水晶の涙194
「あれは私が持つべきものだ」
キャンドルの灯りの中、モーヴェルトは呟いた。
彼らと話していて不意に目に入ってきたそれを見た時、モーヴェルトは自分の目を疑った。ほんの一瞬過ぎて幻を見たのかとも思った。
何という……想像を絶するような水晶。
自分の立場上、今までも相当価値ある水晶をモーヴェルトは何度も目にしてきている。限りなく純粋で限りなく大きな水晶だって目にしたし、それは今、モーヴェルトの手元にある。
だがあの水晶に比べると何と見劣りすることか。それほどまでに、あの水晶は素晴らしいものだった。何故あの少年がそんなものを持っているのか理解できないが、経緯など些末なことだ。どうでもよかった。あれは間違いなく価値あるものだ。というか、価値など計り知れない相当なものだった。
「……あれは私が持つべきものだ」
モーヴェルトはまた呟く。
モーヴェルトは生まれた時から恵まれた環境だったのではない。自ら這い上がってきた。出身は貧民街だ。魔物によって家や親をなくした者たちの集まりだった。底辺がどんなものなのかは身をもって知っている。
この世界へ入ったのは、元々自分が生きるためではなかった。恵まれない環境がどんなものか嫌と言うほど知っているがため、そういった者への救済にすべて捧げるつもりで聖職者を目指した。下働きしながら何とか苦労して教会へ入り、猛勉強した。
人は誰しも、やればできる。誰しもに備わった能力だとモーヴェルトは思っている。絶対何でもできるわけではないが、努力しないで成し遂げられるものなどない。這いつくばってでも努力すれば、日は昇るのだと知れる。
結果、モーヴェルトもどんどん地位を上げていった。そうなるといつの間にか見失うものも出てきた。自分でも何を見失いつつあるか、どこかで自覚はあった。だが、高い地位を築けば築くほど、下はどんどん見えなくなっていく。
そして欲というものは、人間に欠かすことのできないものだ。これがあるからこそ、人間は向上心や探求心を持ち、日々を楽しもうとさらに勤しむ。
欲を持って何が悪い? そもそもモーティナは禁欲など勧めていない。人間の本質を否定しないのがモーティナという神だ。
もちろん、ただ欲だけを求めるわけではない。日々勤しんでいるからこその欲望だ。
モーヴェルトはだからこそ、何かを見失いつつも、まともに働きもせず食べ物や金を乞うだけの貧民が次第に許せなくなった。
私も貧民だったが、ここまで出世した。だというのに一体どういうわけでただ求めるだけなのだ?
聖職者であるからこそ、人間の本質を理解しているのだとモーヴェルトは思っている。自分の考えは間違っていない。とはいえ教皇だからこそ、自分の考えや欲を軽率に表に出していいわけでもない。
もちろん、聖職者としての神への信仰は嘘でない。それこそ欠かせないものだ。しかもモーヴェルトは今や新教会派の教皇だ。最高責任者として、誰よりも神を崇めているつもりだ。そこはゆるぎない。
だからこそ、あの素晴らしい水晶はモーヴェルトが持つべきものだとしか思えなかった。あんなモーティル教信者であるかさえ定かではない、ぼんやりした子どもが持っていいものではない。
その水晶はすぐに奪えるとモーヴェルトは考えた。どう見てもぼんやりした子どもだ。他の者も水晶を持っている子ほどではないかもしれないが、少なくとも戦い慣れた者には見えない。
こちらには戦争経験者や隠密行動に慣れた者と、様々な者が部下にいる。あまり目的を知る者は増やしたくないものの「新教会派にとって重要な水晶が何故かあの子どもの手にある。とはいえそんな重要なものが持ち出されたとか流通してしまったなどと明かしてはならないことだ。秘密裏に動かねばならない」など適当にごまかせばどうとでもなる。
少なくとも数日もしない内にあの水晶はモーヴェルトの手に入ると思っていた。
「また失敗しただと?」
「申し訳ありません」
「子どもだぞ。それも、あんなぼんやりした者なのだぞ。そっと入れ替えるくらい、居眠りしてでもできるのではないのか!」
「私もそうだと思いました。ですが部下たちがこぞって失敗するので私自身が出向いたのですが……」
どうしても隙が発生しないと言う。確かにぼんやりしてそうで簡単に差し替えられると思われたが、例えばちょうどその子どもが楽器から少し離れたためそっと手をつけようとしても、その瞬間に楽器はその子どもが引き寄せている。かといってこちらに気づいた様子ではないと思われ、計画を続行しても毎回同じような結果になる。
「……もしかして気づかれているのかもしれません」
「そんな馬鹿な。……お前たちが無能というだけではないのか」
「モーヴェルト様もご存知ではありませんか。私を筆頭に、どれだけ高い能力を持っているか」
「だがこうして失敗続きではないか。あんな子どもに!」
「ですが……」
「……次こそ必ず成功しなさい。次に失敗したら……」
「……」
「わかっているね」
「……何が何でも」
部下が立ち去るとモーヴェルトは忌々しい気持ちを隠そうともせず、舌打ちした。
とりあえずクレブスを持ってきた彼らはここに留まるよう引き延ばしてはいる。だが水晶だけでなく、クレブスもいまだモーヴェルトの手に入っていない。
「全く……忌々しい」
モーヴェルトはまた舌打ちした。
無欲の勝利という言葉がありますが、欲は人間にとって必要悪だと思います。ただ、目的や方法を間違えてはいけないものではありますね。
キャンドルの灯りの中、モーヴェルトは呟いた。
彼らと話していて不意に目に入ってきたそれを見た時、モーヴェルトは自分の目を疑った。ほんの一瞬過ぎて幻を見たのかとも思った。
何という……想像を絶するような水晶。
自分の立場上、今までも相当価値ある水晶をモーヴェルトは何度も目にしてきている。限りなく純粋で限りなく大きな水晶だって目にしたし、それは今、モーヴェルトの手元にある。
だがあの水晶に比べると何と見劣りすることか。それほどまでに、あの水晶は素晴らしいものだった。何故あの少年がそんなものを持っているのか理解できないが、経緯など些末なことだ。どうでもよかった。あれは間違いなく価値あるものだ。というか、価値など計り知れない相当なものだった。
「……あれは私が持つべきものだ」
モーヴェルトはまた呟く。
モーヴェルトは生まれた時から恵まれた環境だったのではない。自ら這い上がってきた。出身は貧民街だ。魔物によって家や親をなくした者たちの集まりだった。底辺がどんなものなのかは身をもって知っている。
この世界へ入ったのは、元々自分が生きるためではなかった。恵まれない環境がどんなものか嫌と言うほど知っているがため、そういった者への救済にすべて捧げるつもりで聖職者を目指した。下働きしながら何とか苦労して教会へ入り、猛勉強した。
人は誰しも、やればできる。誰しもに備わった能力だとモーヴェルトは思っている。絶対何でもできるわけではないが、努力しないで成し遂げられるものなどない。這いつくばってでも努力すれば、日は昇るのだと知れる。
結果、モーヴェルトもどんどん地位を上げていった。そうなるといつの間にか見失うものも出てきた。自分でも何を見失いつつあるか、どこかで自覚はあった。だが、高い地位を築けば築くほど、下はどんどん見えなくなっていく。
そして欲というものは、人間に欠かすことのできないものだ。これがあるからこそ、人間は向上心や探求心を持ち、日々を楽しもうとさらに勤しむ。
欲を持って何が悪い? そもそもモーティナは禁欲など勧めていない。人間の本質を否定しないのがモーティナという神だ。
もちろん、ただ欲だけを求めるわけではない。日々勤しんでいるからこその欲望だ。
モーヴェルトはだからこそ、何かを見失いつつも、まともに働きもせず食べ物や金を乞うだけの貧民が次第に許せなくなった。
私も貧民だったが、ここまで出世した。だというのに一体どういうわけでただ求めるだけなのだ?
聖職者であるからこそ、人間の本質を理解しているのだとモーヴェルトは思っている。自分の考えは間違っていない。とはいえ教皇だからこそ、自分の考えや欲を軽率に表に出していいわけでもない。
もちろん、聖職者としての神への信仰は嘘でない。それこそ欠かせないものだ。しかもモーヴェルトは今や新教会派の教皇だ。最高責任者として、誰よりも神を崇めているつもりだ。そこはゆるぎない。
だからこそ、あの素晴らしい水晶はモーヴェルトが持つべきものだとしか思えなかった。あんなモーティル教信者であるかさえ定かではない、ぼんやりした子どもが持っていいものではない。
その水晶はすぐに奪えるとモーヴェルトは考えた。どう見てもぼんやりした子どもだ。他の者も水晶を持っている子ほどではないかもしれないが、少なくとも戦い慣れた者には見えない。
こちらには戦争経験者や隠密行動に慣れた者と、様々な者が部下にいる。あまり目的を知る者は増やしたくないものの「新教会派にとって重要な水晶が何故かあの子どもの手にある。とはいえそんな重要なものが持ち出されたとか流通してしまったなどと明かしてはならないことだ。秘密裏に動かねばならない」など適当にごまかせばどうとでもなる。
少なくとも数日もしない内にあの水晶はモーヴェルトの手に入ると思っていた。
「また失敗しただと?」
「申し訳ありません」
「子どもだぞ。それも、あんなぼんやりした者なのだぞ。そっと入れ替えるくらい、居眠りしてでもできるのではないのか!」
「私もそうだと思いました。ですが部下たちがこぞって失敗するので私自身が出向いたのですが……」
どうしても隙が発生しないと言う。確かにぼんやりしてそうで簡単に差し替えられると思われたが、例えばちょうどその子どもが楽器から少し離れたためそっと手をつけようとしても、その瞬間に楽器はその子どもが引き寄せている。かといってこちらに気づいた様子ではないと思われ、計画を続行しても毎回同じような結果になる。
「……もしかして気づかれているのかもしれません」
「そんな馬鹿な。……お前たちが無能というだけではないのか」
「モーヴェルト様もご存知ではありませんか。私を筆頭に、どれだけ高い能力を持っているか」
「だがこうして失敗続きではないか。あんな子どもに!」
「ですが……」
「……次こそ必ず成功しなさい。次に失敗したら……」
「……」
「わかっているね」
「……何が何でも」
部下が立ち去るとモーヴェルトは忌々しい気持ちを隠そうともせず、舌打ちした。
とりあえずクレブスを持ってきた彼らはここに留まるよう引き延ばしてはいる。だが水晶だけでなく、クレブスもいまだモーヴェルトの手に入っていない。
「全く……忌々しい」
モーヴェルトはまた舌打ちした。
無欲の勝利という言葉がありますが、欲は人間にとって必要悪だと思います。ただ、目的や方法を間違えてはいけないものではありますね。
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