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ニートを考える4 未来の種
 ふとした大人の一言で、若者は俄然やる気を出し、大人へ向かって進みだすという事が時としてある。多分にそれは勘違いだったりもするが、それはそれで良い結果だから構わないと思う。
 私が今、何故設計屋などになっているかと言われれば、私にも大いなる勘違いが沢山あった。
 私の出た学校は、高度成長期を背景に専門知識を身につけた即戦力を一貫教育の中から少しでも早く社会へ供給するという命題でできた学校だから、当時同窓の大半の就職先は大手ゼネコンだった。要するに施工管理の部門の技術者に成るべく社会へ出るのである。私もその例外ではなかった。卒業が近まり、卒業設計の課題に邁進している時だった。当時最大手のゼネコンの設計部から非常勤で来られていた講師の方に、こう訊かれた。「君は、何処に就職するつもり?」少し長髪に黒いハイネックのセーター、さりげなく質の良いヘリンボーンのジャケットなどを羽織っておられて、その筋の人の匂いがあった講師にそう訊かれたものだから、緊張気味に「今のところ、ゼネコンの現場だと思います」と要領を得ずに答えると、「そうかぁ、惜しいなぁ。設計やればいいのに」と思いもかけない言葉が返ってきて二の句が付けなかった。きっとそれ以上の会話はなかったし、想像力の無い私にはその理由を聞き返す才も持ち合わせていなかったと思う。隣の仲間に視線で少しだけ冷やかされるくらいの事で、そのシーンの記憶は終わっている。最終的に、就職した会社での面接の際に、面接官であった当時の常務に「ところで君はうちにきたら、何がしたい?」と問われて、思わず口にしたのが、「設計」だった。自分でも意外だった。新幹線で京都に行き、今の今まで現場だなと思っていた自分から、そんな言葉が出たのに当惑する程だった。「そうかぁ、設計やりたいか。わかった、じゃあ、まず設計部やな。」二つ返事の常務の笑顔が、その後の私の設計や人生を決めた。いや、もしかすると、あの講師の一件が伏線と言っても良いかも知れない。
 きっと、気紛れに、何の気なしに口にしてくれた言葉。「そうかぁ、惜しいなぁ。設計やればいいのに」それは間違いなく、私の将来性や才能を見極めてくれた言葉ではない。今の私だからわかるけれど、少しばかり親切なリップサービスだったかも知れない。しかし、若者はそれをエネルギーにする。きっかけは、何でも良い。おかげさまにそれ以来24年、私は図面を描き、建物を建築する事を生業として生かさせてもらっている。何とも有り難い事である。
 だから、今の迷える若者達にも、出来るだけそう言う種は植え付けてあげたいと思う。学生たちにはそう心がけてきた。偶然の賜物かも知れないが、色使いが旨い作品は色を褒め、カーブの良い作品はその曲線美を語る。そして、三つくらい褒めて、決定的な欠点をひとつだけ改善させる。それくらいがちょうどいい。社会は厳しい。そんな事では通用しない事は百も承知である。しかしその厳しい社会で自助努力を怠らないパワーは、自分を評価出来る自分を育てる事ではないだろうか。大いに才能を褒められて、別のシーンで今度は決定的に潰される。そのバランスの良い気紛れな社会が、ひとを育てるのだと思う。考えれば、親の庇護の元に、もうくちばしの色もしっかり大人になっているというのに、なかなかテリトリーを広げきれずにそういう場所に自分をさらす事の出来ない若者が多い。近頃は以前にも増して、大人の方が少しだけ、背中を押したり、手を引いたり、そうしてあげる事が必要なのだと思う。絶妙な距離感をキープする、大人でありたいと思うのである。

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| 若者・教育 | 09:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
サマージャンボ宝くじ!!
 サマージャンボ宝くじの販売が酣わ(たけなわ)であるらしい。私にはとんと興味がない。理由はないが、私という人生にはそう言う果報は無縁であるとどこかで確信しているからである。昔から、くじ運はからきしダメだった。子供の頃のたわいない駄菓子のくじ引きでも、いつも決まってはずれだった。だから思考の範疇からいつしか追い出して、無縁なのである。ところが我が家の家人達は、いささか様子が違っていて、宝くじなどというと何だか急にざわめいて、無事3億円を獲得した時の対策などを延々と語らせれば語れるので、甚だうらやましい。その想像力には目を見張る。女性とは、きっと直感的な動物であるように思う。この直感が案外バカに出来ないのだから、そう言う能力のない男の私としては始末が悪い。3億円の使い道は彼女達に任せるとして、先日、街に出かけるという私を呼び止めて、いささかハニカミながら母がサマージャンボを買ってきてくれと紙幣を差し出して無心した。「くじ運無い僕じゃダメだろ」と、実は買い方もわからないから、家内に委託すると、そつなく買い物をしてきてくれた。それをそのまま渡すと、母は今度はそそくさと、何やら怪しい運気の高まる袋とやらにそれを仕舞い込みご満悦であったりする。また別の日に、我が家のデスク周りに、銀行の振り込み用紙が置いてあって、いつも経理を手伝ってくれている家人に労いの言葉をかけると、意味ありげに肩をすくめて笑っている。最近は、ロトという数字の組み合わせで当選を競う宝くじが銀行のATMで買えるのだと言う。用紙はそのくじ券だった。それが家人のささやかな楽しみだったと言う事らしい。
 私の想像を超えた世界が、彼女達には存在するらしい。きっと、当たっても私には言われるその時までわからないだろうな。
 いずれにしても、宝くじに夢の世界を描かざるを得ない程に、我が家の筆頭稼ぎ頭である何を隠そうこの私が、とんと金目のものに縁が薄いということを、彼女達は直感的に感じているようなのである。笑
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| エッセイ | 08:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
暑い夏! 忌まわしいクーラー
 とにかく暑い。グズグズとしていた梅雨が去ったかと思うと、これまでの夏を取り戻さんばかりの照り返しは、まさに肌に刺す感覚である。
 本来私は、冷房が嫌いである。クーラーというものはそもそもが室内の熱を無理に取って、単純に外へ出しているいわゆる廃熱装置であるから、精神衛生上も何となくためらいがある。夜寝る時などに、クーラーをかけたままに眠るなどという事は私の感覚には無いし、いつも他の家人達とは意見が食い違う。どちらの家庭でも、お父さんが暑がって、クーラの下を陣取りビールを飲んでいるというのが普通だというが、我が家は逆である。休む時も、出来るだけクーラの影響が無い場所で私が休むのである。夏であるから、寝汗をかくくらいで眠るのも変に好きなのである。家人は信じられないという。ここまで食い違えば笑いしか出てこない。決して快適ではないけれども、もしかすると私には、子供の頃に潮騒を遠くに聴きながら、蚊取り線香の匂いを片手内輪に引き寄せながら、まどろむ心地よさの幻影を追いかけているのかも知れない。人間は、時として五感すら、詩的な情緒に支配され、おおいに狂う事もあると、心の中で思っている。暑いという現実は、物理的にはどうしようもないのだから。
 街は、廃熱装置のオンパレードである。あの室外機がまさにジェットタービンのように、ブンブン回り、建物自体を離陸させてしまうのではないだろうかと思う程に回っている姿を見ると、人間のエゴが回っているようにも思えてしまう。室内だけが涼しければ、外に廃熱したところで何が悪いと言わんばかりに...。使わないわけにはいかないけれども、冷房の効いたお店に飛び込み、スウッとした時などは、何となく後ろめたい。私たちの仕事のまさに本題だなと思う。精神衛生的にも矛盾が無く、夏出来るだけ涼しく、冬あたたかな住まいづくりが出来れば、それが理想である。最近の、どちらかというと男性的で激しい癇癪持ちのようなお天気は、私たちへの課題を更に難しいものにする。問題は進めども進めども山積みである。
 地球規模の温暖化が懸念されるが、先日のニュースで、カリフォルニアなどの熱波では、クーラーの無い部屋に住んでいる人や、勿体ないと付けないことに、90人以上の死者が出ているという。命を取られては仕方ない、ギョッとして思わずリモコンを握ってしまう。やはり、密集して都会に住むことには様々な問題があるのかな、とも思う。少し部屋が冷えてくると、いかんいかんと切っては扇風機に切り替える。また温度上昇しては、スイッチを入れる。「冷暖房は、性能の良い空間で出来るだけ微弱なエネルギーを足りない分だけ加えていく事が、省エネで快適である」なんて偉そうな事を言っている我が身は、紺屋の白袴、甚だお恥ずかしい。ほぼ無断熱のあばら屋に拠点を置き、温度と良心相手に格闘している。格闘すると汗をかく。汗をかくと...。私を取り巻く環境が、理論通りの快適空間に改善していく日は、どれ程ひとの住まいを建て続けたあとだろう。暑さにぼーっとしながら気がつくとそんな事を夢想していたりする。

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| エッセイ | 08:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
プラモデル
 夏休みの遊びはアウトドアと決め込んで、海へ山へと少年時代は活動的に遊んだものだが、子供の頃の私にはもうひとつアイテムがあった。プラモデルである。長い夏、学校に束縛されずにじっくりと大物に取りかかれる。1/12スケールの精密なスポーツカーにしようか、1/6のハーレーか何かのバイクにしようか。戦艦大和でも作ろうか。渋く五重塔でもいいか。終業式の晩には手持ちの資金と相談しながらひと月以上もあるその時間を思うとワクワクして眠れないものだった。近頃の男子学生たちに「プラモデル」といってもあまり触手を伸ばさない。かえって女の子の方が、「私、スーパーカーを作ったことありますよ」なんて返ってきたりするから彼らとのギャップは否めない。当時は素朴なものづくりのまねごとが、大いなる遊びだった。今はもっと大仕掛けで、仕立てられないと遊べないのかもしれない。私たちの頃、玩具と言えばプラモデルというくらいの勢いで、男の子に取っては必ず通過する趣味のひとつだった。ちょっとでもひとよりリアルに仕上がるように、塗装に工夫を凝らしたり、接合部のずれをヤスリで磨いたり、それはもうちょっとした職人気分だった。近頃のプラモデルは塗装いらず、接着剤いらずなどと言うお手軽なものもあるようだが、それでは楽しみが半減するというもの。
 実はそんな事も、現在の仕事に少なからず影響していると言えなくもない。今でも、建物のスタディー模型を作る時などは、もしかすると完成を想像して黙々と手を動かす気分などは似ているのかもしれない。縮尺だ、素材だ、造形だという基礎の基礎は、そう言うところで学んでいたのだ。当時、田宮模型が出していた1/35ミリタリーシリーズは、各国の戦車、装甲車、砲台や兵隊の人形まで、忠実なスケールモデルとして玩具を超えたクオリティーの代物で、ご多分漏れず私もはまってほとんどのものを作った。迷彩塗装をしたり、汚してリアル感を出したり、どうかすると小豆粒程の兵士の顔まで、塗り分けてそれを飾って楽しんだ。特にドイツ軍の戦車などは、奇抜な形のものも多く格好が良かった事を覚えている。
 少し生真面目なニキビ面の少年になった頃に、「僕は反戦主義だ」とか何とか言って当時のものを全て処分した。今ではお笑いだが、私たちがミリタリーものを楽しむのも、私たちにとって既に過去の歴史に沈殿している澱を眺めているようなもので、軍用のものには合理性や先見性があって、ことデザイン性という部分に限定してみると、魅力的なものがあることは色々な書物でも書かれている。目くじらを立てずとも、たかがプラモデルなのだから、潔癖に考える必要もなかったのだけれど、当時は大真面目である。勿論、今の私が平和主義者である事は言うまでもない。
 最近になって、CMや広告の世界で造形のお仕事をされるクリエイターの先生とお知り合いになって、そのスタジオにお邪魔すると大きな戦車やゴジラが所狭しとディスプレイされてあって、ついつい昔話をするうちに戦車のひとつも作ってみたくなった。もしかして、途中で投げ出すかも知れないので、あまり高価なものではなくてと、電気量販店のホビーコーナーで小さな戦車を買って、少しずつ時間の合間に作ってみた。昔取った杵柄とは良く言ったもので、少しずつ感覚は蘇り、塗料の艶を調整したり、つなぎ目を磨いたり、キャタピラをワザと汚したりでそれは楽しいひとときだった。その後スタジオにその小さな戦車を持っていくと、リップサービスで褒めてくれたりするものだから、思わず気を良くしてしまう。
 かくして、大人のプラモは、これからもあるかも知れない。何だか封印を解いてしまった感がある。無論当時のように、うなされるように夜明かしで、熱中する時間など私にはないのだけれど...。

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| エッセイ | 09:25 | comments(2) | trackbacks(0) |
ニートを考える3 異形の若者たち
 土砂降りの通勤時間の車窓から、ふと、外に目をやることがあった。車は、雨の為か慢性的な渋滞を起こしていて遅々として進まない。最初は焦点も定まらないままに、色とりどりの傘の色などを楽しんでいたが、あることに気がついた。土砂降りの中、とある建物の軒下にうずくまるように、点々と人影が並んでいるのだ。その人影があまり動かないから、ともすると車中からなら気付かないで通り過ぎてしまいそうである。徐々に焦点が合ってくると、そこにはおのおの段ボールの切れ端などを地面に敷き込み、うずくまる若者たちの姿があることがわかった。決して非難するわけではないが、近頃の若者男性のファッションは、くすんだ色に汚しや切り裂いた解れをワザと施したものも多く、しかもダボダボに大きなものを来ているから体型線が出にくく、しかも真夏にニットの帽子などをかぶっている為に顔まで沈んで、あのように座り込んでいると景色ににじんで目立たない。色は浅黒く、中には体に小さな穴をあけて、金属などを耳や鼻に埋め込んだりしているから、私などには極めて異風に見える。私の想像力の眼鏡では、並んだ彼らが古代インドのバラモン修行の徒などに見えてしまうから少し不思議なセンスに見える。無論、彼らはそんなことを知る由もないが...。 私の経験値から推測するに、例えばイベントのチケットかなにかを獲得する為の行列かと思った。土砂降りにご苦労なことだが、20数年前なら私とて経験がある。時間がある若者だから、そんなことに熱中するのも悪くない。いや、違う。地面に叩き付ける雨が、しぶきを上げている中、車が少しだけ前に動き始めて合点がいった。その建物はパチンコ屋のビルであった。並ぶ彼らの陰は、途中からくの字に曲がりその建物の入り口に向かい伸びている。少しでも良い台を確保する為に並んでいるのだろうか。一様に、表情のないうつろな目をしてただただ時間が過ぎるのを待っているという風である。平日の通勤時間、本当に、若年層とおぼしき若者たちばかりなのである。
 昨年は、学生たちに触れるにつけ、夢の描けない彼らに落胆し奮起を促し、なんとかしてあげようと共に過ごしてきた私としては、ある種驚愕の風景と言えなくもない。目的のある学校に来て悩む彼らなどはまだまだ前向きな方で、この世に生を受けてまだ20年足らずしか生きていないのに、その時間を持て余し、土砂降りの中パチンコ屋の開店を待つ若者の群れは、少し深刻に言えば、この国の未来を物語っている。私とて若い頃はパチンコに興じることもなくはなかった。全てを否定しているわけではないが、彼らに充実の将来が待っているとも思えない。
 近頃は、修練のいる職業を目指す若者が激減し、人材難の職種は深刻な状態だと言う。かく言う私たちの建築の世界とて、その例外ではなく、格好の良い「デザイナー」という言葉には甘味を感じるらしいが、いざその為には少し本格的な学問がいると教えると「そこまでは」と怖じ気づく若者があとを絶たない。大きな喜びは、短絡的な発想では得られない。修練の上の喜びは、その至福は、実感した者にしかわからない。チンジャラとパチンコ玉があふれかえる興奮の瞬間よりも、もっと恍惚の喜びがあることを何とか伝えることは出来ないだろうか。私たち大人の重大な仕事のように思えてならない。一見、悟りを開かんと半眼で座り込む修行の徒のような彼らに、本当の生き甲斐を問うことは簡単ではないと思う。しかし、少子化も治安の悪化も経済の亜均衡も若年層の問題も、すべてそんなことから始めなければ何も変わらないことなのではないだろうか。
 強い雨が、ボンネットに叩き付けられ、バタバタと凄い音がして妄想の私を現実に引き戻す。さきの青信号にまた車が流れはじめた。私は後方に未練を残しながら少しだけアクセルを踏んだ。あなた達に与えられた時間も、誰の例外もなく確実に減り続けているのだよと言い残したい衝動にかられながら。
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| 若者・教育 | 08:48 | comments(0) | trackbacks(1) |
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  膺肢鐚