ふと作業の合間に頭をよぎった一種の人生のまとめ的教訓を披露しておきたいと思いました。(面白く学べ!!で、窮屈さを取り払って読んでいただければ幸いです。)
人は自然の中の存在であって、これから離れることはできません。食べ物・生理現象などから明らかです。他方生まれ育ったときから、親から、周囲から愛護されて成長します。学業に頑張ればよい生活が待っているからとか、そのような方向性も一時的には確かに大事でしょう。
しかし、果たして一生涯には別の何か個人としての励みになる言葉が必要でしょう。私が目指してきたことを内的な思いと対比し、しかも健康の維持と時々の仕事についてのトライの気持ちをまとめた何か励ましてくれる言葉を思いつきました。(今はそうかもしれませんが、そのうちに似た他の言葉に置き換わるかもしれません。)
その言葉は「自然に頼っても人に頼るな!」です。人間は一人では弱い存在とか言いますが、果たしてそうでしょうか。人として自分を運営しながら年を取ります。
他人にも依存しがちになります。そんな時に自然な自分は、本来自然で成り立っています。自然は時において過酷ですが、解決の道を今の情報社会では与えてくれます。
自然には一時的には偏りが起こりますが、長い間には平均化され偏りがなくなります。
ここで、自然の範囲ですが、人として生きる時に遭遇するすべての事象としておきます。人とは知的な何かを持った人々です。
個人において言葉の意味合いは多少は違うと存じます。
人は制度や法令を決めて為政者に都合のよい社会形態が出来上がります。これは為政者が国民・住民に頼ってきている結果となります。
人の弱い面が出てきている結果にすぎません。市場経済・生きた経済社会では自然の概念が強く働きます。個人も協力はしても人に頼ってはおれない面も多々あって、イノベーションが進みます。
農業・水産業の現状からも人に頼ると誤った殺菌文化(浄化槽の放流水の塩素殺菌)がはびこって、自然の営みを忘れてしまった方向が見えます。熊本のアサリ事件が象徴しています。東南アジアからの輸入のアサリを国産と偽って10倍以上を販売したことです。
取り締まる方の理論は正論でも、漁獲高がない現実の方が死活問題で大事で、抜本的な対策が図られたか疑問です。行政側の理解が欠如している事例です。このようなことが多い現実を関係省庁はどう思っているのでしょう。現実と乖離した理論がまかり通る日本ですからね??。
日本は国土は海を含めて世界で第7位?で海洋の占める面積割合は1から3位ぐらいで、そのうちで海洋面積は1位ではないでしょうか。
それほど海の食料資源は恵まれているはずです。しかし、多くの魚介類は輸入しています。沿岸部には魚群の群れが寄り付きにくい環境さえ出来上がっているとしか思えません。
食料安全保障などの法律によって財政出動が主に農業関係に支出されている。漁業関係には港湾整備には使われるようですが
食料安全保障なる観点からでは漁業関係ではなおざりになっている。沿岸部の漁獲高が減る現象に無頓着である。原因究明の論理をどこかがふさいでいるようでさえ思える。
端的に浄化槽からの放流を浄化槽法第3条に「消毒すること」の論理で猛毒の塩素を川・海にまき散らしている。浄化槽からの放流水には細菌群はいても毒は含まず、川・海の自然の営みには欠かせない栄養・細菌群を含んでいる。
最初のボタンの掛け違いが、様々な環境破壊を生んでいる。
基本に立ち返って、見直すことが命題と思います。
消毒の理屈がかみ合っていない。運用が間違っている。細菌群を殺せば、当然に分解・再生の自然のメカニズムは破壊される。
ちょっと思考すれば猛毒の塩素の垂れ流しはやめるのが正解です。先進国のように!!。
なんともおかしな人間の一部のエゴが働いているとしか解釈できない現状です。
むしろ善玉菌(日和見菌を含む)は人類や生物にとって友達です。薬剤に対しても、善玉菌群は還元・無害化する力を持ちます。細菌群は有機物の分解は当たり前の仕事?となっているようです。皮膚の保護力をも持つ善玉菌群もおります。生命維持には友達的存在です。
殺菌文化の進んでいない東南アジアは豊かな自然に恵まれています。日本は湾内・沿岸部の自然は生物の住みにくい環境となっている。
この方面は環境省関連の英断があれば徐々に解決すると思われます。
このことは、今までのブログを読んでいただければご判断してもらえそうです。
今の日本は行政関連から社会主義的になってきている現状からして、「自然に頼っても、人に頼るな」の言葉を送ります。金銭的には行政さんが最も人に頼っている職種になろうかと思われます。
協定・癒着とイノベーッションは根本的に違います。民主主義の社会を望むものとして、民意に期待しても、政府に期待できない現状があります。
嘆かわし現状から「自然に頼っても、人に頼るな」は地球に宿った人間族に民主主義の基本的なスピチュアルな気の持ち様を示唆してくれているように思います。
一つの思いです。どう思われますでしょうか??。
ついでに、少子化傾向の原因とはと問われれば、住みにくい高額な税制(種類は20種類以上)にあると思います。
税の種類が多すぎてトーラルでは50%に近くなっている。(自然を含めて循環社会に抵抗・コレステロールが付きすぎている。)
先進国では6種類くらいで、固定資産税をとっても欧州は日本の実質税は約1/2で、税率は0.5%くらい。日本は1.4%です。
自動車関連の税もアメリカの20~30倍、欧州の5~10倍で利権がいかに進んでいるかが分かります。
免許証の更新の短さ(先進国では5年・10年、更新期間が短いと事故率が少ないは誤りで、何ら変わらないとの統計ー集金利権)
トヨタ自動車が税を考慮すれば本社をアメリカかタイに移したいと発表するのもうなずけます。
生活関連の固定費に絡む必要な支出も高くなっている。ガス・水道・電気・浄化槽費・/固定資産税・住民税・医療税・介護保険税など行政の絡む費用は方法のイノベーションで引き下げの余地はあると思います。良い意味での競争が働かない分野は一方的に決められているし、改善が進まない理屈が存在します。
分野ごとに市場経済の理屈が入れないだろうかとも思います。
行政改革と言いながら一向に進まない政党政治があります。宗教的な行政と感じずにはおられません。
将来的な展望や幸福感が持てない社会主義化に若者が次世代の豊かさ・安心を見れないのが、かなり影響している。
農業分野でおもしろい例として、農業と太陽光発電所をかみ合わせた畑作の再生例(千葉県)を視聴して、採算が合わないから食料安全保障的農業が衰退するが、売電収入が最低限あれば(基礎的少額の生活が可能)、安心して農業生産に取り組めるとのことです。(営農法人には補助金が出ているが、他の農地の多くを占める農家には補助金はない。食料安保法は憲法14条の平等の原則ではない現状。)
これから、生活者の安心があれば仕事への取組みが集中できるし、採算が合わないことで廃れる分野にも取り組みが増してくる好例です。
デンマークのようにベイシックインカム制度は安心して子育てと仕事への柔軟性と取り組みが生まれる制度であるし、日本人の勤勉さがある国民性に向いていると思います。
市民・住民中心(生活が実感できる人々が中心)の制度改革が望まれます。
人は自然の中の存在であって、これから離れることはできません。食べ物・生理現象などから明らかです。他方生まれ育ったときから、親から、周囲から愛護されて成長します。学業に頑張ればよい生活が待っているからとか、そのような方向性も一時的には確かに大事でしょう。
しかし、果たして一生涯には別の何か個人としての励みになる言葉が必要でしょう。私が目指してきたことを内的な思いと対比し、しかも健康の維持と時々の仕事についてのトライの気持ちをまとめた何か励ましてくれる言葉を思いつきました。(今はそうかもしれませんが、そのうちに似た他の言葉に置き換わるかもしれません。)
その言葉は「自然に頼っても人に頼るな!」です。人間は一人では弱い存在とか言いますが、果たしてそうでしょうか。人として自分を運営しながら年を取ります。
他人にも依存しがちになります。そんな時に自然な自分は、本来自然で成り立っています。自然は時において過酷ですが、解決の道を今の情報社会では与えてくれます。
自然には一時的には偏りが起こりますが、長い間には平均化され偏りがなくなります。
ここで、自然の範囲ですが、人として生きる時に遭遇するすべての事象としておきます。人とは知的な何かを持った人々です。
個人において言葉の意味合いは多少は違うと存じます。
人は制度や法令を決めて為政者に都合のよい社会形態が出来上がります。これは為政者が国民・住民に頼ってきている結果となります。
人の弱い面が出てきている結果にすぎません。市場経済・生きた経済社会では自然の概念が強く働きます。個人も協力はしても人に頼ってはおれない面も多々あって、イノベーションが進みます。
農業・水産業の現状からも人に頼ると誤った殺菌文化(浄化槽の放流水の塩素殺菌)がはびこって、自然の営みを忘れてしまった方向が見えます。熊本のアサリ事件が象徴しています。東南アジアからの輸入のアサリを国産と偽って10倍以上を販売したことです。
取り締まる方の理論は正論でも、漁獲高がない現実の方が死活問題で大事で、抜本的な対策が図られたか疑問です。行政側の理解が欠如している事例です。このようなことが多い現実を関係省庁はどう思っているのでしょう。現実と乖離した理論がまかり通る日本ですからね??。
日本は国土は海を含めて世界で第7位?で海洋の占める面積割合は1から3位ぐらいで、そのうちで海洋面積は1位ではないでしょうか。
それほど海の食料資源は恵まれているはずです。しかし、多くの魚介類は輸入しています。沿岸部には魚群の群れが寄り付きにくい環境さえ出来上がっているとしか思えません。
食料安全保障などの法律によって財政出動が主に農業関係に支出されている。漁業関係には港湾整備には使われるようですが
食料安全保障なる観点からでは漁業関係ではなおざりになっている。沿岸部の漁獲高が減る現象に無頓着である。原因究明の論理をどこかがふさいでいるようでさえ思える。
端的に浄化槽からの放流を浄化槽法第3条に「消毒すること」の論理で猛毒の塩素を川・海にまき散らしている。浄化槽からの放流水には細菌群はいても毒は含まず、川・海の自然の営みには欠かせない栄養・細菌群を含んでいる。
最初のボタンの掛け違いが、様々な環境破壊を生んでいる。
基本に立ち返って、見直すことが命題と思います。
消毒の理屈がかみ合っていない。運用が間違っている。細菌群を殺せば、当然に分解・再生の自然のメカニズムは破壊される。
ちょっと思考すれば猛毒の塩素の垂れ流しはやめるのが正解です。先進国のように!!。
なんともおかしな人間の一部のエゴが働いているとしか解釈できない現状です。
むしろ善玉菌(日和見菌を含む)は人類や生物にとって友達です。薬剤に対しても、善玉菌群は還元・無害化する力を持ちます。細菌群は有機物の分解は当たり前の仕事?となっているようです。皮膚の保護力をも持つ善玉菌群もおります。生命維持には友達的存在です。
殺菌文化の進んでいない東南アジアは豊かな自然に恵まれています。日本は湾内・沿岸部の自然は生物の住みにくい環境となっている。
この方面は環境省関連の英断があれば徐々に解決すると思われます。
このことは、今までのブログを読んでいただければご判断してもらえそうです。
今の日本は行政関連から社会主義的になってきている現状からして、「自然に頼っても、人に頼るな」の言葉を送ります。金銭的には行政さんが最も人に頼っている職種になろうかと思われます。
協定・癒着とイノベーッションは根本的に違います。民主主義の社会を望むものとして、民意に期待しても、政府に期待できない現状があります。
嘆かわし現状から「自然に頼っても、人に頼るな」は地球に宿った人間族に民主主義の基本的なスピチュアルな気の持ち様を示唆してくれているように思います。
一つの思いです。どう思われますでしょうか??。
ついでに、少子化傾向の原因とはと問われれば、住みにくい高額な税制(種類は20種類以上)にあると思います。
税の種類が多すぎてトーラルでは50%に近くなっている。(自然を含めて循環社会に抵抗・コレステロールが付きすぎている。)
先進国では6種類くらいで、固定資産税をとっても欧州は日本の実質税は約1/2で、税率は0.5%くらい。日本は1.4%です。
自動車関連の税もアメリカの20~30倍、欧州の5~10倍で利権がいかに進んでいるかが分かります。
免許証の更新の短さ(先進国では5年・10年、更新期間が短いと事故率が少ないは誤りで、何ら変わらないとの統計ー集金利権)
トヨタ自動車が税を考慮すれば本社をアメリカかタイに移したいと発表するのもうなずけます。
生活関連の固定費に絡む必要な支出も高くなっている。ガス・水道・電気・浄化槽費・/固定資産税・住民税・医療税・介護保険税など行政の絡む費用は方法のイノベーションで引き下げの余地はあると思います。良い意味での競争が働かない分野は一方的に決められているし、改善が進まない理屈が存在します。
分野ごとに市場経済の理屈が入れないだろうかとも思います。
行政改革と言いながら一向に進まない政党政治があります。宗教的な行政と感じずにはおられません。
将来的な展望や幸福感が持てない社会主義化に若者が次世代の豊かさ・安心を見れないのが、かなり影響している。
農業分野でおもしろい例として、農業と太陽光発電所をかみ合わせた畑作の再生例(千葉県)を視聴して、採算が合わないから食料安全保障的農業が衰退するが、売電収入が最低限あれば(基礎的少額の生活が可能)、安心して農業生産に取り組めるとのことです。(営農法人には補助金が出ているが、他の農地の多くを占める農家には補助金はない。食料安保法は憲法14条の平等の原則ではない現状。)
これから、生活者の安心があれば仕事への取組みが集中できるし、採算が合わないことで廃れる分野にも取り組みが増してくる好例です。
デンマークのようにベイシックインカム制度は安心して子育てと仕事への柔軟性と取り組みが生まれる制度であるし、日本人の勤勉さがある国民性に向いていると思います。
市民・住民中心(生活が実感できる人々が中心)の制度改革が望まれます。