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タイ北部プレーにある「ワット スーンメン」には古代経典の集めた博物館があることで多くの参拝客が訪れています。地図境内の様子1840年に建てられ「ワット スーンメン」はタイ北部ラーンナー王国の王室に手厚く保護されたこともありラーンナー王国の王族がご本尊に参拝するために訪れていました。そのようなことがありラーンナー王国時代には「ワット スーンメン」仏教に関する教育が行われていました。古代経典を集めた博物館こちらの建物が古典経典を保存している博物館になり経典を持ったハリネズミがお出迎えしています。古典経典の収集はある高僧が古典仏教からの教えの重要性を感じ後世に残すために始めました。館内はこのようになっておりたくさんの経典が大事に保管されておりこちらには保蔵方法についての説明があり境内の片隅に経典を持った亀さんが佇んでいました。「ワット スーンメン」では毎年1月の乾季になると経典の湿気を取り除き虫干しをするために天日干しの儀式が行われ、その年に収穫したお米と共にご本尊や仏像に捧げられます。乾季のタイ北部の朝は南国とは思えないくらい冷え込みます。そのため儀式では仏像が寒くないようにとの意味で、離
内乱に敗れた貴族が逃げ込んだお寺:ワット ヤーン スッターラーム
タイ語でゴムを意味する「ヤーン」というようにお寺「ワット ヤーン スッターラーム」が1770年のトンブリ王朝時代に建てられたころ、この辺りはゴムの木が茂る庭園がありました。地図拝観時間:朝6時から夜8時30分まで(時間変更があります)内乱に敗れた貴族が逃げ込んだお寺1762年ビルマにより滅亡したアユタヤ王国から国を奪回しバンコクにトンブリ王朝を建てたタークシン王ですが晩年に心の病から民心を離れるような政策を命ずるようになりました。その結果、各地で反乱が起き始めたことから、貴族である1782年にプラヤーシンに反乱の討伐を命じました。しかし、プラヤーシンはこれを権力の簒奪の絶好の機会ととらえ他の貴族と共にクーデター起こしタークシン王を出家させました。このときカンボジア遠征からバンコクの帰途の途中の貴族マハーカサットスックは民衆の支持もあったことからプラヤーシンなどの反乱軍を鎮圧し、敗れた反乱者は「ワット ヤーン スッターラーム」に逃げ込みました。その後、反乱者を処罰したマハーカサットスックは王位「ラーマ1世」に即位し1782年に新たに現在のチャクリー王朝を開きました。
仏陀生誕2500年記念の仏塔:ワット プラタート ノーンブア
ウボンラーチャターニーにあるお寺「ワット プラタート ノーンブア」は仏陀の生誕2500年記念のために1957年に建てられました。そして、その境内にはインドのブッダガヤのモデルにした高さ57mの仏塔がそびえ立っています。地図拝観時間:朝6時30分から夜8時まで(時間変更があります)元農務大臣の懇意により建てられたお寺「ワット プラタート ノーンブア」が建設された理由には、仏教の実践を信奉する団体が仏陀生誕2500年を記念して瞑想を行うお寺の建設を熱望していました。そこでこの団体はこの地区に広い土地を持つフォンシティタム元農務大臣へ相談をする必要がありました。このとき元農務大臣は内乱の疑いで刑務所に服役中でした。そのため団体の代表が刑務所へ面会に赴きました。面会者から新しいお寺の建設計画を聞いた元農務大臣も瞑想の行うお寺の必要性を考えていたこともあり喜んで土地を寄進に応じました。こうして元農務大臣の協力もあり1955年にの建設が始まり1957年に「ワット プラタート ノーンブア」が完成しました。また、出所をしたフォンシティタム氏ですが、その後の下院議員選挙に3度当選し晩年には僧籍でないにも
ウボンラーチャターニーの初代総督が都市計画を行う中でをムン河の畔に最初のお寺「ワット ルアン」が建てられました。地図拝観時間:朝5時から夜8時まで(時間変更があります)ウボンラーチャターニー総督の最初の寺院ウボンラーチャターニーの初代総督となるチャオ プラ プラトゥム ウォララット スリヤウォン は新に都市開発を行いました。そこで息子であるウパダやラオスのビエンチャンから移住した技術者をともにウボンラーチャターニーで初めてのお寺を1791年に創立しました。そうしてお寺は「ワットルアン」と命名されました。この機械は???境内の片隅にこのような機械があります。タイのお寺ではこのようにお布施をする光景をよく見ますが「ワットルアン」にはお布施をするための機械が設置されています。機械は紙幣と硬貨の両方が使用でき領収書の発行も可能です。お布施の機械を設定したのもウボンラーチャターニーでは「ワットルアン」が初めてなのかもしれません。
ウボンラーチャターニーで最初の王立寺院:ワット マハーワナーラーム
ウボンラーチャターニーにある1978年にタイ王室第3級寺院となった「ワット マハーワナーラーム」には貴重な仏像が祀られています。地図拝観時間:朝6時から夜8時まで(時間変更があります)ワット マハーワナーラームの歴史初代ウボンラーチャターニーの総督のプラ・パトゥム・ウォラトラジ・スリヤウォンは住民のための瞑想の場所としてムン河の畔に「ワットルワン」というお寺を建てました。しかし、小さなお寺では瞑想するに不便だったことから1779年に現在の場所にお寺を移し「ワット・パ・ルアン・マニ・チョティ・スリサワッド」と命名しました。1805年、2代目総督のプラ・プロム・ウォララジャ・スリヤウォンはお寺の建設を続け完成した1807年に「ワット・パ・ルアン・マニ・チョティ」と命名しました。その後1941年に大きな森を意味する「ワット マハーワナーラーム」と命名されました。またこのお寺、大きな森と同様の意味から「ワットパーヤイ」とも呼ばれています。ご本尊パン・マラヴィチャイ仏ご本尊のパン・マラヴィチャイ仏はラオスの文化を受けた仏像で高さ5mで幅は3mあります。私と妻もご本尊に手を合わせてきました。境内の
狛犬が微笑むお寺:ワット スパッタナーラーム ウォラウィハーン
ウボンラーチャターニーにあるお寺「ワット スパッタナーラーム ウォラウィハーン」の本堂の入口には微笑むライオンのような狛犬が祀られています。地図拝観時間:朝6時から夕方6時まで(時間変更があります)ラーマ4世に命名されたお寺1850年にムン河沿いに建設が始まったこのお寺は1853年に完成しましたラーマ4世(在位1851年ー1868年)は河沿いに建てられた建てられたことからよい港のある寺院との意味を込めて「ワット スパッタナーラーム ウォラウィハーン」と命名しました。またお堂にはベトナム人の職人による装飾が施されています。微笑む狛犬タイのお寺ではシンとよばれる狛犬が祀られていることが多くこちらはバンコクにあるタイの3三大寺院の一つの「エメラルド寺院」のシンこちらはバンコクにある「ワットウタイターラーム」にある金色のシン中国文化の影響を受け獅子舞のようなシンやタイ北部でお寺に祀られているシンと各お寺でいろいろなシンが祀られていますが、「ワット スパッタナーラーム ウォラウィハーン」微笑むライオンのような狛犬「シン」が祀られています。境内の様子国民の95%が仏教徒のタイでは社員旅行などでお寺
ウボンラーチャターニーにあるムン河の堀沿いに建てられたお寺を意味する「ワット リアップ」があります。地図ワット リアップの歴史「ワット リアップ」はラーマ3世(在位1824年ー1851年)の治世の1848年に有名な高僧により建てられました。その後、お寺は代々の住職によって引き継がれましたが、10人目の住職が亡くなった後に住職のいない状態が1年ほど続きました。しかし、ラーマ5世(在位1868年ー1910年)の治世の1892年に高僧が新たな住職として就任しお寺は改装されました。双子のようなお堂境内には双子のようなお堂が並び立っています。手前のお堂には金色の壁の前に祀られた高僧の像が祀らてており奥に建てられたお堂にはこちらにも高僧の像が祀られています。とんがり帽子のように尖った屋根はバンコクや他の地域では見ることの少ない独特な形状です。
ウボンラーチャターニーのムン河の近くにある「ワット クラーン」はこの地を治めた領主の一族により建てられた歴史あるお寺です。地図道徳の証として建てられたお寺ウボンラーチャターニーの領主であるチャオカムポンは1791年に街の建設と共に宮殿の建設を行いました。そして街の人々と共に街づくりを行った領主の息子タオカムは人々に道徳の証の記念碑として1793年に「ワット クラーン」が建てられました。幅1,98mで高さ2,75mのご本尊にお参りしてきました。現在、ご本尊は1994に建てられた木造建築の本堂に祀られています。こちらの建物た多目的ホールとして1979年に建てられました。現在でも領主の息子タオカムが願ったように週末には道徳の証として多くの人が読経に訪れています。
大王の下の寺院を意味するお寺:ワット タイ プラチャオ オントゥー
ウボンラーチャターニーにある「ワット タイ プラチャオ オントゥー」には大王とよばれる貴重な仏像「プラチャオオントゥー」を祀ることから多くの参拝客が訪れています。地図大王の下を寺院を意味するお寺とは元々このお寺は1779年にワット タイ テンとして建てられました。その後大王を意味する貴重なご本尊「プラチャオオントゥー」を祀ることから大王の下の寺院を意味する「ワット タイ プラチャオ オントゥー」と命名しました大王とよばれるご本尊本堂にはラーンサーン王国18代セーターティラート(在位1548年ー1571年)の治世に作られた大王を意味する仏像「プラチャオオントゥー」が祀られています。このご本尊の幅は約1,2mで高さは台座を含めて約2,1mの青銅製の仏像で古いお寺に祀られていましたが廃寺なってしまったため屋外で雨と太陽にさらされ続けてきました。その後、仏像がウボンラーチャターニーに持ち込まれる際に金メッキを施され敵に奪われるのを防ぐために200年の間、廃寺に隠され続けていました。セーターティラート王とはラーンサーン王国とは1353年から1710年に都をヴィエンチャンとした現在のラオスにあった
この緑色の物の正体は?:ワット シリントーン ワラーラーム プー プラーオ
ラオス国境の近くのウボンラーチャターニーの山中にあるお寺「ワット シリントーン ワラーラーム プー プラーオ」は市内から離れた場所にあるにもかかわらず多くの参拝客が訪れています。
シーサケートの中心部にある2つのお堂を持つお寺「ワット マハープッタラーム」にあるご本尊には地元の人々が崇拝をされています。
圧巻!大迫力の千手千眼観世音菩薩(タイ・カンチャナブリー県)
先日訪れたタイ西部カンチャナブリー県にある中国様式の仏教寺院で、大迫力の千手観音に度肝を抜かれましたので紹介します。
バンコクの西部にある「ワット プラナーワート」は小さなお寺ですがラーマ4世やタイ首相一族により改修された記録があります。
王宮や王宮前広場からほど近い場所にある、バンコクで唯一の山(?)「プーカオトーン」(ภูเขาทอง)黄金の山を意味する人工の小高い丘の上には、大きな仏塔が建っています。この仏塔を有するワット・サケート寺院(通称、ワット・プーカオトーン)では、毎年一回大きなお祭りが開催されます。(2024年は11月8日から17日まで)ライトアップされた仏塔には赤い布が巻かれ、境内には数えきれないほどの屋台が立ち並び、大勢の参拝客で賑わいます。その熱気や煌びやかさはバンコクでもトップクラスのお祭りです。先日、久しぶりにセンセープ運河のボートに乗って、ふらっと写真を撮りに行ってきました。今回は少し離れた場所から、…
ノンタブリーのあるお寺「ワット バーン パイ」の境内には宮殿のような建物や金色に輝く仏塔がある多くの人が参拝に訪れています。
②どうでも日記→2024年8月31日アンパワー旅行(5つの寺をめぐる船ツアー50バーツ)
ルークナムのブログにお寄り頂きましたみなさま、こんばんは。偶然来ちゃった方も、いつも来て頂いているルークナムマニアの方も、ご縁に有難うです。 友達といるからっ…
僕が住んでるタイのバンコクから飛行機で1時間ほどフライトして『ピッサヌローク県』へサブ機のLumix GX85(GX7MK2)とX-T5に超望遠ズームを付けたカメラを持って3日間ほど泊まりで行ってきました。 タイ国鉄 ピッサヌローク駅 หลง คาเฟ่ Lóng Cafe 隆(ロン カフェ) Wat Phra Si Rattana Mahathat Worawihan(ワット プラシーラタナ マハタート ウォラマハーウィハーン) ヒメヤマセミ アオショウビン オウチュウ オウチュウカッコウ キムネコウヨウジャク ハリオハチクイ 野鳥の撮影はX-T5にタムロン150-500mm f5-6.7の…
ラーチャブリーの西洋風のお寺:ワット シー スリヤ ウォンサーラーム
ラーチャブリーにはラーマ5世(在位1868年ー1910年)の治世に摂政を務めたプラヤー・マハ・スリ・スリヤウォンが建てたお寺「ワット シー スリヤ ウォンサーラーム」があります。
チャチューンサオのバンパコン河沿いにあるお寺「ワット サーオ チャゴーク」は1813年に地元に住むナットナンヤンにより土地が寄進されことにより建設が始まったお寺です。
小さな仏像に囲まれた本堂:ワット ポーム ウィチィアン チョーティ カーラーム
サムットサーコンのマハチャイ市場の近くに立派な本堂がある「ワット ポーム ウィチィアン チョーティ カーラーム」があります。
マハチャイ市場近くの小さなお寺:ワット マハチャイ クラーイ 二ミット
「ワット マハチャイ クラーイ 二ミット」は大勢の買い物客で賑わうマハチャイ市場の近くにあるタイ貴族による建てられてた小さなお寺です。
市の柱がある公園:サムットサーコーン シティピラー シュラインパーク
サムットサーコンでは市の柱が建てられているお堂は公園となっており中華寺院やラーマ3世の治世の砲台があります。
戦勝を祝って建てられたお寺:ワット チャイチャナソンクラーム
バンコクの中華街(ヤワラート)にはカンボジア遠征に勝利を記念に建てられ、現在では勝負ごとに勝つの縁起がよいことから多くの参拝客が訪れるお寺「ワット チャイチャナソンクラーム」があります
ラーマ1世の治世(1782年ー1809年)に建てられた「ワット シターラーム」は落ち着いた雰囲気があるお寺です。地図パンファリラード桟橋から徒歩7分養豚場跡地に建てられたお寺アユタヤ王国の時代からバンコクには貿易関係で多くの中国人が住んでおり、一部の中国人は養豚業を営んでいました。そして養豚業で富を得た中国人達はお寺を建てるために養豚場の土地を寄進しました。こうして1797年にお寺は建てられ当初は養豚場の跡地に建てられたことから豚小屋寺院を意味するワットコークムーとよばれていました。その後1848年にタイ仏教の総主教からこのお寺の建設者に敬意を払い「微笑む主により造られる寺院」を意味する「ワット シターラーム」と命名されました。現在は古いお堂は使われておらず、ご本尊は新しい本堂に祀られています。お寺の境内の広さからここに住んでいた中国人の養豚業者の仏教の深い信仰心が感じられるお寺です。
バンコクにある落ち着いた雰囲気のあるお寺「ワット ウェルラーチン」はラーマ4世(在位1851年ー1868年)の治世に建てられました。地図BTSポー二ミット駅から徒歩15分拝観時間:朝8時から夕方6時まで(時間変更があります)竹の税金で建てたお寺税務官であったチャオプラヤーポルテープはお寺を建てるために竹による徴税を行いました。タイでは竹は建材や食器などに使われいることが多く、現在でも丈夫さとしなりが重宝され建築現場の足場で使われていることが多いです。こうしてラーマ4世の治世に建てられたお寺は当初ワットトンクンと名付けられました。その後、お寺はタイ王室に奉納され、竹の税金でできたことを意味する「ワット ウェルラーチン」と命名されタイ王室管理のお寺となりました。竹ではないのですが、日本でも天下分け目の関ヶ原の合戦で東軍の徳川家康と戦った西軍の総大将の石田光成が若き頃、農家が葦簀をつくるために淀川に生えている葦を刈り取りのを見ました。そこで葦にかけた税金により軍勢を整え豊臣秀吉を驚かしたエピソードがあります。タイでも日本でも頭のいい人は同じような発想をするのですね。
夫を探し続けた妻が祈ったお寺:ワット カオ ナーン ブアット
ナコーンナーヨックの高さ100mの丘の上にあるお寺「ワット カオ ナーン ブアット」には多くの人がお参り訪れています。地図境内の様子このような急な階段が227段続きます。急な階段で疲れますが山頂からきれいな光景を眺めることができます。夫を探したオラピム夫人の物語別れ離れになってしまった夫を探す旅に出たオラピム夫人はある日このお寺の山頂にたどり着き、そして入った本堂にはたくさんの仏像が祀られていました。オラピム夫人は引き続き夫を探す旅を続けなくてはいけません、しかし女性が一人旅は非常に危険を伴うものでした。そのためオラピム夫人は自分の姿を男性に変えて夫探しができるように仏像に祈りました。すると仏像は願いを叶えオラピム夫人の姿は僧侶となりました。現在でもタイでは僧侶は尊敬され、以前フードコートで食事をしていた僧侶に水やお金などを渡している光景を見たことがありますこうして僧侶の姿に変えたオラピム夫人は安全に夫探しの旅を続けました。同じころ夫のタオ バジットもまた妻を探していました。そんなある日、夫のタオ バジットが通りかかった僧侶へ「導師様、私の妻がこの山の上へ行くのを見ませんでしたか?」と
Fujifilm X-T5 / Tamron 150-500mm f5-6.7 雄鶏、ROOSTER、そして軍鶏(シャモ)。平たく言えばニワトリという事で良いんでしょうか。少し郊外行くと小さなタイのお寺なんかでニワトリが放し飼いで何羽もそこらへん歩いてます。こっちは今でも闘鶏やってるとこもあるので、元軍鶏だったニワトリたちかも。全然人間にビビんないし、羽の色も綺麗で何より凛としていて強そうでカッコいい。食べる鶏のイメージが無ければ一番カメラで撮りがいのある鳥かも知れません。 「軍鶏(シャモ)」Fujifilm X-T5 / Tamron 150-500mm f5-6.7photo by yot…
金属の城とよばれるお寺:ロハ・プラサート ワット・ラチャナダラム
バンコクにある金属の城とよばれる「ロハ・プラサート ワット・ラチャナダラム」はその独特の形に多くの観光客が参拝に訪れています。地図センセーブ運河パンファリラード桟橋から徒歩6分拝観時間:朝8時30分から夜9時まで(時間変更があります)ロハ・プラサート ワット・ラチャナダラムの歴史ラーマ3世(在位1824年ー1851年)は治世には中国貿易で巨万の富を築きました。熱心な仏教徒であったラーマ3世は貿易で得た巨万と富を使い多くの寺院の建設や修復を行いました。そうした寺院建設でタイ仏教の基礎となったスリランカ仏教の37の戒律から37の金属の仏塔をもつ1846年に「ロハ・プラサート ワット・ラチャナダラム」が建てられました。また「ロハ・プラサート ワット・ラチャナダラム」はラーマ3世の8番目の息子の娘でラーマ3世の孫娘にあたるソーマナット王女(1834年ー1552年)のために建てられたお寺です。後にソーマナット王女はラーマ4世の正室となりました。仏塔の内部仏塔は1階のみが入れました。このような仏像が祀られ古写真と共に「ロハ・プラサート ワット・ラチャナダラム」の建築の様子なんどの説明がされていまし
只今、近所のコーラック寺がお寺主催のお祭りで盛り上がっています。 境内の特設巨大スピーカーからは一日中DJが大音量で寄進を呼びかける声が毎晩遅くまで…
黄金色に輝く本堂で有名な「ワット シーパントン」は1857年に建てられカーオ王国13代パン王(在位1416年ー1425年)の名から由来したお寺です。地図ナーンナコーン空港から車で10分境内の様子こちらのご本尊にお参りをしました。お寺の装飾にはアヌラック ソムサックというナン族の職人によって彫刻され迫力のある7つの頭を持つ龍のナーガが祀られています。昔「ワット シーパントン」にはルアン プー クルチャンタという住職がいました。ルアン プー クルチャンタ住職は薬草の知識を持っており調合する漢方は膿による炎症に効果があることからお寺のお勤めをする傍ら毎日そのような患者の治療を行っていました。ナーンに旅行の際には黄金色に輝く本堂でお参りはいかがでしょうか。
①どうでも日記 スタッフとの日帰り旅アユタヤ(タイ衣装で遺跡写真)編。
ルークナムのブログにお寄り頂きましたみなさま、こんばんは。偶然来ちゃった方も、いつも来て頂いているルークナムマニアの方も、ご縁に有難うです。 ずーっとずーっと…
ナーンにあるお寺「ワット フアクアン」の建てられた時期についての詳細は分かりませんが1450年代から1650年代に建てられと推測されています。 その後ナーン王国12代アナンタヨット王(在位1853年ー1891年)により1882年に修復が行われた記録があります。 地図 ナーンナコーン空港から車で10分 ご本尊を左側に移動させた理由とは? 通常ご本尊は本堂の真ん中に祀らてれいますが「ワット フアクアン」のご本尊は真ん中から左側に寄って祀られています。 この理由についてナーン国立博物館を見学していたときに職員さんが面白いエピソードを聞けせてくれました。 今から500年ほど前、「ワット フアクアン」のある村人と「ワット プーミン」のある村人はどういう訳だか仲が悪くケンカが絶えませんでした。 この問題を解決するため互いの村長と住職が話し合いを始めました。 4人が解決方法を考えているとき「ワット フアクアン」のご本尊を見てあることに気が付きました、、、 「それぞれのお寺のご本尊の祀られている方向が同じで視線がぶつかっている!!!」 そのため互いの村人の仲が悪い原因と4人は考えました。 その問題を解
ナーンにある「ワット プーミン」には愛をささやく男女の壁画が描かれていることで有名で、Tシャツやポストカードなどグッズとして販売しておりナーンのシンボルとなっています。 地図 ナーンナコーン空港から車で11分 拝観時間:朝6時から夕方6時まで (時間変更があります) ワット プーミンの歴史 「ワット プーミン」はビルマ王国統治下に任命されたカーオ王国39代と41代ジェタブット バラモン王(在位1591年ー1597年、1600年ー1603年)の治世1596年に建てられました。 独特の美しさを持つそれぞれの方向に向いた仏像が祀れています。 本堂には様々な壁画が絵が画れており このような美人画が描かれいます。 こちらの美人画はシナイ夫人がモデルとされ別名「ナーンのモナリザ」ともよばれています。 また西洋人らしき男性が描かれています。 現在のタイのチャックリー王朝に任命されたナーン王国12代アナンタヨット王(在位1853年ー1891年)は治世中に多くの寺院修復を行いました そして「ワット プーミン」も1875年まで修復が行われた記録があります。 愛をささやく男女の壁画 「ワット プーミン」で有
象に支えられた仏塔があるお寺:ワット プラタート チャンカム
ナーン国立博物館での見学も終わり向かい側の通りを歩いていたところ、色とりどりの傘や提灯に飾られたお寺「ワット プラタート チャンカム」がありましたのでお参りに行きました。 地図 ナーンナコーン空港から車で10分 拝観時間:朝6時から夕方6時まで (時間変更があります) ワット プラタート チャンカムの歴史 「ワット プラタート チャンカム」の歴史は古く現在のナーンに13世紀にあったカーオ王国の11代プーケーン王(在位1406年ー1416年)の治世の1406年に建てられました。 境内には象に支えられたスコータイ様式の仏塔がそびえ立ちます。 小国であったカーオ王国はタイ中央部にあるスコータイ王国との友好関係を結んだことから仏舎利や仏像などをもらい受けていました。 時代は流れ18世紀にこの地にナーン王国が成立しました。 ナーン王国11代スリヤポンパリットデート王(在位1894年ー1918年)は1910年に「ワット プラタート チャンカム」の境内に新しいお堂を建てました。 スリヤポンパリットデート王はその治世に多くの寺院の修復を行いました。 ナーンはチエンマイを都とするラーンナー王国やビルマな
「ワット パヤーワット」はタイ北部ナーンにある約600年前に建てられ、チェンマイを都とするラーンナー王国の古文書にも登場する歴史あるお寺です。 地図 ナーンナコーン空港から車で14分 境内の様子 境内には古い仏塔があります。 この仏塔はラーンナー王国9代ティローカラート(在位1441年ー1487年)の治世に建てられたとされています。 またこちらの小さなお堂には 涅槃物が祀れていました。 本堂と雨の神の仏像 本堂の入口にはコムローイとよばれるタイ北部の提灯が飾られており 本堂の中はタイ北部文化の旗で飾らており お寺の造りもタイ北部文化のラーンナー様式で建てられています。 本堂の奥に光るものが祀られています。 こちらがご本尊で雨の神の仏像です。 昔、この地域の人々はナーン川で沐浴をする習慣がありました。 そのため雨の降らない季節にはご本尊の前で雨乞いの儀式が行われていました。 穏やかなお顔のご本尊ですので、人々の願いを聞いて恵の雨を降らしたのでしょう。
サムットプラカーンに僧侶が守るべきの13の教えを象徴した13の白亜の仏塔があるお寺「ワット アソカラーム」には多くの参拝客が訪れています。 地図 BTSケーハ駅から車で6分 拝観時間:朝8時30分から夕方4時30分まで (時間変更があります) ワット アソカラームとリー導師 1906年に生まれたリー導師は1925年に僧侶として叙勲され地方のお寺の住職を務めた後にカンボジアやミャンマー、インドなど仏教の聖地を巡る旅をしました。 その後サムットプラカーンに瞑想を学ぶ場所としてこの地に修道院を建てました 当初は僧侶が6人しかいない小さな修道院でしたがお寺を建てるために2名の地主から83,200平方メートルの土地を寄進されました。 仏塔の向かい側に大きな拝礼所があります。 こちらの仏像にお参りをしてきました。 この仏像があるお堂に1961年に亡くなったリー導師の棺が祀られています。 境内にはアショーカ王が祀られています。 このアショーカ王は紀元前268年頃にインドのマウリヤ朝の王で仏教を広めたことで知られています。 お寺の名前「アソカラーム」とは悲しみがないと意味する「アソ―ケ」と修道院を心地
バンコクのノスタルジーを感じるカフェ SANE PHUTHONG
皆さま、ご機嫌麗しゅうございますか?バンコクの旧市街は、地下鉄のMRTが延伸して以降、どんどんお洒落で話題のお…
喧嘩せずに仲良くしている時が何日続いたのか思い出せないくらい、今日は久しぶりに険悪になりました。まだ夫婦になったわけではないので、厳密には夫婦喧嘩ではありませ…
ペッチャブリーで長い歴史を持つお寺「ワット ペップリー」はタイの歴史や宗教においても重要な役割を果たしてきたとして多くの観光客が参拝に訪れています。 地図 ワット ペップリーの歴史 「ワット ペップリー」は1240年から1438年に栄えたスコータイ王国時代に建てられた当時は宗教的にも重要な場所とされていたとの記録があります。 しかし、スコータイ王国が衰退すると「ワット ペップリー」も荒廃してしまいました。 その後の1351年に成立したアユタヤ王国はスコータイ王国を併合したこともあり「ワット ペップリー」が再建され考古学の調査によるとバラモン教の儀式で使うジャイアントスイングが建てられていた記録があります。 境内の様子 金の仏塔がある建物は博物館になっています。 お寺に行った時間が早すぎたために中に入ることができませんでした。 本堂もカギがかかっておりどこかでお参りをと探していると境内に祠がありました。 こちらの仏像にお参りをしてきました。 ジャイアントスイング タイはバラモン教の影響を受けていることからバンコクにもジャイアントスイングが建てられています。 そしてシバの神を迎えためにジャ
ラーマ5世が敬愛した住職のお寺:ワット ラートサッターラーム
ペッチャブリーにあるお寺「ワット ラートサッターラーム」はアユタヤ王国後期の1703年に建てられた300年以上の歴史のあるお寺です。 地図 ラーマ5世が敬愛した住職 ラーマ5世(在位1868年ー1910年)の治世、「ワット ラートサッターラーム」には仏教の戒律に厳しく隠遁生活を送っていることから人々に尊敬されたクリン住職がおりました。 ラーマ5世は仏教の戒律を厳しく守るクリン住職を敬愛しペッチャブリー滞在中に何度も「ワット ラートサッターラーム」を訪れました。 また1909年9月14日に2艘のボートにより「ワット ラートサッターラーム」を訪れ昼食を摂られた記録もあります。 ラーマ5世の治世は日本では明治維新の頃になりミャンマーやマレーシアはイギリスの植民地となりベトナムもフランスの植民地になるなど帝国主義の時代でした。 そのような状況にラーマ5世は「チャックリー改革」とよばれる政治や軍事、インフラや教育などの近代化に成功しタイの独立を守りました。 そのため現在でもタイ人はラーマ5世を尊敬し崩御した10月23日にはその偉業をたたえて国民の休日となっています。 そのような緊迫する国際情勢の
昨日と今日の2日連続で隣町にある「パー・プロム・パンヨー」というお寺に行ってお祈りしてきました。 いつもは「ナーモー・プーター・ヤー・・・」と言う旋律の付い…
ペッチャブリーにある1000年以上の歴史あると云われる「ワット タム ロン」にはお寺の向かい側の断崖に洞窟がありたくさんの仏像が祀られています。 地図 洞窟の入口 洞窟の入口は金網が貼られていますが、これは野良犬や野生の猿が入って来るのを防ぐたためですのでカギ替わりに入口にかかっている針金の外せば入れます。 ちなみに世間では仲が悪い関係を「犬猿の仲」といいます が、、、 ベッチャブリーでは野良犬と野生の猿が仲良く共存しています。 王様と心優しい少女の伝説 今から1300年前に王様がこの地域の領主を従えてこのお寺のある村にやって来ました。 そのため村人は王様のために飲み水の用意をしました。 そしてきれいな少女が王様の前に来て水の入った器を王様に差し出しました。 喉が乾いていた王様は水を飲もうとしましたが、器の中に1枚の葉が浮かんでいることに気が付きました。 それを見た王様はとても怒り水を差しだした少女を連れてくるように側近に命じました。 連れて来られた少女は「なぜ器の中に葉を入れたか?」と王様に問われました。 その問いに少女は 「私には王様が疲れているように見えました、そのようなときに急
願い事をスピーディーに叶えてくださる大仏様 ワットサーカラー
皆さま、ご機嫌麗しゅうございますか?皆さまは、お願い事があるとき、神社仏閣にお詣りなさることはあるかしら?ホム…
ペッチャブリーには長さ32mで幅8mのジャンク船の形をした本堂を持つ「ワット ノーク パーク タレー」があります。 地図 ワット ノーク パーク タレーの歴史 昔「ワット ノーク パーク タレー」は海の近くにありましたが海岸浸食のために海水による浸水が起きてしまいました。 そこで1891年に住職と村人が協力をして現在の場所へ移動した記録があります。 現在、本堂はセメントで建てられていますが、建設当時の村人の多くが漁師でありお寺では漢方薬がつくられていた記録があります そのような理由からお寺はお祈りをするだけでなくコミュニティーの中では重要な場所とされていました。 そのような漁師の協力により建てられたお寺なだけに船のスクリューがあったり こちらにはタコがあり 風を切って進むジャンク船や 竜神ナークを乗せた船もあり 巻貝に乗って微笑む少年も祀られています。 ご本尊にお参りをしてきました。 本堂にはジャンク船の彫刻も施されていました。 昔も今も「ワット ノーク パーク タレー」では漁師たちによる大漁祈願が行われていることでしょう。
昨日はYと二人でチェンマイのお隣りのランプーン県にある有名な寺を訪ねました。寺の名前は「ワット・サンパーヤーン・ルアン」です。531年に最初に建立され、その後…
ペッチャブリーにある「ワット コッ」にはアユタヤ王国時代後期に描かれた息を飲むような美しい仏教画があり参拝者を魅了しています。 地図 拝観時間:朝8時から夕方5時まで (時間変更があります) 「ワット コッ」の入口は閉まっていますが裏側から自分でカギを開けて入ることができます。 というのも、 このお寺の境内には野良犬がたくさんおり、建物内へ侵入を防ぐためです。 壁に描かれた美しいアユタヤ時代の仏教画 「ワット コッ」の本堂には美しい仏教画が描かれています。 「ワット コッ」はアユタヤ王国34代ボーロマコート王(在位1733年ー1758年)の治世の1734年に建てられました。 当時のアユタヤ王国はヨーロッパ諸国との貿易の影響もあり仏教が衰退していました。 そこで熱心な仏教徒のボーロマコート王は上座仏教の本家スリランカに使節を派遣をしタイ仏教の回復に努めました。 瞑想中の仏陀を襲う鬼をプラメ―コローニーが自らの髪の毛から流し出した水で鬼を退治する様子が描かれています。 このような美しい壁画にご本尊は囲まれており神秘的な雰囲気を醸し出しています。 タイにはアユタヤ王国時代に描かれた壁画のお寺
ルークナムのブログにお寄り頂きましたみなさま、こんばんは。偶然来ちゃった方も、いつも来て頂いているルークナムマニアの方も、ご縁に有難うです。 さて、昨日のブロ…
王族が幽閉された洞窟と傾いた仏塔:ワット カオ バンダイ イット
ペッチャブリーにあるアユタヤ時代に建てられた「ワット カオ バンダイ イット」には王族が幽閉された洞窟や傾いた仏塔、山頂には大きな大仏が祀られたお寺です。 地図 拝観時間:朝8時30分から夕方5時まで (時間変更があります) 王族が幽閉された洞窟 こちらが洞窟の入口です。 ベッチャブリーのお寺には洞窟に仏像を祀っているお寺が多いいです。 1628年にソンタム王が崩御したことから若干15歳のチェーターティラート(在位1628年ー1629年)が王族のプラーサートトーンの協力を得てアユタヤ王国25代として即位しました。 このチェーターティラート王が即位したことに不満を持つ叔父であるプラパンシーシンが反乱を起こしましたが失敗したことによりこの洞窟へ幽閉しました。 しかし、チェーターティラート王の温情により死刑を免れたプラパンシーシンですが、再び反乱を企てたことによりアユタヤに連れ戻され処刑されました。 プラパンシーシンを処刑し王宮内は落ち着くを思われましたが、チェーターティラート王は即位の協力者であったプラーサートトーンが反乱を企ているとのことで兵を差し向ける準備を行いました。 しかし、兵を差