2008年12月に定年となり、現在の農地付きボロ家を購入し、直ちにユンボを借りて田んぼを作り、その秋には米ができた。それから数えて、通算16回も米を作った。収穫高の合計は8.3tほどになる。平均だと520Kg/年程度だが、多い年で750Kg(2022年)、少ない年は130Kgとバラついている、この年は稲刈り直前にイノシシが入ったため、悲惨な結果となったのだった。まあ、素人がやっている山の中の2反歩弱の田んぼにしては上等だろう。
うちでは米作りタイムテーブルという表を作り、毎年のコメ作りの経過や結果を整理しているが、これを見ると毎年のいろいろな出来事をよく思い出せるのである。結構飽きっぽい私がずっと米・野菜、芋を作ってこれたのは、やっぱりこれをサラリーマン引退後の新しいビジネスとして考えていたからだと思う。最初の年、農家ではないので農地は仮登記しかできず、正式に自分のものにするために大多喜町の農業委員会に申請したが、なぜかはねられた。次の年には町の担当者も代わり、ようやく認められたのだが、その際に作った農業の事業計画の通り、大多喜で作った作物を横浜の家の玄関先で売るというストーリーをずっと愚直に続けており、まさに定年後の新しい仕事をやっていたわけだ。ビジネスだから、売り上げも原価もはっきりさせる必要がある。もちろん青色申告をやっている。また必要な設備については投資もしなければならない。
残念ながら、農業に限ると毎年赤字が続くのだが、単なる趣味(例えばゴルフ)をやっていたって、お金は出ていく。ということで、趣味のような仕事、仕事のような趣味はずっと続いている。多分ボケるか死ぬまで続いていくはずだ。定年はないしね。
一日一回、ボタン押し お願いします
にほんブログ村
うちでは米作りタイムテーブルという表を作り、毎年のコメ作りの経過や結果を整理しているが、これを見ると毎年のいろいろな出来事をよく思い出せるのである。結構飽きっぽい私がずっと米・野菜、芋を作ってこれたのは、やっぱりこれをサラリーマン引退後の新しいビジネスとして考えていたからだと思う。最初の年、農家ではないので農地は仮登記しかできず、正式に自分のものにするために大多喜町の農業委員会に申請したが、なぜかはねられた。次の年には町の担当者も代わり、ようやく認められたのだが、その際に作った農業の事業計画の通り、大多喜で作った作物を横浜の家の玄関先で売るというストーリーをずっと愚直に続けており、まさに定年後の新しい仕事をやっていたわけだ。ビジネスだから、売り上げも原価もはっきりさせる必要がある。もちろん青色申告をやっている。また必要な設備については投資もしなければならない。
残念ながら、農業に限ると毎年赤字が続くのだが、単なる趣味(例えばゴルフ)をやっていたって、お金は出ていく。ということで、趣味のような仕事、仕事のような趣味はずっと続いている。多分ボケるか死ぬまで続いていくはずだ。定年はないしね。
一日一回、ボタン押し お願いします
にほんブログ村