★前置き

亡くなった人の「魂」は見えない。「あの世」や「死後の世界」も見えない。だから、そんなものは存在しない。そう考えるのが常識というものだろう。

臨死体験の事例を見ても、単なる脳内現象だと思われるケースもあるし、脳内現象なのか、実際に「魂」が体験した現実なのか、判別できないケースが大半だ。

だが、肉体とは別に「魂」というものがある…と考えなければ納得できないケースもある。とりわけマリアの臨死体験事例アラン・サリバンの臨死体験事例などは、単なる脳内現象だと言い切ってしまうわけにはいかない。

こういう事例を見ていると、やはり肉体とは別の何か、「魂」と呼ぶしかないモノがあるのではないか、「あの世」や「死後の世界」はあるのではないかと感じてしまう。

事実、この世界には、見えなくても「ある」ものがたくさん存在する。「あるはずだ」と考えられるのに、それが見えない。理論上はあるはずなのに、実験や観測では発見できない。だが、何十年、何百年もかけて探索していると、突然それが見えてしまうということがあるのだ。

だとすれば、「魂」だって、「死後の世界」だって、今から何十年、何百年も経つと見えるようになる…ということだってあるのかもしれない。

・・・

前述したとおり「超弦理論」では、「弦(ひも)」が「普通の数字」で示される「座標」の方向に振動すると、「ボース粒子」になる。逆に「グラスマン数(Ψ)」で示される「座標」の方向に振動すれば、「フェルミ粒子」が現れる

だとすれば、「超空間」に「超対称性」があった場合、「フェルミ粒子」と「ボース粒子」の間にも「対称性」がある…ということになる。

このため「超対称性」が導入されたばかりの頃、「標準模型」の中の「フェルミ粒子」と「ボース粒子」との間に「超対称性」があるに違いないと…物理学者たちは考えた。

しかし…
そうは問屋が卸さなかったのだ。

★ 標準模型のイメージ
標準模型の図③

上の図に沿って説明すると、ピンク色のスペースにある「クォーク」や「レプトン」と、水色のスペースにある「グルーオン」、「光子(フォトン)」、「Wボソン」や「Zボソン」との間に「超対称性」があるのではないか…と検討されたのだ。

だが結局は、「標準模型」に含まれる「フェルミ粒子」と「ボース粒子」との間に「超対称性」は無いことが確認された。

だとすると、「超対称性」を前提にすれば、「標準模型」の「フェルミ粒子」には、まだ未発見の「ボース粒子」という「超対称性粒子」がパートナーとして存在することになる。また、「標準模型」の「ボース粒子」には、まだ検出されていない「フェルミ粒子」という「超対称性粒子」が、やはりパートナーとして存在するはずだ。

すなわち、「超対称性」があると確認されたとき、「標準模型」が大幅に修正される必要があるということだ。

だが、「欧州原子核研究機構(CERN)」の「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」による実験では、今のところパートナー粒子の存在は確認されていない。

ヒッグス粒子を発見した後、LHCは2013年から運転を停止、改良工事が行われてきた。その後、2015年から運転を再開しているが、改良によって従来の2倍近いエネルギーを実現できるようになったにも関わらず、「超対称性粒子」は見つかっていない。数学的には確かに存在すると思われるのに、さまざまな実験の結果は「標準模型」の正しさを証明するのみであり、現在のところ、「超対称性粒子」はひとつも発見できていないのだ。

やはり「超対称性粒子」は実在しないのだろうか。もしそうだとすれば、「超空間」も存在しないということになり、何故われわれの肉体を形づくっている「フェルミ粒子」が現れるのかを「超弦理論」から導くこともできなくなってしまう。

そうなれば、すべてがフリダシに戻ってしまうだろう。「量子力学」とアインシュタインの「一般相対性理論」を統一するための努力のすべてが水泡に帰してしまうのだ。

しかし、「超対称性」は「『標準模型』を超える素粒子理論」の候補として、最も有力視されているのも事実である。LHCだけではなく、近い将来「国際リニアコライダー(ILC)」も稼働する予定であり、それらによって「超対称性粒子」が発見されるかもしれない。

もしも発見されたなら、この世界がわれわれの認識している3次元の「普通の空間」ではなく、「超空間」であることが示される。言い換えれば、「普通の数字」だけでなく、「グラスマン数(Ψ)」をも座標に使う「余剰次元」が存在する証になるだろう。

その「余剰次元」が「あの世」である証拠はない。しかし、「あの世」ではないという証拠もない。われわれの棲んでいる空間が、人間の認識できる「普通の空間」だけではなく、「余剰次元」をも含んだ世界なのだとすれば、「あの世」は「見えなくても『ある』もの」であり、どこか遠くにあるモノではなく、意外と近くにあるかもしれないのだ。

(おしまい)

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