2022.04.24 Sunday
ロシアの偉大な振付家は一夜にして生まれたわけではなかった 村山久美子著『バレエ王国 ロシアへの道』
1ヶ月以上前になりますが、村山久美子著『バレエ王国 ロシアへの道』が出版されました。
一夜にして生まれたわけではないバレエの改革の歴史を丹念に辿った好著です。
ロマン主義バレエとロシア
この本は十三章構成となっていますが、第一章からプティパについて言及するのではありません。全章の約三分の一である冒頭四章がプティパより前の時代のロシアバレエの歴史に割かれています。この章構成だけで、本著の姿勢が伝わってくると思います。
ヨーロッパからロシアへのバレエ移植の歴史を追いつつ、ロシアバレエの基盤を作り上げた人物としてシャルル=ルイ・ディドロを挙げています。
ディドロはプーシキンの『エフゲニー・オネーギン』にも言及されている振付家。1830年代のロマン主義バレエより前の、1920年代のプレ・ロマン主義に当たる振付家だそうですが、パントマイムと舞踊を融合させた振付やワイヤーを用いた演出など、ロマン主義で完成したと思われる要素を先取りしていたと説明されています。
村山氏はロシアバレエの主流は「ドラマ・バレエ」だと述べていますが、そのようなロシアバレエの出発として、プティパの古典主義バレエから始めるのではなく、ディドロに代表される、芝居性を重視した(プレ・)ロマン主義バレエから始めたというのは興味深いと思います。
ディドロの後に訪れるビッグネームはもちろんプティパです。しかしプティパを単に古典主義バレエの振付家として雑に扱うのではなく、この本の中では、どのように彼がロマン主義バレエから古典主義バレエへと発展させていったかが丁寧に辿られます。
ロマン主義バレエの影響が残る作品として大きく取り上げられているのが『ラ・バヤデール』。ガムザッティの結婚式の場におけるニキヤのヴァリエーションは、心理と舞踊が分かちがたく結びついた振付。そこにマイムと舞踊部分を分離しないように混ぜ合わせ」たロマン主義の要素と、さらに20世紀の「ドラマ・バレエ」との結節点を見出しています。
マリウス・プティパとユーリー・グリゴローヴィチの溝を埋める
さて、現代ロシアバレエを代表する大家、ユーリー・グリゴローヴィチが、物語を語るバレエでありながら、極めて音楽的で舞踊を前面に押し出したシンフォニックな要素を持ち合わせているということは、グリゴローヴィチの作品を見たことがある人なら、誰しも頷くと思います。
今、本が手元にないので乱暴なことは書けないのですが、太古の昔に読んだ、講談社から出ている某有名評論家M氏の著書では、グリゴローヴィチの章で、グリゴローヴィチのシンフォニックな要素とバランシンのシンフォニック・バレエを関連させて記述していました。
直接的な影響関係は否定しつつも、グリゴローヴィチの伯父だったか、誰かが、バランシンと一緒に踊っていたんだったか、バランシンの作品に出演していたのだったか、ということで、二人を結びつけていたわけです。
(私の記憶を元に書いているので、誤っている可能性大)
私のバレエ史の理解というと、このようにグリゴローヴィチを説明するのにバランシンを持ってこなければいけないほど、プティパ以降・グリゴローヴィチ以前の歴史が空白だったのでした。
村山氏の著書では、プティパからグリゴローヴィチ、さらにボリス・エイフマンに至るまでを埋める主要な振付家として、アレクサンドル・ゴールスキー、ミハイル・フォーキン、カシヤーン・ゴレイゾフスキー、フョードル・ロプホーフなどが挙げられています。
ゴールスキーは、プティパの『ドン・キホーテ』を改訂し、より演劇的な構成にしたことで知られる振付家。フォーキンは説明不要でしょう。
大雑把に言えば、いずれもプティパの古典主義バレエに反逆し、ロマン主義に寄り戻した振付家として捉えられています。
ロシアバレエの主流がロマン主義的、つまり「ドラマ・バレエ」であるのは、こうした振付家たちが存在したからです。
彼らの系譜を引く振付家として、そしてグリゴローヴィチやエイフマンをつなぐ重要な振付家として取り上げられているのが、ゴレイゾフスキーです。フォーキンに振付技法を習ったらしいゴレイゾフスキーは、音楽のムードや心理を視覚化するシンフォニックなバレエを作ったらしい。
グリゴローヴィチへの影響を考える上では、彼の師匠のロプホーフはもちろん欠かせません。ロプホーフはゴレイゾフスキーとは別な意味でシンフォニックなバレエを作った振付家でした。
ロスチスラフ・ザハーロフやレオニード・ラヴロフスキー、彼らの振付を十二分に体現したダンサー、ガリーナ・ウラーノワといった人々の後、彼らが作り上げた「ホレオドラマ」というバレエジャンルの空疎化が批判されるようになります。
その中で、ゴレイゾフスキーやロプホーフのシンフォニックな要素をドラマバレエに取り込んでバレエ界を一新したのがグリゴローヴィチだったといいます。
現代バレエのイメージの強いエイフマンも、ロマン主義的な、つまり「ドラマ・バレエ」を主流とするロシアバレエの歴史の中で位置付けられています。
以上、『バレエ王国〜』で丁寧に説明されているロシアの「ドラマ・バレエ」の歴史を、大雑把にご紹介してきましたが、主流以外のスタイルについても、この本は言及されています。
その一人がニコライ・フォレッゲル。私は名前すら知らない振付家だったのですが、意味よりもフォルムを重視し、メカニック・ダンス、機械ダンスといったジャンルを生み、絶賛されたそうです。
ロシアバレエの主流が、なぜ絶賛されたフォレッゲルの系譜ではなく、「ドラマ・バレエ」を選択していったのか。それについてはぜひ本を読んで確かめてください。
二つのシンフォニック・バレエ
最後に、この本を読んで私の抽象バレエに関する理解が大きく変わったことについてお話ししたいと思います。
フォーキンの『ショピニアーナ』は抽象バレエ、シンフォニック・バレエの嚆矢として言われることが多いと思います。そしてシンフォニック・バレエといえばジョージ・バランシンですから、プティパからフォーキン、フォーキンからバランシンと、シンフォニック・バレエが完成していったと考えがちです。
ですが、恐らく村山氏はプティパやバランシンのバレエとフォーキンのバレエは異なるものとして捉えていると思われます。
バランシンが音楽の構造を視覚化したのに対し、フォーキンは音楽のムードを伝え、シンボリカルな表現が凝縮されたドラマティックな「バレエ詩」を作った人物で、両者ともにシンフォニックな側面があるにしても、その内実は異なるのだと。
音楽のムードを伝えるシンフォニック・バレエを作ったゴレイゾフスキーの先蹤がフォーキンだったとすれば、バランシンの先蹤はロプホーフだったと、この本には書かれています。
ただしロプホーフは純粋に音楽構造を視覚化しようとする志向と、ロシアバレエの主流であるメッセージを伝えようとする志向で矛盾を来たし、その試みは十分に成功しなかったとあります。
音楽構造を視覚化するシンフォニック・バレエを完成させたのが、ロプホーフのシンフォニック・バレエ、『宇宙の偉大さ』に出演していた、我らがバランシンだったわけです。
「シンフォニック・バレエ」という言葉で一括りにされがちな、こうしたバレエのスタイルの違いを丁寧に分別できるのは、その時代、その時代で生まれるバレエが過去の何に影響を受け、次の時代におけるどのようなスタイルの萌芽を秘めているかを丹念に読み解く、この著書だからこそできることだと思います。