罪は恵みへと
「なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです」
今日の第一朗読(ローマ6.12-18)で、パウロはこのように書いています。ここでパウロは、明らかに律法と罪を関係づけて考えています。
断食や安息日など、律法を文字通りに厳しく守ることが、必ずしも他者を大切にする、愛することになるとは限らない。何より守らなければならないのは律法以上に愛である。これはイエスが説いた教えであり、パウロは目新しいことを言っているわけではありません。
しかし、パウロが律法と愛について語ることには大きな意味があります。かつては、パウロ自身が、熱心なファリサイ派として律法の下に生き、イエスの弟子を迫害さえしていたからです。
律法の下にいることと、恵みの下にいること。この二つがどのように違うのか、律法に縛られないことがなぜ恵みなのか。パウロ以上にこれを体験し、知っている人はいないでしょう。
律法だけを正義とし、そのためにイエスの弟子を迫害し、命を奪いさえしていたパウロ。かつてのパウロは間違いなく罪の状態にありました。しかし、そんな生き方を知っているからこそ、パウロは誰よりも律法と恵みについて語ることができたのです。イエスとの出会いによって、罪は恵みへと変えられたのです。