2023.09.29 Friday
正義とは何なのか―第一次世界大戦を経験した二人の作曲家 舞台稽古見学会&オペラトーク『修道女アンジェリカ/子どもと魔法』
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10月1日から粟國淳演出・沼尻竜典指揮のオペラ『修道女アンジェリカ/子どもと魔法』が新国立劇場にて上演されます。この舞台の稽古見学会の無料招待に抽選で当たったので、一足先に見てきました。またこの二人によるオペラトークにも参加してきたので、その内容もご紹介したいと思います。
キアーラ・イゾットン演じるアンジェリカ―激しい感情の吐露
プッチーニの『修道女アンジェリカ』は修道院が舞台です。アンジェリカは元は身分の高い貴族だったものの、未婚のまま出産したことで、修道院に入れられていました。7年間、家族の訪問を受けずに過ごしてきましたが、あるとき叔母の公爵夫人が訪れます。何よりも知りたかった息子の消息を尋ねると、息子は2年前に亡くなっていたのでした。アンジェリカは天国の息子に会おうと毒薬を仰ぎますが、それはキリスト教では大罪に当たることに気づき、絶望します。
修道院の石造りを印象づける舞台美術は、この作品の舞台であるイタリアを意識したものであるのと同時に、エッシャーにもインスパイアされて作られたのだといいます。
舞台転換は、舞台床が横にスライドすることで示されます。ある場所から別な場所に移っているはずなのですが、どこまでも石造りの構造が続くだけですから、スライドされても同じ場所のように見えてきます。それが修道院というものの閉鎖性を物語るようです。オペラトークによれば、この舞台美術の射程は社会にまで及びます。「エッシャーの絵画は必ずどこかに戻ってくる世界だ。それが大きくなれば社会である」。
毒薬を仰ぐ最終盤では、それまでのスライド式とは異なる、意表を突く舞台転換が用意され、アンジェリカが神と向き合うに実にふさわしい空間を演出しています。
私が『修道女アンジェリカ』で驚いたのは、生身の人間の感情が克明に描かれているということです。アンジェリカは、決して女々しく打ちひしがれているだけの女性ではないのです。叔母から妹の結婚相手について「家名を汚したお前の妹を受け入れてくれる人だ」と言われれば、「私の母の妹がそのような冷酷なことをいうなんて」と激します。
「同じ格好をしている修道女は個が分かりにくい。彼女たちは人間離れしているけれども、人間であることには変わりないのだ」(オペラトーク)。
アンジェリカは本当は激しい性格なのでしょうね。激しいというよりも、人間らしく生きるためには激しくならざるを得ないといった方が正しいかもしれません。だから彼女は人を愛して子どもを産んだのだろうし、息子の死を知って(いわば見境なく)毒薬を飲むのだと思います。キアーラ・イゾットンが歌うアリアは激しい感情の吐露のようで、オペラ初心者の私ですら思わず胸が締め付けられました。
この作品はアンジェリカが見る奇跡で締めくくられますが、粟國淳の奇跡の描き方には注目です。
「アンジェリカが見る奇跡は本当に起きたのかという問題がある。初演では実際に息子と聖母がアンジェリカへと近づいていく演出だったらしいが、プッチーニの手紙を読むと、プッチーニはそれに納得がいっていない様子だったことがうかがえる。私自身はアンジェリカが奇跡を見たのだといえば、それは奇跡だったのだと思っている」(オペラトーク)。
毒薬を仰ぐアンジェリカの背後には、刺々しい筆致で十字架を描いた石版があります。この十字架は公爵夫人との会話の場面から存在していたもの。その刺々しさときたら、ささくれ立って緊迫した叔母と姪の心理を表すようでしたが、奇跡の場面に近づくにつれて、荒い筆致の十字架の周辺がわずかに光を帯びていきます。照明の当たり具合によるものなのでしょうか。それとも私の目の錯覚なのかしら。ぜひ舞台で見ていただきたいラストです。
『子どもと魔法』―人のアクションが別なことへとつながる
今回の公演は『修道女アンジェリカ』と『子どもと魔法』のダブルビルです。「魔法の世界は本当に起きたのか。それとも夢だったのか。これは『アンジェリカ』と共通する」(オペラトーク)。
共通するといえば、舞台転換のありようも、この二作品で粟國淳の演出は似ています。『アンジェリカ』における毒薬を仰ぐシーンへの切り替えがそれまでのスライド式とは異なるということは先述の通りですが、『子どもと魔法』では家の中と外の切り替えが少し意表を突く演出となっています。
ラヴェルの『子どもと魔法』は、母親から小言を言われた男の子が部屋にあるものに当たり散らしたものの、ついに当たり散らした相手である椅子や柱時計や動物たちから復讐されるという話です。ちなみに初演はジョージ・バランシンが振り付けていて、medici.tvではイリ・キリアンが振り付けた作品が配信されています。
私が招待してもらったゲネプロ見学会はTwitter(X)で感想を投稿することが義務づけられており、元々褒め言葉を撒き散らす予定でいたのですが、配られた投稿要項には「皆様の率直なご感想をお待ちしております」とあるので、率直に書かせていただきます。『アンジェリカ』には大変満足でしたが、『子どもと魔法』は私のセンスにほとんど合わなかったです。
ただ強く言いたいのは、ラヴェルの音楽は本当に楽しいということです。オペラトークでも紹介されていましたが、スライドホイッスルなど子どものおもちゃも楽器として使用されています。また初演ではリテラル(?)という今は存在しない楽器が用いられていたそうで、現在では代わりにピアノを使用しているそうです。パリ万博の影響で、中国茶碗などにはシノワズリが見て取れます。
それに私のセンスはどうも人とずれているので、もはや「私が面白くないものは大ヒット」の法則すら生まれつつあります。最近、親しい友人とミュージカルに行くようになりましたが、私はほとんどの大人気プロダクションで気に入ったためしがないですからね・・・。
さて、『子どもと魔法』で印象的なのは映像を用いた舞台作り。ただその使い方が私には陳腐に見えたのも事実です。また舞台美術と衣装は、『アンジェリカ』と同じ横田あつみと増田恵美であるにもかかわらず、あまりピンと来なかったです。あ、でも教科書のシーンの子どもたちが着用していたアフロとパジャマレンジャーみたいな衣装は可愛かったです。
そして最大の楽しみであった伊藤範子の振付も個人的には微妙。ダンサーのお名前が分からないのですが、バレエテクニックを使っているので、バレエダンサーであることは間違いありません。
一つだけ気に入った振付シーンがあるとすれば、それは炎の場面。男の子を飲み込もうとする炎のうねり迫るさまがよく描けていたと思います。
オペラでは、男の子は動物たちから、自分が殺してしまった生き物には家族や恋人がいて、彼の行為のせいで多くの動物を悲しみの淵へと追いやってしまったことを知ります。以前、イリ・キリアンの作品を見たときには、字幕があったんだかなかったんだか、ほとんど歌詞の内容を知らなかったのですが、今回きちんと歌詞を見て意外に思ったことがあります。
この男の子は暴れん坊ですが、その動機は思いのほかに無邪気なのです。リスを罠にかけたきっかけは「君のきれいな瞳が見たかったから」。
「きれいな瞳を見たい」なんていう、およそ大人には思いつきもしない詩的な世界が子どもの中にはあるけれども、人々と、生き物たちと共生していくためには、他者には他者の世界を知らなければなりません。それは動物たちも同じで、このオペラの最後には、動物たちもこの男の子の真の姿を知っていくこととなります。
「『子どもと魔法』は、人のアクションが別なことへとつながることを描いている」「正義とは何なのか。第一次世界大戦を経た作曲家だからこその作品だ」(オペラトーク)。
第一次世界大戦を経た作曲家という意味ではプッチーニも同じ。「アンジェリカの、子どもの消息を知りたいという母として当然の願いが、社会のルールでは許されない」。何が正しくて、何が正しくないのか。『アンジェリカ』と『子どもと魔法』が組み合わされているゆえんでもあります。