Kaer liman malu 「手をとりあって」

著者 :
Parlophone
発売日 : 1993-09-26
何とはなしにずいぶん久しぶりに聴きなおしてみたのでした。初めて聴いたのは中学2年のときだったと思いますけれど、当時はあやしい日本語の歌にうまく訳したもんだなあと思っていただけでしたが、今回気づいたのは、ベースライン。すべての曲でベースがものすごく考えたんじゃないかというラインを弾いていて、クイーンのこれまでのアルバムではそれほど目立たなかったベースがひときわ自己主張を始めているように思えました。それにしても前のアルバムはオペラで、このアルバムはレース。複数形になっていてなんのレースなのか、もしかして人種という意味?などとも考えてしまいました。


iPhoneのミュージックで曲をシャッフルして聴きながら日野までの行き帰りを電車に揺られているのですが、この曲が聴こえてなんだか懐かしいというか久しぶりにフレディ・マーキュリーの変な日本語の歌聴いたなと思ったのでした。この曲の日本語パートがなぜおかしいのかと考えてみたら、手をとりあってがTeotoriatteになっているので、「テヨトリヤッテ」に聞こえるところではないかと気付きました。ワープロの日本語入力では「を」は「wo」と入力するので、それと同じに、Te wo tori-atteとすればよかったんじゃないかなんて余計なことも考えました。

英語の歌詞をうまくメロディに乗せて訳したなと思いますが、メロディ無視してサビをテトゥン語にすると、こんな感じです。

Kaer liman malu no ba malu hanesan nafatin(互いに手をとって、このままずっと一緒にいきましょう)
o hau nia doben furak(私の美しい愛する人よ)
Iha kalan hakmatek, mai ita sunu ami nia ahi-oan lilin(静かな夜に、ろうそくに火をつけて)
Nunka haruha ami nia hanorin mak ami aprende ona.(すでに学んだ教えを決して忘れないで)

あってるかどうか、テトゥン語話者の日本人のかた、ご意見ください。

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