立命館かどこかの先生ぐらいしか知らない。

芸公(愛親覚羅氏)の子孫ですか?
こういう本がありました
;最後の公爵 愛新覚羅恒煦―激動の中国百年を生きる 朝日選書
愛新覚羅 烏拉煕春 (Author), 吉本 道雅 (Translator)

126: 李王職長官 03/06/22 20:18

>現在日本にいる清朝皇族にはどんなひとがいますか?

あと嵯峨(正親町三条)家出身の愛新覚羅浩さんの令嬢がいたんじゃないかな、、、

161: 日本@名無史さん 03/07/05 23:25
凄い基本的なことを聞くんですが、朝鮮に貴族っていたんですか?
科挙を行っていたと思うんですが、ということはかなり昔に貴族は滅んでいたのではないのですか?

163: 日本@名無史さん 03/07/06 00:45
>>161
いました。日韓併合後は一部の者が「朝鮮貴族」というワクで日本でも貴族待遇されてました。華族制度と一緒に1947年廃止。

164: 日本@名無史さん 03/07/06 14:38
>>163
いわゆる両班というやつですか?彼らって基本的に官僚じゃないんですか?
血統を維持しようとしても、科挙の合格者を出せないと没落したんじゃ無いの?
それに中央集権国家なんだし、諸侯ではなく公卿みたいなものだったんですかね。
叙爵された貴族達の家柄の解説ってのが載ってるHPとか知りたいな。
ハングルは読めないから、日本語で・・・

168: 日本@名無史さん 03/07/10 21:11
>>161
科挙があっても受験に専念できるのは一部の特権階級であって、、、

218: 日本@名無史さん 03/11/21 21:29
明治帝は皇族、王公族の中で李王殿下を最もよく宮中に招いたらしい。

220: 日本@名無史さん 03/11/24 22:56
血のつながらない養子にかえって気を使うようなものでしょう。

222: 日本@名無史さん 03/11/30 00:49
「徳恵姫」という本を読んだ。
英親王も気の毒だが妹のほうが悲惨。
12歳で日本に連れてこられて日本での生活になじめず精神分裂病となる
宋伯爵に嫁いで一女をもうけるも離婚してのちに韓国へ帰国し、病気は治らぬまま他界。
夫の宗氏にとっても不幸な結婚であった。
しかも一人娘は成人後謎の失踪。自殺したものと思われる。


引用元: ・【悲劇の英親王李垠殿下と朝鮮貴族】