2006.07.31 Monday
ニートを考える4 未来の種
ふとした大人の一言で、若者は俄然やる気を出し、大人へ向かって進みだすという事が時としてある。多分にそれは勘違いだったりもするが、それはそれで良い結果だから構わないと思う。
私が今、何故設計屋などになっているかと言われれば、私にも大いなる勘違いが沢山あった。
私の出た学校は、高度成長期を背景に専門知識を身につけた即戦力を一貫教育の中から少しでも早く社会へ供給するという命題でできた学校だから、当時同窓の大半の就職先は大手ゼネコンだった。要するに施工管理の部門の技術者に成るべく社会へ出るのである。私もその例外ではなかった。卒業が近まり、卒業設計の課題に邁進している時だった。当時最大手のゼネコンの設計部から非常勤で来られていた講師の方に、こう訊かれた。「君は、何処に就職するつもり?」少し長髪に黒いハイネックのセーター、さりげなく質の良いヘリンボーンのジャケットなどを羽織っておられて、その筋の人の匂いがあった講師にそう訊かれたものだから、緊張気味に「今のところ、ゼネコンの現場だと思います」と要領を得ずに答えると、「そうかぁ、惜しいなぁ。設計やればいいのに」と思いもかけない言葉が返ってきて二の句が付けなかった。きっとそれ以上の会話はなかったし、想像力の無い私にはその理由を聞き返す才も持ち合わせていなかったと思う。隣の仲間に視線で少しだけ冷やかされるくらいの事で、そのシーンの記憶は終わっている。最終的に、就職した会社での面接の際に、面接官であった当時の常務に「ところで君はうちにきたら、何がしたい?」と問われて、思わず口にしたのが、「設計」だった。自分でも意外だった。新幹線で京都に行き、今の今まで現場だなと思っていた自分から、そんな言葉が出たのに当惑する程だった。「そうかぁ、設計やりたいか。わかった、じゃあ、まず設計部やな。」二つ返事の常務の笑顔が、その後の私の設計や人生を決めた。いや、もしかすると、あの講師の一件が伏線と言っても良いかも知れない。
きっと、気紛れに、何の気なしに口にしてくれた言葉。「そうかぁ、惜しいなぁ。設計やればいいのに」それは間違いなく、私の将来性や才能を見極めてくれた言葉ではない。今の私だからわかるけれど、少しばかり親切なリップサービスだったかも知れない。しかし、若者はそれをエネルギーにする。きっかけは、何でも良い。おかげさまにそれ以来24年、私は図面を描き、建物を建築する事を生業として生かさせてもらっている。何とも有り難い事である。
だから、今の迷える若者達にも、出来るだけそう言う種は植え付けてあげたいと思う。学生たちにはそう心がけてきた。偶然の賜物かも知れないが、色使いが旨い作品は色を褒め、カーブの良い作品はその曲線美を語る。そして、三つくらい褒めて、決定的な欠点をひとつだけ改善させる。それくらいがちょうどいい。社会は厳しい。そんな事では通用しない事は百も承知である。しかしその厳しい社会で自助努力を怠らないパワーは、自分を評価出来る自分を育てる事ではないだろうか。大いに才能を褒められて、別のシーンで今度は決定的に潰される。そのバランスの良い気紛れな社会が、ひとを育てるのだと思う。考えれば、親の庇護の元に、もうくちばしの色もしっかり大人になっているというのに、なかなかテリトリーを広げきれずにそういう場所に自分をさらす事の出来ない若者が多い。近頃は以前にも増して、大人の方が少しだけ、背中を押したり、手を引いたり、そうしてあげる事が必要なのだと思う。絶妙な距離感をキープする、大人でありたいと思うのである。
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私が今、何故設計屋などになっているかと言われれば、私にも大いなる勘違いが沢山あった。
私の出た学校は、高度成長期を背景に専門知識を身につけた即戦力を一貫教育の中から少しでも早く社会へ供給するという命題でできた学校だから、当時同窓の大半の就職先は大手ゼネコンだった。要するに施工管理の部門の技術者に成るべく社会へ出るのである。私もその例外ではなかった。卒業が近まり、卒業設計の課題に邁進している時だった。当時最大手のゼネコンの設計部から非常勤で来られていた講師の方に、こう訊かれた。「君は、何処に就職するつもり?」少し長髪に黒いハイネックのセーター、さりげなく質の良いヘリンボーンのジャケットなどを羽織っておられて、その筋の人の匂いがあった講師にそう訊かれたものだから、緊張気味に「今のところ、ゼネコンの現場だと思います」と要領を得ずに答えると、「そうかぁ、惜しいなぁ。設計やればいいのに」と思いもかけない言葉が返ってきて二の句が付けなかった。きっとそれ以上の会話はなかったし、想像力の無い私にはその理由を聞き返す才も持ち合わせていなかったと思う。隣の仲間に視線で少しだけ冷やかされるくらいの事で、そのシーンの記憶は終わっている。最終的に、就職した会社での面接の際に、面接官であった当時の常務に「ところで君はうちにきたら、何がしたい?」と問われて、思わず口にしたのが、「設計」だった。自分でも意外だった。新幹線で京都に行き、今の今まで現場だなと思っていた自分から、そんな言葉が出たのに当惑する程だった。「そうかぁ、設計やりたいか。わかった、じゃあ、まず設計部やな。」二つ返事の常務の笑顔が、その後の私の設計や人生を決めた。いや、もしかすると、あの講師の一件が伏線と言っても良いかも知れない。
きっと、気紛れに、何の気なしに口にしてくれた言葉。「そうかぁ、惜しいなぁ。設計やればいいのに」それは間違いなく、私の将来性や才能を見極めてくれた言葉ではない。今の私だからわかるけれど、少しばかり親切なリップサービスだったかも知れない。しかし、若者はそれをエネルギーにする。きっかけは、何でも良い。おかげさまにそれ以来24年、私は図面を描き、建物を建築する事を生業として生かさせてもらっている。何とも有り難い事である。
だから、今の迷える若者達にも、出来るだけそう言う種は植え付けてあげたいと思う。学生たちにはそう心がけてきた。偶然の賜物かも知れないが、色使いが旨い作品は色を褒め、カーブの良い作品はその曲線美を語る。そして、三つくらい褒めて、決定的な欠点をひとつだけ改善させる。それくらいがちょうどいい。社会は厳しい。そんな事では通用しない事は百も承知である。しかしその厳しい社会で自助努力を怠らないパワーは、自分を評価出来る自分を育てる事ではないだろうか。大いに才能を褒められて、別のシーンで今度は決定的に潰される。そのバランスの良い気紛れな社会が、ひとを育てるのだと思う。考えれば、親の庇護の元に、もうくちばしの色もしっかり大人になっているというのに、なかなかテリトリーを広げきれずにそういう場所に自分をさらす事の出来ない若者が多い。近頃は以前にも増して、大人の方が少しだけ、背中を押したり、手を引いたり、そうしてあげる事が必要なのだと思う。絶妙な距離感をキープする、大人でありたいと思うのである。
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